163. 真珠袋
マグダリーナ達がアスティン侯爵家に着いた時には、既にイラナはシャロンの診察を終えていた。だが、その表情は暗い。というか、今にも泣きそうだった。
ヴェリタスもマグダリーナも、その様子に息を呑む。
ヴェリタスは、イラナの服に縋って聞いた。
「母上は……まさか……なあ、母上は……」
イラナはハッとして、ヴェリタスを見ると、パシリと自分の両頬を叩いた。
「すみません、私がしっかりしないといけないのに……原因がわかりません……私の見立てでは、身体に異常はないのに、魔力量がどんどん少なくなっていくのです」
「そんな……」
不意にシャロンの寝室から、大きな物音が聞こえ、しばらくしてニレルが気絶したシャロンの侍女を抱えて出てきた。
「彼女をどこかで寝かせてあげたい。あと原因がわかった。今エステラが一時的な対応をしてる」
ヴェリタスは他の使用人に声をかけて、シャロンの侍女を彼女のベッドに寝かせるよう指示する。ニレルも使用人達に声をかけて、侍女に飲ませてやるようにと魔力回復のポーションを渡した。
「ニレル、シャロン伯母様が倒れた原因は何なの?」
マグダリーナが尋ねると、ニレルは微かに息を吐いた。
「……お腹の子が、ハイエルフだった」
「それは本当か!?」
エデンだ。ルシンと一緒に転移で現れた。
ヴェリタスは何一つ聞き漏らさない真剣さで、ニレルを見つめて、聞いた。
「母上のお腹の子がハイエルフだと、何が問題なんだ?」
「前例が無い。ハイエルフと人族は身体の造りからして違う。母体にも子にもかなり負担がかかるだろう。今まさに子の肉体を造る為に、母体から精素を大量に吸い取ってるだけでなく、シャロンに触れた侍女の魔力、そしてエステラの魔力を吸い取ってる」
「エステラがしてる一時的な対応って、それか! だったら俺が代わる!」
ニレルは首を横に振る。
「男性の魔力は、受け付けないみたいなんだ……だからヴェリタスは、安心してシャロンのそばにいていい」
ヴェリタスは力強く頷いて、自分の魔法収納の魔力回復ポーションの量を確認すると、イラナの腕を取った。
「俺だってエステラに魔力回復ポーションを渡すくらいはできるし、イラナも母上やエステラに回復魔法をかけるくらい出来るだろう?」
「……!!」
ヴェリタスとイラナは、揃ってシャロンの寝室へ入っていく。
入れ違いにヒラとハラ、エステラの二匹のスライムがぽよぽよと出てきた。
「ちょっと秘密のお使い行って来るの」
「行ってくるねぇ」
律儀にニレルにそう言うので、これは聞かなきゃいけないのだなと思って、マグダリーナはスライム茶番に付き合う事にした。
「お使いって何しに行くの?」
「あのねぇ、ゼラがぁセレに聞いてきたのぉ」
セレはセレンのことだろう。
「セレンさんに何を聞いたんですの?」
レベッカもナードを抱えながら、しゃがんで聞いた。
「エヴァが妊娠中の時の様子なの。エヴァは毎回、母子共に健康でいられる魔法のポーションだって云って、真珠を果実酢に溶かして、蜂蜜水を混ぜて飲んでたらしいの。そやって、身体の中の赤ちゃんを安全に包んで尚且つ母体も守る、真珠袋みたいなのを作るの」
「真珠袋ってなに?」
マグダリーナはニレルを見た。
「貝の体内に偶然できるものだよ。その中でしか、真珠は育たない。外側にある貝殻を作る臓器の破片が、砂なんかで傷ついたりして、体内に入ると真珠袋になるんだ」
ヒラがぷりんと魅惑のスライムボディを揺らした。イケスラパウダーが弾ける。
「タラのぉ髪飾りの真珠使って、試しにポーション作ったのぉ、ヒラがぁ。そしたら、シャンの容態が安定したのでぇ。でももっと必要だから、採りにいくのぉ」
髪飾りの真珠と聞いて、ハッとする。
以前エリック王子から、マグダリーナとエステラに贈られたお揃いの髪飾りには、小さな小さな真珠が付いていた。
マグダリーナは魔法収納から髪飾りを取り出した。
「必要ならこれも使ってちょうだい」
「リーナありがとうぉ」
「いきなり強い薬は危険だから、まず小つぶ真珠で身体をならすの」
ハラが髪飾りを恭しく受け取る。
すっごくすっごくお気に入りだったから、惜しさはあるが、シャロンに代えられるものではない。
ハラはすぐにポーションを作り始めた。
「大丈夫だよぉ、あとでもっといい真珠付けて返すねぇ」
ヒラがマグダリーナに手を振る。
「秘密のお使いって、リーナお姉様から真珠をもらうことでしたの?」
その時、ライアンが「あっ」と叫んで、窓を開いた。
遠くに桜色の竜……本来の桃色星竜の姿となったモモが、エステラとヴェリタスを乗せて飛んでいく。
「転移できないほど魔力を消耗してるのに……」
ニレルが心配と苛立ちの混ざった声音で、呟いた。
「真珠を獲るなら、デナード商業国か! あそこは特に密漁者に厳しいんだ。見つかると戦闘待ったなしだ」
ニレルが転移しようとするのを、ヒラとハラが二匹がかりで魔法を相殺した。
「ハラ! ヒラ!」
ニレルの非難の視線を、二匹はぷるるんボディで弾き飛ばす。
どうやらスライム二匹の秘密のお使いは、ニレルの足止めのようだった。
エデンはニレルを宥めた。
「落ち着け、もうデナードの湖じゃ真珠は取れんらしい。これから真珠と真珠貝の価格がどれだけ高騰するかわからんとドーラがぼやいてたな」
この世界の真珠は、海が忌避されているので、湖や河川で採れる淡水貝の真珠だけだった。
食用や貝殻を装飾用に使うために採取した貝に、低確率で入っているのが真珠だ。
デナード商業国は大陸一大きな湖を占有し、真珠の産出の殆どがデナード商業国だった。しかし長年の乱獲で、今は真珠貝が殆ど獲れないと、大きな商団内では情報が出回っている。
「それじゃあ、どこに……、!!」
何かに気付いたニレルは、ヒラとハラを見た。
「海、か! 塩と鰹節はエステラが直接海に入って獲ってるわけじゃないから許したが、海に出て遊ばないと約束させたのに……」
塩は海辺で錬金術で取り出しているし、鰹節の材料のカツウォンなどの魚類は、魔魚寄せの魔導具を使って、浜に打ち上がったものをスラゴー達が捕獲している。
いたずらが見つかった子供のように、ヒラとハラはお互いの身体をくっつけあって、ぷるぷる揺れていた。
「エステラは、海は危険だからニレルが心配してるのはわかってたの」
「だからぁ、危険をなくしたらぁ、約束破ったことにはならないかなぁって」
「なのでショウネシーの海は、掌握済みだから安心なの」
「ざぶーんってなってぇ、とっても楽しいよぉ」
「あと遊びじゃなくて、研究なの。約束破ってないの」
ニレルはがくりと床に手をついた。
「何を云ってるのかわかりたくないけど、既に手遅れだったのはわかったよ」
「ご理解いただけてぇ、よかったのぉ」
ヒラとハラは、ぽよぽよ弾んで喜んだ。




