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AIによる人間ジャッジ

 インターネットが普及してから、人間社会は実に様々な点が変わった。個人の情報発信量が桁外れに上がったり、世界中の人々の結びつきが強くなったり、家にいながらあっという間に調べものができたり。数え上げれば切りがない。

 そんなうちの“変化”の一つに、個人レベルの行動が、記録として残ってしまうというものがある。

 例えば、君が「何を検索して」、「どんなサイトを楽しみ」、「何に対して“いいね!”」と高く評価したのかだとか、そういった痕跡が記録されてしまうのだ。

 或いはただそれだけなら、それは大して重要でもないのかもしれない。けれど、その情報を使って分析が行えるというのなら、話は変わって来る。

 日常の些細な行動が、僕らの評価材料として使われ、しかもそれで僕らの社会での扱いが変わってしまうかもしれない。

 一見、これは不可能に思える。社会に住むほとんど全ての人間の行動の記録となると、その情報量は膨大となり、とてもじゃないが分析し切る事なんて無理だろうからだ。しかし、人間には不可能でも、人工知能…… AIにならこれは可能だ。そして実際にAIはそのような方法で人間をジャッジし始めている。アメリカのFBIは危険人物を特定するのにAIを使っているらしいし、中国では融資の判断やパスポート発行の許可診断にAIが用いられているらしい。

 ――そして、

 この日本においても、それは始まってしまったのだった。

 

 AIによる人間ジャッジが始まるというニュースを聞いた時、初め僕は自分には関係ないと思っていた。

 普通に日常生活を送っている限りは特に害はないはずだ。危機感を抱かなくちゃいけないのは、ネット上で“荒らし”とか“デマを流す”とか、そういう悪さを普段からしているような連中だけだろう。

 そんな風に考えていた。

 むしろ、ネットで誰かの悪口とか嫌がらせとかを目にしないで済むようになるかもしれないと期待をしていたほどだ。

 ただ、僕の知り合いの吉田誠一という男は、

 「問題だらけだね」

 と、そうそれについて断言していた。

 それは久しぶりに一緒に買い物に行った時に偶々寄った、飲食店での会話だった。

 この吉田ってやつは物凄くマイペースで、学生の頃からテストにはまったく関係ない勉強を熱心にしていて、だからなのか、一般の人間はあまり知らないような変わった知識をたくさん持っている。

 「何が問題なんだよ?」

 僕は吉田の微妙な上から目線の物言いに軽い反発を抱いてそう言い返した。もっとも、吉田がほんの少しも困らず、淀みなく淡々とすらすらそれに返して来るだろうことは承知の上でもあったのだけど。

 「世間では、AIによるビッグデータ分析っていうのをなんだか物凄いものだと捉える風潮にあるようだね。確かに凄いことは凄い。けど、どんなに凄くてもそれが飽くまで帰納的思考に過ぎないってことを忘れてしまっている。帰納的思考である以上、帰納的思考の限界までしか信頼できないし、決して万能性がある訳でも客観性がある訳でもないんだ」

 案の定、それから吉田はそうほんの少しも困らず、淀みなく淡々とすらすらそう説明をして来た。

 「一般人にも分かるように言えよ」

 せめても悪足掻きで、僕は悪態紛いにそう返す。すると、ちょっとだけ考える仕草をした後で、やつはこう説明した。

 「そうだね、例えば、アメリカで“白人男性三人”で検索をかけると、ピクニックをしているとても平和そうな写真がヒットするとしよう。ところが“黒人男性三人”で検索をかけると、警察官に逮捕されている黒人男性がヒットするかもしれないんだな。

 このように、社会の中の偏見をビッグデータは吸収してしまっている。なら、それは客観的事実とはとてもじゃないが言えないだろう。ところが、AIの判断を客観的事実だと皆は思ってしまっている。

 これは差別や偏見を更に助長しかねない危険な兆候だよ」

 「そんなもんか?」

 「そんなもんだよ」

 吉田に言い負かされるのはいつもの事とはいえ、少しばかり悔しかった僕は今度はこう言ってみた。

 「でも、少なくとも黒人の方が犯罪者が多いってのは事実なんだろう? なら、それは客観的事実って言えるのじゃないか?」

 すると吉田は目をしかめるようにして僕を見て、こう言った。

 「それだよ」

 「どれだよ?」

 「確かにアメリカでは、黒人の方が犯罪者が多い。しかし、その考えには“プロセス”が抜け落ちている。それだけだけど、まるで“黒人である事”と“犯罪者である事”に因果関係があるように思えてしまうけど、そんな事実は何処にもないんだ」

 僕はそれを聞くと腕組みをした。

 「もう少し分かり易く」

 分かったようで、いまいち分からなかったからだ。吉田は説明を続ける。

 「アメリカで、黒人の方が犯罪者が多いのは、黒人が差別されている結果だと判断した方が良いだろう。差別されている事が原因で経済的にハンデを背負い、その所為で犯罪に走ってしまう人が多くいる。

 つまり、黒人は犯罪者が多いから差別されているのではなく、差別されているから犯罪者が多くなってしまっているんだ。

 なのに、AIが“黒人だから犯罪者である可能性が高い”とジャッジしてしまったなら、どうなると思う? 勘違いをする人が現れ、差別問題が更に悪化してしまうとは思わないか?」

 「ほーん」と僕はそれに返した。

 まぁ、分からなくもない。ただ僕は、それほどその話を真剣には捉えていなかった。正直、実感はあまり持てなかったからだ。

 「断っておくけど、これは“遠い異国の話”じゃないぜ。この日本でだって、かなりの規模の外国人労働者を受け入れているんだから。似たような事はこの日本でだって言えるんだ」

 すると、そんな僕の態度に敏感に反応したのか、吉田はそう言って来た。

 「分かったよ、分かった」

 僕は面倒くさくなってそう応えた。もちろん、まったく分かっていなかった。多分それはバレバレだったのだろう。吉田はそれからこう言った。

 「人種差別みたいに分かり易い問題なら、僕らが充分に問題意識をもって臨めば解決ができるかもしれない。

 だけど、AIは僕らが全く関連性を予想できないような情報と情報の繋がりを見つけてそれをジャッジに用いてしまう。そしてその判断の理由は僕らには分からない。要するに、ブラックボックスだ。こうなると、どう立ち向かえば良いのかも分からない。そっちの方が、ある意味じゃ、人種差別よりも厄介かもしれない」

 僕は吉田が語るのその理屈の意味をよく理解できなかった。すると、吉田は更に説明を続けた。

 「AIという名のシャーマンから、意味不明の謎のジャッジを受けると思ってくれ。“お前は呪いの子供だ”とか。反論したいけど、そもそもジャッジの理由が謎だから、どう反論すれば良いのか分からない。どうすれば、そのジャッジが覆るのかも分からない。

 さぁ、どうすれば良い?」

 吉田はなんだか深刻そうな様子だったけど、それでも僕はやっぱり呑気だった。

 「さあ?」

 と、それに応える。

 この時、彼の話の内容をよく理解していたのなら、或いは、この後の僕の運命は少しはマシになっていたのかもしれない。そうも思う。

 ……いや、そんな事もないか。

 

 その買い物が終わっての、帰りの電車の中。

 僕は一人電車に揺られていた。

 目の前には、外国人労働者だろう男の人が、やはり独り、暗い顔で電車に揺られていた。

 東南アジア系で、この日本社会にうまく馴染んでいないのか、どこか居心地悪そうにしているように見える。

 もしも、彼がその見た目通りに不幸で、それがこの日本社会の所為だとするのなら、なんとかしてあげたいとも思うけど、その為にはどうすれば良いのかも分からないし、その為に自分をどの程度犠牲にしなくちゃいけないのかも分からない。

 ちょっとの犠牲で良いのならやっても良いけど、そうじゃないのなら、やっぱり僕はそれを放っておくだろう。

 

 『AIに差別されて困っているんだが、これ、なんとかならないのか? 俺は何も悪い事をやっていないのに、はっきり言って堪らない』

 

 AIジャッジが始まってしばらく経った辺りで、僕はネットでそんなような書き込みを見つけた。どうもローン申請がAIジャッジの所為で通らなかったらしい。

 そろそろそんな書き込みをする奴が現れるのじゃないかと思っていた僕は、大してそれに驚かなかった。

 「どうせ、自業自得なんだろう?」

 だから、軽く馬鹿にするようなノリでそんな呟きをした。正直、関心はなかった。

 だって、そうだろう?

 ネット上での一方的な訴えを信じていたら、切りがない。せめて、少しくらいは証拠を見せてもらわないと。

 ただ、それから僕は、吉田の話を思い出したのだった。

 「――ああ、そうか。AIのジャッジは理由が分からないのだったな。それなら、“何も問題ない”って証拠を見せたくてもどうにもならないか……」

 少なくともこの書き込みをしている人物は、今まで一度も借金を踏み倒したりした事なんてなかったらしい。

 そう主張している。

 しかしだ、もしかしたら原因はそんな点にあるのじゃないかもしれないのだ。嘘の書き込みをしているとか、誰かの悪口を書いているとか、彼はそういう事をしていて、そしてそういう人間はローンを踏み倒す可能性が高いとAIが判断している可能性だってある。いや、それはもっと些細な事で、彼が“いいね!”を付けた動画に問題があったのかもしれないし、やっているゲームに問題があるのかもしれない。

 AIは直感的には分からない関連性を見つけ出して人間のジャッジを行うのだから、そんな可能性だってあるんだ。

 つまり、“借金の踏み倒しをしていない”はAIのジャッジが誤りであることの証明にはならないのだ。

 「なるほどね。こりゃ、厄介かも」

 僕は吉田の言った事がちょっとは理解できた気になった。

 ただし、それでもそう呟いた僕にとって、それはまったくの他人事だった。それから間もなくして僕がその当事者になるだなんて僕は夢にも思っていなかったのだ。

 

 僕はここ最近、転職活動をしている。

 実を言うと、大学を卒業して初めて入った会社は給料があまり良くなくて、しばらくいて分かったのだけど、どうやらあまり上がったりもしないらしい。

 職場の雰囲気はそれなりに良かったのだけど、将来性を見越して僕は直ぐに辞めることにしたのだ。実を言うと、僕には恋人がいるのだけど、彼女との結婚を考えると、その会社の給料では少し辛かったからだ。

 本当は後少しくらいいてもいいかとも思っていた。ただ、そうなると愛着が沸いてしまって辞め難くなるような気がしたから、思い切って早めに実行するべきだと判断したんだ。

 もちろん、次の就職先も決めないうちから辞めたりはしない。働きながら就職活動をして、確定してから辞める計画を立てた。

 そしてつい先日、狙っていた企業から採用通知が届いた。

 職場環境が良いかどうかは分からないけど、少なくともこれで給料は上がる。人生設計も立て直せる。

 僕は喜んで退職届を出し、それから有給休暇を使い切ろうと休みに入った。ところが、その最中に悲劇が起こってしまったのだった。

 それは何の変哲もないハガキ一枚で、なんら不穏な気配はなかった。だからそれを見た時、僕は何も感じなかった。宣伝にしては少し変だな、くらいの感覚だ。

 が、そこに書かれてあった文字を読んで、顔が青ざめた。

 「採用取り消しだぁ?」

 そこには採用取り消しの理由はほぼ何も書かれていなかった。非常に薄っぺらく、『都合により、貴殿の採用は取り消させていただきます』とそんな文句が書かれてあるだけだ。

 これで納得できる人間が、この世の中にいるはずがない。僕は当然、理由を説明してもらおうと電話をかけた。ふざけるな。こっちはもう退職届まで出してしまっているんだ。

 電話に出た人は、初め真っ当に相手をしてくれなかった。だけど、僕がしつこく必死に食い下がるとやがて観念したのか、

 「実は我が社では、AIジャッジを最近になって採用しましてね。そのジャッジであなたは不合格になってしまったんですよ」

 と、正直に白状した。

 AIジャッジィィ?

 僕は怒りよりもまず先に驚いた。

 「いや、ちょっと待ってください。AIジャッジだからとか関係ないですよ。そもそも僕は採用通知だって受け取っているんですから」

 「ええ、ま、それはそうなんですがね。でも、あなたの面接をした時のバージョンは、多少旧かったようなんですよ」

 「いや、それ、僕には関係ないですよね? 次からにしてくださいよ。新しいバージョンを使うのは。僕は今の職場にもう退職届を出してしまっているのですよ?」

 「それが、こっちにも事情がありましてね」

 「どんな事情です?」

 「なんと言うか、いわゆる“大人じゃない大人の事情”ってやつですよ。会社のお偉いさんがそう決めてしまいましてね。下々の私共じゃ、どうにもならないんです」

 僕はスマートフォンを握り締めながら、ゆっくりと崩れ落ちた。

 「そんなバカな……」

 そんな僕の様子をスマフォ越しに察したのか、相手の人はこんな事を言った。

 「ほら、今からでも事情を説明すれば、退職届をキャンセルしてくれるかもしれないですし」

 「いやいや、流石に無理でしょう?」

 と、それに僕は返す。

 恐らくは同情してくれているのだろうけど、なんとも無責任な発言だ。もう退職届は受理されていて、事務処理だって済んでいるんだ。今更、取り消しなんてできるはずがない。

 「分かりました。もう、いいです」

 それで何だか力が抜けてしまった僕は、そう言って通話を切った。

 それから僕は気持ちを切り替える為に、洗面所で顔を洗った。

 信じられない不運だけど、落ち込んでいる暇はない。残った有給休暇を使って、退職までに何としても次の就職先を見つけないと。のんびりはしていられなくなったけど仕方がない。それに考えようによっては、これは幸運であるとも言えるかもしれない。

 採用通知まで出しておいて、それをお偉いさんの決定で取り消して来るような会社なんてろくなもんじゃないだろう。ブラック企業である可能性がかなり高い。むしろ、就職できなくてラッキーだった。

 そう思い込むことで、僕は自らを鼓舞すると、パソコンを立ち上げて、良さげな求職情報を漁り始めた。

 「こーなったら、さっきの会社よりももっとずっと良い会社を見つけてやる!」

 怒りをやる気に変えて(半ば自棄になっているとも言える)、僕は様々な会社にコンタクトを取っていった。

 ところが、全然駄目だった。

 以前は面接くらいにまではいけたのに、全て書類審査で落とされる。しかも、審査にほとんど時間をかけずに直ぐに不採用という結果が返って来る。

 普通、もっと時間をかけるものじゃないのか?

 おかしい。

 なんだ、これは?

 少し高望みをし過ぎたかと思って、就職希望を出す会社のレベルを下げてみたけど、それでもやっぱり駄目だった。

 不採用。

 そこに至って、僕の脳裏に“AIジャッジ”という言葉がよぎった。

 ――もしかして、突然、僕を不採用にしたあの会社と同じ様に、僕はAIジャッジにはじかれているのか?

 それで恐る恐る検索をかけてみた。僕と似たような目に遭っている人がいないか確かめてみる事にしたのだ。

 すると、やはりいた。

 しかも、たくさん。

 こんなような記事も見つけた。

 

 『AIのジャッジだから、採用不採用の判断が速い。AIの判断材料の根拠となる同一の情報を複数の会社が利用している為に、そのジャッジの内容も大体同じになってしまうらしく、何処の会社に就職希望を出しても不採用の結果が返って来てしまう。

 こういった経験をしている人間が、最近、増えているらしい……』

 

 ――いやいやいや!?

 

 僕はその記事をざっと読んで頭を抱えた。

 一体、僕の何がいけなかったんだ? どうしてAIは僕を駄目だと判定している? はっきり言って、僕はネットではほぼロムっている。一か月に一回くらいしか書き込まない。“いいね”を付けたりはするけど、犯罪動画とかそういうのには付けた事はない。

 そりゃ、多少はアダルトサイトを見たりとか、アダルトDVDを買ったりだとかはあるけど、それが駄目なら、世の中のほとんどの男どもは駄目って事になってしまうはずだ。

 AIがネット以外の情報…… 例えば、街中にある監視カメラの画像を利用している可能性もあるけど(実際、中国ではそうらしい)、僕がやってる違反行為といったら、時々、信号無視をするくらいだ。大きなマイナス点になるとは思えない。

 “――いや、就職に失敗し続けているのが、本当にAIジャッジの所為かどうかはまだ分からない。確かめてみよう”

 その現実を受けとめ切れなかった僕は、消費者金融に借金の申請をしてみようと考えた。もし、AIに僕が低く評価されているのなら、審査に落ちて借金はできないはずだ。もちろん、“闇”じゃなくて、合法的な会社を選んだ。十日以内に返せば利息なしというタイプにすれば、もし審査に通ってしまっても損をする事にはならないだろう。直ぐに返せば良いんだから。

 結果はやっぱり駄目だった。

 希望した金額は100万円。それほど高い金額じゃない。僕が退職しようとしている情報は流石に知らないはずだから、それ以前の情報に基づいたAIジャッジではじかれたと判断した方が良い。

 どうやら、本当に僕はAIから差別を受けているらしい。

 そして、そのまま、僕の就職は結局決まらなかったのだった。もしかしたら、AIジャッジを利用していない会社になら引っ掛かるかもと期待したのだけど、駄目だった。どうやら世の中のほとんどの企業はAIジャッジを活用しているらしい。僕が就職活動している間で、運悪く一気に広がったなんて話は聞かないから、多分、以前から同じ状況で、AIの僕に対する評価がここ最近で急速に下がったと考える方が自然だろう。

 何故なのかは分からないけれど。

 そのまま退職の日を迎え、僕は目出度く無職になってしまった。取り敢えずの生活費を稼ぐ為に僕はコンビニでアルバイトを始めた。アルバイトすら断られたらどうしようかと思ったけど、流石にこれはあっさりと決まった。取り敢えずは、一安心だ。

 が、もちろん、このままで良いはずがない。

 職を失った事を彼女に知られたら、何を言われるか分かったもんじゃない。下手したら、別れ話すら出かねない。

 それで僕はどうせ無駄だとは思いつつも、AIジャッジを運営するいくつかの会社に問い合わせをしてみる事にした。

 『どうやらAIから低く評価されているようなのですが、身に覚えがありません。間違いではありませんか? また、もし仮に間違いでないのなら、何が原因なのかを教えていただきたいのですが』

 回答はどこも似たり寄ったりで、『企業秘密の為、お教えできません』とかそういった感じだった。その会社のAIで僕を評価しているのかどうかすらも不明。

 まぁ、予想通りだ。

 そして、これではっきりした。

 AIが何らかの誤情報に基づいて誤ったジャッジを下している可能性は当然あるのだろうけど、それを突き止められない。原因が分からないから、何を改めればAIのジャッジが変わるのかも分からない。

 「吉田が“厄介”って言っていたのは、これか……」

 だからあいつはAIジャッジを「問題だらけ」と言っていたのだ。僕はあいつの言葉の意味をようやく実感していた。自分では理解しているつもりでいたが、どうやら全く理解していなかったらしい。

 アルバイトになった所為で、僕の収入は大きく減ってしまった。真っ当に大学を出て、就職だってしていたのに、なんでかフリーターをやっている。

 ちゃんと無難な計画を立てて、その通りに行動していたのに。

 ――なんなんだこれは?

 僕はその現実を上手く受け入れられていなかった。

 ただ、何をどうすれば良いのか分からなかったから、それを放置していた。いや、この期に及んでも僕はまだ何処かでは呑気だったのだろうと思う。

 僕には学歴だってあるし、短いけれどちゃんとした会社に就職していたっていう職歴だってある。だから、時間が流れてAIのジャッジが変われば、再びチャンスが巡って来るだろうと何の根拠もなく思っていたのだ。

 ……これは悪い夢で、目が覚めれば全てが元通りになるのじゃないか?

 だがしかし、一週間が過ぎ、二週間が過ぎてもAIのジャッジが変わるような気配はなかった。そして、そんな時間の流れの中で、僕の感覚は徐々に麻痺していき、次第に危機感を感じなくなっていったのだ。

 彼女にこの事がバレる前までは。

 

 「――どうして、コンビニエンスストアでアルバイトしているのよ、神谷君!?」

 

 ある日の夜中、そう彼女から電話がかかって来た。どうやら偶々僕がコンビニで働いている姿を目にしたらしい。彼女には当然事情を説明していない。彼女は僕が転職先で社員として働いていると思っていたから、大層驚いたのだそうだ。

 ……と言うよりも、絶対に怒っていた。

 僕がAIジャッジから差別を受けているらしいという事情を説明すると、「じゃ、どうして何もしないのよ!?」とそう言われた。

 「いや、それが、何をどうすれば良いのかまるで分からないんだよ。何しろ、AIの判断の理由が分からないもんでさ」

 「だからって、諦めてどうするのよ?」

 「いや、時間が経てばどうにかなるかと思って……」

 「何を悠長な事を言っているのよ? そんなの時間が経てば経つほど状況が悪化するに決まっているじゃない!」

 そう言われて僕はようやく気が付いた。そうなのだ。AIジャッジにだけ囚われていたけど、世間一般の常識的な評価を考えるのなら、早々に会社を退職をしてフリーターをやっていたなんて経歴は認められるようなものじゃない。

 「とにかく、さっさと何とかしなさいよ! こんなんじゃ結婚だってできないじゃないの!」

 そう怒鳴って彼女は電話を切った。

 直後に無音の空間がやって来て、そのギャップのお陰で僕はようやく現実感を取り戻し始めていた。

 ――多分、このまま普通の会社に就職ができなかったら、彼女は僕をふるだろう。

 半ば予想はしていたけど、そんな未来がリアリティを伴って僕に突きつけられた。

 今の時代は男女平等。僕が働けなくたって、彼女が働ければ、夫婦生活は送れるだろう。収入はそんなに多くないが、彼女は一般の会社で働いているんだから……。

 それを彼女が認めてくれるかもという現実逃避的な妄想に僕は多分頼っていたのだと思う。それがその電話で一気に破壊されてしまったのだ。

 そして、それから冷静に僕の立たされている状況を考えてみた。このままAIジャッジが変わらなかったのなら、一生、僕はアルバイトで生きていくしかないのだ。今はそれでも良いかもしれない。でも、歳をとってこのままならどうなる?

 身寄りはいない。金も家もない。何かの病気や怪我で働けなくなったら、即アウトだ。最悪、ホームレスだって覚悟しなくちゃならないだろう。国の財政状況はピンチだから、いつまでも生活保護に頼るという道があるとも限らない。

 「これ、駄目だ…… さっさと何とかしないと!」

 そう結論付けた僕は、不当なAIジャッジを何とかする為の方法を探り始めた。似たような目に遭っている人が他にもたくさんいるという事は既に調査済みだ。なら、僕と同じ様にAIジャッジに対抗しようとしている人だってたくさんいるはずなのだ。

 探してみると、弁護士がAIジャッジの問題点について警鐘を鳴らしていたり、実際に訴訟を起こしていたりといったニュースなら見つけられた。けど、それで実際に事が大きく動いたなんて話はなかった。

 もしかしたら、十年くらい経てば解決してくれるかもしれないけど、それじゃ、いくらなんでも遅過ぎる。

 それで僕は次に“AIジャッジを覆した方法”を探してみた。

 被害者がこれだけたくさんいるのなら、AIジャッジを覆すのに成功した人だってきっといるだろう。

 そう思ったのだ。

 簡単には見つからなかった。ところが、しつこく探し続けたら『俺はAIジャッジを良くするのに成功した』というコメントがあった。

 匿名掲示板のコメントで、大して注目もされていないみたいだったけど、具体的な方法は示されていた。

 リンクが張って合って、『この宗教にお布施をするんだ』と、その人物は説明していた。

 何でもAIは信心深い人間は誠実で信頼ができると判断するのだとか。そしてその宗教団体には特に注目していて、だからその宗教団体にお布施をすれば、AIの評価が良くなるらしい。

 なんだかもっともらしく思える。

 僕は半信半疑ながら、そのコメントに対して質問をしてみた。

 『どれくらいの金額を払えば良いんだ?』

 すると、直ぐにレスポンスがあった。

 『5万~10万くらいだと思うぞ。あまり高過ぎると、宗教に騙される馬鹿な奴だと思われてマイナスになるだろうから』

 5万~10万。

 それくらいなら、出せる。まだ、多少は貯金に余裕があるし。

 ケチって効果がなくても駄目だと思って、僕は8万円ほどお布施をする事にした。

 恐らくは、これでしばらくすれば効果が出るはずだ。AIから差別を受ける事もなくなるだろう。

 それから三日ほど経って、僕は就職希望を再び出してみる事にした。AIの情報吸収は速いはずだから、それくらいで充分だろうと考えたのだ。求人サイトで良さげな会社を見繕ってメールを送ってみた。

 もしかしたら、これは面接くらいまでは行けるかもしれない。

 僕は期待しながら、そのメールの返信を待った。そして、就職希望のメールを送ってから二日後、久しぶりに彼女がアパートに遊びに来たのだった。

 「ちゃんと何とかする為に行動しているんでしょうねぇ」

 そう彼女が疑わしそうに言うので「まぁね」と僕は返す。自信あり気な僕の態度を見て取ったからか彼女は幾分か機嫌を直したようで「それは安心したわ」とそう言った。

 「ところで、具体的には何をしたの?」

 それからそう尋ねて来る。僕は「論より証拠だよ」と言ってパソコンを立ち上げた。そろそろ希望を出した会社から返信のメールが届いていてもおかしくない頃だ。運が良ければ来ているかもしれない。

 期待を込めてメーラーを開く。メーラーが開くまでの間で、彼女はこんな事を僕に語った。

 「そう言えば、私も何か方法がないか探ってみたのよ。そうしたら、AIに差別されて困っている人を狙って“お布施すればなんとかなる”っていう宗教詐欺をやっている連中がいるから気を付けろってのを見かけたわ。

 まさかとは思うけど、神谷君は大丈夫よね?」

 ――へ?

 僕はそれを聞いた瞬間顔を青くした。まさか、あの書き込みは詐欺だったのか?

 「も、もちろんだよ」

 と、僕はそれに返す。

 大丈夫、バレたりはしないはずだ。

 「ああいう手合いは直ぐに“不幸”を利用するのよ。病気を治すとか、運が良くなるとか、人の弱みにつけ込んで恥ずかしくないのかしらね?

 騙される方も騙される方だけど、不安になっている時とかって正常な判断力が麻痺しちゃうもんだから……」

 そう彼女が言っている間でメーラーが完全に立ち上がった。希望を出した会社からの返信はまだなかった。

 ただ、その代わり、不穏なタイトルのメールが届いている。

 『お布施のお礼。

 この度は、我が教団にお布施をいただき大変ありがとうございました。あなたにはきっと神のご加護が……』

 それを見た瞬間、彼女も僕も固まった。彼女が僕をじっと見る。そしてそれは、心底呆れた表情だった。

 

 僕はコンビニでバイトをしながら、茫然となっていた。

 ――どうして僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだ?

 完全に僕に呆れた彼女は僕を呆気なくふってしまった。簡単にあんな詐欺に引っ掛かった僕に彼女は愛想を尽かしたのだ。

 “ああ……、やってられない”

 何も悪くないのに。明らかに理不尽だ。そう思ったその時コンビニのレジが目に入った。レジの中にはお金が入っている。たくさん。

 店番をしているのは、僕一人だった。

 どうせ、バレない。

 そんな邪心が僕に生まれる。これだけ不幸な目に遭っているんだ。少しくらい金を貰ったって罰は当たらないはずだ。

 そうして僕はレジからお金を少しだけちょろまかした。

 大丈夫。きっとバレない。

 そう思いながら。

 ところが、それからアパートに戻って寛いでいると不意にスマートフォンのベルが“プルルッ”と鳴ったのだ。

 知らない番号だった。

 恐怖を覚えつつそれに出ると、「警察ですが……」とそんな声が。

 “ああ、そうかっ! 監視カメラだ!”

 僕はコンビニに監視カメラがある事をすっかり忘れていたのだ。

 それから直ぐに警察がやって来た。そして僕は逮捕されてしまった。

 ネット上で僕はたくさん罵倒され、そして『やっぱりAIの判断は正しかった。犯罪者を正確に見抜いていたんだ』といったようなコメントも飛んだ。

 ――違うんだ!

 僕はそれにこう反論した。

 『プロセスが逆なんだ。僕に犯罪者の兆候があるからAIが僕を差別したんじゃない。AIが差別したから僕は犯罪者になってしまったんだ。

 お願いだから、信じてくれ!』

 しかし、僕のその訴えを信じてくれる人は一人もいなかった。いや、それどころかそもそもその訴えは響きすらしなかった。情報の海に埋もれ、話題にも上らない。

 そして、そうして僕はこの世の中と人生に絶望をした……

 もう駄目だ。

 もうきっと僕は駄目なん……

 

 プルルッ プルルッ

 

 そこで目が覚めた。

 スマートフォンのベルの音に起こされたのだ。一瞬、警察からかと恐怖したけど違った。吉田からだ。

 珍しい。

 一応記憶を確りと掘り起こして、僕は自分が盗みなんてやっていないと確認をした。少々、自棄気味になっていて、レジから金を盗んでやろうかなんて妄想をしはしたけど、そんな割に合わないリスクを冒すほど僕は馬鹿じゃないし追い込まれてもいない。

 因みに、彼女ともまだ別れてはいない。彼女はかなり呆れてはいたけど、

 「神谷君。こんな宗教詐欺に引っ掛かるなんて大丈夫? よっぽど不安になっているのじゃないの?」

 なんて優しい言葉をかけてくれた。

 もっとも、このまま何の解決策も見いだせなかったら流石にまずそうだけど……

 プルルッとしつこくスマフォが鳴り続けるので僕は寝起きの頭を無理矢理に動かしながら、それを取った。

 吉田から電話連絡を入れて来るなんて滅多にない。こっちから連絡をするか、何かあったとしても事務的な文面のメールが来る場合がほとんどなのだ。

 「――何事だよ?」

 だから、僕は開口一番そう言った。すると、やつは「それはこっちのセリフだよ」とそう返して来るのだった。

 「あ?」

 と、僕は疑問の言葉を発する。僕は何も吉田に連絡なんて入れていない。ところが、吉田はこう続ける。

 「君の彼女からお願いされたんだよ。AIからの差別を受けて君が相当酷い目に遭っているみたいだから助けてやって欲しいって。

 なんで相談して来なかったんだ? 力になったのに」

 僕は吉田のその発言に驚いた。

 どうやらこいつでも友達の心配をするくらいの人間らしい感情は持っているらしい。地獄のマイペース人間の吉田は、誰に何が起ころうと“我関せず”って態度を執るものだとばかり僕は思っていた。

 なんだか拍子抜けしたような、それでいて少し嬉しいような不思議な心持ちになった僕は自然とこう言っていた。

 「はっ! けどさ、お前に相談してもどうにもならないだろう?」

 それに吉田は淡々とこう返すのだった。いつも通りの口調だ。

 「そうとも限らないよ」

 「なんか手があるのか?」

 「まぁね」

 「どんな?」

 僕は再び吉田の言葉に驚いていた。AIのジャッジが厄介で、対処がし辛いと言っていたのはこいつ自身なんだ。

 「まず、君は前いた会社には普通に就職ができた。つまり、その時はAIから差別を受けていなかった事になる」

 「それは分かる」

 僕も同じ事を考えたのだ。

 「そしてそれは転職しようとしていた時も同じだろう? 君は何社かには面接まで辿り着いているんだから。AIによる書類審査で落とされたりはしていなかった」

 「だな」

 「という事は、君の次の就職先が決まって有給休暇を取ったわずかの間で、君に対するAIの評価は最低レベルにまで下がってしまったはずなんだよ。

 つまり、それが原因であるとしか思えない」

 僕はその吉田の説明を聞いて「ちょっと待て」と言った。

 「働きながら次の就職先を探すくらいやっている連中はいくらでもいるだろう? それでAIの評価がそこまで下がるとは思えないんだけどな」

 多少は下がるかもしれないが。

 「もちろん」

 と、それに吉田は応える。

 「普通はそんな事は起こらないだろう。なら、あとは簡単だ。誰かが人為的にAIの評価が低くなるように操作したんだよ」

 「なんだって?」

 そんな事が可能なのか?

 「一体、どうやって…… AIがブラックボックスだって言ったのはお前自身だろう?」

 「そうだね。AIはブラックボックスだ。どうAIがその結論を導き出しているのかその構造は不明で、理解している人間はいないと言ってもいい。ただし、直接的には無理でも間接的に影響を与える事ならば可能だ」

 「だから、どうやって……」

 僕がそう疑問を投げかけ終える前に吉田は説明を始めていた。

 「……AIは情報を分析して結論を出すんだよ。なら、そのAIに与える情報を操作してやれば人為的に誰かを貶める事だって可能であるはずだ。

 調べてみたら、AIに情報を提供している機関はそんなに多くないんだな。AIを運営する会社よりも随分と少ない。同じ機関から各AIが情報を得ているのなら、君への評価が一律下がってしまった点にも納得がいく。

 その機関に所属する誰かと君に悪意を持った人間が知り合いだったなら、恐らくは比較的容易に君の評価が下がるような誤情報を混ぜ込む事は可能だろう」

 僕はその吉田の説明に納得しかけた。しかし、冷静に記憶を辿ってみて疑問がふと浮かんだ。

 「ちょっと待ってくれ。何処の誰がそんな事をやったって言うんだよ?」

 僕は他人から恨まれるような事は何一つしていない。いや、もちろん、記憶している限りでは、だけど。

 吉田は淡々と応えた。

 「だから僕はヒントを出したじゃないか。

 “君の次の就職先が決まって有給休暇を取ったわずかの間”って。

 その間でAIの評価が下がったというのなら、その期間にやった君の行動が原因になっているとしか思えない」

 「いや、だから、それくらいっ……」

 と、そう言いかけて僕は思い出した。前の会社を辞める理由を説明する際に、「彼女と結婚する為には給料が安すぎるんですよ」と、会社の人達に僕が言っていた事を。

 もしかしたら、そんな僕の態度を気に食わないと思った人間があの中にいたのかもしれない。

 多分、僕は幸せそうににやけながら話していたと思うし。

 「ま、多分、それだよ」

 僕の顔も見ていないのに、吉田はスマフォ越しに淡々とそう言った。

 

 ――結論から言うのであれば、吉田の推理通りだったのだろうと思われた。

 “だろうと思われた”と表現したのは、正確な真相は未だに闇の中だからだ。ただし、それでも僕はAIから差別を受ける事はなくなった。

 どうやったのか?って。

 ある週刊誌がAIジャッジの問題点で特集を組んでいて、僕のような事例を探していたのだ。それで僕は自分の体験談をネタとして提供し、探りを入れてもらった途端、『AIに誤情報が入力されていました』と謝罪の連絡が届き、一気にAIの差別が解消されたというわけだ。

 もちろん、その週刊誌を探してくれたのは吉田なのだけど。

 僕は一応これを警察にも通報してみたけど、反応は芳しくなかった。真面目に取り上げてくれるかどうかは怪しい。

 何にせよ、僕は真っ当に就職する事に成功した。彼女の機嫌も直ってくれたみたいで、結婚の話も順調に進んでいる。

 

 『便利になると新たなタイプの不便が生まれる』というけれど、これからどんどんAIが世の中に組み込まれていったその先には、果たしてどんなタイプの“不便”が待っているのだろう?

 何処まで本当か分からないけど、FBIがAIのジャッジを信用して、危険だと判断した人物を殺したが、実はその判断が誤りだったなんて話もネット上には飛び交っている。中国だってきっと、国家にとって邪魔な人間を識別するのに利用しているのだろう。まるでSF小説の中のディストピアが現実になってしまったかのようだ。

 これから先の未来を想像すると、ちょっと…… いや、かなり僕は恐ろしくなった。

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