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第6話 錆朱の眼差し、テリオン

『セレネ』の担任であるエルネスト・ハーヴェンは、小さめの丸眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、ベルの音と共にクラスに入ってきた。それと同時に生徒たちも立ち上がり、挨拶の準備を整える。   

 彼はいつもベルの音が鳴るまで決してクラスに入っては来ない。曰く、生徒たちにも準備というものがあろうし、朝の憩いの時間を教師が邪魔するのも気の毒だ、と。

 廊下で立ったまま読んでいたのであろう文庫本を教卓に置くと、エルネストはゆっくりと教室内を見回し、そしてにっこりと微笑んだ。ぴっちりと撫でつけられた灰銀の髪は、彼の几帳面さをよく表しているな、と、見るたびにヴィオレッタは思っていた。額に刻まれた皺が、前世のおじいちゃんにちょっと似ていて時々切ない気持ちになる。


「諸君、おはよう。今日も変わりはないかね」


 決まりの挨拶である。


「おはようございます、先生。本日もよろしくお願いいたします」

 エルネストの言葉に答える生徒たちは、皆一様に胸に右手を当てて軽く礼をしながらそう言った。


 一人の生徒を残し、後の生徒が着席する。立ったままの生徒の名は、テリオン・クレイフォードといった。短い黒髪は額の中心辺りで軽く分けられ、視界の邪魔をしないように整えられている。銀縁の眼鏡の奥、つり目がちな赤褐色の瞳は、人を寄せ付けない空気を纏っていた。がっしりとした体躯がまた、その印象を助長している。

 テリオンはこのクラスの代表者である。そのため、朝礼の司会進行は彼が行うことになっていた。


「4月6日、ルネス。本日の連絡事項です」


 ルネス、すなわち前世いうところの月曜日。週の始まりの日だ。水の精霊の加護が強くなる曜日と記憶している。この曜日に水の精霊に祈ると効果が倍増するということを踏まえ、水の精霊と適合するヴィオレッタは今日の放課後に祈りの強化レッスンが入っている。前年度からそのルーティンは変わっていないのだけれど、エステルの転入後はその内容に変化が生じる。


 エステルはすべての精霊と適合している。水の精霊への祈りのレッスンについては、隔週でヴィオレッタかヴィリロスが同席することになっているのだ。少なくとも、ゲーム内のシステムではそうなっていた。それに従うのであれば、隔週、ルネスの曜日の放課後は必ずエステルと接触することになる。

 そこでの接し方が、おそらくこれからのヴィオレッタの処遇とエステルの恋愛模様に作用してくる、そう考えられた。


「……先日から話に上がっていた転入生が本日より『アポロ』に。選択教科の授業の際には接することもあると思うので……」


 テリオンが話す声がどこか遠くに聞こえる。

 ――彼の瞳がこちらを見ていることにようやく気付いた。


「ヴィルグラス嬢?」

「っ……」


 ぼうっと遠くを見ていたヴィオレッタは、彼の低い声に引き戻されて、跳ねるようにテリオンを見た。形のいい眉が、不機嫌そうに寄せられている。


「聞いていたか?」

「も、申し訳ございません」

「らしくもない」

 はぁ、と短く息を吐いて、それからテリオンは再度手元の手帳に視線を落とし、今日の時程の確認と委員会連絡を済ませた。

 朝礼が終わり、授業までの空き時間がある。テリオンは、すぐにヴィオレッタの方へ歩み寄ってきた。


「どうした、先ほどの態度は」

「……すみません、少し、その、ぼーっとしてしまって」

「ぼーっと? 君らしくもない……」


 ヴィオレッタより頭一つ分上背の高いテリオンが見下ろしてくるのは、威圧感がある。決して怒っているわけではないのに、ヴィオレッタは彼の視線に委縮するばかり。それに気づいたテリオンはハッとして、そして視線を逸らした。


「すまない、責めるつもりで言ったんじゃないんだ」

「?」

「心配で」


 ぼそ、とぶっきらぼうに付け加えられた言葉。


 純粋に彼を好いていて、それこそ前世で恋愛対象として見ていたのならば嬉しい展開だった。しかし、今のヴィオレッタにとってこれはピンチ以外の何物でもない。

 ドライな性格のテリオンが、朝礼の時に上の空だった令嬢を気遣うなんて滅多なことだ。これは由々しき事態である。端的に言えば、ヴィオレッタはテリオンルートに入りかけている。


(……わたくしへの好感度、結構高いのではなくて……?)


 残念ながら、前世のように相手の好感度メーター的なものは目視することは出来ない。お助けキャラみたいなものに尋ねることも出来ない。すべては、相手の反応を見て推し量るしかないのだ。


「あ、あなたに心配されるようなことではありませんわ」

 突っぱねるように言って、ふんと鼻を鳴らした。

「……」


 テリオンは、ヴィオレッタから帰ってきた反応が予想外の物だったので面食らっている。今までのヴィオレッタなら、礼を言ってもう一度謝罪しただろう。

 それが、飛び出したのは王道ツンデレ女のような言葉だ。気高い公爵家の令嬢としては違和感のない振舞いではあるが、破滅ルートを避けるためにつつましやかな性格で生きてきたヴィオレッタとしては違和感のある反応である。


「……君らしくもない」


 もう一度、テリオンは同じことを言った。

 冷たく突き放すような声色ではなく、どこか窺うような、ぬくもりを含んだ声音にヴィオレッタは心の中で縮こまる。罪悪感と、今の自分が“悪役令嬢”を演じ始めたヴィオレッタであると気づかれてしまったという懸念。あまりにも突貫工事すぎる。このままでは周囲を欺くことが出来ない。


(ああ、わたくしが女優だったならどれほどよかっただろう)


 内心でさめざめと泣く“すみれ”に、周囲が気づかないよう、ヴィオレッタは自分の思う“高慢なお嬢様”の振舞いを心掛けることとした。


「わたくしらしくもない? あなた、わたくしの何をわかっておいでかしら? なにか勘違いをなさっているのではなくて?」

「……ああ、そうだな。勝手に俺の色眼鏡で君を見ていたにすぎない。失礼した」


 これがゲームの画面ならば、何かしら残念そうな効果音が鳴って対象の好感度が下がっている、そんな表情だ。


(やった……!)


 これだ、これでいい。ヴィオレッタへの好感度は程よく下げておくに越したことは無い。


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