超々古代からの刺客 その1
「ふん、ふふふーん、ふふん」
「…………」
喫茶店からの帰り道。
私は、岩田さんと肩を並べて夕暮れの町を歩いていた。すでに日はビル街の向こうに沈みかけており、足元から伸びる影は長く黒い。
鼻歌を歌いながら半歩先に行く岩田さんにちらちら視線を向けていると、サングラスの向こうで彼がこちらを見返した。
足が止まる。
「なんださっきからじろじろと」
「いや……岩田さん、帰り道こっちじゃないでしょ……?」
岩田さんはこのあたりに住んでいる訳ではない、あくまで興行の一環でこのあたりに来ているだけだ。寝床は公営アパートを借りているらしいが、その場所は私のそれとかなり離れているはずである。
「何、もしかして私の警備のつもり? 過保護だなあ」
「違うわボケ、実力で俺に勝つような相手に護衛がいるか。酒場に用事があるんだよ」
「へえ。用心棒でも雇う訳?」
なんかRPGみたいだな。ちょっと興味を持って訪ねてみると、岩田さんはちっ、と舌を鳴らしながら首を巡らせた。
視線の先には、日が落ちた事で少しずつ活気づいてきている繁華街の明かりが見える。けばけばしいネオンの輝き、私みたいな子供が歩いていたらいろんな意味でろくな事にならなさそうだ。一方で岩田さんはいかにも、という感じで、ああいう場に慣れていそうだ。
「はっ、酒で雇えるような奴なんてたかが知れてる。……が、根回しはしておいたほうがいい。ちょいとアルコール入ってる連中相手にパフォーマンスしてな、ついでに危なげな話がある、っていうのを周知しておく。こういうのが、後々効いてくるんだよ、たぶんな」
「なんか手馴れてない?」
「気のせいだ」
さいですか。サングラスの向こうの瞳は、どうにも感情が読み取りづらい。
まあ、あちらで何とかしてくれるならそれでよい。岩田さんなら、そうそう悪いことにはならないだろう。
「まあいいや。そういう事ならよろしく頼むよ。私は適当に晩御飯でも買って帰る」
「ああ……」
「? まだ何かあるの?」
何か歯切れの悪い雰囲気。何か言おうとして悩んでいる、みたいな。
促してみると、案の定。岩田さんはふぅーー、とため息をついて、私から視線を外しつつ口を開いた。
「さっきは助かった」
「?」
「ダンの坊主がやる気になってる時の話だ。お前さんが我関せずな態度だったおかげで、坊主を言いくるめるのが楽だった」
なんだ、そんな事か。というかあれは助け船を出したのでもなく本心だったんだが。
「気にするな。混じりけのない純度100%の本音だからな、あれ。訳の分からない事態に巻き込まれたくはない」
「ははは、まあ、そりゃそうだな。ガキがどいつもこいつも向こう見ずって訳もないか。お前さんは変に大人びてるほうだしな」
大人びてる、じゃなくて中身は大人なんだがなあ。
「ま、そんな感じで坊主の抑え役になってくれると助かる。ありゃあ納得してねえぞ。ほっとくと一人でダークファイブとやらを探しに行きかねん」
「なんで私が」
「ライバルなんだろ?」
なんだか見透かした感じの視線を向けてくる岩田さん。
別にそういう、少年同士の友情的なアレではないんだが……まあ、いいか。
「まあ、意識の端にはとどめておこう」
「おう。頼むわ。……と、俺はこっちで別行動だな。寄り道せずにまっすぐ帰れよ」
ここで、同じ道を行くのも終わりが来た。背を向けたまま手を振り、夜闇に染まりつつある町に歩いていく岩田さん。
そのおしゃれな背中を見送って、私は私で自室へ向かう事にする。
「さて。今日はどのスーパーが安かったのやら。……ん?」
薄暗くなる街中、ぼんぼりのように輝く店の看板を見ながら歩いていた私は、ぼやけた人並の中にふと見覚えのある後ろ姿を見かけた気がして足を止めた。
灰色の髪の少年の後ろ姿。あれは……確か、ダン少年の。
それと、誰だ?
隣に、なんだか全体的に茶色い雰囲気の女の子。
「ふぅん?」
なんだか、面白そうな事になっている。
私は早足で二人のあとを追いかけると、声をかけた。
「こんばんは。もうすぐ暗くなりますよ?」
◆◆
スーパーで安く済ませようと考えていたのが一転して、本日の晩御飯はファミレスでと相成った。
ちなみに、料金は灰色の髪の少年が出してくれるらしい。最近の学生はお金持ちだ。
「それなりに貰ってるからね、遠慮せずに好きなものを頼むといいよ」
「ありがとうございます。その、ええと……」
「ああ! ごめんごめん、何度も顔を合わせているのに、名乗ったことがなかったね」
少年は柔らかいほほえみを浮かべて、一言一言はっきりと聞こえるように名を名乗った。
「僕は、火嶺聖。ダン少年とは昔からの付き合いだけど、この町に引っ越してきたのはつい最近。で、こっちが」
「定良 ジェーン。こいつとはついさっき街角で顔を合わせたばかりの初対面よ。貴方といい、この町にはおせっかいばっかり住んでるの?」
そういう少女は、私の肉体年齢よりもやや年上……中学生ぐらいだろうか。日焼けした肌に、染めているのか明るい茶髪。瞳はなんだろう、微妙に黄色い。カラーコンタクト? 少し違うような気もするが……まあ、ピンクの地毛の女の子がいる世界だ、このぐらいは誤差だろう。
荒っぽい口調に似合う、男っぽい革ジャンに黒いシャツ、短パンみたいに破いたジーンズをはいているファッションは私のそれと親近感を感じるが、よく言えば中性的で悪く言えばつるぺたスレンダーな私と違い、ジェーンと名乗った少女はすでに女らしい体の起伏が目立ち、何をどうみても男には見て取れそうにない。格好いいというか、将来は絶対に美人になるな、と確信させるようなスタイルだ。
思わず自分の絶壁を見下ろしてしまった私は、はっとして首をぶんぶん振って気持ちを切り替えた。
女らしくないのはいい事だろうが、何をやっているんだ。
「? どうしたんだい?」
「なんでもない。それより、本当に二人はさっき知り合ったばかりなのか?」
「ああ、そうだよ。ジェーンが街中できょろきょろしていて、明らかに道に迷っている感じだったから。僕も僕でダン君に助けてもらったから、今度はそれを誰かに返そうと思ってね」
穏やかに話す聖君。ダン少年と一緒にいる時もそうだが、なんていうか保護者がよく似合う少年だ。せいぜい高校生とか、まだまだ子供なんだけどなあ。
視線をジェーンに移すと、彼女は面倒くさそうな顔で相槌をうっている。
「ええ。確かに道に迷っていたけど……助かるっていうより困惑してる、というのが正直なところね。そういう貴方はどこの誰?」
「おっと失礼。私は逆巻トウマ。しがないデュエリストだ」
名乗る私に対して、ジェーンはふーんと興味なさげだ。どうやら、悪逆デュエリストの事は知らないらしい。
「まあいいや。ジェーンもこの町に最近引っ越してきたのかい?」
「そんな所。んでもって今日はどう過ごそうかな、と考えていたらそこのおせっかいに捕まったって訳」
「ははは、照れるね」
照れくさそうに後頭部をかく聖君。いや、今の話のどこに照れる要素が?
そんな風におしゃべりしていると、猫型ロボットが料理をもってきた。
「あ、来た来た。食べよう」
「おっけー。腹ぺっこぺこだよ」
それぞれの頼んだメニューをテーブルに並べる。私が頼んだのはボイルしたエビがたっぷりのったサラダに、ジューシーなハンバーグプレート。ジェーンはワイルドなステーキで、聖君はフォカッチャと人参サラダだ。「いただきます」と短く挨拶する私より早く、ジェーンが無言でステーキにかぶりつく。その隣では、聖君が何やら小さな十字架を胸に当てて静かにお祈りをしていた。
なんだか、その様子が妙に様になっていて、私は思わず見入ってしまった。
「この食事を感謝します。皆が健康と幸せでありますように」
「……熱心だな。私も合わせたほうがいいか?」
宗教に正直よい印象はないが、祈る人の気持ちを否定する事はない。形だけでも合わせようと拝むように手を合わせると、対面の聖君が首を横にふって苦笑した。
「あくまで私の話ですので、お気になさらず」
「それならいいが」
まあ、こんなにぎやかなファミレスのテーブルで真摯に祈ってもしょうがない、というのはわかる。物事には適切なシチュエーションというものがあるだろう。
気持ちを切り替えてハンバーグにフォークを突き刺す。じゅわわ、とあふれ出る肉汁に思わず染み出す唾液を飲み込んで、私はいそいそと小さく肉塊を切り分け、口に運んだ。
「~~~~♪」
「はぐはぐ、はぐっ! うまいねこの肉、歯ごたえが、よいっ」
「はははは。喜んでもらえて何よりです」
静かにお上品に食事をする聖君の横で、がつがつと肉をむさぼるジェーン。相当歯が強いらしく、硬いファミレスの肉をブチブチ引きちぎりながらむさぼっている。荒っぽいし雑だが、これはこれで本当においしそうに食べていて、忌避感は抱かなかった。
妙なめぐりあわせだったが、悪くはない。
私はエビをたっぷりレタスの葉にのせて口に運び、その旨味に舌鼓をうつ。
皆言葉静かに食事を楽しみながら、店内のテレビに映るニュースを見たりしながら、穏やかに夕餉の時間は流れていった。
『それでは、次のニュースです。こども未来博物館に展示されていた、ティラノサウルス・レックスの化石標本が紛失した事件ですが、調査の結果、盗難が行われたと思われる時間帯の監視カメラがダウンしていた事が発覚しました。これは外部からの工作によるものと思われ……』
◆◆
「今晩はありがとう、ごちそうになった」
「ふふ。いつぞやはダン君がお世話になったからね、今日はそのお礼さ」
ファミレスを出て、店前で立ち話。
礼を言う私に、聖君はきれいなウィンクを見せてほほ笑んだ。……いつぞやっていつの事だ? いやいい、聞かないほうがよさそうな気がする。
「ジェーンはどうするんだ?」
「んー。今日はもうおとなしく寝床に戻る事にするわ。トウマ、だっけ。顔、覚えとくよ、久しぶりに楽しい飯だったわ。やっぱり、うまい飯はみんなで食べるに限るわね!」
目を細めてにかっと笑うジェーン。こうしていると、ただのかわいい女の子にしか見えない。それでいてワイルドなのだから、変な人気が出そうな子だ。
こちらに来たのは最近の事らしいが、すぐに人気者になれそうである。
「私も楽しかった。それじゃあ、あまり遅くなる前に帰る事にするよ」
「あ、まって、トウマ君。帰りは送っていくよ」
「私はいいよ。それよりジェーンの方を気にしてやれ」
「えー? 私がその辺の男に遅れをとるとでも? ガキが心配するなんて10年早いわよ」
私の心配を舐められた、と受け取ったのか、途端に不機嫌になるジェーン。
苦笑しつつ、その勘違いを解きに行く。
「違う違う。そんなんだと、声をかけた男のほうが危ない。犠牲者を増やさないように頼むよ、火嶺さん」
「ふふ、任されました」
ほほえみ一つ残し、ジェーンを伴い人の流れの中に消えていく聖君。それを見送って、私もまた帰路につく。
一人歩きながら、ふと空を見上げる。雲一つない暗天の空、しかし地上の輝きに照らされ、星一つも見えはしない。
「ダークファイブ、か」
かかわるつもりは毛頭ないが。
しかし、厄介な事になりそうな予感がした。
それから、数日の間、平和な時間が流れた。
怪しげな影もなく、不穏な噂もなく、これまで通りの日常が続く。
にもかかわらず、心の影で不安は際限なく膨らんでいく。
私が判断を誤ったと理解したのは、ある日の夜のこと。マスターからの一つのメッセージを目にした時の事だった。
『送信者:マスター
内容:茉莉とハナちゃんが病院に運ばれた。今から僕も行く。場所は〇〇病院』
ぎし、と端末を握る指が軋んだ。




