うちの精霊
どんな英雄譚に出てくる精霊も恋物語に出てくる精霊もみんな同じで、それは人間に力を貸してくれるけど、決して人間を妻に求めたりしない。でもその例外が、今ティファニーの目の前にいる。
「ティファニー、わたしの伴侶。夜が恨めしい。お前と離れなければならない夜など、来なければいいのに」
おやすみのあいさつをして部屋から閉め出そうとしたティファニーに、男は毎度のことながら抵抗を試みた。
ぐぐ、と扉にかけた手に力が入る。それを軽々と押し返す男は、相変わらず優雅だ。
ティファニーの後ろで、弟のクリスチャン――クリスが胡乱な目をしているのを感じる。
この弟は、姉がどこからかジゴロ(女に養われて生活する男、ひも)を拾ってきたと信じて疑わなかった。
無理もない。精霊とは普通、ちょうどクリスの肩辺りをふよふよと浮いている光のように、意志も肉体もない力の塊がほとんど(たまに物語にはお告げをする精霊も出てくる)で、この男のように肉体をもっている精霊など聞いたこともない。
さらにこの自称精霊、見た目がすばらしく魅力的なのだ。
鳶色の髪と鳶色の瞳は見る者の目をはなさず、均整のとれた肉体は思わず触れたくなる。女だけではなく男までも惑わすような、悪魔的とさえいえる強烈なフェロモンを放っている。
そんな男に恋愛経験値の低い16歳の小娘が敵うはずもなく、気がついたら屋敷に滞在することを許していた。
しかし、この一線だけは何としても守り通す。
「いつになったら、共寝ができる?」
「ムリ!いつになってもムリだから」
「ではせめてキスを、ティファニー」
「‥‥したら、部屋に帰る?」
にっこりと笑って頷いた男に、ティファーはおずおずと手を伸ばした。
それを後ろで見ていたクリスは、男の話のもっていきかたのうまさに感心していた。最初にとんでもない要求を突きつけ、次にそれよりも小さな願いを言う。そうすると「それくらいならいいか」と考えてしまうのだ。クリスは密かに心のメモ帳に書き込んだ。
ティファニーが男の顔を引き寄せ、その頬に唇を寄せた、その時。
「えっ‥んっ、んんーーっ!!」
男が少女の手を握り、反対の手で彼女の首の後ろを固定して逃げられないようにし、唇で唇をふさいだ。
「‥はっ‥‥ん、んぅ‥‥」
ティファニーの抵抗が弱まると、男は少女の手を握っていた手を離し、彼女の背中をゆっくりとなぞった。もはや二人は、そのままベッドになだれ込みそうなほど、エロティックな空気をまき散らしていた。
クリスは礼儀として目を逸らしながら、心の中で秒数をかぞえていた。
(14‥15‥16‥‥)
ちゅっ、と濡れた音がして、男がティファニーを解放した。
「おやすみ」
そう言うと、ぽーっと放心しているティファニーの唇にもう一度唇を落とし、あっさりと立ち去った。
あとに残されたティファニーはへなへなと扉に寄りかかった。
そして――
(去りぎわは、あっさりと)
クリスの心のメモ帳に、また一つ書き加えられたのだった。