この世に悪があるならば、それは その3
「それにしても、めたとろん、だと……?」
宗教に疎い私でも知っているレベルのビッグネームだ。
創作業界でひっぱりだこの天使と悪魔。例えば四大天使……ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルについて聞いたことが無いオタクはいないだろう、それぐらいのメジャーなネタだ。それは権威とかそういうのではなく、単純にそのネームバリューというか、設定が格好いいからだ。その実、詳しい設定や伝承はあまり顧みられないものではあるが。
その中でもメタトロンは、最も偉大なる天使とされ、明らかに扱いが別格となる。かつて人でありながら天使へと生まれ変わったその天使は、神に代わって天を運営する代行者であり、限りなく神に近い存在でもある。
その名を持つものが、聖君の正体?
ははは。これは流石に、笑うしかない。
勿論疑う余地はない。目の前でメタトロンが放つ力は、見ているこちらの目が潰れんばかり。神の書記という肩書に納得するほかはない。
「これは、これは……。まさか、メタトロンともあろうものが、私のようなチンチクリンの小娘一人の為に、ご出陣とはね……!」
『……私の視座において、人の魂に差などありません。等しく、尊き、輝かしいもの』
「そりゃあね、大天使様から見れば、塵芥って意味で多少の違いは誤差みたいなもんでしょうよ……!」
人間は何かと他者と自分を比較したがるが、神の如きものからすればどんぐりの背比べもいい所だろう。
そんな存在がわざわざ私一人を抹殺するためにこんな大がかりな仕掛けをしたのは気になるが、その話は今は後!
とにかく今は、コイツを倒して結界を解除する! そしてマスターや、ダン少年の元に帰る! あとの事はそれからだ!
それにしても、デュエルを始めた途端、身体に力が戻ってきた。燃え盛る闘争本能が光の壁の力に抗っているのか? なんて冗談だが、案外そういうものかもしれないな。
「先攻は私が頂く! 流石に文句はないよな?」
『構いませんよ。弱きものが優先される、当然の事です』
「よし……!」
デッキトップから五枚の手札を引き、中身を検める。
……正直言って、ヒドイ手札だ。中身も確認せず、燃え残ったカードをかき集めたせいで整合性も何もない。それでも、まだデッキが成立する枚数があった事だけでも奇跡だ。枚数が足りなければデュエルに持ち込む事すらできなかった訳で。
「頼むぞ、お前ら……! 私は手札から“プレーグ・ソルジャー”を召喚!」
最初に呼び出すのは、疫病の小悪魔。全身に腫瘍を浮かび上がらせた一つ目の鬼。手には朽ちかけた剣が握りしめられている。
疫病の悪魔は耐久性に富む。例にもれずこいつも、一度だけ戦闘破壊を無効化する効果とそこそこのステータスを持っている。未知の相手、これでまず様子を見る!
『この瞬間。私は手札から魔法カード“天蓋からの強襲”を発動』
「なんだと……っ!?」
『この魔法カードは相手の場にモンスターが召喚され、自分の場にモンスターがいない時、相手ターンであっても手札から発動する事が出来る。この効果により、私はデッキから“AOD 強襲小隊”を特殊召喚!』
突如として、光の壁に遮られていない上空からカプセルのようなものが降ってくる。それは地面に突き刺さるようにして停止すると、間髪入れず外殻を開放。仲から、青色の騎士甲冑のようなパワードスーツに身を包んだ兵士が出てくる。その背中には、一対の天使の翼。
三人組の彼らの手には、光を纏った剣が握られている。それを振りかぶって、天使兵はプレーグ・ソルジャーへと一斉に襲い掛かった。
『“天蓋からの強襲”で特殊召喚されたモンスターは速攻能力を持つ。プレーグ・ソルジャーに攻撃!!』
「ぐぅ……!?」
相手ターンにモンスターを召喚し、攻撃を仕掛けてくるデッキだと!?
ソルジャーは朽ちた剣を振り回し、天使兵の攻撃を凌ごうとするが、三人相手では多勢に無勢。ついに一撃を受けて怯んだところを、四方から切り裂かれる。
破壊耐性によって死は免れられたが、これでは次の相手ターンを凌ぎきれない。
翼を羽ばたかせてメタトロンの場に戻っていく天使兵。私は思わず舌打ちをした。
いや。まだ手はある。
「……私はカードを一枚伏せて、ターン終了」
疫病デッキは耐久性に富んだデッキ。本来であればこういう場合の対処もある……が現状のデッキは、生き残りを寄せ集めた有り合わせだ。デザイナーズコンボは望みようもない。
だが、逆に言えば普段使わない、他のデッキのカードもつかえるという事だ。
今伏せたカードは、“屠殺場の首枷”。本来は鮮血デッキでカウンター稼ぎに使うカードだが、知っての通り戦闘破壊耐性を付与する事で壁にも出来る。
袋叩きにされるソルジャーには悪いが、これでなんとかターンを凌げれば……!
『私のターン。ドロー。……私は手札から“AOD 調停小隊”を召喚』
羽ばたきの音と共に、メタトロンの場に天使兵が新たに現れる。その手には、大口径の巨大なライフルが握られている。その銃口が、私の場の伏せカードへと向けられた。
『調停小隊の効果発動。1ターンに一度、相手の場の伏せカードを一枚選択し、そのカードの名称を予想する。予想が的中した場合、そのカードをトラッシュに送る。なお、この効果の発動に対して、選択された伏せカードを発動する事はできない』
「な……」
『さて。状況からして、劣勢を凌ぐカードでしょうね。疫病デッキであるならば、“無痛の病”あたりが望ましい所でしょうが……』
青い瞳が、私の伏せカードを睥睨する。ポーカーフェイスに自信がない私は、手札で顔を隠し、その下でにやりと笑った。
流石に大天使様、私のデッキについてはよく調査済みか。だがその情報アドバンテージ、そちらの行いで崩壊しているも同然! 果たして当てられるかな?
『ですが今のデッキは寄せ集めの混合デッキ。その状況で貴方が自信をもって伏せるとするなら、“屠殺場の首枷”あたりが適切でしょうかね』
「う……」
『正解でしたか。では、トラッシュ送りにさせてもらいます』
だぁん、と大型ライフルが唸りを上げ、伏せカードを撃ちぬいた。発動されないままに消滅する私の伏せカード。つづけてライフルの虚ろな銃口が、ソルジャーへと向けられる。
『バトル。調停小隊でソルジャーを排除後、強襲小隊で逆巻トウマへダイレクトアタック』
ソルジャーが動く暇もなく蜂の巣にされて消滅する。その塵を踏みにじって、天使兵が私へと襲い掛かってくる。2mを越える長身が壁のように立ちはだかり、両手で握った剣を勢いよく、一切の躊躇なく私に振り下ろした。
ずがん、と冷たい刃が肩に食い込む。
「い゛……が……っ!!」
これが闇のゲームだという事は疑う余地もない。本当に体を切り落とされる訳ではないものの、胴より幅広の剣が体に食い込む冷たい気配の不快感は言語に尽くしがたい。息が止まり、膝をつく私を見下ろして、天使兵はメタトロンの場へと飛んで戻った。
「う、ぐ……!」
眩暈と吐き気、砂嵐のように視界がちらつく。それを堪えようとするも膝が砕け、私はその場に倒れ込んだ。激しく喘ぎ、酸素を求めて息を乱す。
「はぁ、はぁ……ぜー! はーー! ぜーー……!」
過呼吸のように大きな音を立てながら、恥も外聞もなく必死に息を吸い込む。激痛は収まるどころかどんどん増すばかりで、意識が少しずつ遠のいていく。
それに活を入れるように、私は地面に爪を立てた。硬い硬いコンクリートの床をひっかく痛みを頼りに、己の輪郭を再確認する。
大丈夫だ。
大丈夫。私は未だ、逆巻トウマの形をしている。
呼吸が落ち着いてくる。息を整えて目を開くと、黒い影が私の上にかかっている事に気が付いた。
メタトロン。
翼を広げた大天使が、自分の持ち場を離れて私の上に漂っている。
まるで、光の壁の輝きから、その翼で私を守るかのように。
『何故です?』
その憂いに満ちた瞳が、私に問いかけてくる。
『何故、抗うのです? 苦しいでしょう、辛いでしょう? 目を閉じ、息を沈めなさい。そうすれば、貴方は苦しむことなく消える事が出来る。貴方は知っている筈。世の中には逆らってもどうしようもない、無慈悲な現実というものがある。ここで貴方が消えてしまうのは、貴方に何かの責任があるという話ではないのです』
メタトロンの言葉は、無慈悲ではあるが慈愛に満ちていた。
確かに、私はそれを知っている。
正しい事だけが報われる訳ではない。正しいというのは、社会を運営する為に必要なコストであり概念で……個人に、いつだって適用される訳ではない。
その事を、私はよく知っている。
「そうだな……。お前の言う通り、私のやってる事は無駄なのかもしれない。ただ苦しみを引き延ばしているだけなのかもしれない」
『では……』
「でも無意味じゃない。例えそれが苦しみに閉ざされたとしても、私は戻りたい。帰りたいんだ。あの、穏やかな喫茶店のテーブルに。その願いだけは、無意味なんかじゃない……!」
そうだ。
例え叶わなかったとしても、マスターの元に帰る。
その願いを捨てる事だけは、断じて私は私自身に納得できない。
「帰るんだ……私の、大切な人の下に……!」
その言葉を聞いて、メタトロンは目を伏せた。哀しそうに。痛ましそうに。
何故。
何故私を殺そうとしている天使が、そんな顔をする?
『…………。どうやら、愚かなのは私の方でしたか』
「?」
『逆巻トウマ。貴方を必要以上に苦しめるつもりはありませんでした。ですが、真実を話さぬ方が、かえって貴方を悪戯に苦しめるだけのようです。謝罪します』
なんだ。一体、何の話をしている?
謝罪するとか言って、この光の壁による処刑を止めるつもりはないようだが。
「謝るぐらいなら、この光の壁から出してほしいんだがな……」
『……前提として。私は、メタトロンそのものではありません。貴方達の言葉で例えるなら分身のようなものです』
おい、人の話を聞け。
『メタトロン本体は、この世界とは別次元に存在します。それそのものはすさまじい力を持っていますが、別次元存在が直接現実に関わる事はできません。なので、この世界のフォーマットに準じた分身を作るのです。この例えですと、PC内で製作した膨大な3Dデータがメタトロン本体で、そのスクリーンショットを印刷したのが私でしょうか。貴方達人間の視野で見ると似たようなものですが、その本質には天と地ほどの差がある訳です』
その印刷物がたったいま超常現象を起こして私を殺しかけてるんだが?
まあ、それだけ元のメタトロンが凄い存在だって事なんだろう。印刷物でも人を消せるぐらいに。
『そしてそれは、貴方の知る邪神達も同様です。いや、むしろ彼らは世界に害なす存在である以上、世界のシステムだけでなく、そこに生きる命からも拒絶されるため、より難易度は高い。ですが、それにも抜け道があります』
私の困惑をよそに、淡々とメタトロンは説明を続ける。
『その抜け道が、カードに宿って干渉する、というものです。邪悪な力を求めるデュエリストは数多く、それに応える、という形で邪神は現実に干渉する事が出来る。ですが、これもたいていの場合、ほとんど意味を成しません。何故か分かりますか?』
「え? そりゃあ、まあ、人間ってへぼいし……」
『そう。人間が耐えられないからです。邪神は気前よく己の力を人に授けますが、そのあまりに膨大な力に物質世界の生命は耐えられない。長沢という男を見たでしょう。力を受ける器としての彼はさほど小さくはない……むしろ大きな方でした。それでも、あのあり様です』
え、いや。それは。
待ってくれ。
邪神の力が膨大だというのに異論はない。
だが、それでも“あれっぽっち”だぞ。あんな、私から見ればほんの少しだけの……。
私から視れば。
私から。
私。
「あ」
肩の震えが、止まらない。
『……気が付いてしまいましたね』
メタトロンが、沈痛な表情で私を見下ろす。
やめろ。そんな目で私を見るな。やめろ。
『邪神達はだからずっと、自分達の力の受け手となる者を探し求めていました。次元を越えて、遥か並行宇宙の果てまで、ありとあらゆる次元と宇宙を探し求め。そしてついに、彼らは自分達の望む存在を……否。想像を遥かに越えた存在を見つけ出したのです』
やめろ。やめろやめろ。
それ以上言うな。言うんじゃない。
『その存在は、特に大きな力を持たない、平凡な魂のようですがその実、邪神の力を受け入れるどころか、その全てを飲み干して有り余るほどの器を持っていた。そして何の力も持たない人間一人を世界に紛れ込ませるぐらいなら、さして難しい事ではない』
言わないで。
やめて。
『邪神は歓喜し、その魂をすくい上げて、新しい肉体を与えてこの世界に注ぎ落しました。ただ想定外だったのが、もはや自分達がこの世界を支配するという目的すらどうでもよくなるほどに、邪神達はその存在に惚れ込んだ事でしょうか。そう、邪悪として生まれ邪悪として未来永劫過去永劫、君臨するだけだった彼らは、ついに望みを手に入れたのです』
やめて、下さい。
やめてください。お願いします。
『ですがその存在は、この世界においては恐怖そのものでした。言うなれば、世界にとってのバックドアそのもの。もし、それが邪神の側に堕ちれば、その瞬間世界のすべてが終わりのない魔宴へと捧げられる事になる。そうでなくとも、この世界の在り方が歪む……例えば、死者が蘇り、生者に害を成すような』
お願いだから。それ以上、恐ろしい事を口にしないで。
嫌だ、聞きたくない。
『おかしいと思いませんでしたか? 何故、貴方のプレイを人間達が執拗に罵倒し、精霊たちが貴方の事を拒絶したのか? ちょっとぐらいダーティーな手段を使うぐらいであそこまで言うほど、この世界の住人の……貴方が大切に思う人達の民度は低いのですか? 違います。皆、無意識に貴方の危険性を理解していたからこそ、ああも貴方に対して排他的だったのです』
お願いします。
どうかお願いします、それ以上、私の罪を明らかにしないで……!
『逆巻トウマ。貴方の存在こそが、この世界を……他ならぬ貴方の大切な人を滅ぼす“邪神の御子”なのです』
「あ……ああ……あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
欺瞞は。
ここに、砕かれた。
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