240. 夏のはじめの心配ごと
王の生誕祭も無事に終わり、マグダリーナにとって三回目の、そしてアンソニーにとっては初めての夏休みに入る。
ヴェリタスが参加した夏の魔獣討伐戦はつづがなく終わり、その様子はもちろんマゴマゴ放送で配信されていた。初参加のバーナード第二王子が、無事にエリック王太子と一緒に魔物を討伐している様子もだ。
今年の夏は平和だわと、マグダリーナはアイスクリームを浮かべたティーソーダを飲みほす。邸内の広間の一室を、居間のような感覚で使い、子供達で寛いでいたところだ。
贅沢である。
なにせショウネシー邸も領主館も立派な豪邸だ。日本の住宅よりも一室が広く、天井も高い。
「パイパーさん、顔色が悪いみたいだけど、体調が良くないなら……」
「いいえ、大丈夫です。ライアン様」
同じく広間で、アンソニーと一緒に勉強していたライアンが、心配そうな顔をしてパイパーを見た。それに気づいたレベッカは、ナードと刺繍をしていた手を止める。
パイパーは双子のメイドと一緒に、行動をしていた。今も、三人一緒に広間に控えてくれている。
「パイパーさんは、エステラ様のアレを見たので、びっくりしていらっしゃるのですわ」
メルシャがマグダリーナのグラスを下げ、新しいグラスを用意しながら答えた。
「アレって?」
首を傾げるマグダリーナのグラスに、マーシャが冷たい果実水を注いでくれる。
メルシャは、ハッとした。
「あ、そうですわ。アンソニー様以外はご存知ないのでしたわ……エステラ様は度々、まだ入居者のいない住宅街を作り直していらっしゃるのです。なんでも、お茶を飲む片手間に、瞬で軽々と魔法を発動させられる事が合格基準らしくて……この領地を造られてからずっと、まだ人が入居していない所で、消しては造り消しては造りを繰り返していらっしゃったのです」
「え? なに? その山より高い合格基準」
マグダリーナは呆気に取られた。モモ・シャリオ号も、謎機能満載なのに頼んですぐ出来上がったのは、基本パーツの作り置き以外にも、そういった普段の努力の賜物だったのだ……
パイパーも溜息をついた。
「エステラ様が軽く手を振っただけで、住宅街が消え、そしてまた手を振ると現れたのです……あまりにも現実感がなさすぎて、思い出しただけで、頭がふわふわしてしまいます」
「それは、びっくりしたわよね……」
マグダリーナ達はエステラの魔法にもう慣れっこだが、パイパーはそれが初めてだったらしい。
「あの……パイパーさん……、こんな時に何ですけど、お伺いしてもいいかしら……」
レベッカが、少し伏せ目がちに、パイパーに問いかけた。
「はい、何でしょう? レベッカ様」
パイパーのレベッカへ向ける視線は、実の娘へ向けるように、優しい。
「私は本当のお母様のことも、恐ろしいというお父様のことも、全く知らないわ……でも、操られていたとはいえ、お母様を殺してしまったパイパーさんは、どうしてライアン兄様と一緒に、私を可愛がってくださったの? 私だったら、そんな子供、恐ろしくて……見るもの辛いわ、きっと」
パイパーはわずかに泣きそうに顔を歪め、そして息を吐いて己の両の手を握りしめた。
「おっしゃる通りですわ。普通の人間の心であれば、きっと耐えられなかったでしょう……私の心はそれほど美しくなかっただけです。あのような異常な状況で、偽りであっても、それに縋りたいほど私は幸せでした。ライアン様とレベッカ様の側にいられることが。そしてヘンリー・オーブリーの庇護下にいることが……」
「レベッカ様、ライアン様」
一緒に控えていたマゴー3号が二人を見た。俯いたパイパーの代わりに。
「パイパーさんはエデン様と共に王にお目どおりした際に、訴えたのです。どうか、ヘンリー・オーブリーを釈放し、代わりに自分に刑を与えてほしいと。ですが、それは叶えられませんでした。パイパーさんの罪と、オーブリー家の罪はまた別もの……裏に誰の意図があっても、王家への叛意はベンソン・オーブリーの紛れもない意志であり、家門の当主であったヘンリー・オーブリーはその責任をとる必要があると」
「……厳しい処置だわ」
レベッカの代わりに、マグダリーナは呟いた。
「それだけ国家に叛逆することは、罪が重いそうです。そして、貴族の責任も。パイパーさんと一緒に捉えられた男は、既に処分されました。パイパーさんも本来なら、一生涯牢で過ごすところを、内部事情を余さず提供し、リーン王国の臣民となることで、減刑されたのです。パイパーさんがもしこの国を裏切るようなことをすれば、旦那様がその手で処断なさることを条件に」
「ダーモットお父様が……!?」
レベッカは口元を手で覆って、目を見開いた。
「もちろん、私はダーモット様にその様なことをさせないよう、誠心誠意尽くさせていただきます」
パイパーはそう言って、頷いた。
「我々マゴーも、そうならないようにお見守り致します!」
マゴー3号も頷く。
「きっとよ、絶対よ。もう、私達の側を離れてはダメなのですわ……」
レベッカは椅子から降りると、跪くパイパーに折り重なるようにして、抱きしめた。
◇◇◇
「そういえば、俺たちが拐われた時、リーナを狙ってやって来た、デナード商業国の闇ギルドの男が、パイパーさんを探していたんだ。心当たりはある?」
あの時の状況を思い出して、ライアンも確認する。
パイパーは少し考え込んだ。
「デナード商業国は教国との取引も盛んで、何度が彼の国で興行を行ったことがあります。そういえば、毎回大金を支払って、邸宅で踊りを披露するよう呼んでくださる方が居ました。その度に、専属契約をしないかと勧誘され、断っておりましたが……思いつくのは、そのくらいです……」
「それって、黒髪に黒い手袋の、灰色の目の男性?」
パイパーは頷いた。
「私が初めて会った十代の頃から、容姿が変わらないので、エルフの長寿を受け継いだハーフだと思われます。オリガとも面識があったようなので、闇ギルドの関係者だったのかも知れません……」
「なんでそんな男が、パイパーさんを……」
「単純にパイパーさんの技芸に、惹かれていたのではないかしら?」
マーシャが新しい飲み物の準備をしながら、呟いた。
「皆さまがいらっしゃらない時に、旦那様がチャーちゃんの記録映像を確認されていましたの。私達も側に控えておりましたが、パイパーさんの踊りは、素人目から見てもため息が出る美しさでしたもの」
確かに。あの中央街で踊りを披露していた時、どの踊り子達より、パイパーの踊りは抜きん出て素晴らしかった。
「そういう理由なら、特別注意しておかないといけないこととかはない、のかな……」
不安そうにするライアンに、パイパーは頷いた。
「その方とは、踊りの依頼以外に関わったことはございませんので、ご心配されるようなことはありませんよ」
ずっと黙っていたアンソニーが、ふと首を傾げた。
「パイパーさんは、教国で諜報の手解きを受けていたのですよね? 踊りを覚えたのもその一環なんですか?」
「ええ、オリガに『使われる』ことが決まってから、教わりました。流民達に混ざるのが、一番移動に効率が良かったですし。それにその……踊っている間は、オリガに操られることもなく、唯の自分でいられましたので……」
「大切な時間だったのですね……僕も今度は、ちゃんと踊りを拝見したいです。いつかまた、踊りを見せて下さいね」
アンソニーの言葉に、皆同意して頷いた。
「ええ、必ず……」
パイパーは、静かに微笑んだ。
それから、アンソニーは意を決して、いつもより静かに問いかけた。
「あの、パイパーさん……」
「はい、なんでしょう? アンソニー様」
「パイパーさんは、僕とリーナお姉さまのお母さまと、親しかったのでしょうか?」
パイパーは少し思い出すような素振りをすると、首を横に振った。
「共通の組織の関係者ではありましたし、お互いの情報は保持しておりましたが、深く関わるのは避けておりました。その……私はシャロン様の配偶者となられる方の愛人をしておりましたので……」
「そういうものなのですか……」
まだ男女のいざこざがよくわからないアンソニーは、静かに受け止めた。そして、少し視線を落として聞いた。
「僕たちのお母さまも、オリガという方のように、悪いことをなさっていたのでしょうか……」
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