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90. もう一人のハイエルフ

「ダメよ! いや! 置いてかないで! 居なくならないで!! 兄さん!!」


 白金の美しい髪を乱し、彼女は泣いていた。

 白亜の神殿に、焔と煤の雨が降り注いだあの日。



――――神命の刻が来た――――



 女神が捨てざるを得なかった世界。


 だけど諦めきれなくて、エルフェーラは肉体を捨てた。


 それでも足りなかったから、私も。


 怖くも寂しくも無かった。

 生きて欲しかった人達がいたから。


 私やエルフェーラ姉上が、幾多の同胞が、溶けた世界を、君は、彼は、美しく思ってくれるだろうから。


「君は生きて。ニレルに見せてあげて。君が生き抜く姿を。ディオンヌ」





「助けて……助けて、女神様……」

「スーリヤ様……これは……?」


 スーリヤの着替えを持って来た少年は、足元の水溜りと彼女の真っ青な顔色に、驚く。


「すぐに治癒師を呼んで来ます!」

「ダメ!!」


 スーリヤは石でできた部屋の窓枠に手を掛けて、身を乗り出そうとする。


「危ない!!!」


 少年は何処を触るか悩んで、それからスーリヤの足に縋り付いた。


「お願い、行かせて!!!」


 淡く淡い金の美しい髪を乱し、彼女は泣いていた。


「……それが貴女の望みなら……」

 少年は壁に手を付いた。


「せめて俺の背中を踏台代わりに」

「いやよ!」

「いいえ、そうしないと、この窓を乗り越えるのは無理です」


「……ごめんね。今までありがとう」


 少年は背中にかかる重みに、必死に耐えた。


 ――――背が軽くなった後も、顔を上げることは出来ず、ただ声を殺して泣き続けていた……




 ルシンの中で、二つの記憶の中の泣き顔が重なる。


 ディオンヌ、という女性は知らない。


 奇妙な夢だった。




◇◇◇




「さあ、終わりましたわ」

「ルシン様ったら、すっかり眠っていらっしゃったけど、体調は大丈夫ですの?」


 フェリックスとルシンの散髪を終えたマーシャとメルシャは、テキパキと後片付けをしていく。


「ああ……大丈夫だ」


 うたた寝していたルシンと違って、フェリックスはずっと緊張していて、ぎこちなく、切った髪を柔らかなブラシで払うメルシャに声をかける。


「す、すまない」


「フェリックス様は、随分と汗をかいて緊張なさってましたけど、もしかしてハサミが苦手でした?」


 メルシャがハンカチを、フェリックスに渡す。


「い、いや、そうではない」


 フェリックスは真っ赤になって、ハンカチを受けとった。

 フェリックスの代わりに、ルシンが説明する。


「俺たちハーフ奴隷の殆どは、女性と接する機会がないまま、一生を終えるものの方が多い。フェリックスはどうすればいいのかわからず、緊張しているだけだ」

 他国から拐った女性の奴隷も、貴族間で消費される。


「あら、あらあらあら」

「まーあ、まあまあ」


 双子は面白いオモチャを見つけたような顔をした。


「女性には優しく接して下さいませ」

「大声で怒鳴ったり、乱暴なことはダメですわよ」


「わ、わかっている。……つもりだ」


 マーシャとメルシャに揶揄われてるフェリックスを、不思議な気持ちでルシンは見る。


 ルシンは元々、リーン王国で死ぬつもりで今回の暗殺に志願した。つまり任務を失敗させるつもりでいたのだ。


 生まれた場所は選べなくても、死に場所は選びたかった。


 少年時代に、唯一人彼を人として扱って、優しさと温もりを教えてくれたスーリヤ。彼女は名前の無かった彼を「リーン」と呼んだ。いつか行ってみたい国の名だと。


 だから何としてもワイバーンを乗りこなし、この任務に付きたかった。何故かあのワイバーン(ではなかったが)は、ルシン以外の者が乗ると酷く暴れてくれたので、好都合だった。


 つまり、そう。


 フェリックスのことは、最悪道連れにするつもりでいた。


 それなのに。



 ルシンが視線に気づいて、部屋の入り口を見ると、三色のスライムがじっと中を覗いている。目が合った。


「なに?」

 ルシンは言葉少なく声をかける。


 喋ったり、色艶が珍しいだけでなく、何故か気になる、おかしなスライム達だった。


「皆んなのいるお部屋までのぉ、道わかるぅ? ヒラとハラが案内するよぉ。ちょうどモモにも案内してたとこだからねぇ。マーとメーはお仕事あるでしょぉ?」


「あら、助かりますわ」

「流石エステラ様のスライム、気配りが素敵ですわ」


 マーシャとメルシャに褒められて、ヒラとハラはぷりんと上機嫌に身を膨らませた。同時に光の粒……イケスラパウダーが弾ける。


 ぽよんぽよんと前を進むスライム達の後について、ルシンとフェリックスはサロンに向かう。


 ボソリとフェリックスが呟く。


「夢じゃないんだよな……いや、あんな宝石みたいなスライム見たことない。やっぱり夢なのか、これは」


 ちらりとフェリックスの顔を見て、ルシンは答えた。


「安心しろ。夢じゃない」

「昨夜俺たちを取り囲んでいた純血たち……この国に、あんなにエルフが居るなんて情報は無かった。完全に上部の調査不足だな」

「ああ」


 エステラがスーリヤの娘ならば、何があってもあの国から守らねばならない。


 一緒にいるエルフ達も、彼女に危害を与える存在ではないのか見極めないと。


 ――ルシンは気を引き締めた。




◇◇◇




 サロンに入ると、彼らの暗殺のターゲットだった二人以外、昨夜のメンバーが揃っている。


 二人は促されて、ソファに座る。


「えっと、ルシン?」

「はい、エステラ様」

 呼ばれてルシンは答える。


「鑑定魔法の結果、貴方は私の異母兄とあったのだけど、貴方の言葉で知りたい。私の母さんとのこと、それから貴方のお母さんのこと……もし差し支えなければ、父さんのこと……」


 ルシンは目を閉じた。何から話せば良いのか。

「俺が産まれた時に、母は亡くなったそうだ。産まれて直ぐの俺の耳を切り、額を抉ったのも母だと聞いた。噂では母は拐われてきた時酷く抵抗していたので、エルフ族への反抗の印に俺を傷物にして、処分されたと」


「母親の遺体はどうした?」

 フェリックスを陥落させた、黒髪のエルフが鋭く聞く。


「さあ? 俺にわかるものか。あそこでは遺体は『死の狼』に食べさせるのが通例だ。俺は運良く魔力が多かったのと、父親の身分が高かったこと、そして傷が無ければ純血だったかも知れない僅かな可能性で、父の館の地下牢で治癒を受けながら育てられた。まあご覧の通り治癒しなかったが。そして数年後、父は性懲りも無く母と出会った小国に出向き、またしても花嫁を拐って来た。それがスーリヤ様だった」


 ぴくりとエステラの肩が揺れる。


「俺は奴隷として、彼女の世話をさせられた。だが彼女は俺を人として扱ってくれた、ただ一人の人だった……」


 ルシンは唇を噛み締め、俯いた。


 苦しみに踠くような呼気を吐き出し、言葉を続ける。


「それなのに俺は。あの月の夜に、彼女が窓を乗り越えるのを、手伝ってしまった」


 エステラは俯くルシンの手を取る。


「母さんを助けてくれてありがとう。貴方は母さんが世を儚んで飛び降りたと思ったのね……? でも違うの。スーリヤ母さんは妖精のいたずらを見つけて、飛び込んだのよ。そしてこの国で、私を産んでくれたの」


 ルシンは目を見開き、エステラを見た。

 エステラは優しくルシンの涙を拭う。


「貴方のおかげよ。決して一人で越えるのは無理だったって云ってたもの。あと父親の話はもう良いわ。良い話しが無さそうだもの」

「それは……否定できない」


「多分エデンの方がマシかも知れないと思う時点で、ダメよね。という訳で、これからそこのエデンが私達の父親だから、そのつもりで」


「こらこら、エステラはともかく、ディオンヌと一欠片も関係無いやつを息子になんぞしないぞ」

「関係なくないわよ。ルシンの名前はお師匠のお兄さんからもらったんだから」


「エステラ、今はまずルシンの傷を癒そう。皆んな心配で気が気じゃ無い顔をしてるからね」

 ニレルに言われて、エステラはハッとして杖を取り出した。


「俺の傷? エルフの回復魔法の使い手も匙を投げたのに?」


「ああそれは、貴方のお母さんが、エルフの前では決して治らないよう、強い魔法をかけたからね。きっと産後に魔力を使い過ぎて、無理をしすぎたのが死因じゃないかしら。エルロンドから逃げられなかったと云うことは、何かしら理由があって転移魔法を使えなかったのだろうし、心身が弱っていた可能性も考えられる。だからあの国で、ハイエルフだとバレない為に、苦渋の決断でこうしたのよ……」


「ハイ……エルフ……?」


「エルフが最も憎み、畏れ、そして焦がれる種族よ。ここにいる彼等がそう。そして私はハイエルフ一の魔法の使い手だった人の弟子。治療は任せて!」

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