それぞれの思惑(2)
目が覚めたとき、ティファニーは温かい感触に包まれていた。気持ちよくて、もぞもぞと擦り寄る。それに反応するように、ぎゅっと優しく締め付けられた。
ほっと息を吐いてもう一眠りしようとしたが、ふいに気が付く。
(あったかいって、なんで?)
眠気が徐々に引いていき、それにつれて動悸が激しくなっていく。
自分をすっぽり包んでいる感触は、硬い筋肉のついた腕と胸板だった。
しかもこの感じには覚えがある。
「ティファニー‥‥」
額のすぐ近くで声がする。その声が、ティファニーの考えが正しいことを示していた。
「と、鳶さん!」
とっさに腕を突っ張ろうとしたが、逆にさらに近くに引き寄せられる。
動悸がさらに激しくなった。
「ちょっと!こういうことしちゃ駄目って言ったでしょう?」
前にベッドに入ってきたときに厳しく言ってから、彼がティファニーのベッドに来ることはなかった。それが今朝はどうしたというのだろうか。
抱きしめられたまま、じたばたと暴れると、二人の熱が移ったシーツがよれた。ティファニーの動きを封じるように、男は足を絡め、ティファニーの髪に頬を押し付けた。
「わたしが悪いのではない」
「え?」
「ティファニーが悪いのだ」
彼はそれきり黙ってしまった。一週間前よりも断然話すようになったとはいえ、男は相変わらず言葉足らずだった。そもそも相手に分かってもらおうという気持ちがないのかもしれない。
ティファニーはクレイティアの言葉を思い出した。彼は今まで人に気持ちを伝えるということを学んでこなかったに違いない。彼のことをきれいなだけの人形としか思っていない人たちに囲まれていたのだ。無理もないかもしれない。
ティファニーは優しい気持ちになって、顔を動かせないまま話を促した。
「言って、鳶さん。わたし鳶さんの思っていることが知りたいの。言ってくれなきゃ分からないわ。どうして、わたしが悪いの?」
「ティファニーが来ないから」
「来ない?」
「わたしに待てと言ったまま、帰って来なかったではないか。だから、わたしが来たのだ」
(‥‥‥‥)
そう言われて初めて、ここがガーラント邸でないことに気がついた。
そうだった。自分はクレイティアに連れられて精霊局に来て、そのままどこか分からない部屋に監禁されていたのだ。
目が覚めたらこの男がいたので、無意識のうちに自宅にいると勘違いしていたようだ。
「鳶さん、どうやってここにっ、ちょっ、鳶さん、お願い離して!」
「嫌だ」
「お願い、ちょっとだけだから」
男はしぶしぶ腕の力を緩めた。すかさず上半身を起こして部屋を見回した。
ひゅう、と吹いてきた風が、ティファニーの髪をなびかせた。この部屋は窓のない密室。風などが入ってくるはずがない。
ティファニーが頭を巡らせて見た先には、壁にぽっかりと、人ひとりが通れるくらいの穴が空いていた。固まって動かないティファニーの腰に抱きついて、男は「邪魔だったから壊した」と何でもないことのように言った。
穴からは遠く王都の町並みが見えた。ここは相当高いところにある部屋らしい。もしかしたら王宮にある四つの塔のうちのひとつ、『精霊の塔』にいるのかもしれない。この塔は確か、かの王弟フェイビアンがその愛人を住まわせた塔として、数多くの吟遊詩人が奏でる伝説の恋物語の舞台になっている。その外観はティファニーの住む地区からでも遠くに眺めることができ、その二人に想いを馳せては眺めていたものだ。
――なかったことにしよう。
ティファニーがとっさに思ったのは、それだった。
腰に絡みつく男の腕をぽいと放って急いでベッドから降りると、真っ白のシーツをはぎとって壁に当てた。シーツをはっておく方法が見つからなくて右往左往したが、背の高いワードローブを見つけてシーツを被せ、それをずりずりと引きずって(そのときは重さが気にならなかった)穴を隠した。
隠蔽工作が終わった後に、どっと汗が流れてきた。
ティファニーの頭に「王宮を破壊した罪」や「弁償」という言葉がぐるぐると巡る。
男はベッドの上で、ティファニーの行動の一部始終を目で追っていた。
その視線に気がついたティファニーは泣きそうになりながら、「‥‥どうしよう‥‥鳶さん、どうしよう‥‥」と同じ言葉を繰り返した。
そのとき、「ティファニー・ガーラント嬢、失礼します」という声が、扉の外から聞こえた。続く言葉に、ティファニーは絶望の呻きをもらした。
「王弟殿下のお越しです」