敗北の悪逆デュエリスト、羞恥の公開処刑! その3
この世界に来て辛い事はいっぱいあった。
最初は訳が分からず路地裏を彷徨い、空腹のあまりゴミ箱を開けてみた事もある。カードを売り払ってお金を工面しようにも、身分証明証(デッキはこの場合使えない)の提示を求められて逃げまどったり、冷たい風が吹きすさぶ中、公園の遊具の下で雨を凌いだりもした。猫と一晩の宿を巡って争った事すらある。
だが、それでもこれほどの恥辱、屈辱には遠く及ばなかった。
魂の殺人という言葉の意味を、今、私は身をもって味わっている。
「あら可愛い」
「でしょー、こういうのが似合うと思ったのよー」
にこにこと会話する鬼畜兄妹の会話も頭に入らない。
私の目の前には、一枚の大きな姿見が置かれている。その中には、黒と白のフリフリゴスロリファッションに身を包んだ、一人の幼女が映し出されている。少女はくせっ毛の黒髪と虚ろな瞳がちょっと見すぼらしいはずなのだが、プロの見立てはそれすらもデザインに取り込み、調和させていた。
これがもし、テレビ番組のワンシーンとかであったなら、私は頬を緩めて微笑ましく思うだろう。だが、いざ映っているのが自分となると、これほどまでに憎たらしいものか。
いっそ中身が男どころかおっさんだとカミングアウトしてくれようか。……いや、今のこの状況ではさらっと流されて終わりだ、信じてもらえまい。
うごごごご。素肌に触れる生地がやたらと上等なのがなんだか悔しい。
というか自分である事を差し置けば結構可愛いぞ畜生! さすがファッションデザイナー、好い仕事をする!
「な、なんか筆舌に尽くしがたい顔をしてるけど……」
「あははは、最初は皆そんな感じなのよ。すぐに慣れるわー」
慣れたくない!!!!
「もういいでしょ、満足した!? 脱ぐ! 脱ぐったら脱ぐ!」
「あら、もうちょっといいでしょ、ねぇ?」
「そうだね。せっかくだから、その恰好でお手伝いとかどう? これからお昼で忙しくなるから、手伝ってほしいかな。お店の宣伝にもなるし」
とんでもない事をマスターが言い出した。正気か?????
「ばっ、そんなの、引き受ける訳が……」
「もちろん報酬は出す。そうだな、一般的なバイト代の2倍、いや、3倍でどうかな?」
「やります」
気が付けば口が勝手に応えていた。あわわわ、と自分の口を両手で押さえるも後の祭り。にんまりと微笑むマスターの手には、いつの間に用意したのか「トウマ」のネームプレートが握られている。
「は、謀ったな?! 最初からそのつもりだったのか!?」
「ははははは。トウマちゃん、君は良い友人だったのだけどね、可愛いのがいけないのだよ」
「お、おのれぇ……! 金欠が憎い……!」
「店員さーん、メニューお願いします」
「はい、ただいまー」
てこてこてこてこ。
「店員さん、お冷お願い」
「はい、ただいまお持ちします!」
てててててて。
「店員さん、ちょっといいかな」
「はーい、しばしお待ちをー」
てけてけてけてけ。
昼過ぎの喫茶店。マスター直々に“稼ぎ時”というだけあって、訪れる人はかなりの人数だった。賑わいぶりなら放課後の方が上だが、学生は大して金を落とさない。それにくらべ、今やってきているビジネスマンの方々は次々とメニューを頼んでおり、なるほど、稼ぎとしては確かにこっちが上か。
それにしても正直想像以上の忙しさだ。さっきからひっきりなしに呼ばれて休む暇もない。普段からこれだけ忙しいなら、なるほどマスターが私にバイトを提案するのも分からなくはない。というか、普段はもしかして一人で回しているのだろうか、これを。
ちょっとマスターへの評価を改める必要がありそうだ。
ちなみに茉莉さんは、「インスピレーションが沸いてきたわ!!!」と叫んで奥の方に引っ込んで出てこない。マスター曰く、ああなったら三日は作業場から出てこないらしい。
「はい、トウマちゃん。これは2番テーブル、こっちは3番テーブル。覚えられる?」
「問題ない、まかせろ」
カウンターでマスターからボードを受け取り、お客様の所へメニューを運ぶ。机にそっと静かにボードを置き、可能な限りの笑顔を取り繕って会釈する。屈辱極まりない恰好をさせられているのは事実だが、それとお客様は関係ない。喫茶店というのはお金を払って快適な空間を楽しむものだ、彼らの気分を損ねるような事があってはいけない。
「お待たせいたしました。ご注文の、親の仇ドリアと、中毒スパゲッティでございます。ご注文にお間違いはありませんか?」
「あ、ああ。うん、間違いないよ」
「では、どうぞごゆっくりお過ごしください」
なんだかぽややんとした感じのサラリーマンに頭を下げて、次のテーブルへ。こちらは、お昼休憩にやってきたOLの皆さんだ。
「お待たせいたしました。ご注文の、フルーツパフェペガサス昇竜盛りと、メガタンクコーヒーでございます。ご注文にお間違いはありませんか?」
「あ、はい。その通りです」
「きゃあー、可愛いー!」
スマホでパシャパシャ写真を取られる。や、やめろぉーーー! 私の醜態をデジタルタトゥーに残すんじゃないーーー! という本心を抑えつつ、感情と表情筋を切り離して営業スマイルをする私。くっそう、手慣れている自分が悲しい。
ボードが空になったので、再び店長の元へ。
忙しい忙しい。あと心がメキメキする。
と、そこでカランコロン、とドアが鳴った。
「いらっしゃいませ、当店によ……」
反射的にドアへ振り向き、挨拶を口にする私だが……そこで、入ってきた相手の顔を認識して口が固まる。
そこには、見覚えのある男子と女子、そして彼らの付き添いであろう学生の姿があった。
ダン少年とその連れの女の子、そして何故か、この間喫茶店ですれ違った灰色の少年だ。おかしい、今朝、確かに登校する学生の姿を私は見ている。まさか全員休んで……そうか今日は土曜日だ!!! 気軽なフリーター生活していると曜日の間隔がおかしくなるとはいえ、ボケすぎだろう私! 不覚!
少年と目が合う。不味い、こんな格好をしている所を、まさか知り合いに目撃されるとは……!
揶揄いと侮蔑の言葉が出てくる事を予想し、ぎゅっと身を縮める私。
「あ、新しい店員さん? ちーっす」
「こんにちは」
「ダン、言葉使いはちゃんとしないと駄目だよ。こんにちは、可愛い店員さん」
ところが、彼らから出てきたのは、到底知り合いに向けるようなものではない、よそよそしい感じの丁寧言葉。気が付かれて……ない? 普段の私とかけ離れすぎていて特定できていないのか。
「これは失礼しました。当店へようこそ。三名様でよろしいですか? はい、テーブルに案内します」
咄嗟に体勢を立て直し、営業スマイルで対応する。こうなったらもう、赤の他人としてやり通すしかない。
と、机に案内したところで、女の子が頬を赤くしながら語り掛けてきた。
「ね、ねえ。そのかわいい服、どこで買ったの? 私も着てみたい!」
「……本日からこの喫茶店のバイト服として採用されました。詳細はマスターにお聞きください」
純粋無垢な視線からそっと視線を逸らしながら答える。
いや、考えてみればそうだ。私のような元男なんぞより、こういった純粋な女の子がこういう服を着るべきなのである。そっちの方が茉莉さんの為にもなるはず。
「……よろしければ、後で私からマスターに話を通しておきます」
「やったぁ!」
「えー? お前があんなヒラヒラの服着るの? 似合わないだろ、孫にも衣装、だっけ?」
それを言うなら馬子にも衣裳である。そして案の定余計な事を口にしたダン少年は、頬を膨らませた女の子の反撃に遭っていた。
「なんでそんな事いうの! だんちゃんの馬鹿っ! おたんこなす! 嫌い、大っ嫌い!」
「そ、そんなに怒るなよぉ」
「いや、今のはダンが悪い。謝りなさい」
保護者役の少年にまで窘められて、ダン少年はしぶしぶ女の子に頭を下げる。いやあ、微笑ましいね。
しかしあの少年、最近引っ越してきたと言うが、この様子だとダン少年とは元々知り合いだったのか? ダン少年からすると、遠方のお兄ちゃんが近くにやってきたから、意気揚々と街を案内しているという事か。
いいね、本当に良い子だ。
私はメニューを聞き受けてマスターの元に戻ると、小さく耳打ちをした。
「マスター。私のバイト代から差し引いていいので、ジュース追加してもいいですか?」
「え? なんで……ああ、そういう事か」
流石人情派のマスター、すぐに事情を察してくれたようだ。優しく微笑んでキッチンに引っ込むと、すぐにメニューが出てくる。私はそれを、少年たちの元へ運んだ。
「お待たせしました。ご注文の、マリーアントワネット風フレンチトーストでございます。ご注文に間違いはありませんか?」
「あ、はい。ありがとう」
「それと、オレンジジュース、アップルジュース、ブルーサイダーです」
そういって、テーブルに三つ、ジュースを置く。ダン少年が目を丸くした。
「え、俺、頼んで……」
「これは私のほんの気持ちです。引っ越ししてきたお兄さんを案内してあげてる優しい男の子とその友達に、ね。どうぞお受け取りください」
そう告げて優しく微笑みかけると、ダン少年は俯くようにして黙り込んでしまう。あれ、何か不味かったかな、と思っていると、灰色の少年が代わりに感謝を告げてきた。
「ありがとう、素敵でかわいい店員さん。お気持ち、有難く受け取っておきます」
「はい。今後とも、当店を御贔屓に」
頭を下げて、テーブルを後にする。背後から、少年たちの会話が聞こえた。
「ねえ。だんちゃん、なんでお顔真っ赤なの?」
「うううう、うるさい!」
「はははは。ダンも、かわいい子には勝てないんだね」
う、うぅ。あまり可愛い可愛い言うなよぉ……。
はぁ。
「お疲れ、トウマちゃん。客足は一段落ついたから、休憩しておいで」
「はーい」
マスターの許しもあったので、一旦店員専用のスペースに下がる。奥にあるトイレに向かう傍ら、流し場にある鏡が目に入った。
そこには当然、着飾った私が映っている。
髪の毛はくしゃくしゃ、目つきもでろりと濁っているが、それでも華やかなフリルのかわいらしさは相殺しきれない。悔しいが、茉莉さんのデザインセンスは間違いなく一流だ。
「……可愛いか」
じっと鏡を覗き込む私。周囲をきょろきょろと見渡してみるが、ここは店員専用のエリア。他に誰かの視線も姿もない。
「……えへ」
ちょっとぐらいなら、己惚れてもいいかな。えへ。
鏡のなかでポーズを決める、ゴスロリ姿の少女。自分だと思わなければ、なるほど、結構いい感じなのではないか?
「えへへへ……」
「(ガチャン、バタン)ふぅ……実家の方のトイレットペーパーが切れてるとは……うん?」
「え」
物音に振り返った私の目に入ったのは、新たにトイレに入ってきた背の高い女の人。茉莉さんその人である。
な、なんでここに。いや、そんな事は問題ではない。
まさか、まさか。
みら れ た??
「トウマちゃん? ここで何を……」
「なななななんでもないですぅうううううう」
私は 後ろ足で その場を逃げ出した!!
◆◆
そしてその晩も、当然のように夢を見た。
わるどるぅる あばは めれーげ きぱす
どるぅるぬす るるは あぱーしす てれ ざる
ズンドコドン、ズンズンドコドコ。
調子はずれの笛の音と太鼓の音が調和して、均整の取れた不協和音を奏でている。いつもようにフカフカツルツルの寝心地のよいシーツの上で、私はもぞもぞと身を蠢かした。
また喧しい夜がはじまるのか、と思いきや。
「おや……」
いつもだったら聞こえてくる争いの喧騒が聞こえてこない。
もしかして願いが通じたのか、と顔を起こして、私はベッドから荒野を見渡した。
「うげ」
そこには、見渡す限りの背中が並んでいた。
いつもであれば、争いと血と叫びが木霊している戦場。だが今は、陣営を問わず全ての悪魔がその場に這いつくばり、首筋と背中を見せつけている。
土下座である。
視界一面、見渡す限りの荒野を埋め尽くすように並ぶ悪魔が揃って土下座しているというのは、あまりにも異常な迫力があり、思わず私は首を竦めた。
「な、なん?」
これだったら争っていた方がまだ理解の範疇である。困惑の極みに達した私は思わず自分の顔を押さえ、その拍子にある事に気が付いた。
フリフリの袖。
いつも着ている、ネグリジェじゃない。
見下ろすとそれは、喫茶店で茉莉さんに着せられたゴスロリ服であるのに間違いなかった。確かにあれはあの後、彼女に部屋まで持って帰らされたが、ここは夢の中である。持ち込めるはずがないのだが……。
はっ、と脳裏に昼間の出来事が過ぎった。
デュエルの時の、これ以上ないぐらいの手札事故。あれは、もしかして。
「お、お前ら……わざとやったんだな!?」
これ以上ないぐらいの怒気を込めて怒鳴りつけると、びくぅ、と荒野に並ぶ首が震えて騒めいた。
やはりか。
信じがたいが、私にフリフリの衣装を着せたいがために、わざと負けたという事か。
なんたる不義理。なんたる不条理。
契約という言葉の意味を一度辞書で引いてこい。
「なーにが願いは何でも叶える、だ! 責任者でてこい! ふざけるな!!!」
ベッドの上で怒声を張り上げ飛び出そうとすると、近くの悪魔達がおろおろと顔をあげて制止してくる。言葉にならずとも「落ち着きください!」「申し訳ありませんでした!」「怒りを御抑え下さい!!」というのが伝わってくるが、知ったことではない。
「こんなの契約不履行だ、悪魔の風上にも置けないペテン師どもめ! 最低限の約束も守れないなら契約とか言い出すな! ふざけろ出てこい! ひっぱたいてやる!!」
憤激していると、遠くから大いなる者達の声が伝わってくる。
いつもと違い、今日ばかりはその意識も後ろめたさに満ちていた。
『正直済まんかった』
『ごめんて』
『反省している』
『でも後悔してないよ。眼福でした』
「ふんがーーー!!!」
ふざけているのかお前ら。怒りのあまり言葉を失った私が地団駄を踏むと、ぐにゃりと景色が歪んでいく。
あっ、こいつら説得諦めて早々に追い出すつもりだな?!
「く、くそ、覚えてろ……!!」
わるどるぅる あばは めれーげ きぱす
どるぅるぬす るるは あぱーしす てれ ざる
「…………」
チチチチ、と鳥の音で、私は眠りから目を覚ました。
いつもと違って何だか寝不足な感じがする。虚ろな瞳で時刻を確認すると、いつもより一時間以上早い目覚めだった。
「……?」
そういえば、今日はなんだかいつもの夢を見なかった気がする。
定番になっているので、見ないとそれはそれでなんだか調子が狂う。悪夢なんて見ないに越したことはないはずなのだが。
「ふわーあ……」
あくびをして、タオルケットから這い出す。
今日は日曜日だ。学生たちが自由気ままに街に繰り出しているはず。私としても絶好の狩り日和だ。
「頑張りますかー」
顔をごしごし手で擦って、私は寝ぼけ眼で洗面所に向かったのだった。
◆◆