エピローグ
わるどるぅる あばは めれーげ きぱす
どるぅるぬす るるは あぱーしす てれ ざる
そして、私は夢を見る。
「ふわあ……」
天蓋付きのベッドの上で目を覚ました私は、小さな欠伸を一つして背伸びした。
しかしいつも思うのだが、夢の中で目覚めるというのも変な話だ。
とはいえ他に表現のしようもない。
見下ろすと、着ているのはいつものパジャマ。茉莉さんお手製の、私の必死の懇願でフリル控えめになったウサギさんパジャマである。フードを被るとぴんと二本の耳が立つおまけつきだ。
もぞもぞとシーツから這い出す私を、ベッドの横に控えていたDEATHが手を差し出し、支えてくれる。
「ん。ありがと」
『きしゅきしゅ』
蛸の足みたいな触手がいっぱい生えた口をもごもごさせて返事するDEATH。グレートインヴェーダーの中では人型でなおかつ小回りが利くので、どうにも執事みたいな事をする羽目になっている彼だが、幸いな事にその役目への不満は少なさそうだ。
彼に支えられて、桃色の平原を歩く。足元にはふわふわの繊毛みたいな苔がいっぱい生えていて、足の裏を柔らかく擽ってくる。
そうしてしばし道を行くと、先に小さな丘が見えてきた。その丘に、巨大な翼を持ったドラゴンみたいなインベーダーが鎮座している。
私が近づくと、そいつは首をもたげて顔を寄せてきた。三つに分かれた舌先が、ちろちろと私の頬を嘗め回してくる。
「ふふ、こら。くすぐったいって」
『がふがふ』
私がドラゴンと戯れていると、足元を小さなインベーダーの幼生がはしっていった。白いヒトデみたいなやつとか、ウニみたいなやつとか、ヤドカリみたいなやつとか。意外と蜥蜴みたいなのはあまり多くない。
おいかけっこに興じている子供たちを見送り、私はよいしょ、とドラゴンの首にまたがった。しゅるりと伸びてきた触手が躰に巻き付いて固定してくる。
私がしっかり固定されたのを確認すると、ドラゴンは翼を広げて丘から飛び立った。
ぐんぐん高度を上げていくが、特段寒くなったりはしない。現実とは物理法則が違うのだろう。
見下ろすと、私達が飛び立った丘が見えた。やがて距離を取ると、私達が居たのが月よりは大きな衛星であるのが見て取れる。その星の向こうに広がっているのは、宇宙ではなく、どこまでも続く魔の荒野。現実では考えられない事に、この高度からでも地平線ははっきりとせず境界線は曖昧で、恐らく無限に平面が広がっているのだと見て取れた。
その荒野では、今も、浮かぶ星から降り注ぐインベーダー達と悪魔達が、決して終わらぬ戦いを繰り広げている。
鮮血の悪魔がインベーダーに刃を突き立てて鮮血に酔いしれる。
疫病の悪魔が尽きぬ患者に歓喜する。
悦楽の悪魔は戦いの中で醜悪な芸術を披露する。
変化の悪魔は終わりのない戦いの中、尽きる事なき戦術に頭を捻る。
そしてその全てが、無尽蔵に押し寄せる虚無の軍勢に踏みしだかれる。
そこにあるのは、四邪神と、それらを受け入れる程の器が反転して生み出した虚無の侵略者、その二つによる魔の宴だ。
悪魔達は再び私を手にしようと星を目指すが、滝のように魔星から生み出されるインベーダーの軍勢を越える事は叶わず、むしろ逆にどんどん自分達のテリトリーである魔の荒野を蝕まれている。
だが、そこにあるのは、恐れや悲しみではない。怒りはある。私を奪われた事に対する怒り、争いにおける怒り、自分達の領域を奪われた怒り。
それと同じほどに、悪魔達は喜んでいた。
そう。
絶対的な悪として生まれ、そう望まれ、ただ君臨してきた悪魔達。
そんな彼らにとって、インベーダー達は明確に自分達とルーツが異なり、それでいて自分達に拮抗どころか滅ぼしうる、初めて遭遇する“外敵”だった。
欲望の為ではなく、生きる為に戦う。それは彼らに取って初めての体験であり。そしてようやく得た、生き物らしい悦びであった。
だから彼らは、高らかに悦びを歌い上げながら、刃を振るい、血を流す。
『御子よ! 我らが御子よ!!』
『祝福あれ! 我らの存在と、御子の存在に!』
『血と呪いの祝福を! 喜びと苦痛に満ちた喝采を!』
『進め! 望め! 我らの願いは、ここにある!』
『ああ! 我らは今、喜びの悲鳴を上げようぞ!』
憎しみと怒り、歓喜に満ちた偉大なる者達の声が木霊する。
全てを得る事は、全てを失う事に等しい。
そういう意味では、彼らは、ようやく失った物を取り戻したのだ。
彼らの歌を聞きながら私は、あらゆる感情の犇めく戦場の空を飛ぶ。
「悪魔達よ、邪神達よ。お前達に、祝福よあれ」
その喜びは、きっと終わる事はない。
わるどるぅる あばは めれーげ きぱす
どるぅるぬす るるは あぱーしす てれ ざる
「ふわーあ……」
そして悪夢から目覚めれば、現実が待っている。
時計を見ればまだ大分早い時間だ。かといって二度寝するにはもう遅い。
仕方ない。もう起きるしかないか。
小さなベッドから寝ぼけ眼で這い出した私は、そのまま床にずるずると滑り落ちると、尺取虫のように床を這った。
そのまま手洗いに向かっていると、途中で何者かに捕獲される。
ひょい、と私を猫のように抱え上げるのは茉莉さんだ。
「おはよ、トウマちゃーん。今日もお眠ね」
「ねむねむ……」
「はいはい、顔を洗おうねー」
洗面所に連れていかれて、そのまま顔を洗われる。冷たい水をばしゃばしゃかけられて、流石に目が覚めた私は「自分でやる」ともぞもぞと腕の中から逃げ出そうとする。
「はいはい逃げない。大体踏み台ないと届かないでしょトウマちゃん」
「えぶぅ」
が、駄目だった。容赦なく顔を洗われてタオルでごしごしされる。
完全に幼子の扱いである。悔しい!
「はいはーい、ご飯にするわよ」
「まって離して。自分で歩ける」
「そういってこないだ床に沈んでたの誰だっけ?」
それを言われるとぐうの音も出ない。ぐったりと大人しくなった私を米俵のように抱えて、茉莉さんは階段を降りる。
降りた先、一階のリビングではちょうどマスターが朝ごはんの支度をしていた所だ。スープの良い香りが嗅覚を擽り、ぐぐぅ、とお腹が音を上げた。
「お兄ちゃんおはよう!」
「おはよう茉莉。トウマちゃんは今日もぐったりか。大丈夫? 今日から学校でしょ?」
「問題ない」
ちらりと時計に目を向けるとまだ朝六時。外の日差しもまだ柔らかい。
茉莉さんタクシーはここまでと腕から這い出して席に着くと、待っていたかのようにマスターが目の前に皿を並べた。
ちょっとしたサラダとスクランブルエッグ、シリアルにバターを塗ったトースト、そしてポタージュ。飲み物は温めたミルク。
一人暮らしで毎朝これを用意するのはちょっと大変な感じの品ぞろえ。これを毎朝三人分、きっちり用意しているところからもマスターのマメな所が垣間見える。
いやそもそも喫茶店を時間帯によってはほぼ一人で回してるんだから要領いいし料理も上手だし人間としてのスペックは凄い高い方なんだよなこの人。なんでときおり致命的なレベルで自堕落になるんだろうな……。
「ますたー、ますたー。こーひーは?」
「だーめ。牛乳を飲みなさい、背が伸びないぞ」
「ちぇっ」
別に牛乳が嫌いな訳じゃないけどさ。まあ、いっか。
早速トーストに被りつく。喫茶店で出してるメニューと同じパンではないが、それなりにこだわりがあるようでバターは均一にきっちり塗られ、パンはサクサクふわふわだ。毎朝これが食べられている事実にジーンとしながら、はむはむ、と食べ進める。
同じように席に着く茉莉さん。一方、マスターはもうすでに朝食は済ませているようだ。テレビのチャンネルをニュースに合わせつつ、エプロンを脱いでいる。まあ、喫茶店のモーニングがあるからね。ちょっと休憩したらそっちに行くのだろう。
『本日のニュースです。先日、都内で見られた怪現象は、新神谷ビルの火災に応じて発生した立体映像装置の暴走であるという最終報告が警察庁から発表されました。本事件は、空に途方もなく巨大な何かが投影されるという事件であり、目撃した市民の中には体調不良を……』
身に覚えしかない話がニュースに流れている。見れば、映像には空を埋め尽くすTheROARのクソデカ姿が映し出されている。今思うとだいぶいかれた光景である、よくもまあこれを映像装置の暴走で収めたもんだ。
いやまあガチで追及されて私を探し出されても困るんだが……。その辺は、メタトロン……聖君がなんとかしてくれたんだろうか。
彼とは、あれから顔を合わせていない。
あの夜、戦いが終わり、私が目覚めた時にはすでにマスターの家のベッドの上だった。同じように倒れていたダン少年も一緒だ。
どうやら私達は、遅れて駆け付けた岩田さんとハナちゃんに担がれて喫茶店に運び込まれたらしい。「空が落ちてきたかと思ったぞ。まあおかげでどこにいるのか一発で分かったが」とは岩田さんの言だ。そこで躊躇わずに私が原因だと即断されるのはちょっと微妙な気分だが、事実だから仕方ない。
それはともかく、現場にいたのは、私とダン少年の二人だけ。聖君の姿は、なかったらしい。闇のデュエルで勝利したが、私は彼の命を奪ったつもりは当然ない。どこかで生きているのだと思うのだが……。
多分。彼が、私の目の前に姿を再び現す事はもう、ない。
もしあるとしたら、私が闇に落ち、世界を滅ぼそうとしたその時だろう。
「うし、じゃあ喫茶店の方にいくよ」
「今日も頑張ってね、お兄ちゃん。トウマちゃんもあんまりのんびり食べてたら駄目よ。初日から遅刻なんて悪い意味でネタにされちゃうよ?」
「ん」
ミルクを最後まで飲み終えて、こくこく頷く。皿の上はすでに空だ。重ねて台所にもっていこうとすると、マスターがひょい、とそれを取り上げた。
「後はやっておくよ。早く着替えてきなさい。……それにしても、本当によかったのかい? ダン少年と同じ学校にも出来たけど」
「そっちは遠い。こんな風にのんびり朝ごはんなんて食べられなくなるじゃないか」
「そっか。まあ、トウマちゃんがいいならいいんだけど」
小首をかしげてマスターが台所に消えていく。私は軽い足取りで階段を駆け上り、与えられた部屋に向かった。
パジャマをぽんぽんと脱ぎ散らかし、壁からつるしていた小奇麗な新しい服に袖を通す。
これまで着ていたような、ラフな格好ではなく、ちょっとおませな感じの小奇麗な服だ。白のシャツに、黒いズボン。
新しい学校が、割と制服の幅が広くてよかった。女子だからスカート強制とかだと発狂ものである。というかダン少年の学校はそうだったから、避けたのはその理由もある。
「ふふん」
鏡の前で身だしなみをチェックし、私はランドセル片手に部屋を飛び出した。
通う事になった小学校は、以前に何度も偵察した学校の一つだった。
おかげで教室の場所なども把握済み。通りすがる小学生に変な顔をされながら職員室に顔を出し、先生の案内で配属されたクラスに向かう。
担当は優しそうな顔の若い女の人だ。やんちゃ盛りのバーサーカーどもを御するにはちょっと押しが足りないような気がするが、まあ、第一印象は悪くない。
教室の外で、呼び出されるのを待つ。
「今日は皆さんに、新しい友達を紹介します。逆巻トウマさん、入ってきてください」
「はい」
呼びかけに答えて、ガラガラと教室へ入る。頭上から黒板消しが降ってくる、という事もなく、無事に入室した私は教壇の前に立つ。
途端、向けられてくる30の視線。興味津々な子供たちの関心を一身に浴びながら、私は鏡の前で練習した朗らかな笑顔を浮かべて、小さく首を傾けた。
度胸は愛嬌。何事も第一印象が肝心。
「初めまして。今日から皆さんと同じクラスになる、逆巻トウマと申します。これからよろしくお願いしますね」
「逆巻さんはおうちの事情でこれまで学校に通ってなかったの。色々知らない所もあるだろうから、皆さん、助けてあげてくださいね」
間髪を容れずに入る担当のフォロー。先生への評価点が1上がった。加点式である。
「もし、質問があるなら……はい、山田君。何かな?」
「はいはいはい! さかまきトウマさんはデュエルやってるんですか!?」
先生の言葉に食い気味で手を上げた少年が、勢いよく尋ねてくる。その質問に、周りの子供たちも目の色を変える。はは、そりゃあな。皆気になるよな。
私はその質問に応えるべく、ランドセルの横にぶら下げていたデッキケースを手にとり、聞こえるようにカシャカシャ鳴らした。
「勿論。私の事は、インベーダーデュエリストとお呼びください。皆のデッキを、侵略しちゃうぞ♪」
悪逆デュエリスト・逆巻トウマの物語は、これで終わり。
それでも、私の人生はこれからも波乱万丈に続いていく。
このあとクラスのメンバー相手に30人切り連戦デュエルが始まったり、その結果学校代表まで上り詰めた私が男女混合学校対抗戦でダン少年と小学生最強の座を巡って戦ったり、再び襲来した皇帝のリベンジ戦を受けてそれがTV中継されたり、ハナちゃんとアイドルユニットを組んでTVデビューしたりと、まあ色々と散々な目にあうのだが、それはまた別の話。
とりあえずは、これで一旦、この物語の筆を置こう。
それでは、またいつか、どこかで。
最後はやっぱり、ハッピーエンド! だよね。
まだちょっとおまけがあります。




