第17話 見通す玻璃の瞳
「っあ……!」
気づけば、エステルの身体はヴィオレッタの上に覆いかぶさるような形で落馬していた。周囲がざわついているのがわかる。
「ご、ごめんなさい、ヴィオレッタ様!! すぐに退きます、お怪我はありませんか、申し訳ありません!」
慌ててヴィオレッタの上から飛び退き、手を伸べながら謝罪の言葉を矢継ぎ早に紡いでしまうエステルにヴィオレッタは苦笑した。
「大丈夫よ、ちゃんと受け身はとれているわ。あなたは? お怪我は?」
そう言いながらエステルの手を取って立ち上がり、ヴィオレッタは柔らかく笑んだ。
二人の周りにわらわらと生徒たちが集まってくる。
「大丈夫ですか!?」
「ヴィオレッタ様ぁ~!!」
ヴィオレッタの取り巻き達がエステルを押しのけるようにしてヴィオレッタに取りすがる。
「大丈夫! 大丈夫ですわ! 落ち着いて……!」
ヴィオレッタに大事がないことを確認したその次の瞬間には、令嬢たちの視線はエステルに移っていた。
「ちょっと! あなた……ヴィオレッタ様がお怪我なさったらどうするつもりでしたの!?」
「そうよ! 打ち所が悪ければどうなっていたか……!」
「申し訳ございません……」
囲むようにして非難する令嬢たちに、身を竦めて謝罪し、震えるエステルを助けるべきか否か、ヴィオレッタは手を伸べかけて考えた。
(ここで助けてしまったら、悪役としてのイメージがつかないわね……)
やらせておくべきか? そう逡巡していた時。
「寄ってたかって言うことないだろ」
いつもの朗らかな声とは異なる、温度を含まない声色を紡いだのはアグニだった。
エステルと令嬢たちの間に割りいるように入り、その背にエステルを庇う。
「ア、アグニ様……」
「君らは子供のころから、初回から完璧に馬を乗りこなしてたの?」
「……」
誰だって、初めてのことはうまく行かないものだとアグニは言う。馬に限らずだ、と。
「例えばだけど、俺の国ではラクダでレースをするんだけど、君たちはラクダには乗れる?」
愚問である。
この国にラクダはいない。旅行にでも行かなければ、乗ることはおろか触れる経験さえできないはずだ。それがわかっていてアグニはそう尋ねた。令嬢たちは口を噤んだ。
が、たった一人だけが反論した。
「乗馬とか、初めてとかそういうお話をしているのではありませんわ! 結果的に落馬してヴィオレッタ様の上に落っこちてきたのが大問題だと言ってますの!!」
エレナだ。ヴィオレッタの取り巻きの中でも、特に彼女に心酔しきっている娘。その崇拝対象であるヴィオレッタが、あわや怪我を負わされるところだったわけだから怒り心頭に発するのも無理はない。頭から湯気でもでるんじゃないかというくらいにぷりぷり怒っているエレナのことを、元来人の良いヴィオレッタは放っておくことができなかった。
「エレナ様、落ち着いて。ほら、こうしてわたくしは無事だったのですから、この件はもうお咎めなしですわ」
「ヴィオレッタ様……」
なんてお優しいの! とエレナを筆頭とする令嬢たちがため息を漏らす。それを、離れた場所から見学していたヴィリロスは妙なものを見るような目で見ていた。
(……なんだろう、昨日から……わざとらしいというか……)
「ヴィリロス」
「あ、テリオン」
ベンチに腰かけて乗馬の授業を見ていたヴィリロスの肩に、彼の体格より一回り大きなマントがかけられる。
「大丈夫だよ、寒かったわけじゃない」
マントの持ち主であるテリオンは、とうに自分の手番を終えたらしく、ヴィリロスの横へ腰を下ろしながら言った。
「余計な世話だったか、悪い」
「昔から心配性なんだから。……ここに入学してからは体調も安定してるよ。力の使い方もだいぶ上手くなったから」
「それは何よりだ。……何を見ていた?」
テリオンは半ばわかっていて尋ねた。ヴィリロスの視線の先にはヴィオレッタがいる。テリオンもまた、彼女の様子が以前までとは異なると思っている一人だ。
「ヴィオレッタだよ。テリオンも気づいてるでしょ」
「ああ……」
「……僕が思うに、ヴィオレッタだけじゃない。その友人というか、周囲の子達もなんだか一昨日までの様子とは違うような気がしてるんだ」
ヴィリロスの視線の先には、ヴィオレッタを囲んできゃあきゃあ言っている令嬢たち。今までもヴィオレッタを囲んでワイワイしている光景は見てきたが、その熱狂ぶりの質が違うと、彼は感じていた。
「周囲の令嬢たちが?」
「そう、前から仲がいいというか、ヴィオレッタを慕う子たちが多いのは知ってたよ。けど、今のあの子たちは、なんというか……」
ヴィオレッタの“信者”のようだ。
そう言って、ヴィリロスは目を伏せた。
「信者、か」
「そう、あれは友人の域を超えてる。まるで、何か見えない力が働いているみたいな……」
ヴィリロスのその言は、あながち間違いではなかった。
正規ヒロインであるエステルが登場したことにより、この世界の物語、正史を構築する力が強まっているということに、まだヴィオレッタは気づいてはいなかった。




