四神の羽衣 その1
「それではー! トウマちゃんの勝利を祝ってー!」
「乾杯ーー!!」
その日の夕刻。
喫茶店では私の勝利を祝って、ささやかな宴が開かれる事になった。
招かれたのは主賓として私と、何故かダン少年とその連れの女の子、そして引率である灰色の髪の少年。
貸し切りの店内でテーブルを囲んで、マスターと茉莉さんが「やっほーい!!」とノンアルコールビールの缶を打ち付け合い、一気飲みする。
ちなみに私達はジュースだ。ぶっちゃけると私はノンアルビールを所望したのだが、流石にいくらアルコールが入っていないとはいえ許可は下りなかった。残念。
テーブルの上には、喫茶店ご自慢のホットスナックが並んでいる。どれもマスターの拘りの一品であり、普段金欠でスナックは頼まない私はここぞとばかりに一心不乱で貪っていた。
ここで食いだめしておかなければ。
「はむはむはむはむはむはむはむはむはむはむ」
「…………」
「あれ、どしたの、ダン君。オレンジジュース、好きじゃなかった」
訝し気なマスターの声に、から揚げをむさぼる手を止めて横を向く。はなちゃんと少年に挟まれたダン少年は、スナックにも手を付けず、なにやらむすっとした顔で椅子に座ったままだ。
何か不機嫌そうですらある。
「気になる事がある?」
「いや……そのさ……じゃあ、はっきり言うけどさ」
「なんであんたがここに居るんだよ! ギルティ岩田!!」
椅子から立ち上がってびしりと指さすダン少年。その指摘の先には、丸いサングラスと革ジャンが特徴的な金髪の男が、ワインを片手にゆっくりと食事を楽しんでいた。
「あん? 俺がいたらなんか不味いのか?」
「不味いのか、じゃねええよおおおおおお!! お前に勝った! 記念に! なんで居るんだよ!!?」
「ダン、人を指さすのはやめなさい」
灰色の少年がやさしく、しかし有無を言わせずその指を掴んで下ろさせる。大人しく従いながらも、ふんがー、とダン少年は憤慨する。
「ほらほら、ダン君、興奮しない」
「だって店長」
「……まあいいだろ、別に。今回の立役者の一人だ」
私が割って入ると、ダン少年がものすごい目でこっちをみてくる。なんだその、絶対的な味方だと思ってた相手に裏切られた、みたいな迫真の表情。あとなんではなちゃんはその横で不貞腐れてるんだ。
が、すぐにダン少年は私の言葉の不審さに気が付いたようだ。ん? と首をかしげて訪ねてくる。
「おい、たてやくしゃって、どういう事だ?」
「それを今から教えてやるから、ちょっと静かにしてろ」
私はダン少年のおでこをつん、と押して椅子に戻すと、両手を腰にあてて大人二人に向き直った。
「それで。仕掛け人はどっちだ? あるいは両方か?」
「……おい、全部ばれてんぞマスター」
「はははは……」
私の問いかけに、ギルティ岩田……ここでは岩田さん、と呼ぶべきか? とマスターが顔を見合わせる。ダン少年はぽかんとした。
「岩田さんが店で割ったというカップ、あれはこの店のものではないだろう? マスターの目利きを私は信用している、あんな大量生産の100円ショップで売っているようなカップはこの店で使ってないよ。中のコーヒーも、適当にいれた出がらしだろう? 概ね、水筒にでもいれて持ち込んだか。ヒールらしいアピールの一環か?」
「ま、まてよ、トウマ! 俺は確かに、こいつが店の悪口をいってるのを聞いたんだぞ」
「その内容、覚えてるか? 大声で乱暴な口調で言えば、なんでも悪口になると思ってないか? 私が聞いたのは「この店のコーヒーは口に合わない」って旨の話だ」
私の話を聞いて、あっ、とダン少年は口元に手を当てた。思い当たる節があるようだ。
その場の皆の視線を浴びて、岩田さんは苦笑を浮かべる。
「まあ、そういう事だ。最初からばれていたとは思わなかったが、俺はあくまでヒールで売っているだけだからな。本当に悪事をしたら捕まっちまう」
「そういう事。トウマちゃんもうすうす察してたけど乗ってくれたんだね、ありがと!」
「いや、まあ。いいんだが……」
会話が途切れた合間にポテトを口に運ぶ。ちょうどよい塩気とホクホク感、やはりホットスナックの王者といえばポテトだ。普段食べられない贅沢嗜好品をもしゃもしゃしていると、はなちゃんがおずおずと疑問を連ねた。
「その……でも、なんで?」
「そりゃ、仕事さ。話を持ち掛けたのは俺からだな。このあたりで興行をしたいんで、有名な喫茶店に連絡を取るのは自然な流れだろう?」
「それで意気投合してね、せっかくだから、トウマちゃんにも協力してもらおうと思って、一芝居うってもらったのさ」
大人二人を、私はじろりとにらみつける。なんだよ、最初かかわらせようとしなかったのはポーズかよ。
「かかわらずに帰れっていってなかったか?」
「トウマちゃん、アマノジャクだから、ああいった方が確実でしょ?」
「……ぐぎぎぎ」
実際にそうなってしまったのでぐうの音も言えない。なんだか性根を見透かされている気がする。
「それならそれで、なんで私なんだよ。もっとこう、興行なら相応しい対戦相手がいるでしょ」
「そのあたりはマスターからの推薦だな。頭のおかしいチビがいるから、話題にどうかって。頭のおかしさが想定の数段上だったが」
「実際盛り上がったしね、ヒールVSヴィラン、みたいな感じで! トウマちゃんも、観客にやんややんや言われなくて戦いやすかったんじゃない?」
それは、まあ。確かに。ギルティ岩田がヒールとして存在感がありすぎたせいで、私のプレイに対する観客の罵声も大分大人しかったのは事実だ。
言い返せずに、私はがつがつと机のホットスナックをむさぼる事で返事とした。もしゃもしゃ。
「あ、お前ばっか食べんなよ、俺も食べるっ」
「わ、わたしもっ」
「ほらほら、皆、食べ物は逃げないんだから……」
忽ち始まる争奪戦。だがすでにエンジンかかっていた私が有利だ、ふふん。このまま皿の上を食らいつくしてくれるわ。
「げ、げぷぅ……」
「もう、あんなにがっついて食べるからよ。トウマちゃん、大丈夫……じゃなさそうね、胃薬、のむ?」
「い、いらぬ……」
ソファーの上で横たわる私は、心配そうにのぞき込んでくる茉莉さんに首を振った。そこまで迷惑はかけられない。
し、しまった。いくら若いとはいえ、幼い少女の許容量を見誤った。ここまで食べられないとは……。
「う、うぇっぷぅ……こ、これしきの事……」
「……俺、これに負けたのか?」
「はははは……」
いや、ほんと申し訳ない。ぐったりとしつつ横目で見ると、大人組は淑やかにテーブルを囲んで談笑しているようだった。
ダン少年は……さっきからずっと同じペースで貪ってる。凄いな、若い男の子。
目を閉じて休んでいると、おずおずとダン少年が岩田さんに語り掛けるのが聞こえた。私が眠ってしまったものと思ったようで、聞かせたくない話のようだった。
悪いけど、一言一句漏らさず盗み聞きさせてもらう。ちょっと気になるし。
「あ、あのさ……ギルティ岩田、じゃなくて、岩田さん」
「ん?」
「どうして、ヒールなんかやってるんだ? なんで悪いやつの演技なんか?」
おおぉう、最初からぶっこんでいったな。流石に岩田さんも苦笑している。
「ああ、まあ、そうだな。……坊主、正義の味方は好きか?」
「もっちろん! 悪いやつやっつけてくれるのを、嫌いな奴なんていないだろ!!」
元気よく返事するダン少年。しゅっしゅっと素振りをしている音も聞こえる。まあ、彼ならそうだろうな。顔を見せない彼の精霊らしき存在も明らかに正義の味方って感じだもんな……。
「ははは、まあ、そりゃそうか。誰だって、正しい事は好きだ。でもな、世の中には色々あってな。大人の中には、正しくない事が救いになる奴も、中にはいるのさ」
「えー、なんでさ?」
「なんでだろうなあ?」
曖昧にごまかすギルティ岩田。私は、少しだけその気持ちが分かるような気がする。
誰も悪くないのに、どうして自分は苦しいのだろう。誰のせいでもないのに、どうして自分は救われないのだろう。全部自分が悪いのだろうか? 正しく生きていても、それが罪だというのだろうか? そんな時に、「それは誰のせいでもなく、どこかに悪いやつがいるのだ」と囁く声を、否定する事はきっとできない。
それが一時のその場しのぎだとわかっていても、それでもだからこそ、甘言に身を任せる事はどうしてもあってしまうのだ。
それに浸り切るのが悪いのであって、心の健康さを取り戻すために、一時それに浸るのは悪い事ではない。
岩田さんは、その受け皿になる事を選んだのだ。多くの人に憎まれ、さげすまれる事で、彼らの心を救う存在に。
だが、それをダン少年に理解しろ、というのもまた、酷な話だろう。
それに結局は、私の想像に過ぎない。真実がどうであるかなんて、それこそ当人のみぞ知る、という奴だ。
「なんだよ、誤魔化すなよ」
「はは、悪い悪い。まあ、今はわからなくても、いいさ。そのうち、思い返してくれればいい」
さすさす、と髪を撫でまわす音が聞こえる。
やっぱこの人、本当は面倒見がいいんだろうな。
そんな事を考えつつ、私は本格的に眠気を覚えて、あっさりとその意識を手放した。
今日は。なんか、疲れた。