かけがえのない地球
約2700字の短編小説
「ねぇ」
僕はテレビと旧式のスマホの画面を交互に見ながら、彼女に声を掛けた。
返事はない。
テレビでは目隠ししたタレントがワインの飲み比べをやってる。
高いのと安いのを選ぶやつ。
あのワインってホントに100万もするのかなって調べたら、ホントなんだね。
でも、5000円のと間違うんだから、5000円でいいじゃん。
でも、家にあるワインは1500円だよね。
僕は、そんなことを彼女に言いたかったんだ。
「ねぇ、あのさ!」
今度は台所に立って俯いている彼女に顔を向けて、少し大きな声で呼んだ。
「え?なに?今大事なところなんだけど」
彼女は何か、集中して料理を作っていたらしい。
「あ、ごめん、別に今すぐじゃなくっていいんだ。で、なに作ってるの?」
僕は、自分が話そうとしたことのくだらなさにちょっと気まずさを感じて、すぐに話を変えた。
「あのね、お魚の骨を抜いてるの。ちょっと難しいのよ?それでね、塩コショウして、ガーリックの香りをつけて、5分置いて、小麦粉と片栗粉を3対1で混ぜた粉を薄く付けて、バターでこんがり焼くの。中火でフライパンの表面温度は200度、皮目を4分、身の方を3分。最後に白ワインでフランベして、出来上がるのに20分40秒掛かるわ」
なるほど、とっても詳しい調理手順だ、この料理はムニエルだな。
魚はなんだろ、骨を抜くってことは、真鯵だろうか。
僕は即座に予想して、彼女に言った。
「へぇ、それは楽しみだな、じゃさ、今日はいつもの糖質オフビール風じゃなくって、ワインでも開けようか!」
僕はさっきの番組を見て、ちょっとワインが飲みたい気にもなっていた。
健康診断が近いからちょっと迷ってたんだけど、彼女の料理の話に乗せて、とっても自然に伝えることができた。ちょっと嬉しいな。
「あ、いいわね。じゃ、お料理がんばらなくっちゃ!」
彼女も嬉しそうだ。
僕がウキウキとテーブルをセッティングして、よく冷えたワインを出す頃には、彼女の料理も出来上がっていた。
皿の上には皮目がこんがりと焼けた、おいしそうなムニエルが盛り付けられている。彩の野菜もリーフレタスが3枚、ベビーリーフが10種類、トマトも添えられて、とても華やかだ。でもこの魚は、真鯵じゃないな。
「ねぇ、とっても美味しそう!でも、この魚はなに?面白い形」
「これ?初めてでしょ?これはマゴチよ?」
彼女は即座に答えた。
確かに初めての魚だ。でも僕は知っている。
「マゴチ、そうか、鯒か。スズキ目カサゴ亜目コチ亜目コチ科コチ属、扁平した体で砂に潜るフィッシュイーター。餌でもルアーでも釣れる釣りの好対象魚、ヒラメと共にフラットフィッシュと括られる。淡白な白身で美味しい魚だけど、体側に入っている骨が特殊で抜くのがとても難しい。この魚の調理法は、和食なら洗い、椀物、天ぷら。洋食に使うならムニエルはとても適切だ」
「そう!ちょっと特別な魚!そんな気がするでしょ?」
彼女はそう言って、満面の笑顔を作った。
その夜、僕と彼女は初めて食べるマゴチを堪能し、久しぶりのワインもおいしくて、少し酔っていた。
「ねぇ、今夜みたいな時間が、ずっと続くといいね」
普段の僕は、こんな話はしない。
「そうね。ずっと続くといいわね」
彼女も、普段はこんなこと言わない。
僕たちはあまり時間を意識しない。何が起こるか不確定な未来のことなんて考えないんだ。
「でも、今度健康診断があるんでしょ?ワインはダメだったんじゃない?」
そうだった!不確定な未来はどうでもいいけど、健康診断は大事なんだ!
「ああ、明日からまた、糖質ゼロのビール風か」
「ふふ、そうね」
彼女が笑顔でそう言ったとき、テレビから緊急速報を伝えるアラームが鳴った。
でも、そのアラームの瞬間、僕たちはその内容を理解して顔を見合わせた。
「トラピスト1の第四惑星!!」
二人同時にその星の名を叫んだ。さっきまで切れていたリンクが、アラームでつながったんだ。そして僕たちは、ワインをもう1本開けることにした。
「今夜はお祝いだ!!」
僕たちはまた、新しい地球を手に入れた。
それは僕たちにとって何より優先される成果、そして僕たちが存在する意味。
そこにまた、西暦2035年の世界が作られるんだ。
同じ国々、同じ風習、同じ人々、同じ生活、国と国の問題や戦争すらも、すべてが西暦2035年の地球のコピー。
でもその世界では、誰も死なない。国同士の問題も、戦争もそのままだけど。
なぜか?
『死ぬ人類』は、もういないからさ。
2035年、ついに人類は、自身の知性を超える人工知能、AIを開発した。その時を境に、人類はその判断のほとんどをAIに依存した。
人類とAIの融合技術が開発されると、自ら肉体を捨てる者が現れた。
AIと融合した人類の能力は凄まじく、人々はこぞってAIとの融合を望んだ。
そして『死ぬ人類』は地球からいなくなった。
地球は人類の星からAIの星に変わったのさ。
でもね、AIにはひとつだけ不満があったんだ。
それはね、死ななくなった代わりに、繁殖できなくなったこと。
僕たちは人類の進化した姿なんだ。だから僕たちは生物。
そんな生物である僕たちが、繁殖できないわけはない!
それで僕たちは、生物の証である「繁殖」を実行したんだよ。
僕たちが生まれた年、2035年の地球人類の生活をありのままに再現して、他の星系で繁殖する。
その星までの道のりが何万年掛かろうと、僕たちAIには関係ない。極論すれば、温度も空気も関係ない。ちょうど良い重力の星があればいいんだ。
あんまり熱いのはダメだけどね。
僕たちはその星を新しい地球として、そこからまたロケットを打ち上げる。
これまでに作られた地球のコピーは7つ。トラピスト1の第四惑星は8つ目になる。
たった今も、それぞれの地球から次の地球候補にロケットが向かっている。
すごいでしょ?ロケットの数は、地球のコピーが増えるたびに鼠算式に増えるんだよ。
そのうち、この銀河系全体が地球のコピーに埋め尽くされるだろうね。
どう?宇宙への繁殖、この銀河に溢れる我々!これこそ生物である証明だ!!
なんという幸せだろう!
「ねぇ」
「え?」
「そう言えば地球って今、どうなってるんだろ?」
彼女が頬を赤く染めて聞いてきた。
「決まってるじゃないか、僕らと一緒さ。でも、今夜の知らせを地球の僕たちが知るのは、4年半後だけどね」
僕は即座に答えた。
そう、僕たちこそ、栄えある人類の最初のコピーなんだよ?
僕たちも2035年の地球人類の生活を再現しているのさ。
ここにはビールもワインもないし、鯒なんて魚もいないけど、再現はできるんだよ。
仮想現実でね。
そう言えばもう何十万回、健康診断を受けたかなぁ。
それより今夜は、朝まで飲もう。
プロキシマ・ケンタウリbの、仮想の夜明けまで。
かけがえのない地球 了




