逆巻トウマの幸せな未来 その2
と。そこでそういえば、と私は聖君に目を向けた。さっきからにこにこしながら話を聞いているが、そういえば彼、どのぐらいこの事態を把握してるんだ?
思えば今更だけど彼、部外者じゃない?
以前、ジェーンと一緒に食事をしていたのは客観的にみても完全に偶然の出来事だ。彼からすれば、ダークファイブの事なんかまったくしらないのでは。
「……ところで。聖君は今回の話、どれぐらい把握してて……?」
「ん? ダークファイブの事かい? 僕は気にしないよ、君たちぐらいの年頃だとそういう遊びにはまるものだからね。あはは、遊び、だなんていったら失礼かな」
「あははは……」
なるほどそういう解釈か。いやまあ、うん。私自身、小学校低学年から半ばぐらいまでの年頃は、まあよくわからない俺設定をでっちあげて本気になってたからなあ。それの同類と思われたか……。ダン少年には悪いが、そういう解釈ならそれはそれでいい。正直常識の外にある話だし、本気にされてもそれはそれで困る。
「兄ちゃん、俺たち別に遊んでるわけじゃもごごごご」
「はいはい、病院では静かになダン少年。ところで、ずいぶん長い間いるけど大丈夫なのか?」
「あっ。ママ達、待たせちゃってるかも。もういこっ、ダンちゃん」
わざとらしく話を逸らした私の言葉に、ハナちゃんが時計を見て反応した。
「ええ、もうちょっと……」
「いや。そろそろ良い頃合いだと思う。トウマちゃんもまだ体調が万全じゃないし、今日はここまでにしておこう」
「うーん。わかった……」
しぶるダン少年だが、彼とて物分かりが悪い訳ではない。聖君に諭されて渋々納得する。と、私の寝ているベッドの上に、聖君がぼふ、と何かしらの箱を置いた。
お見舞いの御菓子か何かか?
いや、しかし、この箱から漂う甘い濃厚な香りは……もしや!
「これ、お見舞いのチーズケーキ。確か好きだったよね? ゆっくり食べるといい」
ちーず!? けーき!!?
「チーズ! チーズ!!? ベイクドか、レアチーズか、スフレか!?」
「ふふふ、バスクチーズケーキだよ。喜んでもらえて何より」
「ばすくちーずけーき!!」
きゃあああああバスクチーズケーキ大好き! チーズケーキならなんでも嬉しいけど! ちーずちーずちーず!! あのずっしりとろとろとした触感がたまらないんだよねえ! うひひひひひぃ!
「目、目つきが完全にでってにーまうすになってる……」
「はははは、喜んでくれて何より。あ、それと後でマスターと茉莉さん達が顔を出すって。入院費の事とかで相談があるらしい」
おっけーわかったわかったうひひひチーズケーキ! チーズケーキ!!!
あ、フォークフォーク、スプーンが備え付けのテーブルになかったかな! 美味しいものはちゃんと行儀よく食べないとね! かぶりつくのもいいけど、チーズケーキは適量を口にはこんでとろとろと解れていくのを味わうのが大事なんだよなあー。うひひひひ!
「……ね、ねえ。トウマちゃん、聞こえてなくない……?」
「いうべき事はいったから、それでいいのさ。じゃ、いこ、ハナちゃん、ダン君」
「お、おぅ……。コイツこういう所あったんだな……」
あ、おかえり? お疲れ様! チーズケーキありがとう!
うひひひひひひ! 久しぶりのチーズケーキだ、ひゃっほぅ!!
「うひひひ……満足」
じっくりバスクチーズケーキを味わって食べつくし、私はご満悦でベッドに横になっていた。
いやあ実に美味であった。
とろりとした濃厚で、しかししつこくないチーズの味わい。甘さもくどすぎず薄すぎずちょうどよい感じで、チーズを引き立てる絶妙な塩梅。
箱を見てお店の名前を覚えた。退院したら是非とも食べに行こう。
いやあしかし久しぶりのチーズケーキは本当に良いものだった。
チーズは大好きだが、だからといって三食チーズ生活は流石に体に悪い。そもそもチーズは高いという事もあり、意図的に普段食べずにいた。
その反動だったのだろうか、チーズケーキが箱から出てきてからの記憶がちょっと曖昧である。
なんか聖君が色々言っていた気がするが、よく覚えていない。
「はふぅー……満足満足。しかし、はて。何を言ってたかな」
曖昧な記憶をうんうん思い返す。会話自体は覚えてないが、チーズケーキの甘い匂いに音として会話の内容が紐づいている。
うんうん唸って記憶を掘り返すと……。
「あ、それと後でマスターと茉莉さん達が顔を出すって。入院費の事とかで相談があるらしい」
「……??」
おや。おかしいな。
なんかしれっとトンデモナイ事、言われてない?
現実感の無さにしばしぼへっと天井を見る。やがてその意味合いがだんだん頭に染みわたってきて、気が付けばだらだらと冷や汗が背中に流れ始めた。
クーラーのよくきいている病室の窓を見る。確か、ここは三階だったか。流石に、この貧弱ぼでぃーで脱出は危険すぎる。となると一階か。何食わぬ顔で降りて行って窓から脱出……これだな。
方針は決まった。
「よし、脱出だ……」
「(コンコン)トウマちゃん、起きてるかい……どうしたの、ベッドの上で四つん這いになって」
「い、いや、なんでも……」
どうやらとっくに時間切れだったらしい。
私は素知らぬ顔でベッドの上で佇まいを直すと、大人しくシーツに横になった。その横に、椅子を持ってきてマスターが座る。
「茉莉さんは?」
「ちょっと病院の手続き中。すぐに来るよ」
「そうか……」
それは、すなわち、そういう事だろうか。
これまで見て見ぬふりをしてきたツケを支払う時が来たようだ。前世を通して借金などした事がなかったが、手を出さなくて正解だ。私はどうにもそういうのをうまくやりくりできない人間らしい。
後悔先に立たず。一体何度目の事だろうか。学習しなさすぎて自分が悲しくなってくる。
「まあそれで、入院費の事なんだけど……」
「お願いします必ず支払うので出世払いという事でお願いしますぅ!!」
「わあ」
マスターの言葉に重ねるように捲し立て、ベッドの上ではね起きて頭を下げる。
DOGEZAである。
「私のような子供に信頼もなにもないとは思いますが、今は持ち合わせがありません! なにとぞ、なにとぞぉー……」
「ちょ、トウマちゃん、やめてって。ちょっと」
マスターが泡を喰って慌てているが、慌てているという事は効果があるという事! であるならばここはごり押しあるのみ!
日本人はちょいちょい忘れがちだが、医療費というのは本来目玉が飛び出るような高額なものである。それが、千円とか二千円とかで診療を受けられるのは、国民健康保険という神の如き仕組みがあるおかげである。普段からある程度税金を支払っておくだけで、数百万もするような手術だって数十万で受けられたりする、まさに弱者の為の素晴らしいシステム!
だがその恩恵に与るためには、普段からきちんと税金を納めていなければならない。だが、税金は戸籍とか住所に紐づけられて徴収されるものな訳で……はい。
つまり。
私は国民健康保険を払っていないのである。
そもそもそれ以前に住所不定で戸籍も存在しない、無からポップした怪しい人物! 警察に保護されて病院に運び込まれた時点で詰みだったという現実が、今襲い掛かってきている!
この危機を乗り切るには、情けないがもうマスターに頼り切るしか!
「警察や病院から私の身元が怪しいというのも聞いていると思います! それについては、これまでだましていて申し訳ありませんでした! でもでも、私には他に頼れる相手はマスターしかいなくて……! どうか、どうか……! この年で借金地獄とか孤児院にシュートとか、どうかご勘弁願いたく……!」
「わ、わかった、わかったから! というかトウマちゃん、ちょっと勘違いしてる!! いいから落ち着いて!!」
なおも頭をシーツにこすりつけていると、心底困惑した感じでマスターがとりなしてくる。その言動に、何やら想定外の言葉を見出して、私は顔を上げた。
はて。
勘違いとは?
「マスター……? え、何か私、他にも……?」
「あー、えと、うん。まずは順を追って話そう。まずね、君の入院費用だけどね、それはこっちで建て替えといたというか、TVの人が全額払ってくれたよ。しめて17万ぐらいだから、そうとんでもない額ではなかったよ」
「そ、そんなはずは! だって私、保険を払ってないし!」
おかしい、そんなに安いはずがない。かれこれ一週間ぐらい入院してるし、その間なんかお高そうな点滴も何度か受けた。それっぽっちで済むはずがない。
「そこがまず勘違いその1ね。トウマちゃん、ちゃんと保険を払ってたから」
「???」
「あー、そのさ。トウマちゃん、ポイント稼いで生活してたんだよね。で、公営アパートとかの家賃も、端末で纏めて支払ってたよね? ちょっと履歴を確認してご覧」
言われて、机の上に置いてある端末を手に取る。
久しぶりに起動した端末にパスワードをうちこんでログインすると、過去の支払い履歴を確認する。
おかしい、やはり何度見ても保険の支払いなんてしてないが。
「ここ。この、経費からその他を選んで、詳細表示。なんか色々書いてない?」
「あ、ホントだ。……? え? デュエリスト健康保険……?」
なんか想定外のものが書いてある。しかも矢鱈安い。一体何だこれ。
困惑に顔を上げると、マスターの苦笑いが出迎えてくれた。
「あのねえ。……デュエリストは割と躰を酷使するゲームだから筋肉の炎症とか骨折とか割と日常茶飯事だから、一定以上のランカーデュエリストは自動的に特別な健康保険が適用されるの。トウマちゃん、Dランカーだから自動的に支払ってたから、今回はそれで対応しました。知らなかった?」
「し、し、知らなかった……」
なんだよそのよくわからない理屈の保険!? なんでカードゲームでそんな……い、いや確かに、漫画とかアニメとか、カードゲームのやりすぎで腕を痛めてる奴とか心臓が弱ってる奴とか割といるけど!? なんだったらリアルダメージが当たり前で普通に大怪我する世界もあるけどね!? だからって健康保険を別枠で作る?!
そ、そうだ。この世界は、お金や社会権力に匹敵するぐらいカードゲームの強さが重要な世界だった、それを考えればそれぐらいあるよね!
久しぶりにこの世界のいかれっぷりを実感して震える私に、マスターは苦笑い。
「納得してくれた?」
「あ、う、うん……」
「じゃあ、次。勘違いその2、トウマちゃんがね、身元のはっきりしない浮浪児である事、僕はとっくの昔に知ってたよ?」
はい?
思わず反射的にマスターの顔を見返す。たぶん凄いあほっぽい顔をしているであろう私の顔を見て、マスターは反射的に噴き出した。
「ぶふっ、ちょ、トウマちゃん、凄い顔してるよ! ヒマワリの種を取り落としたハムスターみたいな……!」
「!!!!」
爆笑されて慌てて顔を両腕で隠す。
そのままシーツに潜り込んで、その中からずっと非難の視線をマスターにぶつける。彼はごめんごめんといいつつも、肩を震わせてずっと笑っていた。
「ははははは。いや、でもね、流石に気が付くよ? 普通学校にいってる時間帯でも外をうろついてるし、ご飯食べに来るし。それに噂に聞くまでもなく、一日の間で凄い回数のデュエルして荒稼ぎしてるのに、普段の生活や身なりは質素極まりない。生活に困窮してるのはすぐにわかったから、ネグレクトを疑って早い段階で役所に相談するのは当たり前じゃない?」
「うぅー……」
普段情けない大人の代表格みたいに思っていたマスターに理論立てて説明されて、私は恥辱のあまりシーツの中で呻き声を上げた。
いや、そういうの考えなかった訳じゃないよ。最初はちょっと警戒してた。でもマスターがあんまりにもそういうの話題に出さないし触れてこないから、てっきり素で気が付いていないものかと……流石にそこまで呑気ではなかったね!!
「そりゃあ、私の喫茶店を憩いの場としてリラックスしてるところに、露骨にそういう話題だしてみなさいよ。トウマちゃん、警戒して二度と来なくなるでしょ?」
おっしゃる通りでございまーす! 野生動物みたいな扱いだな私ぃ!
「ふふふ、そんな不貞腐れないの。そんなトウマちゃんに、プレゼントがありまーす。この書類をどうぞ!」
「?」
ごそごそとマスターがカバンから出してきた書類を、シーツから顔を出して受け取る。
ええと、何々……?
って。これって、もしかして。
「……保護観察申請書……? え?」
「そういう事。という訳で、今ならここにちょいとサインをするだけで、トウマちゃんはうちの子になれまーす。これで住所不定戸籍不明も一挙解決、どう? お得でしょ?」
手元にある書類が信じられなくて、何度もマスターの顔の間で視線を往復させる。
え、まって。
なんで。
どうしてこんな都合の良い。
「……いつから?」
「トウマちゃんが、三回目にウチに来た時から。その頃から話を進めてて、やっと昨日、話がまとまったんだー」
「三回目、って……確か。ポイントでホットケーキを3皿ぐらい食べた時?」
だいぶん昔の話だ。あの時はむしゃくしゃしてて、生活費に響くと分かってて貪りくったんだったか。
だが私の確認に、マスターは首を横に振った。
「そうじゃない、そうじゃない。本当の三度目の時、君、喫茶店には入らなかったでしょ。雨の日、段ボールを傘代わりにして、お店を覗き込んでたよね?」
「……それは……」
マスターの勘違いではない。その日の事は、よく覚えている。
当時、私はまだアパートの部屋も借りられてなくて、公園の片隅で日々をやり過ごしていた。ポイントはぼちぼち稼いでいたが、スーパーでの冷え切ったお惣菜で過ごすのにも飽きが来て、多少割高でも出来立ての温かいものが食べたくて喫茶店に向かった。
だが、その途中から雨が降ってきた。傘も持たない私は、途中で拾った段ボールで雨を避けながら喫茶店に向かい、いざ入ろうという所で気が付いてしまったのだ。
何日も洗濯していない、薄汚れた衣服。雨でぬれたぐしょぐしょの段ボール。そんなみすぼらしい恰好の子供が店に入ってきたら、果たして店主はどう思うか。
そこで、私の足は止まってしまった。あと数歩先、扉の向こうでは、オレンジ色の柔らかい明かりに照らされた、暖かで穏やかな空間が広がっている。だけど、それと私を隔てる扉一枚が、今は遠く遠く世界を隔てる間隙のように感じられたのだ。
結局私は名残惜しくもしばらく見入ったあと、雨の中で踵を返して公園に戻り、遊具の下に潜り込んで雨を凌いだ。
アパートの申請が通ったのは、その翌日の事だ。
「……見ていたのか……」
「うん。寂しそうな顔で引き返していく君の顔が見えてね。呼び戻そうと後を追ったけど、君の姿は雨の中に紛れて見つからなかった。あの時に見た、君の顔が忘れられなかったんだ」
「…………」
シーツの中で身じろぎする。なんか、こう。ばつが悪いというかなんというか……。
ただ。マスターが、私の思っていたよりもずっと前から、思うよりずっと、私の事を気にかけてくれていたのは、よくわかった。
じっと書類に目を通す。
本当に?
これに名前を書くだけで、本当に私はマスターのところの子供になるのか?
もう、誰もいないアパートに帰る必要はない? 冷たいごはんを食べる必要もなくなる?
たった一人で、悪夢から目覚める事もない?
いや、でも。
そもそも、私が一人で生きていこうとしたのは……。
「で、でも、私、悪逆デュエリスト……」
「お店で君をそう呼ぶ奴はいないよ。それになんなら、ちゃんとおしゃれすれば大丈夫なのは実証されてるでしょ?」
「……なんだよー、そっちが狙いかよ」
軽口をたたきながら、私はベッドの枕元からボールペンを手繰り寄せる。とんとん、とノックして切っ先を出して、空白の名前欄にペン先をあてがう。
「……迷惑、かけるかもしれないよ」
「うん」
「変な事に巻き込まれるかもしれない」
私が何故、この世界に放り込まれたのか、なんで性別が変わってるのか、あの四邪神は何なのか、何もわかってはいない。きっとそれらは、ダークファイブだなんだとは関係ない。
私そのものが、ある種の異変なのだ。
得体の知れない、精霊にすら嫌われているこの世界の異物を招く事で、マスター達に何かしらの不都合が生じるのは想像に難くない。
だけど。
それがわかっていてもなお。
さし伸ばされた手を、振り払う気にはなれなかった。
「そうかもしれないね。もしかしたら、トウマちゃんの事を引き取ったこと、後悔する日が来るかもしれない。未来の事は、誰にもわからないから」
「なんだよ。そこは、大丈夫、絶対に後悔しない、ぐらいの事はいってよ」
「はははははは」
私の突っ込みに、マスターは曖昧な笑みで笑ってごまかす。まあでも、そういう現実的な視点を、希望にあふれた無責任な言葉でごまかさないのは好感が持てる。
マスターは、少なくとも選択の重さを知っている人間だと信じられる。
「……そうだな。未来の事は、誰にもわからないもんな」
ゆっくり、時間をかけて。とめはねはしっかり。
逆巻トウマ。私の名前。前世から唯一、持ち込めたもの。私の存在証明。
それをはっきりと書類に刻み込んで、私はマスターに手渡した。
「じゃあ今日からパパって呼べばいい?」
「ははは、ではお兄ちゃんと呼んでくれたまえ」
「了解しましたマスター」
顔を見合わせて小さく笑う。
こうして。
逆巻トウマは、喫茶店の子供になった。




