タダより高いものはない(1)
「あの、殿下」
そう言ったまま言葉を途切れさせたティファニーをちらりと見たオーガストは、少女の言葉の続きを待つことなく口を開いた。
「ずいぶんと、これに気に入られているようだな」
ティファニーは戸惑ったように視線を彷徨わせた後、「よく、分かりません」と呟いた。
「どうした、大人しいな。さきほどまでの威勢はどこへ行ってしまったのだ?」
オーガストが片眉を上げて尋ねると、ティファニーは恥じ入るように小さくなった。
「咎めているわけではない。むしろ心強いと思っていたのだ。そなたのような女性が近くにいれば、これももっと心を開こう」
「そんな、ことは‥」
少女の表情が一気に警戒を帯びた。大きくなっていくその警戒心と反比例して、口数が少なくなっていく。王弟が何を意図しているのか分からない以上、余計なことを言わないように気をつけた結果だった。
しかしそんな手法が百戦錬磨の猛者に通用するはずがなかったのだ。逆にここぞとばかりに言葉を紡がれる。
「そなたに栄誉を与えよう。国王陛下のお役に立つという、貴族として最高の栄誉だ」
低い深みのある声が、宣告する。
「精霊局の局長の名において、そなたを精霊局の一員と認めよう」
びくりとティファニーの肩が震えた。そしてその肩に置かれた手に初めて気付いたかのように、少女の視線が自身の肩を見て、手から腕、首筋を辿り、鳶色の瞳に辿りついた。
見詰め合う二人に、オーガストは声をかけた。
「しかも今ならもれなく、そのエロースが無料でついてくる。どうだ、お買い得だろう?」
磨かれた精霊局の廊下をつかつかと足音高く歩く女性がいた。
周囲は彼女の悋気を恐れて道を開けた。中には、これから何が起こるのかとおもしろそうに見送るものもいた。
しかし誰も彼女に声をかけるものはいない。
彼女が王弟のお気に入りであり、伝説の精霊の部屋に入ることのできる数少ない人間だということを知っているからだ。
その彼女の不興をあえて買うのは賢くない。
彼女――クレイティアは、まっすぐに精霊局局長の部屋へと向かった。
「開けてちょうだい」
心得ている衛兵は、王弟の部屋へと続く扉を開けた。
開けられていく扉を見ながら、クレイティアはこうして衛兵を従わせることができるようになるまでの道のりを思い出していた。初めて王弟からの使者なく、つまり王弟自身から呼び出されたわけでもなく、この部屋を訪れたとき、自分が震えていたことを覚えている。
(あれは賭けだったわね)
無礼者として王宮を追われるか、それともこの部屋に誘いなく入る権利を得るか。
(安全なところにいた人間が‥何にも努力してこなかった人間が、大きなものを手に入れるだなんて、そんなこと)
扉が視界から消え、王弟のもとへと続く道が開けた。
クレイティアを望みの場所へと運ぶ道だ。
それがもし左右が崖に挟まれた細い道だろうと、彼女は渡っていっただろう。
危険をおかすだけの価値のあるものが、その先にあるのだから。
(許せないわ)