それぞれの思惑(5)
膝をついたオーガストは目の前の光景が信じられずにいた。
ティファニーの背後にいるのは、よく見慣れた男だった。
しかし彼が知るその男は目を閉じていることがほとんどで、目を開けていることがあっても虚空を見詰め、その瞳が意思を宿すことはなかった。
だからずっと、そういうものだと思ってきたのだ。
伝説の精霊とは、肉体があっても他の精霊とかわらずただエネルギーの塊なのだと思っていた。
それがどうだろう。
表情こそないものの、少女を見詰める瞳は雄弁にものを語っていた。
彼女に自分を見てほしい、彼女が愛しい、と。
そして、彼はオーガストに激しい嫉妬の視線を向けた。
背後から肩をつかまれているティファニーは知らない人のふりをしようかと本気で悩んでいた。
今ならまだ、関係ないふりができるのではないか。
しかし、よく考えてみれば本当に自分にはなんの罪もないのだと思いなおした。
半ば脅されて男を屋敷に滞在させたのも不可抗力なら、塔の壁を壊してしまったのも自分がしたことではないのだ。
それもこれも自称精霊男が勝手にしたこと。
そう言ってしまえれば楽なのだが、まるで母親を慕う幼子のような視線を向けてくる男を(見た目は年上だが)ついつい振り払えなくなってしまうティファニーだった。
行動が常識外れで規格外というだけで、本人に悪気はないのだ。
(だからこそ、やっかいなのよね)
ティファニーは心の中でこっそりため息をついた。
ティファニーの精霊は、不満を募らせていた。
彼女が帰って来ないから自分から来たというのに全然構ってもらえず、さらに自分に向けられるべき視線を横取りしている男がいる。
彼女の視線も関心も、すべて自分に向けられるべきものだ。
精霊はそう信じていた。
三者三様の思惑が交錯する空間で、口火を切ったのはオーガストだった。
「ティファニー、話は後だ。今は彼をなだめなさい」
ティファニーが緊張した顔で頷くと、背後の男を振り返った。
彼は怒らせたら何をするのか分からない。
ティファニーはゆっくりと視線を上げ、彼を見上げた。
「あのね、わたしが悪いのは分かったけど、暴力はいけないと思うのよ」
鳶色の髪をさらりと頬にこぼして、男が首を傾げた。
「ティファニー、おはようのキスは?」
背後で息を呑む空気が伝わってきて、ティファニーは非常にばつが悪かった。
まるで何でも鵜呑みにするのをいいことに、いたいけな幼子に悪いことを教える大人になった気分だ。
毎日そんなことをしていたのか、と王弟殿下に思われているのかもしれない。
別に自分が教えたわけではないのに、そんなふうに思われるのは心外だ。
振り返って言い訳をしたかったが、そうするより先にティファニーの頬に男の手が添えられて焦った。
このままではいつものような、「おはようのキス」とは程遠い濃厚なものを背後の男性の前ですることになってしまう。
「ちょ、駄目!」
近づいてくる男の唇を両手で覆った。
鳶色の瞳がきょとんと見開かれ、その瞳が細まった。
艶を含んだ光がティファニーを射たのと同時に、手の平に生温かく湿った感触が滑った。
舐められたと分かった瞬間、ティファニーは声にならない悲鳴を上げて慌てて両手を離した。
その一瞬の隙に、男は少女との距離を一気に詰めた。
男の唇と少女の唇の距離がゼロになり、さらに奥へと進む。
「んぁ‥‥ちょ‥ぅ‥む‥」
声を出そうとするたびに、息を奪うように侵入する男の舌。
大きな手がティファニーの背に回り、彼女をなだめるように背中を上下する。
なだめるように、というのは違うのかもしれない。
その手はまるで一個の生物であるかのように、彼女の服の下に侵入する入り口を探してうごめいているようにも見えた。
男の服をつかんだティファニーの手は、きゅぅ、きゅぅと強く握ったり手を緩めたりして、無意識のうちに動いていた。
それは彼女が彼以外の何も考えられなくなっている証拠でもあった。
「‥‥はっ、はぁっ、ぁっ‥んっ‥‥」
唇が離れて、再び塞がれた。
薄目を開けてティファニーを見ていた鳶色の瞳が、ティファニーの頭越しにこの部屋にいるもう一人の男を見た。
オーガストは考え込むようにこぶしを口元に当てていたが、精霊の強い視線に射抜かれて視線を交差させた。
精霊はまるで見せ付けるように、挑発するように、水音をさせてキスをした。
ティファニーの膝から力が抜け、がくりと身体が落ちたところで、やっと精霊は彼女を解放した。
少女を両手で抱きしめたまま濡れた唇を舌でなぞる青年を見たオーガストの背筋を何かが走った。
その衝撃でびくりと身体が揺れて初めて、自分が囚われたように二人のキスに魅入っていたことに気がついた。
(エロースめ)
オーガストは何かに抵抗するかのように、心の中で小さく悪態をついた。