この世に悪があるならば、それは その7(終)
凄まじい衝撃が、私の聴覚と視界、さらには意識をも揺さぶった。
それが、外からのもの……何か想像を絶するすさまじい力が、光の壁に激突したのだと気が付いたのは、数秒遅れての事だった。
『な、ば、馬鹿な!? 何故貴方達が!?』
《うぉおおおおおお……! まじきつぃいいい……!!》
メタトロンの驚愕の声が響くが、それは私の耳には入らない。
私の意識は、ただ、光の壁を隔てて存在する、彼らにだけ向けられていた。
光の壁。私の存在すらも完全に消し去る漂白の力に、真正面からぶつかる黄金の輝き。
破邪剣聖デーモンスレイヤー。何かしらの強化で黄金に輝く彼が、背中にドラゴンの如き翼を広げ、さらに嘶く七本脚の騎馬に乗り、光の壁にネジくれた多角柱のような杖を叩きつけている。その杖が放つ刃のようなオーラの干渉によって、閉じようとしていた光の壁が停止している。
これはまさか。
光の壁の全てを消し去る力……それを一時的に飽和させて食い止めているのか?!
そして、声なき叫びをあげるデーモンスレイヤーの背には、騎馬に同乗するその主人の姿。
天摩ダン。
私は思わず悲鳴のような声を上げた。
「な……なんて無茶を!? よせ、やめろダン少年! すぐその光の壁から離れ「ふざけるなっ!」……っ!」
「無茶をしてんのはトウマの方だろっ!!!!」
叫んだ制止の声に割り込むようにしてダン少年が叫ぶ。
激戦の疲労に汗を流しながらも、彼はまっすぐな視線で私を貫いて叫んだ。
「聞いたぞ、全部!! 何も言わずに全部自分で背負って、一人きりで抱え込んで! そんなに俺達が信用ならないか、頼りにならないか! そりゃそうだよな、俺、お前に一度負けたもんな! だけど、俺だって、俺だって、それから成長したつもりだよ! ふざけんな!!」
「ダン、少年……」
どうして。
なんで、事情を彼が、全部?
困惑していると、ふと私は、デーモンスレイヤーとダン少年の他にもう一人、この場に存在する事に気が付いた。
ダン少年の傍らに、蜃気楼のようにゆらりと姿を現す一人の青年。
肌の焼けた、筋骨隆々のイケメンの異国男子。その姿には覚えがあった。
コラシス3世。ダン少年との闘いの中でいつの間にか若返っていた彼の姿がそこにあった。
『ふはははははは! 愉快痛快である!!』
『コラシス3世!? 馬鹿な、貴方はダン少年との闘いに敗れ、消滅したはず……!!』
『ふははははは、浅慮だな異教の天使よ! このファラオが、そう易々と大人しく滅ぼされると思ったか! 力の大半を囮に身を潜める事幾星霜! 屈辱に血が沸騰するかと思ったが、こうして本願を果たせた事を考えればいかほどの事もないわ! ふはははははは!!』
素敵な笑顔で仰け反って哄笑するファラオ。
うへえ。いやまあ、どんだけ凄かったのか理解した今だと何も疑問に思わないけど……。そりゃあエジプトのファラオが、カードゲーム世界でそう易々と滅ぼされる訳がなかったか。
一方、メタトロンは苦々し気だ。なんせファラオは自分が打った手だもんな、飼い犬に手を噛まれるとはこのことだろう。まあ話を聞くにだまして利用したみたいだけど。
『このファラオを謀った代償! 払ってもらわねば神の国へなど戻れぬわ!』
『ば……あ、貴方は自分が何をしているのかわかっているのですか!? 逆巻トウマをこのままにしておけば、邪神達が直接この世界になだれ込んでくる! そうなれば、貴方も、貴方の国も、貴方の民もタダでは済まない!』
『笑止千万!! その程度の事が分からぬと思うてか!!』
メタトロンの糾弾に、胸を張って意気揚々と言い返すファラオ。え、どういう事?
そもそもなんでダン少年と仲良く一緒に飛んできてるの?
もしかして味方??
困惑のあまりぽかんと両者の間を見つめていると、光の壁に介入を続けるデーモンスレイヤーが苦しそうに呻いた。
いやまじで辛そう。
《う、うぎぎぎぎ……た、頼む、やる事があるんなら早くしてくれないか……? そ、そんなに長持ちしそうにない……》
「に、兄ちゃんファイト! もうちょっと頑張れ!!」
『むぅ。仕方ない。いや、この断境の壁に抗えているだけでも大したものか。よかろう、しばし待て』
金ぴか状態は変わらずだが、なんだかエネルギー切れしそうな感じで明滅するデーモンスレイヤー。それにファラオは鷹揚に頷くと、光の壁越しに私に目を合わせた。
私を貫く、強い意志を秘めた真っすぐな視線に、思わず息を呑む。
『聞け、大器の娘よ。器とは、それを満たすモノで価値が決まるものではない!!』
「……??」
『ファラオは何故偉大なのか。それは、何か偉業を成したからではない! ファラオはファラオであるが故に偉大であり、敬われるべきもの! 大事なのは“器”だ!』
そう叫びながら、ファラオはすっと右腕を持ち上げた。びしりとその人差し指が指し示すのは、暗天に輝く無数の綺羅星達。
『宇宙は何もない虚空であれど、その実在を疑う者はこの地上にはいない。お前も同じである! “大器である事こそが大事なのである”!!』
「器が……大事……?」
『そして最後に一つ、付け加えておこう。悪がどうとか問答していたようだが、私に言わせれば! この世に悪があるならば、それは誇りを持たぬものだ!! 正義だ悪だなどと、立ち位置、時代によっていくらでも変わるもの。その中で、誇りを持ち、偉大であろうとするのならば、そこに間違いなど何一つない!!』
迷い一つないファラオの雷鳴の如き一喝。それは、私の芯をしかと打ち据えた。
彼が言っているのはこういう事だ。
誇りを持つ事が免罪符なのではない。
信念をもって進んだならば、悪だろうと正義だろうと、その選択に責任を持ち、迷うな、躊躇うな、と。
『進め! 少年少女よ! それが過ちか否かを決めるのは、今ではない!!』
叫ぶファラオ。その姿が急激に薄れていく。
この世界に存在する為の力が底を突こうとしているのだ。恐らく、ここに来る前に、三魔公との闘いでダン少年に力を貸したのかもしれない。
あれほどはっきりしていた存在感が、霞のように薄れていく。
同時に、光の壁に抗っていた黄金の輝きも、みるみる弱まっていく。
《だ、駄目だ……と、トウマッ! 俺達は、お前の事を邪悪だなんて思っちゃいない! 俺達は、お前を助けようとした、自らの行動を誇りに思うっ! だから……!》
「さかまきトウマ! 大会で戦う約束! 忘れるなよっ!!」
デーモンスレイヤーがついに力尽きる。黄金の輝きが消え失せ、素の姿に戻った退魔剣士は、光の壁に拒絶されるように弾き飛ばされ、空中で消滅する。その背中にしがみついていたダン少年もその身を投げ出され、床へ転がる。
その傍らで、ファラオは今度こそ、欠片も残さず消滅していた。
「ダン少年!」
思わず手を伸ばしかけ、しかし、私はその手を握りしめた。
そのまま、メタトロンへと向き直る。
メタトロンは光の壁に目を向け、それが少しずつ閉じているのを確認する。
再び、感情を持たない冷たい目が、正面から私を捉えた。
『思わぬ闖入者でしたが、結局、何もかえられなかったようですね』
「いや。そうとは限らないさ」
『……?』
訝しむメタトロンを他所に、私はデッキトップに指をあてる。
このカードに、全てが懸かっている。
私の運命も。この世界の運命も。ファラオの、デーモンスレイヤーの、ダン少年の想いも全て。
宙を見上げる。
虚空には、煌々と煌めく星が一つ。
そう。宇宙という、何にも満たされぬ永劫の器に浮かぶ、一筋の輝き。
虚空に、星ありき。
「私のターン、ドロー!!」
万感の思いを込めてカードを引く。それに合わせて天に輝く星が、その輝きを増す。
指の中でカードが、溢れんばかりの力に脈動しているのを感じる。
十字に輝く天の光。それが、空という天蓋を引き裂いて、堕ちてくる……!
「適応カウンターが合計10以上存在する事により! 私はこのモンスターを特殊召喚する! 虚空より来訪せよ……“GIM The ROAR”!!」
『な……!!!』
私とメタトロン、揃って見上げる夜空の先。それはもう、夜空ではない。視界の全てを埋め尽くす、うっすら桃色に輝くそれは、星の大地だ。
大気圏を突き破って、巨大な星が堕ちてくる。
現れたもの、それは巨大な衛星だった。夜の街を見下ろして停止するその星の表面に、す、と亀裂が入る。
否。
それは、巨大な瞼だった。月よりも大きい巨大な星の、大陸ほどもある巨大な瞳が、地上のちっぽけな人々を見下ろしている。
天魔虚星、運命に叫ぶ者。ザ・ロア。
これこそが、インベーダーの王にして母星。もう一人の私そのもの!
『これは……これは、まさか! 中身を満たさぬままに、虚ろなままに、貴方自身の器を具現化したというのか……?!』
「私の手札を全て捨て、The ROARの効果発動! 相手の手札を確認し、適応カウンターの対象となるモンスターのステータス合計値が、相手の場のモンスター合計値を超えているならば! 相手プレイヤーにダメージを与える!」
手札から、デモンズゲートを含む手札を投げ捨てる。
さようなら。形はどうあれ、私を愛してくれた者達よ。
「The ROAR! その瞳で、我が運命を見定めよ!」
巨大な眼球が、ぎょろりとメタトロン一人に焦点を合わせる。その眼から放たれた光が、彼の手札を露にする。
メタトロンの手札は六枚。そのうちの一枚が強襲小隊である事は分かっている。だからあとの五枚に、最低でも三枚、モンスターカードがあれば場のステータスを上回る可能性がある。
果たして……結果は。
『……私の手札にあるモンスターカードは、この通り。強襲小隊、機動霊廟、聖鎧天輪戦車、天の衛兵。そのステータスの合計は……』
「場の三体のモンスターを上回る! 放て! ヴォイドアウト・ゼロブラスト!!」
夜空を埋め尽くす巨大な星の瞳が、妖しく輝く。放たれた紫色の閃光が、光の壁を突き破り、メタトロンへと降り注いだ。
『ぐぅうううう!? そんな……この力、あなた一人で、宇宙を受け止めるつもりだというのですか!? そんなもの、まるで、まるで……!!』
「これで終わりだ、メタトロン! The ROARは相手プレイヤーにダイレクトアタック可能なモンスター! 例え不死身のモンスターを並べても、星そのものの一撃、防げるものか!」
私の意思に応えて、The ROARがその高度を下げる。ロシュ限界を超えて降下してくる星の質量、防げるモンスターなど存在しない。
このままバトルに持ち込めば私の勝ちだ。
だが。
メタトロンはまだ一枚、伏せカードが存在している。私はそれを忘れていない。
『まだだ! ここで私はトリックカード“最終破壊”を発動! 私が相手モンスターの攻撃、あるいは効果によってダメージを受けた時、場のカードを全て破壊する! だが、私のモンスターはクリアガードの効果で破壊されない! 滅びるがいい、虚空の魔星よ!』
燃え上がる紫の炎の中で、重々しい音を立ててプライマリス・コマンダーが動き出す。振りかざした刃を軍配のように振りかざすと、その頭上の空間が歪み、巨大な構造体が出現する。
それは、一目見た印象では宇宙戦艦のようだった。下部に無数のドロップポッドをぶら下げた長方形の巨大な構造体は、その上部には無数の砲門を備えている。
それらが砲口に光を収束させながら、上空のThe ROARに狙いを定める。
コマンダーが剣を振り下ろして指示を下すと同時に、一斉に放たれる艦砲射撃。その光が空に吸い込まれるようにして消えていった数秒後、夜の空が昼よりもなお明るく白に染まった。
『これで貴方の切り札は破壊した! もはや貴方に成すすべは……?!』
世界が光に染まる中、メタトロンが私に目を向ける。
だが、その言葉は途中で途切れた。それもそうだ、絶望に崩れ落ちている筈の私が、不敵に笑いながら一枚のカードを手にしているのだから。
「私は伏せていたカードを発動する」
告げて、ひらり、と裏返すそのカードの柄。それはトリックカードでも、魔法カードでもない。金縁に彩られた、最上級モンスター。
『モンスターカードを、伏せに……!?』
「このモンスターは、場にトリック・魔法カードとして伏せる事が出来る。そして相手のカードの効果で破壊された時! このモンスターを場に召喚する事が出来る! 出番だ、GIA The DEATH!!」
視界を真っ白に埋め尽くす破滅の光、その中に黒い影がさす。
墨絵のように浮かび上がったのは、蝙蝠蛸のような皮膜で体を覆う、二足歩行のエイリアン。マントで体を隠した暗殺者のような出で立ちの侵略者の視線が、無感情にメタトロンをとらえる。
「切り札ってのは。それとなく伏せておくものだよ、聖君。The DEATHの効果発動! 私のトラッシュのモンスターカードを一枚選択し、その効果を得る。私は、The ROARを選択!!」
『そ、そんな……!』
「バトル! The DEATHでメタトロンにダイレクトアタック!!」
ひらり、と軽い足取りで、黒衣の暗殺者が大天使へと駆ける。
それを見逃す天使兵達ではない。機動霊廟がレーザーを放ち、重装天使兵がミサイルとマシンガンで迎撃し、コマンダーが剣を抜く。
だがThe DEATHはレーザーを紙一重で潜り抜け、ミサイルとマシンガンの弾幕の中を走り抜け、ついにはコマンダーの前に到達する。
ここから先は通さぬと立ちはだかり、剣を振りかざすコマンダー。だが、その刃が暗殺者を切り裂く直前に、その姿が突如消え失せる。
光学迷彩。
一瞬だがコマンダーが標的を見失ったその隙に、暗殺者はすでにメタトロンの前に居た。
マントのような外套膜の下から、カマキリのような腕が露になる。ぬらりと濡れたように輝く刃を前に、メタトロンが出来たのはただ、その青い瞳で私を見る事だけだった。
『私は……それでも、貴方を……』
「ありがとう、聖君。でも、私の方が意地っ張りだったな」
黒刃一閃。
暗殺者の刃が、大天使を切り裂いた。舞い散る、無数の白い羽。
「私の、勝ちだ」
どしゃりと床に崩れ落ちる聖君に一瞬だけ視線を向けて、しかし私は、この場の中央へと目を向けた。
「……来る」
メタトロンは倒された。儀式は失敗した。
最も清き者がこの漂白の中で倒された事で、この場の属性が反転する。
広場の中央に、真っ黒なブラックホールのようなものが生じている。それは見る間にどんどん膨れ上がり、周囲を取り囲む光の壁と相互に干渉している。
このまま放っておけば、二つの力は相殺し合い、消滅するだろう。だがそれが消え去る前に、私もメタトロンも両方が消えてなくなる。
メタトロンの……聖君の信念の硬さを、私は低く見積もっては居ない。当然彼は、自分が倒されたとしても目的を達するようにしていたであろうという確信はあったし、部分的に私に嘘をついていたという確信もあった。
どんぴしゃという訳だ。
これをどうにかする方法は、考えうる限り実にシンプルで単純明快。
それを上回る圧倒的な力で、根こそぎ磨り潰す。
「いくぞ、The ROAR」
私自身の分身であるカードを手にする。
これから四邪神と押し合おうという奴が、たかが廃棄孔一つに手間取っていられるものか。
私は、広がっていく真っ黒な穴に、手にしたカードを、私の器そのものを叩きつけた。
暗転。
そこで、私の意識は途絶えた。
次回、エピローグです。




