162. 失恋宣言
ヴァイオレット服飾店を出て、アーケード広場へ向かう。真っ先に、ぼーっと座っているルシンが目に入った。
「ルシン」
マグダリーナが声をかけると、ルシンは顔をこちらに向けて、何も言わずにそのまま固定した。こわい。
「今日はりんごの炭酸水ですって、ルシンお兄様もお飲みになります?」
屋台の飲み物を確認してレベッカがそう聞くと、ルシンは黙って頷いた。
りんごの炭酸水の代金を払うのはライアンだ。この夏、ヴェリタスと火蛇を数体狩って懐に余裕があるらしいし、兄らしいことをしたいとも思っているみたいなので、ありがたく奢られることにしている。
マグダリーナにとってライアンは、「家族になった男の子」で「兄」とは感覚がちょっと違う気がしていた。一応兄さんとは呼んでいるが。
レベッカのことは、もう本当の妹のように思ってるのだから、前世の記憶が未成年を「兄」と思う事に抵抗感を感じさせているのかも知れない。
どちらかといえば、ハンフリーの方が「兄」と思うに抵抗はなかった。
ライアンは人数分のりんごの炭酸水をテーブルに置いていく。綺麗な所作だ。
「エステラと離れて暮らしてるから、元気ないの?」
ライアンも心配してルシンを見た。
「……わからない」
ルシンはポツリと呟いた。
「あの男、毎日俺に愛してると言って抱きつくんだ」
なるほど。親という存在を知らなかったルシンは、セレンの過剰な愛情表現に戸惑っているんだろう。
「それにドミニクのやつ、何度注意しても素っ裸で寝るんだ」
あろうことかレベッカが、口の端から飲み物を溢してワナワナ震えている。
いけない。
ライアンはそっとレベッカの口元をハンカチで拭い、マグダリーナはととのえるの魔法をかけた。
「つ……つまりルシンは環境が変わって、疲れが溜まってしまったのよ」
慌ててマグダリーナはそう言った。可愛いレベッカの脳が、いつぞやの夜のドミニクの姿を再生させないように。
「それに、失恋だってしたんだし」
「失恋……ルシンお兄様が?」
よっし、恋バナに食いついたと、マグダリーナは心の中でガッツポーズを決める。
「ええそうよ、エステラのお母様のスーリヤさんが初恋だったのよ。でもほら、人妻だし? 初恋は実らないっていうのだもの、新たな出会いを願ってあげましょう?」
レベッカはじっとルシンを見た。
「スーリヤ様、来世はディオンヌ様と夫婦になるって言ってましたものね。ルシンお兄様も、初恋が叶わなかったのね……」
くっまぁ……
レベッカにくっついている更生妖精熊のナードも、同情の眼差しでルシンを見た。
ルシンは無表情でマグダリーナを見た。
「マグダリーナ。お前の初恋も必ず叶わないだろう。必ずだ。何がなんでも邪魔してやる」
「ちょっと、冗談よね?」
「なんだったら、初恋と云わずに、どの恋もだ。きっとダーモットさんは愛娘を手放さずにすんで大喜びするだろう」
「やめてよ、私トニーのお荷物になりたくないんだから」
マグダリーナは慌てた。その顔を見て、ルシンは満足気にふんと笑った。
揶揄われたのだ。
おのれ、おのれルシン、必ずやエステラに言いつけてやる。
大人気なくそう思った時、ヴェリタスがチャーの転移魔法で現れた。
「ルシン兄! 母上が……っ」
ルシンは頷いた。
「大丈夫だ。まだ間に合う。女神の云う通り、この夏は穢れにも触れずに大人しくしてたんだからな」
ルシンは杖を取り出し、長杖の形態にすると、コンと杖で床を付く。
ブワリと小精霊達が飛び出して、白い蝙蝠の姿になると、瞬く間に飛び立った。
「伝令を出した。じきにエステラ達も来る。俺はエデンを連れて来るから、お前もシャロンさんの側で待ってろ」
ルシンは早速、転移魔法で姿を消した。
「シャロン伯母様に何があったの?」
マグダリーナはヴェリタスに駆け寄った。
「母上が突然倒れて……俺とチャーで受け止めたから、お腹の子も大丈夫だと……」
ライアンとレベッカは飲み物を片付けてくれていた。
「ほら、行くぞ」
ライアンがポンと横からヴェリタスの肩を叩く。
「ルシン兄さんが大丈夫だって言ったんだから、なんとかなる。そうだろ」
ライアンの頭の上で、カーバンクルもぶっぶーと鳴いた。




