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第1話 差し伸べた手を(前)

「え? あなた……」


 言いかけて、ヴィオレッタは息を飲んだ。そして、脳裏を駆け巡る前世の記憶に倒れそうになるのを抑え、無理矢理に笑みを作った。それから、愛らしい少女の手を――振り払う。




 腰まであるたおやかな藤色の髪を風に揺らす娘に、周囲の生徒が声をかける。挨拶は、身分の低い者から。皆、この国の秩序にのっとり、足を止めて頭を下げた。


「ごきげんよう、ヴィオレッタ様」

「ごきげんよう」


 なんでもない朝の光景。学生寮から本校舎へといつもの通り登校した公爵令嬢ヴィオレッタ・ド・ヴィルグラスは、アイスブルーの涼し気な瞳を細めて小さく膝を折って一礼する。その所作は他の娘たちとは一線を画する洗練されたものであり、彼女が選ばれし者であるということを物語っていた。

 ヴィオレッタの一挙手一投足に、周囲の誰もが見惚れる。

 その時、彼女の真横を会釈もなしに、するりと少女が通り過ぎた。


「ちょっと! あなた、ヴィオレッタ様に挨拶しないなんて無礼にもほどがあるわよ!!」


 ヴィオレッタの横を通り過ぎた女子生徒を、気位の高そうな女子が叱責する。

 挨拶をしてこなかった娘は、昨年度はこの学校にはいなかった娘だ。


「エレナ様、そんなに怒らないで差し上げて。体調が優れなかったのやも……」


 エレナ――。礼儀知らずの女子生徒に怒鳴りつけた黒髪の娘は、ヴィオレッタの制止に口を噤み、ふん、と鼻を鳴らして、小動物のように震えている女子生徒を睨んだ。ヴィオレッタは手を差し伸べる。


「本来ならば公爵家のわたくしから挨拶をすることは儀礼に反するけれど、今は気になさらないで。わたくしはヴィオレッタ・ド・ヴィルグラス。あなたのお名前を伺ってもよろしくて?」


 ここまではシナリオ通り。

 この日のために、ヴィオレッタは『シナリオ』に抗うべく次の台詞を考えていた。


「わ、私はエステル・クレメンテです。田舎から出てきたばかりで、その、不作法でごめんなさい」


 エステル――。彼女が、この『物語』の『ヒロイン』であることも、ヴィオレッタは知っている。栗色のふわふわしたセミロングヘアに、きゅるんとした新緑色の瞳。誰もが手を差し伸べたくなる、庇護欲を掻き立てられるその姿。

 世間知らず故に、エステルはこの後差し伸べられたヴィオレッタの手に己の手を重ねてしまう。それが、この国の序列においては無礼な行為になるということを知らずに……。

 本来の『シナリオ』であれば、ヴィオレッタはこのエステルの手を振り払う。

 エステルの故郷は身分による序列など存在していないほどの田舎だった。目上の者に手を差し伸べられた場合は改めて頭を深く垂れて、その手を取ることを遠慮せねばならないことなど、知る由もなかったのだ。そんな気の毒な田舎娘の手を、この気位高い令嬢は振り払う。

 ――なぜなら、彼女は『悪役令嬢』だから。



 

 花の咲き乱れる豊穣の世界、シンフォルディア。

 その均衡は、火、水、風、地の四大精霊の力により保たれている。

 精霊たちは、神官であるエレメントゥムの祈りにより、その力を振るうことができる。

 この世界に不可欠な存在であるエレメントゥムを養成するための学園『アカデミア・エレメントゥム』には、各地から祈り手の素養がある子女が集まり、日々鍛錬を重ねていた。


 この涼やかな美しさを湛える令嬢、ヴィオレッタも例外ではない。誇り高きヴィルグラス家の長女として、世界の安寧のために祈りを捧げるエレメントゥムとなるべく、昨年の春、この学園に入学した。検査により判明した適合精霊は、『水』であった。常人よりも強力で神聖な祈りの力を持つヴィオレッタは入学当初から、エレメントゥムの最上位職であるプリムス・エレメントゥム候補として注目されてきた。それは、彼女の生まれ持った才能はもちろんの事、幼少期より努力して磨いてきたものがあるからだ。

 しかし、二年生の春――転入生がやってきたことにより、彼女の人生は一変する。最愛の婚約者である光のプリムス候補、王太子殿下に婚約破棄され、孤立し、嫉妬に狂って転入生――エステルに嫌がらせを繰り返し、最終的には王太子妃候補となったエステルへの加害行為を責められて国外追放、最悪の場合処刑されるという運命が待ち受けている。


 ……というのは、メタ情報。なのに、この運命をヴィオレッタは知っていた。

 なぜなら、ヴィオレッタは前世でこの世界を一度見ているのだ。

 そう、ここは、彼女が前世にプレイした乙女ゲーム『Elementum(エレメントゥム)』の世界そのもの――。


 絶対に破滅なんてするものか。

 せっかく美しい乙女ゲームの世界に転生したのだ。それも、麗しの令嬢に。

 前世では、プレイ中にヴィオレッタの不遇の運命に泣いた。

 礼儀知らずの転入生に礼儀を教えればイジメだと彼女を擁護する者たちに罵られ、挙句の果てには愛した婚約者を取られて、憤慨しない人間がいるだろうか?

 エステルなんて、……エステルなんて!

 主人公に感情移入しないままプレイしていたあのゲームを思い出して、悪役令嬢が破滅ルートへ至る条件を整理してきたのだ。今までずっと。

 その条件を踏まなければ、婚約破棄も国外追放も処刑も免れる。

 王太子と結ばれることも可能だ。そう、思って。

 エステルと攻略対象の誰かが結ばれるルートは阻害せず、自分も穏便に過ごせる方法を探った。

 それは、冷たく気高い意地悪な令嬢としてではなく、前世の自分のようにごく平凡な……、人にされて嫌なことは他人にしない、困っている人には手を差し伸べる、できる限り、皆に平等に接する。これに徹すれば、叶うはずだと、そう信じて。


 しかし、実際に目の前に現れたエステルが何者か知ってしまった今、ヴィオレッタはその決意を揺らがせていた。


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