白痴美(1)
オーガストがまだ王子だった頃、宮廷で白痴美というものがもてはやされた時期があった。
きっかけは頭が沸いている耽美作家が書いた下らない戯曲だ。
白痴の貴族の娘を巡る恋物語。
表情の変わらない人形のような娘の色香に惑わされ、その少女を奪い合う男たち。
少女は何もしていないというのに周囲が勝手に自滅していく、そんな物語だった。
なぜこういったものが世間でもてはやされるのか理解できないが、そのおかげで白痴美などというものが世間で流行した。
自分の意見を言うような女は下品で、人形のように大人しく男に囲われるような女が上品だといわれていた。
オーガストの姪の王女がまさにそんな娘だった。
兄王とは年が離れているので、オーガストは兄よりむしろその王女と年が近かった。
王女は日の光を浴びたことがないような白い肌に、触れたら壊れてしまいそうな繊細な美貌をもつ、人形のように表情のない娘だった。
話しかけなければずっと黙ったまま。話しかけてもぽつりぽつりとしか返さない。
つい最近までオーガストはずっと姪が不気味に思えて苦手だった。
(白痴美などというものは理解できない)
しかしあの精霊と出会って、考え方が変わった。
あれこそ、白痴美。
無垢な美しさと、何かを孕んだ危うさ。
あれも相当やばいと思ったが、今のほうが危険かもしれない。
今目の前にいる彼は、白痴美とは少し違う。
つぼみがほどかれて芳香を放ち始めるように、その魅力を開花させ始めている。
目を覚ました精霊がこうも変わるとは、オーガストはまったく予想していなかった。
――彼は、ティファニーが国家の守護精霊の対だとは、まったく気が付いていなかった。
精霊のこの行動も、彼が目を覚ましたからだと思っていた。
そう思うのも無理はない、と後に彼は振り返る。
伝説の精霊は何もかもが規格外で、そもそも本当に対になれる存在があるのかどうかさえ疑わしかった。
しかも精霊が対に対してこんな行動をするなど、聞いたこともなければ見たこともない。
精霊は普通、肉体も意思もないのだから当たり前なのかもしれないが。
「フェイビアンの子よ」
ぐったりしたティファニーを抱いたまま、精霊は言った。
「なぜ、わたくしがフェイビアンの子だと?」
「あれは自分の子孫に印をつけた。わたしに分かるようにと」
伝説の精霊使いは、封印した精霊が彼の遺志を継ぐものを見分けられるようにと、印をつけたのだ。
「わたしにはもう、眠りは必要ない」
オーガストが息を呑んだ。
「こうしてティファニーが見つかったのだから」
側で交わされる会話の中に自分の名前が出てきて、ティファニーがのろのろと顔を上げた。
フェイビアンだの眠りだの、よく分からない単語に首を傾げる。
焦ったのはオーガストだ。
国家の守護精霊がその座を空けることが、どんなに政権に影響を与えるか。
一気にその思いが彼の脳裏を巡り、彼につながる糸口へ視線を向けた。
意味が分かっていないように首を傾げて精霊を見上げている、ティファニーへと。
フェイビアンと精霊との約束から500年。
その間に、彼らが交わした言葉は忘れ去られ、彼の遺志を継ぐものが担った役割も形を変えた。
今の王弟に課せられている使命は、国家の守護精霊を精霊局へと留まらせること。
(原初の精霊が永遠に国家を守護し、王家が守られることこそ、あるべき姿だ。守護精霊がその座を離れることなど、認められるはずがない)
オーガストの目が、冷たく光った。
かつてフェイビアンが伝説の精霊のために創立した精霊局は、長い年月の間に理念を失った。
そして精霊の対を探すという目的のための手段だったはずの精霊局はいつしかその存続自体が目的となっていた。
手段と目的が逆転し、精霊のための精霊局だったものが、今では精霊局のための精霊となっていたのだった。