超々古代からの刺客 その5
人類史において、エジプト文明の歴史は古い。
かの有名なファラオ・ニトクリスの活動時期はおよそ現代から4400年前とされており、最も有名なかのラムセス2世は3200年前頃の話だとされている。
西暦がまだ3000年にも届いていないことを考えると、気の遠くなるような昔の事だ。
それに対し、恐竜の絶頂期である白亜紀はおよそ6600万年前。桁が違う所の話ではなく、一万倍にしてもまだ足りない。
確かに人の寿命からするとどちらも想像もつかないほど古代の話であるとはいえ、いくらなんでもスケールが違いすぎる。
「そりゃあ、現代からするとどっちも古代だけどさあ……!!」
『こ、これは驚きです! ジェーン選手の正体は、あのティラノサウルスでした! これは私も驚愕!! しかし、デュエルにおいては人も恐竜も同じ! このまま、試合を続行します!!』
流石プロである。驚愕と混乱に見舞われたのも一時の事で、すぐに気を取り直して実況を再開している。
まあ、私の背中に隠れながらでは尊厳もへったくれもないけどね! おらあ、邪魔だから出てけ!! 危ないから!
《ははは、さしものお前もびっくりしたみたいだね、いい気分! 安心しな、私にだって最低限の道理というものはある、このままお前をかみ殺したりはしないから安心しな!》
「はいはい、そりゃどうも」
器用にカードを唇で咥えたまましゃべるティラノサウルス。そりゃあ、最近の学説だと意外と器用だったらしい、ってなってるけどさあ。まじかよ。
《そんじゃあ気を取り直して、デュエル再開と行こうか! 暴君皇帝レクスシオの効果発動! 相手の場にいるすべてのモンスターのステータスを、レクスシオのステータス分下げる! 食らいな、“パワー・サプレッサー”!!》
「なんだと!?」
レクスシオが月に向かって咆哮し、不可視の衝撃波が吹き荒れる。地面を割り砕きながら広がったそのオーラに包まれると、急激に体から力が抜ける感じがした。振り返ると、隣で控えていたドラクシスが、苦しそうに膝をついている。そのステータスは、哀れ上級モンスター程度にまで低下していた。
「ドラクシス……!」
《バトルだ! レクスシオでドラクシスに攻撃!! “エンペラー・プレッシャー”!!》
地響きを上げて突撃してきたレクスシオの顎を、なんとか立ち上がって大斧で受け止めるドラクシス。だが拮抗は一瞬、瞬く間に斧はかみ砕かれ、得物を失った上級悪魔の胸元に武装ティラノサウルスが肩から体当たりをぶちかます。悪魔が纏う真鍮の鎧は一撃で打ち砕かれ、ついに上級悪魔はその場に倒れこみ、光となって砕け散った。
勝利の雄叫びを上げるレクスシオ。
《さらに、レクスシオの効果発動! 相手モンスターを戦闘破壊したとき、プレイヤーのライフを1回復する!》
『これは……トウマ選手の切り札、鮮血大公ドラクシス、敗れるぅーー!! 昨今類を見ないほどの高いステータスを誇っているモンスターでしたが、レクスシオのオーラに圧倒され、ステータスを下げられてはどうしようもない! “再生の御使い”にはこのターン、他に召喚・特殊召喚できないという制約があるおかげで追撃は免れられたが、レクスシオの効果は常時発動するタイプ! どんなモンスターを出しても弱体化してレクスシオに倒されてしまうぞ! さらに、モンスターを倒されればジェーン選手のライフも回復してしまう! 攻める事も守る事もできない、これは、流石にこれは万事休すか!?』
《はははは! これで私のターンは終了だ! さあ、トウマ、お前の最後のターンを迎えな!!》
「…………。私のターン、ドロー」
デッキトップからカードを引く。
だが、私はその中身を見ない。その必要性が存在しない。
すでに、勝負は決まっているからだ。
ドラクシスは、確かに『鮮血』デッキ最強のモンスターだ。その圧倒的なステータスに、全体攻撃能力を以てすれば、大抵の場面において敵を圧殺できる。
それが通じないシーンがあるとすると、それはごく限られてくる。
逆に言えば。
その、限られた負け筋の対策を、していないはずがないだろう?
ざわり、と身にまとう鮮血のドレスの赤が蠢く。
「私は、場の鮮血カウンターを10個取り除いて、手札からモンスターを特殊召喚する」
『こ、これは……場に広がる流血のあと、鮮血カウンターがトウマ選手の手元に集まっていくぞ!? トウマ選手のドレスも、血の色の赤から、真っ白な本来の色に戻っていくぅ!』
戦場に広がる、血の池地獄。そこからいくつもの血柱が吹き上がり、私の手元へと集っていく。それに比例して、ドレスの赤も潮が引くように消えていき、真っ白な本来の色へと戻っていく。それらが集うのは、手札の一枚のカード。金枠のきらめくそのカードが、大量の血を吸い上げてギラリと輝く。
「鮮血の反逆者よ、今ここに血盟を果たせ! 現れろ、“叛乱公 ブラ=スカス”!」
晴れ渡った夜天に、雷鳴が轟く。ひときわ大きな雷鳴が地に落ち、大地を砕く。その砕かれた下から身を起こすのは、鮮血の新たなる上級悪魔。
筋骨隆々とした肉体には、しかしいくつもの古い傷が刻まれている。鎧は砕け、翼の膜は裂け、顔は半分が肉が裂かれ頭蓋骨がむき出しになっている。だが、その眼窩に煌々と燃える怒りの炎は、衰える事なく燃え盛っている。その手に握りしめるのは、髑髏をあしらったブラスナックル。
これが第二の『鮮血』デッキの切り札、叛乱公ブラ=スカス。
『おおっとおお! ここでトウマ選手、蓄積した鮮血カウンターを一気に消費してあらたなる切り札を展開した! 鮮血カウンターはトウマ選手のデッキの根幹、これは不退転の決意の表れか! あらたなる最上級モンスター、叛乱公ブラ=スカスは果たして、レクスシオを打ち倒せるのか!?』
《どんなモンスターがきても、レクスシオに勝てはしないさ! レクスシオの効果発動、そのモンスターのステータスを下げる!!》
再び放たれる不可視のプレッシャー。それを浴びたブラ=スカスが膝をつく。
《はははは! たかが人間の想像が生み出した怪物ごとき、私らの敵では……》
「ブラ=スカスの効果発動! このモンスターに与えられたマイナス効果は、すべてプラス効果に反転する!!」
ギン、と赤い眼光が激しく輝く。圧倒するプレッシャーの中で、メキメキと音を立てて巨躯が起き上がる。レクスシオの効果をものともせず、むしろより圧倒的に全身の筋肉が膨れ上がる。ばきん、と音を立てて、壊れかけの鎧が内側からはじけ飛んだ。
『これは……ブラ=スカス、レクスシオからのマイナス効果を受けたにもかかわらず、逆にステータスを上昇させている! 叛乱公の名にふさわしい反抗の力! なるほど、単純なパワーと全体攻撃を得意とするドラクシスが倒されるとすれば、それは弱体化効果や攻撃封印効果! そういった攻撃の手を押しとどめる力を逆に力に変えるのがブラ=スカスの効果という訳かーーー!』
《ば、馬鹿な、そんな!》
「バトル! ブラ=スカスでレクスシオに攻撃。天命強奪拳!」
グォオオオオ、と上級悪魔が雄叫びを上げて暴君皇帝へと襲い掛かる。巨大なティラノサウルスは牙をむいて迎え撃ち、牙を鳴らして襲い掛かった。そのかみ合わされる牙の咬合を紙一重で回避した悪魔が、側面から恐竜の頭部を殴打する。一撃、二撃、三撃……。次々と連打が恐竜の側面に叩き込まれる。
やがて繰り返される連打はあまりの速さに腕がかき消えて見えるようになり、殴打の衝撃だけがレクスシオを打ちのめす。
そしてついにとどめの一撃が炸裂し、巨大恐竜の体が横っ飛びに吹き飛んで転がった。地面をバウンドして転がっていくその衝撃に、ジェーンの巨体もたたらを踏む。
《レクスシオ!? く、くそ、だがまだだ! 私にはまだ……》
「いいや。もう、君には何もさせない。ブラ=スカスのもう一つの効果! 召喚されたときにお互いのプレイヤーの失っているライフの数だけ、連続攻撃ができる!!」
《なんだとお!?》
瞬間移動したような勢いで、瞬時にブラ=スカスがジェーンの前へ移動する。危険を感じ取った彼女が回避行動をとるよりも早く、ナックルのアッパーがその体を宙に勝ちあげた。
《ぐはあ……あばぁっ!?》
宙に舞い上がる巨体……それを追い抜いて跳躍した上級悪魔が、今度は上から地面に向けて拳を振り下ろす。打ち上げられた時の倍ぐらいの勢いで地面にたたきつけられたティラノサウルスが、びくん、と一度だけ体を痙攣させて、そのままぐったりと地面に伸びた。
その姿が光に包まれたかと思うと、少女の姿に戻っていく。これ以上ない、決着の証である。
『決着ぅーーーーーー!! 激闘につぐ激闘、超大型モンスターの殴り合いを制したのは、トウマ選手!』
「ふぅー……」
なんとかなった。額をぬぐい、私は安堵の息を吐いた。ちょっと危なかった。
かつかつと歩いてジェーンに歩み寄る。
うーん、とうめいている少女の傍らには、一枚のカードと四角い箱が落ちている。
暴君皇帝レクスシオ。
こいつが、茉莉さんやハナちゃん達犠牲者の生命エネルギーを収集していた闇のカードか。
そして、もう一つ。
デミ・アーク。偽りの聖櫃。
「……む!」
私がデミ・アークを拾い上げようとすると、箱が怪しげな光を放った。真っ白な光が靄のように吹き出し、ジェーンを覆っていく。
そうだった。これは闇のデュエル、敗者は生命エネルギーを奪われる。
だが……。
「猪口才な。自分は別枠のつもりか?」
がっ、と箱に指をかけて、思い切り力をかける。
「ルールはルールとでも? 貴様らの魂胆は見えている、ジェーンを消して口封じするつもりだろう。だが、そうはさせるものか」
聖櫃の纏う力が抵抗している気配がある。だが、それでも私の指先はそれを突き破り、聖櫃の蓋を強引に押し開いた。
内部から、光に包まれた羽のようなものが飛び出す。空中できらきら光るそれを見上げながら、私はブラ=スカスに叫んだ。
「壊せ!!」
《グアオォッ!!》
光る羽にむけてブラ=スカスが拳をふるう。血に塗れたナックルが叩き込まれ、しかしそれは羽毛に触れる直前で光る壁に阻まれた。
上級悪魔の一撃を防ぐ、か。たかが一枚の羽毛が。
「……全力でやれ!」
《ガアアアアアッ!》
口を割けんばかりに開いて叫び、上級悪魔は両サイドから挟み込むように拳を叩きつける。それでも、防壁を突破するには至らない。
と、不思議な事が起きた。
すべての鮮血カウンターを取り除いた事で白く戻ったはずの私のドレス。それが一人でに赤く染まり始めると、その赤が血柱となってブラ=スカスに吸い込まれていく。途端に、目に見えてブラ=スカスの力が増し、ついに光の障壁を打ち砕いた。
ばりぃいん、と硬質な音を立てて防壁が打ち砕かれ、羽毛が千々に引き裂かれる。同時に、限界以上の力を引き出したブラ=スカスもまた、砕け散るように消滅する。
「……お疲れ様」
地に落ちたカードを拾い上げて、私は優しく労いを込めて撫でてやった。
羽の消滅と共に、私達を閉じ込めていたバトルフィールドの結界が消滅していく。気が付けば、住宅街の静かな夜が戻ってきていた。
遠くで、土鳩が鳴く声がする。
ぽっぽーう、ぽっぽーう……。
私は手元に残ったカードをしばし眺めてから、デッキへと戻した。
『こ、これは……一体?』
「よくわからんがどうにかした。これで外に出られる、レフェリー、お疲れ様」
『あっ、はい。お疲れさまでした……。そ、それでは、私はこれで』
きょろきょろしているレフェリーに声をかけると、びしっと敬礼を返される。そのままいそいそとドローンで飛び去り、この場を離れていくレフェリーを見送って、私はジェーンの頭の横にしゃがみこんだ。
「おい、起きろ」
「う、うぅ……。あ、あれ……。私、負けたのか……」
「そういう事だな」
見せつけるように“暴君皇帝レクスシオ”のカードを見せつけ、それを破く。破いたカードの中から、はっきりそれとわかる大量のエネルギーがあふれ出し、夜の闇に飛び散っていく。
おそらくこれで犠牲者達も意識を取り戻すことだろう。
「これでお前の野望も御終いだ。今から病院に連れていく、回復したらダークファイブについてしっかり教えてもらうぞ」
「ふふ……そうだな。敗者に、いえる文句はない……。でも、ごめん、先に謝っておくよ……」
「何? ……おい、どうした。なんだこれは」
ジェーンの姿が、幻のようにかすみ始めていく。その存在感も急激に薄れていく。まるで、立体映像のようだ。
「私の存在は、レクスシオとデミ・アークによって支えられていたもの。それを失った以上、私は元の化石に戻るだけ。ごめんね、迷惑だけかけて最後は逃げ勝ちだ」
「お前……お前はそれでいいのか」
ジェーンに対する敵意や憎しみはもう私の中にはない。彼女が正真正銘ティラノサウルスそのものであったという事で、もはや人類の定義を当てはめるつもりはない。
ただ。
6600万年もの時を越えて蘇って、結局何もなせずに消滅する。それを、彼女は受け入れているように見えたのが、気に入らなかった。
「いいのか。このまま消えて。今この世に蘇ったなら、そこに意味はあったはずだ。なすべき事があったはずだ。人ではないお前にしか、できないことがあるはずだ」
「変な事を、いうんだなぁ。生きているうちは生きて、死んでしまったらそれだけじゃない」
「それは、そうかもしれないが……」
もう、ジェーンの姿はほとんど消えかけている。
私は何もできず、拳を握りしめた。視界に映る小さな拳は、酷く頼りない。
「私は、結構満足したけどね。ご飯は、美味しかったし。カードゲームも、面白かった。ああ、でも。出来ることなら……あんたに、リベンジしたかったかな……」
「ジェーン!」
「最後に一つだけ……優しいあんたに、アドバイス……。鍵は、五芒、せ……」
その言葉を最後に、定良ジェーンと名乗った少女の姿は完全に消滅した。
後には、真っ黒なティラノサウルス、その化石の一部だけが残されている。
「…………」
幻のように消えてしまった少女を思い、しばし私は黙とうする。
だけど、いつまでも凹んでいる訳にもいかない。
私は端末を立ち上げ、警察に連絡すると、一人公園を後にした。
遠くで、サイレンの音がする。
◆◆
後日。
私達は、町の博物館を訪れていた。
「すっげー。これ、昔生きていた生き物の骨なんだろ?」
「化石だから、厳密にはそれそのものではないけどね」
小声ではしゃぎながら先に行くダン少年と、それに解説をしながら手綱を握っている聖君。ハナちゃんと茉莉さんもニコニコしながらそのあとについてまわり、私はその最後方だ。
今日は二人の退院記念だ。意外なことに、ここに来たい、と言い出したのはハナちゃんである。話を聞くにジェーンに襲われた時の事は全く覚えていないらしいが、何か思う所があるのかもしれない。
それにしても、なかなか見ごたえのある展示品が多い。カンブリア紀の生物の再現標本とか、なかなかマニアックで通好みな展示もある。
流石に、超古代の生き物はカードゲームはしてないようだが。
まあ、油断はできないが。ホビアニ世界だったら、超古代の石板とか普通にありそうだし。怖い怖い。
そして、ついにこの博物館最大の展示品の前にやってくる。
「おぉー……でっけえ」
ダン少年があほ面で見上げている横に私もそっと並び、静かに見上げる。
天井からの照明を受けて黒光りする、巨大な恐竜の化石。
ティラノサウルス・レックス。
およそ6600万年前、白亜紀において生態系の頂点に立っていたとされる、文字通りの恐竜の王である。
この化石は、まだ比較的若い個体のものだという。愛称はジェーン。推定年齢は、およそ13歳だという。
13歳。人間であれば、中学生ぐらいか。
「盗難されていた化石を、誰かさんが見つけて報告してくれたおかげで、こうして展示できるようになったんだって」
「へえー、誰だろ。お礼を言わないといけないな!」
「……ああ、そうだな」
ダン少年に頷き返し、私は無心で雄々しい彼女の雄姿に見入った。
6600万年の時をこえ、物言わぬ彼女は、ただ勇壮な姿を私達に見せつけている。
「リベンジの機会があったら逃さないからね。覚えておきなさいよ」
遠くで、少女のそんな言葉が蘇った気がした。
「ああ。その時は、必ず」
誰にも届かない、誰にも意味のない言葉を、私は小さく口の中でつぶやいた。
化石は、ただ静かに、時の流れを私達に教えてくれている。
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