第5話 水浅葱の微睡、ゼフィア
一方、ヴィオレッタ達と別れて『アポロ』の教室へ入ったエステルの方はというと、教室の調度品に「ふわぁ」とため息を漏らしていた。
「どう? これが、これから一緒に学んでいく俺たちの教室だよ」
アグニに顔をのぞき込まれたエステルは、ハッとすると何度も頷く。
「はい、こんな広くてきれいな教室で勉強させてもらえるんですね」
「勉強ね……はは……俺は正直勉強はあんま得意じゃないけど」
言いかけた時に、アグニの肩を誰かが叩いた。
「ゼフィア」
アグニが振り向いた先で、水浅葱色の髪が揺れる。名前を呼ばれて、男とも女ともつかないような顔の“ゼフィア”は柔らかな声色で答えた。
「あんた、また距離近すぎ」
ぐい、とアグニの肩を引っ張って引きはがすと、少し眠たげな瞳をエステルへと向ける。
「ごめんね、こいつ。考え無しに女の子に近づくなとはいつも言ってるんだけど」
「え、あ……」
そこで初めてエステルもアグニと自分の距離が近かったことに気づく。さっと顔を赤らめ、俯いた彼女に、ゼフィアは苦笑いした。
「あんたもそういうの気にしないタイプだ? 気を付けた方がいいよ、田舎ではそうじゃないかもしんないけど、こっちじゃそういうの、はしたないって怒られるから」
「すみません……」
縮こまるエステルに、ゼフィアは笑った。
「俺に謝っても仕方ないって。気をつけなね、自分のために」
で、あんただれ? と不躾に訪ねてくるゼフィア。その横でアグニが深いため息をつく。
「そういう聞き方ないでしょ」
「あ、ごめんごめん。俺、ゼフィア・アペリオテス。あんたは?」
「エステル・クレメンテです」
名前を聞いて、ゼフィアは「あー」と何か合点がいったような顔をした。
「なんかそーいや転校生くるとか言ってたな」
「いや、先生の話ちゃんと聞いときなよ」
どうやら、前日の段階で転入生がやってくるという話は生徒たちに周知されていたようで、本来ならゼフィアもエステルが何者なのかわかっていたはずなのである。ところが、彼は昨日の終礼の際に寝ていたらしく、その情報がすっぽ抜けていたのだ。
ゼフィアは翡翠色の瞳を伏せる。
「しょーがないじゃん、午後は眠くって敵わない」
さて、そろそろ先生来るよ、と言いながら、自分の席へ戻るゼフィアの背を見送り、エステルは遠慮がちに視線をさ迷わせた。
「エステルは俺の隣の席。おいで」
アグニが手招きをする。窓際の一番後ろの席が一つあいている。エステルはそこへ着くと、カバンを机の横のフックにかけた。
それと同時に、朝礼のベルが鳴る。学園の鐘楼から響く、教会の鐘の音に似た音。
ヴィオレッタは、それを聞きながら本当の意味での“物語”の始まりに覚悟を新たにした。




