番外編(クレイティア)
クレイティアが初めて彼を見たのは9年前。彼女が12歳になったばかりの頃だった。
その頃の彼女はコンプレックスの塊で、そばかすの浮いた鼻もやせ細った身体も、ぱさぱさした赤い髪も、何もかもが気に入らなかった。誰も自分に関心をもってくれないのは、この容姿のせいだと思った。あれは今思い出しても胸がきりきりと痛むほど惨めな少女時代だった。
両親は毎晩のように夜会へと出かけ、一人娘をかえりみることはなかった。幼い娘の世話を任されていた使用人たちも、主がいないのをいいことにクレイティアを寒い部屋に一人置き去りにして、悪い遊びにふけっていた。それでもクレイティアは誇りを忘れないように、つんと顔を上げていた。しかしそれは、周囲から人を遠ざけるだけで、彼女の孤独を慰めはしなかった。
彼女が自分の精霊を得たときも、周囲は誰もそのことに気付かなかった。彼女が精霊もちだということが明らかになった時には、すでに半年が過ぎていた。
精霊を得てから彼女の人生は一変する。今まで誰にも興味を示されなかった少女が、両親に連れられていったパーティーではもてはやされ、両親は彼女のことを自分たちの誇りだと言う。
以前の寂しい環境の反動からか、クレイティアは自分を見せること、人の関心を集めることにこだわるようになった。そうして彼女は自分を飾ることを覚え、どんどん美しくなっていった。そうすると誰もがクレイティアに親切にしてくれる。彼女はさらに、人に侮られないように尊大な態度を、自分を強く見せるために見下した眼差しを身につけた。二度と、あの卑屈な自分には戻りたくなかった。
――そして、運命のときが来た。
その日、クレイティアは役人に連れられて精霊局に来ていた。精霊使いにならないか、という精霊局の役人の言葉に、彼女の両親が一も二もなく娘を送り出したのだ。精霊局に勤めるのは、精霊使いもそうでない者も、いずれも大貴族ばかり。貴族社会の憧れの集団なのだ。クレイティアの気持ちも聞かない両親に少し複雑な思いもあったが、もちろんクレイティアも喜んだ。
(王弟殿下にお近づきになれれば、きっとみんなに一目置かれるわ)
より高み、より高みを目指してクレイティアは何とか彼に取り入る方法を考えていた。王弟殿下、精霊局長といえば、俗世を治める国王と並び立つ神聖な世界を治める王ともいわれる地位。その権力は国王に勝るとも劣らない。
しかし彼女は策略を巡らせる必要はなかった。チャンスは向こうからやってきたのだ。
精霊局の中に足を踏み入れた途端、強烈な負の思念が彼女を襲った。奥に進むにつれ、強くなる耳鳴りとめまい。しかし案内の役人は何事もないかのように前を進んでいる。
その思念は、ぐらぐら揺れて倒れそうになりながら、それでも自分を保っていなければならないという苦しみ。そしてそうしなければならないほどの大切なものが自分の側にないという嘆き。いっそのこと自我を保つことを放棄して自分もすべて壊れてしまえばいいという衝動。そのむき出しの思念すべてがクレイティアの心の中に流れ込んできた。
このときまだ自分の思念と外からの思念を切り離す方法を知らなかった彼女は、まともに自分の感情を重ねてしまった。思念は強烈な勢いで上がり下がりを繰り返し、彼女の頭の中をぐわんぐわんと揺さぶる。視点を定めることができず、吐き気がこみ上げてくる。自分の意識をつかんでいることが限界に達し、ついにそれを手放した。
目が覚めたとき、彼女は重厚な部屋のスツールに寝かされていた。気を失う前に感じた強烈な思念は、まるで最初からなかったかのようにすっかり消えていた。
控えていた役人がすぐに部屋の主、王弟オーガストを呼びに行き、彼は部屋にやってきた。
オーガストはクレイティアが倒れる前に何を感じたのかを聞き、思案するようにあごに手を当ててしばらく沈黙した。
そして彼は、クレイティアをある部屋へと連れて行った。
そこは曲がりくねった廊下を進み、階段を上り降りし、いくつもの扉をくぐった。廊下を進むごとに人気は少なくなり、彼らの衣擦れの音と足音しかしないほどに静まり返っていった。この先に何があるのか気になったが、聞けるような雰囲気ではなかった。行き着いた先にあった、たった一つの扉には、厳重に施された呪を張り巡らされていた。その物々しさに、クレイティアは息を止めた。
彼女は直感していた。この先にあの感情の主がいる、と。
扉が開き、中に足を踏み入れた。真っ白い、ただそれだけの部屋。中心に一つ寝台が置いてあるだけで窓もなく、時が存在しない部屋だった。太陽の光が入らないというのに、なぜかその部屋は明るかった。光源を探したが、見当たらない。まるで壁自らが発光しているかのように、壁、床、天井の白さが目に焼きついた。
クレイティアはふらふらと導かれるように寝台に歩み寄り、覗き込んだ。そこには、鳶色の髪の、息を呑むほど美しい青年が、まぶたを閉じて横たわっていた。
まるでこの部屋とともに時間を止めてしまったかのように、生きている気配がしなかった。生きていれば、身体のどこかに小さな傷跡があったり、姿勢の癖からくる身体の歪みがあって当然だが、この青年にはそれがなかった。まるで精巧につくられた人形のようだ。
クレイティアはわずか12歳にして、この世で最上のものを知ってしまった。
(欲しい)
クレイティアの心臓がどくんと大きく脈打ち、全身の細胞が叫んだ。
こうしてクレイティアは、500年前に封印された精霊――現王家を正統たらしめる国家の守護精霊――との邂逅を果たしたのだった。
その後、彼女が精霊の声を聞く精霊使いとして特別な地位を得たというのは、また別の話。彼女は後に金髪の少女が現れるまで、確かに彼にとって特別な存在なのだった。




