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第15話 初めての乗馬(前)

「へっくし!」


 一方『セレネ』の教室内。ヴィオレッタのくしゃみが響いた。教室に入ってきたエルネストが目を丸くする。完全無欠の公爵令嬢はくしゃみなど人前でしたことが無かったので、周りの生徒も驚いている。生理現象を今までどうやって抑えていたのかは謎だが、本当に、今までのヴィオレッタは人前でそう言った“人間臭いところ”を見せてこなかったのである。トイレも行かないと噂されているレベルだった。

 そう囁かれるたびに心の中で「んなわけないだろ」と突っ込んでいたが。


「どうしたね、ヴィルグラスくん、風邪かね?」


 気遣うエルネストの声に、ヴィオレッタは苦笑で返す。


「いいえ、少々鼻がむずむずしてしまって……花粉症かしら」

「ああ、あれは突然に発症するものだからね、酷いようなら早めに薬を用意するんだよ。大事にしなさい」

「はい」


 言ってしまった後で気づく。こっちの世界にも普通に花粉症ってあるんだ。……むずむずしたのは本当だが、ヴィオレッタはなんとなく誰かに噂されているんじゃないかな、なんて思った。噂でくしゃみなんて、迷信とわかってはいるけれど。


 この日の三、四限目は、二クラス合同での馬術の時間が設けられた。ヴィルグラス家の長女として幼いころから馬術をたしなんでいたヴィオレッタにとって、馬に乗って校庭を一周するくらいはわけもないことだ。高貴な生まれで馬術に慣れ切った生徒たちがこの授業に参加するのは、別の意義がある。

そうでない者たちや、貴族の出であっても乗馬が苦手な生徒たちに教えるためである。

 そうして助け合いの精神を育んでいくというのが、この学園のポリシーであった。実際のところ、馬術の教師と馬の数に対して教わる生徒の人数を考えると、この形をとるのがベストなのもうなずける。


(確か、このイベントって……)


 ゲーム開始早々、乗馬をしたことがないエステルにヴィオレッタが指導するシーンだ。ご丁寧に一枚絵付きのイベントだったのを記憶している。何の知識もなく馬の背に乗ったエステルが振り落とされたところを見下ろしているヴィオレッタのスチル――。意地の悪い笑顔を浮かべて、学園の馬も田舎から出てきた土臭い娘なんて背中に乗せたくない、ですって! と嘲笑う。それを、取り巻きの令嬢たちがくすくす笑いながら見ているという、心がぽっきり折れかねないきついシーンだったのをよく覚えている。


(待てよ……あのシーンをおとといまでの優しいヴィオレッタ様からいきなり演じるとなると怪しまれるぞ……)


 昨日の反省を活かさねばならない。突然の豹変はリスクが高すぎる。不自然なことをしすぎるのも考え物だということにせっかく気づいたのだ、うまく立ち回らねば……。

 ヴィオレッタは、やや思案したのちにエステルに近づいた。


「あら、エステルさん、乗馬は初めて?」

「あっ、ヴィオレッタ様……!」


 屈託のない笑顔で振り向くエステルが眩しい。ヴィオレッタは栗毛の馬の背を撫でていたエステルに笑いかける。


「その子は気性も穏やかですし、初心者のあなたでも……まあ、なんとかなるのではなくて?」

「本当ですか! やったぁ!」


 エステルのはしゃぐ声に、周囲が注目する。ひそひそと聞こえる悪意のある声は、ヴィオレッタの取り巻きだ。ヴィオレッタに声をかけてもらって調子に乗ってるだの、馬の近くでうるさくして、蹴られればいいだの。それを、ゼフィアはため息をついて眺めていた。

(めんどくせー女たちだな)

 そう言いたげな顔で。


 エステル以外の、乗馬に慣れていない生徒たちについては、なんだかんだで昨年度も乗馬の授業があったおかげである程度形にはなっている。様々な馬との相性を見たり、歩き方、走らせ方、手綱の取り方をさらに深めていくだけといった具合なので、付きっ切りでみてやる必要はなかった。しかし、完全な初心者のエステルは別だ。田舎出身とはいえ牧場を営んでいるわけでもないので、エステルの生家に馬はいなかった。そのため、馬に触るのも初めてだった。


「今日はよろしくね、マローネ号」


 馬の名は、マローネ。歳のいった牝馬だった。ぶふん、と答えるように鳴いて、マローネは大きな黒い瞳でエステルを見る。


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