271. 朝の闖入者
目が覚めて、まず一番に寝室の戸棚にあるクッキー缶を開けてみると、中身は全て空になっていた。
まあ、それはいい。予想出来てたことだから。
しかしそのすぐ後「なぜか」寝台の横の水差しの水が、勝手にマグダリーナの顔にかかった。バシャっと勢いよく。寝台と戸棚はまあまあ距離が開いてるので、それはもう勢いよく。
「……っぷは」
鼻に水が入って、ツーンと痛む。マグダリーナの頭の上にいたタマもびしょ濡れで、プルプル震えて、水を弾き飛ばす。
秘書マゴー達が慌ててやってきて、水浸しのマグダリーナと寝室を綺麗にしてくれた。
「リーナ、どうしてタマ達、お部屋で濡れてるのー」
「私も知りたいわ……」
エアがふわふわと、お布団から出てきてマグダリーナの肩にとまった。
『妖精のせいだぴゅん。眠り妖精精霊にお菓子をあげたから、拗ねてるぴゅん』
(役に立たないいたずらしかしないくせに、なんて図々しいの……)
マグダリーナは妖精の厚かましさに呆れた。
しかし、バーナードやヴェリタスが妖精の実のおかげで、命が助かってるのもまた事実……無下に扱うと何しでかすか分からない面倒くささがあるので、内心溜め息を吐いた。
「わかったわ。妖精の分もお菓子を用意すれば良いのよね。ただし眠り妖精精霊にお菓子を用意する期間だけよ」
マグダリーナがそう言うと、羽の生えた青や水色の小さな光が現れ、マグダリーナの周りを円を描くように回ると消えていった。
「……今の……妖精……?」
「リーナ! 床に光る粉が落ちてるー」
タマに言われて足元を見ると、確かにキラキラと光る粉がマグダリーナの周囲に落ちている。秘書マゴー達がそれを見て、素早く収納瓶に集めていく。
「妖精の粉は、とても貴重な素材なのです!」
秘書マゴーがいい笑顔で言った。
「エステラに渡したら、喜ぶかしら?」
「そりゃあ、もう!」
エステラに贈り物ができるという、またとない機会を得て、マグダリーナは水をぶっかけてきた面倒くさい妖精達を許した。
ところが。
「おい、何が起こってる?」
背後から、知っている声が聞こえて、マグダリーナはまた溜め息を吐いた。
「……ルシン、ここは乙女の寝室で、私はまだ寝衣で着替えてもいないんだけど?」
「それがなんだ? そんな事よりなんで精霊と妖精との二重契約なんかしてるんだ」
おのれ、何故肝心なところをスルーする。
一瞬頭が沸騰しかけたが、思い止まる。彼がこんな風に現れるのは、大抵何かあった時だ。
「もしかして私、危険な状態だったりする?」
ルシンはふぅと息を吐いた。
「大した契約じゃないようだな。今のところ、寿命は削られてないし、身体にも異常は無さそうだ。運が良かったな」
「つまり、運が良くないと、今言った状態になってたってこと?」
ルシンは黙って頷いた。
おのれ、妖精共……。
ここは紹介された精霊より、押しかけ妖精の方をアウト判定すべきだろう。
「精霊は滅多に人と契約しないし、契約者に無茶はさせない。妖精の扱いは、くれぐれも気をつけろ」
「……わかったわ。心配してきてくれて、ありがとう」
ルシンは無表情に頷く。
口は悪いし意地悪で、何を考えてるかてんでわからない。
だけど、マグダリーナに何かある時は、真っ先に駆けつけてくれる。
流民の結界に閉じ込められた時もそうだった……神官としてシャロン伯母様に付き添っていたはずなのに、誰でもなく彼が助けに向かってくれた。
なんでだろう……。
マグダリーナは頬が熱くなるのを感じて、慌てて話題を変える。
「そ……そうだ、ルシンは精霊の祭壇の作り方って知ってる?」
「祭壇?」
ルシンの整った顔が、珍しく年相応の気の抜けた表情を作った。きょとんとマグダリーナを見る。
マグダリーナの心臓が、ぴょこんと跳ねた。
(い……今の可愛い顔は、反則じゃない?!)
マグダリーナはきゅっと目を瞑って俯いた。そして、中々ルシンの返事がないので、顔を上げて絶句した。
違う場所に居たからだ。
しかも真っ先に目に入ったのは、裸のニレルだ。
幸い全裸ではない。
夏だから、寝衣の上だけ脱いで寝ていたんだろう。寝台から上半身を起こして、驚いた顔でマグダリーナを見ている。その身体は、普段の柔らかい雰囲気とは裏腹に、長く冒険者をやっていたのを裏付けるように、しなやかな筋肉を纏っている。普段は見えない、しっかり割れている腹筋や綺麗に浮き彫りになっている腕の血管とかが目に入り、マグダリーナはさらにニレルが全身脱毛済みであることを思い出して、気まづさに頬が熱くなった。
咄嗟に何か言い訳をしなくては、と思ったが、おそらく魔法だろう、マグダリーナの声が出なかった。
ニレルはそっと人差し指を自身の薄く形の良い唇に当てると、視線を横に流した。
ニレルのすぐ横で、エステラがモモとゼラを抱えて、健やかな寝息をたてている。こちらはちゃんと真っ白な寝衣をきっちり着ていて、マグダリーナは安心した。起こさないでねということだろう。
その側でハラとヒラがスライムボディをふるふるゆらしたり伸ばしたりしている。
いつも後ろで束ねている美しい髪を広げて、真っ白の絹の寝衣で眠るエステラは、天使のように可憐で胸が締め付けられるほど愛くるしい。マグダリーナはすぐ、了解の意思を伝える為に頷いた。
ニレルが「向こうの部屋で話そう」と身振り手振りで伝えて来たので、ハラとヒラの案内で部屋をでる。
「……ルシン」
マグダリーナはジト目でルシンを見た。
「精霊に詳しい人のところに、連れてきてやっただけだ」
しれっとそう言うルシンを見て、マグダリーナはあとでセレンにもっと常識を身につけさせてほしいとお願いすることに決めた。
ニレルとエステラ達の寝所から出るとそこは、白い柱に囲まれた渡り廊下になっていた。床は不思議な光沢の白木で、さらりと足を柔らかく受け止めてくれる。裸足の足に心地よい。
どうやらショウネシー邸の隣にある家ではないようだ。あちらは渋い焼柱だったから。そして廊下の床も、ワゴンが使いやすいように固めの木だった。ということは。
「ここはもしかして、リィンの町なの?」
「そだよぉ。女神様から貰った拠点なのぉ。リーナとタマとルンは初めてだよねぇ、ようこそぉ」
ヒラがほにゃっと笑う。
女神様から貰った拠点ということは、あの女神の塔の横にある、どう見ても宮殿なあそこね……。
「ニレルはいつもエステラと同じ寝台で寝てるのー?」
マグダリーナの頭の上で、タマが興味深々に聞いた。
「そだよぉ。ヒラ達も皆んなで一緒に寝てるよぉ」
ええと、従魔の皆んなが一緒なら、ギリセーフとしておこう。
……いや、やっぱりアウトじゃない?
ここの社会常識的に、未婚女性の隣で半裸で寝ているのはあり得なくない? 全身脱毛してれば許されるなんてことは無いはず。
「不埒な事を考えてるな」
ルシンがジト目でマグダリーナとタマを見た。
「違うわ。不埒かどうかを考えてたのよ」
「わかるぅ。タマも人の常識学習してるもんー」
「リーナ、不埒なのぉ?」
ヒラが汚れのない瞳で、マグダリーナを見た。
「……ううっ、そんな目で見ないで。こんなこと考えてる自分がやっぱり不埒なのかと思っちゃう」
「何考えてたなの?」
ハラもワクワクして聞いてくる。
「どうしてニレルはあんな半裸で、堂々とエステラと一緒に寝てたのか……よ」
「リーナの云う通りなの。寝る前はきちんと上も着てたなの。ニレルはエステラを油断させる悪い男なの」
――なんと!
「プラとササミがぁ、寝台から落っこちて床で寝てるのに気づいたからぁ、シャツを掛けてあげたんだよぉ。半裸はぁニィの優しさだよぉ」
ヒラがその汚れなき瞳をきゅるんとさせて、真実を教えてくれる。
「そうか。マグダリーナが不埒だったんだな」
「半裸は優しさなの」
「半裸は優しさー」
おのれルシン。そこで話を締めるな。あとハラとタマはその単語を繰り返さないで。
「昨日は遅くまでボス部屋にいたなの。きっとエステラは十時くらいまで寝てるなの」
マグダリーナ達が近づくと、別棟への扉がとても静かに自動で開いた。話題が変わって、ほっとする。
「何階のボス部屋だったの?」
「七十階なの。ボス五体の合計レベルが七百だったから、皆んなで総力戦だったの」
「……それは……皆んな怪我はなかった?」
レベルの桁が違う……そんな魔物と戦えるエステラでも、マグダリーナや誰かが人質に取られたら、手も足も出せなくなってしまうのだ……。
マグダリーナは夢でみたことを思い出して、身震いした。
「お薬いっぱい持って行ったしぃ、ヒラもタラも回復魔法は得意だからぁ、大丈夫だったよぉ」
案内された部屋に通されると、既にニレルが待っていた。半裸の優しさは捨て、ちゃんと隙なく身嗜みを整えて。
「座って。明け方はまだ涼しい、温かいお茶で良いかな」
「ありがとう」
マグダリーナは先程の不埒に心の中で謝罪しつつ、ルシンと並んでソファに腰掛けた。
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