4.失敗も……
「要するに、君は迷子なんだね?」
綺麗なブロンドの髪をポニーテールにした、勝気そうな顔立ちの少女が身をかがめてこちらに話しかけてくる。
あ、これは夢だ。
アレスはふわふわとした思考の中で、初めてミリアに出会った時のことを思い出していた。
5年前――……今よりも幼かったアレスは、日々の勉強に嫌気がさし、父親と大ゲンカした。当時から執念深く根に持つ性格だったアレスは、その日から密かに家出の準備を整え、こっそりと家を飛び出したのだった。自分で考えた数日は生きていけるお金と、店の在庫からばれないように持ち出した容姿が変わる魔法薬で、完璧な家出計画だったはずなのだが……
小さな子供が町を一人で歩いているのは目立ちすぎた。なけなしのお金がスリに遭ったと分かり、途方に暮れた。日が落ちるまで残り僅か、更に危険になることは小さい子供でもわかる。それでも、あの家には帰りたくない。
あてもなくとぼとぼと歩いているところで、自分より年上の少女に声を掛けられたのだった。
頑なにしゃべろうとしないアレスに困ったミリアだったが、見捨てることはせず、とりあえず町の食堂に連れてきた。ミリアはこの食堂で働いていることや、最近町の子ども達に流行っている遊びなどを楽しそうに話してくれた。
目の前に出されたごちそうと、終始にこやかなミリアに少しずつ心を開いたアレスは、自分のこともぽつぽつと話しだした。
「要するに、君は迷子なんだね?」
「違う! 家を出て独り立ちをしたんだ」
「その割には、ずいぶん困ってる様子だけど」
「……」
「この後はどうするの?」
「適当にその辺で夜を明かす。絶対に家には帰らない」
「うーん、子どもの一人歩きは危険だよ?」
「うるさい! お前だって子どもじゃないか!!」
「うん、そうだね。でも私は君みたいに無鉄砲に危ない橋は渡らないかな。君はね、今回は完全に失敗したんだよ」
「くっ!」
強く握りしめた小さな拳を、柔らかくて優しい手が包み込んだ。
「失敗って、とっても大事なことだと思うよ。どんな経験からだって多くを学べる。時には撤退の勇気も必要。要は、経験を積んで、次に勝てる戦略を身に付ければいいのよ。私たちはまだ子どもだから、なおさらチャンスが多いでしょう?」
などと、全く子どもらしからぬ口調で真剣に話すミリア。ほとんど何を言っているのか理解できなかったアレスだが、家に戻るのもしょうがないのか、と思えるほどミリアの演説はかっこよかった。
「分かった、俺は『てったい』することにする。それで、……あんたとはまた会える?」
「うん、いつでも!」
「じゃあ、名前を教えて」
「私? ミリアっていうの」
そう言ってミリアは太陽のような笑顔を見せた。その瞬間……アレスの心は完全に持っていかれた。
アレスの冒険はほんの一日で終わりを迎えた。ただ、ミリアとの出会いという大きな収穫を得られた。
その後は、再開の約束をしたくせに、全然会えなかった。『町で働く平民のミリア』を探して訪れても、どこにも存在しなかった。諦めずに調べまくると、趣味と実益を兼ねてアルバイトをしていたという、ちょっとおかしな貴族令嬢だと分かった。それでもめげず、屋敷まで会いに行った。その時にはすでに、ミリアは王立学園に入学した後だった。
(……っていうか、あの時、俺の名前聞いてこなかったじゃないか。家まで送ってくれたからどこに住んでるかだって分かってるっていうのに、一度だってそっちから会いに来てくれたこともなかったし……!!)
だんだん悲しいやら怒りやらで感情が高ぶってきたアレスは、意識が浮上するのを感じた。
・・・・・・
「……んっ」
喉が渇いて掠れたうめき声が出た。
「あ、アレス君、目が覚めましたか」
「ミ、ミリ……ア!!? ……げほっ」
「いきなり起きたらまた倒れちゃいますよ。喉も乾いてるでしょう? 水でも飲みますか?」
(そうか、あの時……目の前が真っ暗になって……)
意識がはっきりしてくると、そこはアレスの部屋だった。ベットサイドには水差しや、タオルが置かれている。あれからどれだけの時間が経ったか分からないが、窓の外はすっかり暗くなっていた。どうやらミリアは、ずっと付き添ってくれていたらしい。アレスは気恥ずかしさを押し殺して半身を起こし、ミリアからもらった水をゆっくり飲んだ。
「……ミリアと初めて会った時の夢を見ていた」
「ええと、3年前のお茶会ですか?」
「いや、もっと前」
「え?……」
そこでミリアはしばらく考え込んだ。
「ま、まさか、あの家出少年……? なんてことは」
アレスは瞬いた。ミリアが覚えていてくれるとは思いもよらなかったから。
「ええっ、本当に!? 全然雰囲気変わりましたね。……もしやあの様子……魔法薬を使っていたのですかね……それは、分からないはずだわ!」
アレスが小さく頷くと、ミリアは納得がいったように微笑んだ。
「それにしても懐かしいですね、庭師や旅の商人、その他諸々に紛れてこっそり覗きに行っても会えないので、この家で働く関係者の子で、ご家族の都合で引っ越したんだとばっかり思ってたんですよ」
「はあ!? 意味、分かんないんだけど。なんで普通に会いに来なかったの」
「いやあ、サプライズ感を出したくって」
「おい! そんなサプライズ望んでないから! てへっみたいな顔してごまかそうとするな! こっちはどんな気持ちで、……でも、会いたいと思っていたのは自分だけじゃなかったのか……嬉しい……」
「んんっ」
アレスに熱っぽい視線を向けられ、何とも言えない空気に包まれた。なんとなくむず痒い気持ちになったミリアは、言葉を詰まらせた。
「……俺は、あの頃からずっとミリアに追いつきたくて、焦ってばかりいたんだ。ミリアが学生の頃は、学園にいる知り合いから逐一様子を聞いたり、ミリアに来てたたくさんの縁談ももみ消してもらって、どうにか婚約者の立場を手に入れたり」
「え。なんですか、その新情報。どうりで人生の選択肢がアレス君一択だったわけですね……」
まあ、アレス君の性格ならやりかねないか、とこれまでのアレスの言動を思い出しながら、ミリアは納得した。
「そんなに思ってもらえるほど、大した人間ではないですよ……私は」
「そんなことはない。ミリアに出会ってなければ今の俺は存在しなかった。ミリアを手に入れるために、俺はこれまでにたくさん経験を積んだし、次に勝てる戦略を身に付けてきた。つまり、俺が成長しようと思う原動力はミリアだ」
「うぅ、なんだか聞き覚えのあるような思想ですね……でも、間違った方向に全力を注いでいるような?」
「間違ってはいないと思うけど。それに、間違ったって失敗したって……それでも『チャンスは何度もある』んだろう?」
(今は自分の気持ちを伝えるのに精一杯だけど、もう少し成長したらぜったい落とすから……!)
アレスは続く言葉を飲み込んだ。
「あの……アレス君のお気持ち、よーくわかりました。私は……今はまだ、恋愛感情があるかと問われるとはっきり答えられないです。でも……」
ミリアは年下婚約者からの告白にかなり動揺していた。いくら年が上と言ったって、ミリアも経験豊富なわけではない。何なら人の感情を無視して突っ走ってしまうところもあるのだから。それでも、ここまで気持ちをさらけ出してくれた相手にはきちんと今の自分の気持ちを伝えようと思った。ミリアはアレスの手をやさしくとる。
「私、アレス君に見合う婚約者になりたいって思います。アレス君が卒業するのを、待っていますね」
「!!!!!」
バタンッ!!
「あ、アレス君!?」
その後、再び倒れ、熱を出したアレスは、3日はベッドから起き上がれなかった。