80. 生誕祭の準備
気温が上がりはじめ、ゆっくり日が長くなってくると、リーン王国は七月下旬の国王の生誕祭に向けて忙しくなってくる。
忙しいのは王宮や王都だけでなく、各貴族達は王様への贈り物を準備したり、さらに地方の貴族等は何日もかけて王都へ向かい、生誕祭の間の宿の手配などの準備にも忙しい。
シャロンは、今は王領になったオーブリー領から、ショウネシー領に服飾職人を引き抜いてきた。
オーブリーの領貴族だった家門は、ベンソンの悪事にどれだけ関与したか調べあげられ、場合によっては爵位を返上させられる家門もあったらしい。
残った家門は王領の運営に関わるか、オーブリーを去って別の拝領貴族に元に付くかだったが、シャロンの実家のスタンレー伯爵家は元オーブリー領の範囲の、王領の運営を担うことになった。
実質上の領主と言えるが、王が新たな拝領貴族に領地を与える可能性もあるので、不安定な位置付けでもある。
マグダリーナのクラスメイトの家も、スタンレー伯爵家の下で新たな王領を支えることになったらしい。
そうやってオーブリーから得意先の貴族が去ったり、オーブリー家の失脚でオーブリー領の経済も下向きになった影響で、店をたたむことになった職人を、シャロンが連れて来たのだ。
と言っても、デザイナー兼服飾職人のヴァイオレット氏とその母親の二人だけの店だったが。
ヴァイオレット服飾店は貴族の衣服から平民の古着の繕いまでなんでもやって、ショウネシー領に馴染んでいった。
今ショウネシー領で一番忙しいのが、ギルギス国からアーベルが帰ってきて、サトウマンドラゴラの輸出業務関連の仕事に邁進しているハンフリーと、このヴァイオレット服飾店だ。
ヴァイオレット服飾店はさっそく王の生誕祭に向けて、ショウネシー家とアスティン家の大人達の盛装を仕立てている最中だからだ。
短期間でオーダーメイドは大変だろうと思うが、マグダリーナが服飾店の前を通ると、いつも大きなガラス面越しに、楽しそうに縫ったり刺繍したりしてるヴァイオレット氏の様子が見えた。
彼は魔法を使って縫っているらしく、複雑な模様の刺繍がみるみる出来上がっていくので、つい足を止めて見惚れてしまう。
ライアン達の図書館授業が終わった後、学園帰りのマグダリーナとヴェリタスは、そのまま学習室に集まり、生誕祭の間どうするかを話していた。
生誕祭は二日かけて行われ、この日から学園は夏休みに入る。
生誕祭の間王都では、色んな出店があったり、旅芸人達が芸を披露したりする。
そして二日目には、王宮で夜会が開催される。
リーン王国では夜会の参加は十五歳からなので、出席するのは大人達だけだ。
国王の生誕祭は、他国の要人等も参加するので重要度が高かった。
のらりくらりと社交を避けてるダーモットだけでなく、忙しいハンフリーも、男爵位を授って初の公式夜会なので、参加しないといけない。
「母上は男爵にエスコートお願いしてたぞ。伯爵はどうするんだ?」
「多分お父さまは、王都にいるドーラ伯母様にパートナーをお願いするつもりでいますよ……お母さまが亡くなってからは、いつもそうしているとケーレブから聞きました」
アンソニーがそう言った。
ドーラ伯母様はダーモットの姉で、歳の離れた……いや、お歳の召した伯爵と、金銭目当てに結婚した。
聞こえは悪いが、伯爵は拝名貴族としては珍しく、商売で成功し大きな富を築いた方らしく、そのノウハウを学びたくて結婚したらしい。
それでもお互い仲は悪くないらしく、ドーラはショウネシー家に援助をしても、弟のパートナーとして王宮の夜会に出ても文句を言われることもない。
ドーラとは、新しくショウネシー家の一員になったライアンとレベッカの紹介も兼ねて、夜会の前日に会食することになっていた。
レベッカとライアンは、オーブリーの関係者であった事を気にして、今年は祭りを楽しまず、神殿に祈りを捧げに行って、後は大人しく王都の館で勉強をすると言うので、マグダリーナとアンソニーもそうする事にした。生誕祭は毎年あるので、構わない。
ベンソンは捕まって尋問が終わるとすぐ処されたらしいが、レベッカとライアンの育ての父であり、ヴェリタスの実父のヘンリーは、オーブリー侯爵家代表として終身刑が決まった。
生誕祭後に罪人の塔に移送され、生涯過酷な鉱山での強制労働だ。
面会の機会は生誕祭の間しかないので、シャロンは子供達のために王宮に面会申請を提出していた。
なので、生誕祭一日目から子供達も皆んなで王都へ行く。
因みにヘンリーの弟でベンソンの命令がまま、宮廷魔法師団長という地位を利用されていたドミニクは、最終的に王にベンソンの計画を話したこともあり、父と兄より減刑されて、五年の労役を課せられただけで済んだそうだ。
だが、五年後の彼に帰る場所はない……
「そうだった」
ライアンは思い出して、ぽんと手を叩いた。
「ダーモット父様とシャロン夫人の体調はもう心配ないだろうって、イラナ先生が言ってたよ」
レベッカとアンソニーも同意して頷くのを見て、マグダリーナとヴェリタスは喜んだ。
「だから、明日から俺たちと一緒に、冒険者ギルドの研修を受けるって」
「「は?」」
マグダリーナとヴェリタスは思わず声を上げた。
「え? 意味わかんねー。伯爵はともかく母上も?」
「シャロン夫人の方が、やる気に満ちてましたわよ。必ず熊師匠も倒すって」
ヴェリタスがポカンと口を開けた。
「ヤベェ……母上の方が俺より強くなったらどうしよう」
頭を抱えるヴェリタスだが、問題はそこでいいんだっけ? とマグダリーナも首を傾げる。
貴婦人の鏡と言われる淑女が熊師匠と対峙してよいものなのだろうか。
ぐるぐると思考が目眩を起こし始めたマグダリーナを、レベッカが現実に引き戻す。
「リーナお姉様、王都の神殿の女神様に、助けていただいた御礼がしたいのですけど、お布施は私とライアンお兄様のお小遣いで足りるかしら? やっぱり金貨じゃないとダメかしら……?」
レベッカとライアンは、じっと領民カードに表示される所持金の数字を眺めていた。
二人とも畑を荒らす小さな魔獣を狩ったりして、領内では不便のないお小遣いを稼いでいたが、金貨分には届かない。
「バーナードに聞いた話だと、王都ではみんな女神像の周りの水盆に、硬貨を投げ入れてお祈りしてるみたい。何度も足を運ぶから銅貨にしてる人もいるし、ただお祈りだけする人もいるそうだから、無理のない金額で良いと思うわ」
「女神様は食べ物のお供えも喜ばれるから、焼き菓子など作って持っていったらどうですか?」
アンソニーは名案とばかりに言ったが、全員に微妙な顔で見られた。
「え……誰が作るんだ?」
「エステラお姉様がいらっしゃらないのに、受け取っていただけるかしら?」
アンソニーはキョトンとした。
「僕が淹れた紅茶は、普通に受け取っていただけましたよ? 次は焼き菓子を教わって挑戦しようと思ってます」
ライアンが慌てた。
「待った! トニーはダーモット父様の跡継ぎだよ? 次代の伯爵だよ? 料理は使用人のする事だってわかってる?」
アンソニーは元気よく首を縦に振った。
「料理、洗濯、針仕事、掃除……使用人の方々がしてくださる事は、どれも生きる事に必要な事です。何が起こっても大丈夫なように、僕はどれも一通りできるようになりたいです!」
正論過ぎてライアンとヴェリタスは、うっ、と、言葉に詰まった。
確かに長期の魔獣討伐などでは、身の回りの事は一通り出来た方がいい場合もある。
レベッカは少し考え込んだ。
「お菓子でしたら嗜好品ですし、令嬢の趣味の範囲内ですわよね……どうせなら自分が作った物を召し上がって頂きたいですわ。私もトニーと一緒にエステラお姉様に習います」
ヴェリタスは、はっとした。
「待った! そのお菓子作りは錬金術でか? だったらレベッカにはまだ早い」
「私も魔法の腕は上げてますわ。判断はエステラお姉様にしていただきましょう」
前世で短期間だったが一人暮らしをした時は、コンビニとスーパーの惣菜や弁当ですごし、米すら炊かなかったマグダリーナは、この時初めて貴族に生まれて良かったと、密かに思っていた。




