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番外編(クリスチャン)



クリスチャンは6歳のときに、精霊と出会った。


金色の柔らかい髪に太陽の光を反射させながら、クリスは庭を走っていた。

庭に忍び込んだ猫を追っていたのだ。

13歳の今では小さく見える庭でも、幼い子どもにとっては大きな遊び場だったのだ。

植木の下に逃げ込んだ猫を追いかけてのぞきこみ、再び逃げたのを追っていく。

「猫さん、おいで」と言いながら、夢中になって手を伸ばした。


9歳のティファニーは家の中から、ひょこひょこと動く金色の頭を見ていた。

彼女が目を逸らした瞬間、つんざくようなクリスの泣き声が聞こえた。

何事かと窓の外を見ると、クリスはじたばた暴れたり、ぐるぐると走り回っていた。

猫にひっかかれたのだろうか、とティファニーは家の外に出て弟のもとへと向かった。


精霊は、花の中にいた。

猫を追いかけてもぐりこんだ植木の中に、光る花を見つけたのだ。

淡い小さな光は、花弁の中央で明滅していた。

吸い寄せられるようにそっと小さな手で触れると、それはクリスの手に引っ付いて離れなくなってしまった。

ひく、と彼の顔が引きつった。

ぶんぶんと手を振っても、もう一方の手で払い落とそうとしても光がとれない。

挙句の果てに走って逃げようとしたが、それでもついてくる。

とうとうクリスは泣き出した。

駆けつけた姉はクリスをなだめると、「父さんが帰ってくるまでに何とかしなきゃ」と言って、こそこそと二人で部屋に引きこもったのだった。

子どもとは不思議なもので、子どものことは子どもにしか分からないと信じている。

二人とも、大人に知られたら怒られると思い込んでいたのだ。


いくら頑張っても、光をクリスから引き剥がすことはできなかった。

光は二人をすり抜けてしまって、触れることすらできなかった。

「どうしよう、父さん、かえってきちゃうよ」

涙目で見上げるクリスに、ティファニーは「大丈夫だから、父さんに言っちゃダメよ」と力強く頷いた。

しかしその後帰ってきた父の顔を見た途端、緊張の糸が切れたのかティファニーは突然泣き出し、すべて父に白状したのだった。


話を聞いた父は「さすが母さんの子だ」と言っただけだった。

よく考えれてみれば、父が怒ったところなど数えるほどしか見たことがない。

はじめから、父が怒ることなどなかったのだ。

母さんが生きていたら何と言ったか分からないが、きっと父と同じような反応をしただろう。


しかし周囲は、父と同じような反応をしなかった。

弱冠6歳の子どもが精霊を得たのを、もの珍しそうな目で観察していく。

父はもともと人付き合いの少ない人だったので、クリスが大人の目に触れることは少なかったが、なかったわけではない。

父がいない間に屋敷に立ち寄った貴族が、クリスを呼び出すこともあった。

姉はそうした大人に毅然と立ち向かったが、その姉が言った言葉を今でも覚えている。

精霊を得てからというもの、クリスは姉にべったりだった。

姉は快くクリスの面倒を見ていたが、その日は違った。

廊下をすたすたと歩いて行ってしまう姉の服をきゅっと握ったクリスに、「気持ち悪い」と手を振り払ったのだ。

え、と固まったクリスに、光を指差してティファニーが言った。

「それ、気持ち悪い」

その日はそれから、クリスは一人で部屋に閉じこもって泣いた。

次の日から、ティファニーは何事もなかったかのようにクリスの側にいてくれたが、クリスは姉の言葉が忘れられなかった。

時々大人から向けられる視線の意味が、分かってしまったのだ。

彼らは、「気持ち悪い」と言ったときのティファニーと同じ目をしていた。

クリスはまるで一つの穢れを背負ったように感じた。


二つ目の穢れは、すぐにやってきた。

幼くして精霊を得たクリスのもとへは、精霊局の役人が頻繁に訪れていた。

精霊もちとなった人間は、すべて精霊局の名簿に登録されるのだそうだ。

そのために精霊局へ一度出廷しなければならないのだが、ウルグはいつも役人を追い払っていた。

しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、役人に泣きつかれたクリスの伯母、ハサウェイ伯爵夫人の口添えがあって初めて、クリスが出廷することになった。

クリスはとても愛らしかった。

さらさらの金色の髪に、くりんとした空色の瞳。つんとした鼻や、首を傾げる仕草まで、思わず抱きしめたくなるほどの可愛さだ。

役人に手を引かれて行った宮廷ではぐれた彼を、部屋に引きずりこもうとする貴婦人がいた。

貴婦人には彼より少し年上の少年がいた。

少年は泣きわめくクリスを拘束すると、耳元で「誰もが通る道だから」と囁いた。

役人がなんとかクリスを発見し事なきを得たが、しぶる貴婦人に「精霊局に庇護されている子どもです。王弟はこうしたことを喜ばれませんよ」と言ってくれなければ、どうなっていたか分からない。

少年のじっとりとした視線がクリスの背に張り付いていたのが分かっていて、彼は振り返ることができなかった。

王弟の保護がなければどうなるのかも、考えたくはなかった。

クリスは泣いて、その日あったことを誰にも言わないことを役人にお願いした。

この日クリスが二つ目の穢れを背負ったことを、誰にも知られたくなかった。



時は過ぎ、あれから倍以上の年を重ねた。

それでも二つの穢れは、真っ白な布のようだったクリスを、ぽつりぽつりと汚して取れなかった。

しかも時間とともにその染みは広がっていた。


ティファニーは知らない。

父も知らない。


真っ暗な部屋で、クリスは目を開く。

寝静まった夜の屋敷でベッドから身体を起こし足を床につけると、机へと歩いた。

そして机の奥に隠した本を取り出し、精霊の光を使って読んでいく。

それは下町に売られている俗悪な本だった。

この中には、悪徳が詰まっている。


一度は逃げた世界を、クリスは安全な場所からのぞき見ているのだ。

なぜなのか、自分にも分からない。

ただ、あの秘密が――自分の背負った穢れが、自分をこうした行動に駆り立てているように感じてならなかった。



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