第12話 思いがけぬ訪問者
――俺の知るヴィオレッタから、何も変わらない。
その言葉を反芻しながら、ヴィオレッタは自室のベッドの上で枕に顔を埋める。
(どういう……)
これが何とも思っていない男からの言葉ならばここまで悶々とすることもなかっただろう。しかし、他でもない前世の推しなのだ。なんだかんだで数少ないグッズも買いあさった“推し”なのだ。
(いや、気持ち悪いよな……こことは違う世界線であなたのアクスタとポスター部屋に飾ってましたってバレたら相当気持ち悪がられるだろうな……)
どうやって隠そう。深く関わってしまったらそれこそネレウスの能力で見抜かれてしまう。気まずい。それだけは避けたい。
それでも、ネレウスが少しでもこちらの事を慮ってくれているという事実がほんのり嬉しくて、布団の上でじたばたしてしまう。変なところが乙女で困ってしまう。
その時だった。
トントントン、と、ドアが三回ノックされた。
「はい」
枕を抱きしめてごろごろしていたところなんて見られては事である。ヴィオレッタは慌てて飛び起きると、すぐに髪を軽く手櫛で整え、ドアの方へ向かった。
「エステル・クレメンテです。ご挨拶に伺いました」
え? と耳を疑う。
こんなシーンあったっけ……。
転入初日は、エステルは自室に戻ると疲れて寝入ってしまうはずだ。それが、夕餉前の、この時間に訪ねてくるだなんて……。考えても詮の無きこと。まずはドアを開けて話してみなければならない。
ドアノブに手をかける前に、大きく息を吸って吐いた。
(わたくしは悪役令嬢……わたくしは意地の悪いヴィオレッタ様)
演じ切らねば。
冷静に……!
「ご挨拶? いったいどういう風の吹き回しかしら。わたくし忙しいの。手短にね」
腕を組み、壁にもたれて、半眼でエステルを見る。最悪な態度でそう告げた。一瞬、エステルが怯んだのが分かった。けれど、それですごすごと帰っていくような娘ではない。そんなでは主人公は務まらないのだ。
「お時間をいただき、ありがとうございます。あの、向かいのお部屋に入ることになりましたので、手土産をと思いまして」
「へ?」
よくよく見てみれば、その小さな手には紙袋。エステルは紙袋の中から包装紙に包まれた箱を取り出すと、その箱の下に紙袋を添えて両手で丁寧にこちらへ差し出した。
「都会の事はよくわかっておりませんで、至らぬところも多々あることと存じます。若輩者でございますが、なにとぞご指導ご鞭撻のほどよろしくおねがいいたします」
よどみなくそう言うと、深く頭を下げるエステル。
面食らってしまったヴィオレッタは、その姿に母の幻影を見た。
――こちらに引っ越してきました霜野です、至らぬ点もあることと思いますが……。
すみれが就職した際、一人暮らしをすることになって引っ越しを手伝ってくれた母。引っ越しのあいさつの仕方、誰かのお宅に訪問する際の手土産の渡し方は物心ついたときに教えられていたが、部屋の片づけでバタバタしていたすみれの代わりにちょっとしたお菓子をデパートまで買いに行ってくれたことを思い出す。
隣の部屋に挨拶するときの文言の確認をして、深呼吸をしながらアパートのドアを出るすみれを見守ってくれた恵子。あの時の文言と、重なる。
「……っ」
不覚にも、涙がこぼれそうになってヴィオレッタは咄嗟にエステルに背を向けた。背中越しに、慌てたエステルの声が聞こえる。
「焼き菓子、お嫌いでしたか!? 申し訳ございません、王都で美味しいって聞いたパティスリーのクッキーをと思って……」
できない、この子の気持ちを無下になんて……。
ヴィオレッタはゆっくりと振り向くと、つんとした態度で言った。
「い、いいえ、いただきますわ。ありがとう存じます」
「お嫌いでしたら、無理には……あの、他のものを用意しますので」
「ちがっ……」
しょげてしまいそうになったエステルの事を、慌てて遮る。
「?」
「ん、んんっ、違いますの。あ、あなたのような不作法な一般市民がこんな丁寧なごあいさつにいらっしゃるなんて思わなくて、驚いてしまっただけですのよ」
おほほほほ、と嫌味を込めて高笑いを決めて見せる。
これでどうだ。適度にイラっとさせることが出来るはずだ!
ヴィオレッタはそう思ったが、甘かった。
「ふふ、ありがとうございます! 失礼のないご挨拶ができた……って思っていいですよね?」
ふわっとエステルは頬を染めて笑う。
「あ」
そうだ、丁寧なあいさつが出来ている、と認めてしまっている。
あなたみたいな不作法ものとお付き合いする気なんかない! と突っぱねるべきところだった……。
「……」
受け取ったクッキーの箱を持つ手に力が入る。
(……これって……)
エステルの笑顔がきらきら輝いている。
なんだこれは。
これがゲームの画面なら、好感度メータ―が上がる音がするぞ。
冷や汗を隠すのに必死なヴィオレッタは小さな声で言う。
「ま、慢心なさらないことね」
その意図を全く汲み取らないエステルは、またにっこりと笑った。
「はい、精進いたします!」
(ま、まぶしっ……)
手ごわいぞ。
ヴィオレッタは、軽い足取りで自分の部屋へ戻っていくエステルの背を見送って唸った。




