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白痴美(2)


姉を乗せた馬車は、出て行ってほどなくして帰ってきた。

空の状態で。

自室で話を聞いたクリスチャンは指を噛んだ。

御者の話は要領を得ず、彼女が制服を着た男たちに囲まれてどこかへ連れ去られたということしか分からない。

クリスチャンの部屋に集まった五人の使用人たちが、不安そうな表情で彼をうかがっている。

父のいないガーラント家では自分しか指示を出せるものがいないと分かってはいても、苛立ちまぎれに八つ当たりしそうになる。

いつの間にか、あのジゴロもいなくなっていた。

もしかしたらこの誘拐騒ぎはずっと前から計画されていて、あの男が手引きしたものなのかもしれない。

(違う、今はそんなことを考えるな!)

焦りと不安を自分や周囲への怒りにすり替えてしまいそうになるのを、頭を振って切り替えた。

こんなとき精霊使いならば、力を使って居所を探すことができる。

しかし自分はただの精霊もちだ。

今まで精霊を否定してきた自分には、いざというときに精霊を頼る権利はない。

自分に出来るのは、人として人を頼ることだ。

クリスチャンは顔を上げて、自分を見詰める使用人たち一人ひとりと視線を合わせていった。

大丈夫だと、彼らの心を落ち着けるように、しっかりと頷く。

「ブルートとアンナはハサウェイ伯爵夫人のところへ助けを求めに行って。ビューはネルを連れて姉さんがいなくなったところに戻って、街の人に話を聞いてきて。ケイティはもう一度、家の中にあの男がいないか探して」

「しかし、お嬢さまが誘拐されたことが世間に知れたら‥‥」

醜聞が、と続けようとしたブルートの言葉を遮ってクリスが大声が叫んだ。

「そんなことを言っている場合じゃないんだ!早く行って!屋敷に連絡があったときのために僕はここにいるから、分かったことがあったらすぐに連絡して」

パン、と手を打ったのが合図だった。五人は、それぞれの役目を果たすために散り散りに部屋を出て行った。

一人残ったクリスは、彼の気持ちなど知らぬげにふよふよと浮いている精霊をその手の中におさめ、額に当てて姉の無事を祈った。




一方ティファニーは、張り詰めた緊張の中にいた。

呼吸を整えていたティファニーは、王弟が立ち上がるのを見て、自分を支えている腕を振りほどいて自分の足で立った。

「あの、殿下」

それ以上言葉をつなげることができずに、口をつぐむ。

王弟の目は暗くかげっていて、表情が読めなかった。

彼が探していた男が塔の壁を破ってここにいること。

その男が彼に暴力を振るったこと。

そして話の内容はよく分からなかったが、男が彼のもとへ帰るつもりがないこと。

どれを話題にしても、ただでは済みそうにない。

(殿下と約束していた、鳶さんと話すのに協力するっていうのは、果たしたことになる、の、かな?)

正直、自分に出来るのはここまでだと思う。

壁を壊したことも、王弟に暴力を振るったことも、もともと彼のもとにいたジゴロがしたことだ。そのジゴロと王弟の関係がうまくいかなかったとして、自分になんの罪があるのだろう。

男を自立させる、と勢いで言ってしまったティファニーだったが、その自信はすっかりなくなっていた。

なにせ、壁に穴をあけてはるか上空にある塔によじ登り、天下の精霊局の局長に暴力を振るうような男だ。

クレイティア、あの嫌な女が哄笑とともに言ったように、自分の手に負える男ではないのかもしれない。

ティファニーは、自分の肩に添えられた男の手を意識した。

この男が、彼女から離れることを納得するだろうか。

ティファニーの脳裏に、無残に裂かれた木と、力任せにえぐられた壁がよぎった。

男のことが嫌いなわけではない。せめて彼が自然に王弟のもとへ帰ろうと思えるときまで、屋敷に置いてやりたいというのも正直な気持ちだ。

男が必死にティファニーのあとを付いて回るのは、まるで母親を求める幼子のようで母性本能を刺激される。

段々と自分の気持ちを伝えることを覚えてきたのも微笑ほほえましい。

あのキスも(少し激しすぎるが)その延長で、彼なりの愛情表現だと思える。

しかしあの力だけは別だ。

精霊使いについてよくは知らないが、それでも桁外れだということは分かる。

そんな力を、何も知らないような彼が無造作に使ってしまうことが恐ろしい。

(精霊使いを取り締まるはずの局長が、それを許してしまうなんて)

そう思ったところで、はたと気が付いた。

王弟が、男を手元に置こうとする理由。

それは男が要注意人物だからではないだろうか。

それが本当だとしたら、そんな危険な人間と一週間も一緒に暮らしていたことになる。

ティファニーの背筋に寒気が走った。

王弟は無言で、ティファニーの肩に置かれた手をじっと見ている。

不気味だ。

ティファニーは王弟から何か言ってくれるのを待っていた。

正直、なにもかもうやむやにして、とりあえず家に帰りたい。

今まで経験したこともないようなことが立て続けに起こって、ティファニーは今自分がどの位置にいるのかが分からなくなっていた。

今ならまだ戻れるが、このまま何も分からないまま進んでしまえば、二度と戻れないところにうっかり足を踏み入れてしまいそうだ。

今、この瞬間、何かが起こりかけていることは分かる。

彼女は、自分が今分かれ道に立っていることを直感的に感じ取っていた。


彼女は、自分を挟んで立つ男二人の仲たがいに巻き込まれただけだと思っていた。

自分が嵐の目だとは疑いもしない。

ティファニーは自分が誰かの動機になるなど、まったく考えていなかったからだ。

それは裏を返せば、彼女が他人を動機にしたことがないことを意味している。

自分は自分でしかなく、他人は他人でしかない。

それは自立したいと思うと同時に、彼女の中で育ってきた思いだった。


しかしそれが無自覚な残酷さであることに彼女が気付くのは、まだ先の話。



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