21. エステラの父親(反則技)
「とりあえず生活に必要なものから用意したけど、いずれ領民が増えたら多少娯楽も欲しいわよね……」
エステラは広場の一角の席に着き、ぽつりと呟く。
「そうだね、大事だと思うよ。娯楽は。すっごくね……」
背後から耳元で囁かれ、エステラは飛び上がった。ヒラとハラが警戒体制に入ったが、先にササミ(メス)が男に飛びかかる。
キュコッケェェェェッ
「おやおや、酷いじゃないか。俺はただ話しかけただけだろう?」
飛びかかったササミを片手で掴んで、男はエステラの前にササミを投げ返す。ササミは回転しながら、すちゃっと着地した。
「びっくりしたわ。ハイエルフの中にもあなたみたいな、おちゃめな人がいるのね」
「おちゃめ……?」
エデンは目を丸くしてエステラを見た。
「くはっ、んはは、キミは思ってたより素敵な子だね」
「そう? ありがとう。座ったら?」
「では、遠慮なく」
エデンはエステラの隣に座って、じっと彼女を見つめた。
エステラは魔法収納からティーセットを取り出すと、流れるような手つきでお茶を淹れた。
「どうぞ」
「アリガトウ。ここはイイところだね。道も建物も、美しい奇跡の魔法でできていて、噴水ってやつもキレイだし、風は心地よく、水も空気も美味い。妖精と共に精霊も心地良さそうだ。キミもとても素敵で俺はとても満足した」
優雅にお茶を飲む男を、エステラはじっと見つめた。好奇心が隠しきれない瞳で。
「あなたがエデン?」
「俺を知ってる? じゃあ、俺の目的もわかっているんだろう?」
「それはお断りするわ」
「断れないさ、キミは」
「何故?」
「俺が黒の神官だからさ」
にっこり笑って、エステラもお茶を一口飲んだ。
「もしあなたが、ウシュ帝国滅亡時と同じ事をしたなら、今度は私とニレルがエルフェーラと同じことをするの」
エデンは目を見張る。
「とんでもない娘だな! 俺を脅迫するのか!」
「仕方ないじゃない。それしか出来ないんだもの」
「なんでだ! ただお前は俺に女神の名を教えるだけだ。たったそれだけが出来ないわけないだろう!」
エステラは手の中のお茶の香りを、深く吸い込んだ。お師匠が好きだった茶葉だ。彼をもてなすのに、一番ふさわしいはず。
「お師匠がね、最後にあなたの名前を呼んだのよ」
「……は?」
「必ず自分の後を追うから、絶対女神の名を教えるなって」
エデンは俯いた。
「好かれてたのね、あなた」
「は――――?」
「私が産まれた時には、お師匠は既に随分とおばあちゃんだったから、最後に男の人のこと言い残されるなんて思ってもいなかったわ。ハラもニレルも何も云わなかったし……だから今は無理だけど、私が死んだら、この額の精石と一緒にあげる、女神の名前。私の葬送は任せたわ」
エデンはくしゃくしゃと己の髪を掻き乱す。
「俺がいまここで、キミの精石と命を奪ったら?」
「んー、多分精石は粉々になる。私はハイエルフじゃないし、お師匠から譲り受けたばかりだし……結果、女神の名前はあげられないわね」
エデンの長い指が、サラリと優しくエステラの前髪を上げる。彼の真紅の瞳は、その額にある、薄紅に煌めく石を切なく見つめていた。
「一度も……振り向いてくれなかったのに……」
「そういう男女の機微は全くわからないけど、とりあえず好かれてたわよ。じゃなきゃわざわざあなたから女神の名を奪ったりしないと思うのだけど?」
「嫌がらせじゃなかったのか?」
「嫌がらせされるようなこと、してたの?」
エデンはエステラのお師匠ディオンヌと同じ、ウシュ帝国時代から生きて来た、始まりのハイエルフの一人だ。
本来なら創世の女神の名は知っているはずなのに、ある時ディオンヌが彼に魔法をかけてそれを奪った。
そのせいで、ディオンヌは本来不老であり、不死に近い命であったはずなのに、老いて寿命を迎えてしまった。
その理由は聞かなくても、わかる。
ハイエルフは女神の名を……女神の奇跡を使って、自らの肉体を手放し精霊となって世界の礎になる事が出来るからだ。
エステラの師であるディオンヌは、ウシュ帝国滅亡時に多くの同胞が世界の破滅を防ぐために精霊化したのを見てきた。
今の時代に女神として伝えられる、ディオンヌの姉でニレルの母である、エルフェーラその人が精霊化するところもだ。
永い時を強く生きて来たディオンヌは、同胞が精霊化することを嫌った。
「ディオンヌの最後の顔は美しかったかい?」
「ええ、とても」
「そっか……」
ポタポタとテーブルの上に涙の雫が落ちる。
エステラはなんでもないように、聞く。
「どうしたらいい? 放っておいて欲しい?」
「肉体は地に心は風に魂は女神の庭に、だったな……」
「ええ」
「彼女の心は、たまに俺のとこにも来てくれるかい?」
「きっとね。でもお師匠だから気づかれるようなヘマは絶対しないわね」
しばしの沈黙の後。
「とりあえず、俺と一緒に役所に行って」
エデンは涙を拭わず言った。
「冒険者ギルドねぇ。それ俺に関係ある? 神官なんだけど俺」
気を取り直したエデンは、エステラと役所に来た。
ついでに領内で運営する冒険者ギルドで働かないか聞いてみたが、いまひとつ乗り気ではないようだ。
彼はマゴーをすっかり気に入って、抱き上げようとしたので、慌ててエステラが止める。
「他の領民が真似したら、業務に支障をきたすので、やめて」
「くはっ、この子達がその気になったら、造物主のキミしか触ることなんてできないだろう? ああ、そういえばまだキミの名を聞いてなかった」
「エステラよ?」
「エステラ《星》か! いかにもディオンヌ《月》の娘らしくて、益々イイ!」
「私、母親はちゃんといたわよ。お師匠はお師匠」
「キミはそうでも、ディオンヌはキミを娘のように思ってたはずだ」
娘というより、孫じゃないかなーとエステラは思ったが、口には出さなかった。
「さて俺はこれからここの領民になるんだ。マゴーくん、手続きよろしく頼むよ」
エデンは魔導具に手を翳し、生年月日を告げる。
「名はエデン、娘が一人。娘の名はエステラだ」
「はあ?!」
エステラが声を上げた時、マゴーがエステラとエデンに鑑定魔法をかける。
「親子関係を認めました。エステラ様の領民カードも更新しますので、お貸し下さい」
「ええ????! なんで???」
驚くエステラにマゴーは
「鑑定の結果、エステラ様がディオンヌ様より受け継いだ精石に、エデン様の魔力が混ざっているのを確認しました。それにより、肉体的にはスーリヤ様と未登録の男性の子となりますが、魔力係累的にはディオンヌ様とエデン様の子と認められます。なおこの精石の詳細鑑定は精石の元の持ち主であったディオンヌ様の死後三年経つと不可能となります」
「はぁぁ?! なんでお師匠の精石にあなたの魔力が混ざってるの?」
エステラは目を吊り上げて、エデンを問い詰めた。
精石はハイエルフが生まれた時から額に持っている強力な魔力器官で、とても私的なものでもある。例えば家族や伴侶等ごく親しい相手にしか触らせないような。
エステラはまだ母の胎内にいる時にから、ディオンヌの精石の魔力を与えられ続け、ディオンヌが亡くなる直前、その精石を額に受け継いでいた。
「くはは、それはもちろんこうやって」
エデンはエステラを抱き上げると、その額に自らの額をこつんとつける。お互いの精石が触れ合った。
「会う度に俺の愛を注いでたからだよ」
「これお師匠の合意はなかったよね?」
「何故か毎回攻撃魔法を放たれたね」
んははははーと笑うエデン。
エステラはカウンターに突っ伏し自らの領民カードをマゴーに渡した。ハラとヒラがそっとエステラの頭を撫でる。
「エデン様の住所はエステラ様と同じでよろしいでしょうか?」
「ダメダメ、ニレルが怒る。とりあえず今は住所未登録で」
慌てるエステラに、エデンは口を尖らせる。
「ひどくない? 俺今日からどこで寝るの?」
「エデン様は昨夜道路で寝ているのを、記録されています」
役所のマゴーは、魔法の映像表示装置を出し、警備担当のマゴーが昨夜記録していた映像を流す。
エステラは冷たい視線でエデンを見た。
治療院には住居スペースもある。イラナはそこで生活する事にし、開院の準備が整ったらアッシが領民に知らせるよう手筈を整えた。
回復薬はマゴーも作ってくれてるし、今年の冬はなんとか乗り切れそうだと、マグダリーナとハンフリーは一息ついた。
意外だったのは、イラナが治療院や住居の設備に大いに感動していた事だ。
ハイエルフには普通かと思っていたけど、そうではなかったらしい。
というか、そもそもこんな魔導具を作るという発想がなかったそうだ。マグダリーナの腕輪も確認して、素晴らしいを連呼していた。
因みにイラナの見立てでも、ニレルと同じで魔導具で魔力を使うのが最適とのことだった。まだ使いこなせてない機能や魔法もあるので、練習していこうと思う。
マグダリーナが領主館の執務室に入ると、ハンフリーの他にニレルが酸っぱいものでも食べたような顔をして、アッシから送られてきた書類を見ていた。
そんな顔をしていても、彼は顔が良い。
しかもエステラから通信が入っているようだ。
映像も受信するらしく、アッシの上に展開された画面には、役所のカウンターにエステラと、とてもとてもハンサムな黒髪の大人の男性が一緒にいるところが映っている。
『という訳で、彼の住所どうしたらいい?』
『んはははーっ、どうしたもこうしたも、親子は一緒に住むのが普通だよな! 俺は保護者だもーん』
「エステラの保護者は僕だ」
『くっは! 悔しかったら婚姻届出して見ろ! 君も俺の息子になる。んはははっ』
『煽らないでよ、ニレルと仲良くしたいんでしょ』
『えー、なんでそう思うー?』
『ニレルはお師匠の家族だもん』
『……』
図星を指されたのか、男が黙った隙に、マグダリーナはすすすとハンフリーに近づいた。
「何があったの?」
「血は繋がってないが、あの男性が魔法使いの事情的にエステラ嬢の父親になると判明したらしい。詳しく聞こうと思わないでくれ。私もわからない」
とりあえずエデンはニレルとエステラの家に一緒に住むことに落ち着いたようだ。
ニレルが大きなため息をついた。
ハンフリーはアッシから渡された書類を確認する。
「ふむ、今日増えた領民は二人。二人とも……ハイ? ハイエルフ? エルフじゃないのか? なんだこの年齢……四千……??」
ハンフリーはハイエルフのことを知らないらしい。
そういえばニレルがハイエルフだということは、マグダリーナもアンソニーも、ダーモットには話してなかった。
「間違いじゃないのか?」
エデンの年齢を確認して、ハンフリーは眉間に皺を寄せる。
「間違いじゃないよ。現存してるハイエルフの中で、エデンは最長老だ。あんななのに」
ハンフリーは真顔でニレルを見た。
「勉強不足ですまない。ハイエルフとは何なのか教えてほしい。君もそうなんだろう? ニレル」
「うん、僕はわざわざ隠すことでもないと思うからね、聞かれたら答えるよ。でも面倒だから、全員集まってからにしないかい?」
ショウネシー子爵家のサロンに、一家とその従者達、そしてエステラとニレル、今日領民になったイラナとエデンが集まった。
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