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149. ひとつ目の願いごと

 真夏の午後であるのに、一瞬で辺りが暗闇になり、ニレルとヒラの錬成空間の輝きだけが辛うじて辺りを視認出来る程度に照らしている。


 そのわずかな明かりの中で、マグダリーナは見た。


 エステラをつき飛ばしたエデンの身体を、黒い雨のような槍が幾つも貫くのを。


 マグダリーナは、レベッカに抱きしめられて、やっと自分が悲鳴を上げていることに気づいた。


「エデン……っ、タラ……!!」


 マグダリーナはレベッカと支え合いながら、エデンに近づいた。


「……っく」


 苦痛に耐えるエデンの声が聞こえた。


 大丈夫、まだ生きている……マグダリーナは今この環境で、どのくらい回復魔法が使えるだろうかと考えた。



「エデン、大丈夫?!」


 僅かな明かりの中、微かに青白いエデンの顔が見えた。靴底が水分に触れた感触がし、血のにおいが鼻についた。


「ンっは、俺のコトは気にするな。俺の……娘は……」


 血だらけで地に臥したエデンは、エステラを探して手を伸ばす。


 それを阻むように、ゴウと風が調薬場の周りに吹き荒れた。


 風に煽られ、エデンの血が飛び散る。それはエデンの近くに座りこんでいたエステラの頬を汚した。


 エステラも手を伸ばし、血で汚れたエデンの手を、一瞬ぎゅっと握ると立ち上がった。



「……目にもの見せてやる」


 ゆらりとエステラの身体を魔力の輝きが包む。エステラは本気で怒っているのだ。


 マグダリーナに寄り添っているレベッカが、強風に耐えながら叫んだ。


「どういうことですの? 誰かが上位精霊を操るなんて可能なんですの!?」


 ニレルが錬成空間を維持しながら、厳しい顔をした。今魔法を維持しているのは自分の魔力とエステラの杖の魔力でだけだった。

 そして、レベッカの疑問に答える。


「それより高位の存在ならば」

「……それって」


 レベッカの呟きの続きは、白金の輝きの魔力にかき消された。




――我が願いに、世界よ震えよ。震えながら理を超えよ。




 エステラが詠唱を始める。正に空気を振るわさんとする、よく通る声で。


 エステラの真珠光沢の、限りなく白に近い淡い半透明の金髪が、彼女から発せられる魔力でふわふわたなびいた。


「我ショウネシーの魔法使いが、我が師の最後の魔法、その一つ目を行使する。師ディオンヌよ、今が、その時!!」


 鋭く言い放つエステラを中心に、銀の輝きが当たりを満たす――――



「……っく、かはっ……」

 エデンの苦しげな喘ぎが聞こえた。



「四番目のハイエルフ、ディオンヌ。唯一の弟子の願いに応え、女神の庭より理を超え参らん」


 威厳のある、成熟した女性の声がした。


 マグダリーナがそちらに視線をやると、銀の霧の中に背の高い、淡き輝きを纏った凛とした老女が立っていた。


 ――――どう見てもラスボスの風格を纏って。


「お師匠!!」

 エステラの呼び声に、辺りを一瞥し、エステラの姿を確認したディオンヌは頷いた。


 片足でエデンの背中を踏み、さらにそこに刀の刃を突き立てながら――



 彼女は生前、幼くして残していく弟子の為に、その弟子と協力して最後の魔法……死後、女神の庭にいるディオンヌの魂を、ひととき人工精霊として顕現させることの出来る魔法『三つの願いごと』を造りあげた。


 人工精霊とは、肉体を持たない精霊に仮の肉体を与える魔法技術だ。

 マグダリーナのエアや神殿のエルフェーラのように。


 そして女神の庭とはハイエルフに伝わる、死後の魂の安らう場所であり、三つの願い事というからには、当然使用回数に制限がある。



「おまえのことだから、勿体がって出し惜しみすると思っていたが、ちゃんと必要な時を見計らって、適切に行使できたようだ。上出来だよ」


 ディオンヌは僅かに目を細めてエステラを見た。そこには確かに師弟の親愛があった。


 しかしディオンヌはその右手でエデンに突き立てた刀をぐりっと回転させる。

 エデンはくぐもった呻き声を上げた。


「エ……エデンが、死んでしまいます」


 マグダリーナはレベッカと強く手を握り合い、お互いの震えを宥めながら声を絞り出した。


 ディオンヌは魔獣以上に、存在そのものに畏れを感じさせたのだ。


 それはエステラやニレルから、亡くなったと聞かされていた人が目の前にいるという現象に対しての畏れとは違う、圧倒的な『力』に対する畏れだ。


「死にゃあしないよ、こいつは。世界が崩壊しない限り死ねない身体だ」


 そう言って、ディオンヌは腰を屈め、おそらく意識がないであろうエデンの顎に手を掛けて、その整った顔がエステラやマグダリーナ達によく見えるよう持ち上げる。


「よーく見ておくがいい、小娘ども。この男は、苦悶の表情が一番鑑賞に値する」


 繋いだ手から、レベッカの体温が一気に上昇したのを感じた。

 いけません。やめてくださいお婆様! うちの子に変な性癖の扉が開いてしまったらどうしてくれるんですか……!!


 そんな事を考えていた時、またもや空気が騒めくのを感じた。



 エデンを襲った黒い槍の雨が、今度は今いる拠点全域に降り注ぐ。


 だが、それらは全て、ディオンヌの強力な結界魔法に触れて弾け飛んだ。


「我が弟子よ、上位精霊からの妨害があった場合の対処方法を云ってごらん」

「水滴が大河の流れに逆らえないように、精霊はより大きいもの、強いものに従う……つまり力を見せて降伏させます」


 エステラの答えに、ディオンヌは満足して頷いた。


「おまえは精霊に好かれる子だったから、私の生前にこんな機会はなかった。これから行うことをしっかりと目に焼き付けておくんだよ」


 エステラは頷いた。


 ディオンヌが片手を空に掲げると、その手の先に強大な魔力の渦が現れる。そこに周囲からきらめく小精霊達が吸い込まれるように集まりだした。


 やがてすっかり辺りの闇が消えて、夏の午後の日差しに戻った。



「すごい……なにが起こったの?」


 マグダリーナはエステラに説明を求めた。


「お師匠が魔力を見せた事で、精霊達が従ってた存在より、お師匠の方が強いって理解して、お師匠側についたのよ。お師匠にしては大人しいやり方だけど、リーナ達も居るから、怖くないよう配慮してくれたのね、きっと」


 とてもありがたい配慮だった。


 ほっとして気を抜いたその時、ディオンヌの魔力が無数の銀の槍になって森の奥へと放たれた。


 エステラも気を抜いてしまっていたのか、驚いて声を上げた。


「お師匠!?」


 す、とディオンヌの目が座る。


「中身は逃げたな。相変わらず逃げ足だけは速いヤツだ。だがしばらく動けんくらいはお見舞いしてやったさ」


 ディオンヌは不敵に笑った。



「お師匠、誰が一体こんなこと」


 ディオンヌはエステラの問いには答えずに、呆れたように息をついた。


「時間は無いが、やるコトは多いもんだよ」


 そしてディオンヌは、そっとエステラの額の精石に触れて魔法を流し込む。


「これで『集合的情報記憶魔法』の使用可能領域範囲が増えたはずだよ 。あとさっきの魔法の伝授もしておいた。それからこれはそこで寝てる阿呆に伝えな」


 ディオンヌとエステラの間で信号のように光が瞬いて行き来する。


 『集合的情報記憶魔法』はエステラの前世……日本を含む、この世界から見た異世界の情報を知る為の魔法だが、同時にいまいる世界の情報も必要なら引き出す事が可能なことを、この時エステラは知った。


 それからディオンヌはエステラの頬をそっと撫でた。


「全く……ハイエルフにされちまうなんて……今のうちに説教しておくから、少しの間だけ、ニィと交代してやってくれるかい?」


 エステラは頷いて、ディオンヌに抱きついた。


「ありがとうお師匠、助けてくれて」


 そっとディオンヌはエステラの頭を撫でた。エステラは瞳いっぱいに涙を溜めてディオンヌから離れると、ニレルのところへ駆けて行く。


「ニィ、ヒラ、交代するわ」


 ヒラはさっそくディオンヌの所へ飛んで行った。


「おばぁちゃぁ〜ん!」


 ヒラは腕を伸ばしてディオンヌの首に巻きつくと、ぐりんぐりん回りだす。


 そんな事をされても微動だにしない老女に、マグダリーナはあの細い首は見た目よりかなり頑丈そうだと思った。


「相変わらず元気だねぇ」


 ニレルが近寄って来たので、ディオンヌはヒラを肩に乗せた。


「叔母上……」


 ニレルの顔を見て、ディオンヌはエステラにそうしたように、僅かに目を細めて笑む。



 次の瞬間、ニレルは吹き飛んだ。


 ディオンヌに殴られて。


 シュッとして脚の長い成人男性のイケてるボディが地面をバウンドしながらバーナードとヴェリタスタス達のいる所まで転がっていく。


 少年達は怯え、短い悲鳴をあげた。


 ヨナスが震え声で呟く。

「あの一瞬で防御魔法を砕いて、三発入れた……」


 ニレルが立ち上がった時には、回復と、ととのえるの魔法で何事もなかったような顔をしているが、ヨナスが言った様に、頬と腹、最後に足払いされ反対の頬に拳が入っていた。


「ひぃッ!!」


 転移ではない高速移動で、ディオンヌがニレルとの距離を瞬で詰めて来たので、近くにいたバーナードが悲鳴を上げた。


 チラリと一瞥されて、バーナードはヴェリタスの背後に隠れる。



 ディオンヌから繰り出される拳を、ニレルは掌で受け止め握りこんだ。


「叔母上、戯れはこのくらいにしてくれませんか」

「それはこっちの科白だよ。私の可愛い弟子をハイエルフにまでしておいて、上位精霊の統制が取れないなんて、なんて体たらくだい? ――お前はいつまで腑抜けてるんだ」


 ディオンヌは二レルの耳に顔を近づけて、ドスの効いた声で囁いた。


「お前の迷いの解決方法は、すでにエステラが示唆してるだろ。私が今ここにいることもそうだ」


 ディオンヌは拳を納めて、ニレルから離れる。


「どんなに拒んでも、その時は至る。何を選んでもお前の選択だが、何が起こるかわからないのもまた世界だよ。そしてどんな選択をしても後悔する時はするもんだ。……だけど、私やあの子の目には格好の良い姿を見せてくれよ」 

「……」


 そう言ってディオンヌはニレルに背を向けると、肩の上のヒラに触れながら、エステラの元へ向かう。


「そろそろ時間だ。ヒラ、ハラによろしく伝えておくれ」

「わかったよぉ」


 二レルも転移で移動して、エステラから錬成空間を引き継いだ。


 ディオンヌはヒラをエステラの頭に乗せると、その髪に咲き誇っている女神の闇花を一輪引き抜き、自らの髪に飾る。

「こいつは土産に貰っていくよ」


 ディオンヌの白銀の髪に、黒く神秘的で、華やかな女神の闇花はよく映えた。


「ではみなさん、ごきげんよう」


 ディオンヌは片手を胸に当て、片手で濃紫色のドレスの裾を持ち上げて一礼すると、銀の霧になって空に溶けた。


 その後は嘘のように順調にことが運び、夜が更ける前に第一王子はじめ、討伐隊に参加したもの全員を、無事助ける事ができたのだった。

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