いじめと進化と薬谷君と鋤屋君と箱小人達と第1183箱王子
どうしてこんな事になってしまったのかといえば、それは恐らくは担任の松田が馬鹿か馬鹿の振りをした馬鹿で、そして更に鋤屋という僕の友人が、それに輪をかけた大馬鹿だったからだろう。
因みに僕は神谷という名の高校二年生で、鋤屋はクラスメート、松田がその担任で、つまりは教師という事になる。
僕はこの鋤屋に巻き込まれる形で、この件に関わる事になった…… とも、言い切れないのだが、まぁ、半分以上は鋤屋の所為だから、それでも良いと思う。
事の始まりは、同じクラスにいる薬谷という名の男生徒への“いじめ”で、僕と鋤屋が松田に呼び出されたことだった。
その薬谷という奴は、情けない性格をしていて、クラス全体からなんとなくいじめられている。まぁ、それほど酷いものとも僕には思えないのだが、どういった経緯で漏れたのだか、それが少しばっかりクラス内外で問題になってしまったらしい。そして、その“いじめ”の首謀者が、鋤屋とそしてこの僕だと、どうやらそう思われているらしかったのだ。
断っておくが、僕は別にそれほどいじめが好きって訳じゃない。鋤屋に付き合うような感じで一緒にいじめているだけだ。本当だ。何しろ、鋤屋がやり過ぎるようだったら、僕はそれを止めすらしているのだから。
鋤屋は馬鹿な上に乱暴者で、限度を越していじめをしようとしてしまうようなところがある。まぁ、僕がいなかったら、今頃もっと大問題になっていただろうと思う。
だから、僕が首謀者の一人として呼び出されたのは甚だ納得がいかなかったのだが、周囲から観れば区別がつかないのかもしれない。それに、色々な意味で僕がいた方が、すんなり話が進むかとも思っていたのだけど。
ただ、結論から言うのなら、僕がいてもいなくてもあまり結果は変わらなかったかもしれない。
「松田先生、心外だな。俺らはあいつの教育をやっているんですよ。いじめだなんてとんでもない」
生徒指導室。
松田から「どうして、お前らはいじめをしているんだ?」と問い詰められると、鋤屋はいけしゃあしゃあとそう答えた。もちろん、本気で答えた訳じゃない。半分は松田を馬鹿にするような感じで、奴はそう言ったのだろうと思う。いや、仮に本気で奴がそういじめを正当化していたのだとしたってそんなのは単なる言い訳だ。鋤屋がいじめをする理由は、ただただ楽しいからに決まっている。恐らく、普通は誰だってそう思うだろう。
「ほら、あいつって少しばっかりコミュニケーション能力が低いでしょう? だから鍛えてやろうと思っているんですよ」
しかし、続けて鋤屋がそう言うと、松田は腕を組んでこう返したのだった。
「なるほど。つまり、善意でやっていると」
納得しやがった。
これが演技なのか、それとも本気だったのかは今でも僕には分からないでいるのだけど、とにかく、続けて奴はこう言ったのだった。
「クラスメートの為を想う、その心がけは立派だが、やり方に少々の問題があるな……
よし! 先生が少し調べて考えみよう」
多分、僕の頭にも鋤屋の頭にもクエッションマークが浮かんでいたと思う。松田の言っている意味は分からなかったが、これで無罪放免になるのならしめたものだ。それで僕らはそれを否定せずその方向で話を進めた。すると、それから本当に「もう、帰っていいぞ」と、そう僕らは言われたのだった。
なんだか狐につままれたような気分にはなったが、僕らは喜んでそのまま生徒指導室を出て行った。
解放だ! やったぞ!
って感じで。
この時は、まさかこれが次に繋がるとは夢にも思っていなかった。
それから一週間くらい経った頃だったと思う。放課後、再び僕らは松田から生徒指導室に呼び出された。しかも松田は「あの件でようやく進展があったぞ」と、よく分からない事を言って来る。
「あの件って何ですか?」
僕がそう尋ねると、松田は澄ました顔でこう返して来るのだ。
「お前らが薬谷の引っ込み思案を心配している件だよ。知り合いの伝手を頼って、なんとか相談に乗ってくれるカウンセラーの人を紹介してもらえてな。これから会いに行く」
僕と鋤屋はその松田の言葉に目を丸くした。
「ちょっと待ってください。何の話ですか?」
鋤屋がそう訊くと、奴は「そのままの意味だよ。お前らの方法じゃ、とてもじゃないが薬谷のシャイな性格は治らない。だから、専門家を頼るんだ」とそう説明をする。
僕と鋤屋は顔を見合わせた。
「ちょっと待ってください。なんで僕らがそんな事を……」
僕が抗議をするようにそう言うと、松田は首を傾げてこう返した。
「“なんで”って、何を言っているんだ? お前らの方から薬谷の事を心配しているって言って来たんじゃないか。それともあれは嘘だったのか?」
それに僕らは黙った。
今更嘘だとは言えない。
あれを言ったのは、鋤屋だからなんとか僕だけでも逃げられないかとも考えたけど、早く解放されたくて僕も口裏を合わせたから、もう手遅れだった。
詳しく話を聞いてみると、そのカウンセラーは隣町にいて、移動には電車が必要だった。嘘を言っていた手前強く反抗もできず、結局僕らはそれに大人しく従った。
「近くに住んでいて、運が良かったよ」
なんて松田は笑いながら言って来る。隣町でも遠すぎると、僕はそう思っていたのだが、やはり文句は言えなかった。
もしかしたら、僕らは松田に嵌められたのかもしれない。と、今でも僕はそう疑っているのだが、真相は分からない。ただ、その時僕は、面倒な事にはなったが、適当に誤魔化せば、それで逃げられるだろうとそう考えていたのだ。実際、鋤屋が大馬鹿でなければ、そうなっていた可能性は充分にあったんだ。だからこそ、大人しく従っていたという事もある。
なのに、鋤屋が……。
そのカウンセラーの家には、駅から数十分ほど歩かなくてはならなかった。嫌々従っていた僕らは、それで更にイライラを募らせた。自宅で開業しているらしく、そこは相談所にもなっていた。表札には『毒島』とある。不安を煽るような苗字だ。普通のサイズだが小奇麗な家で、なんとなく近付くのに躊躇するような雰囲気があった。だが、松田は気にせず玄関のチャイムを鳴らした。物怖じしないしない奴だ。
しばらくしてドアフォンから女の声が聞こえて来た。
「はい。どちら様でしょうか?」
凛とした雰囲気のある綺麗な声だった。てっきり男だとばかり思っていたから、僕はそれを意外に感じた。
「私、○○高校の教師をしている松田という者ですが」
と松田が応えると、「あ、はい。予定していた方ですね」とそうその女の声は返して来て、それから直ぐにドアは開いた。そこには眼鏡をかけた声の通りの印象の、やや冷たそうな印象ではあるが、とても綺麗な女が立っていた。歳は二十代後半から三十代前半といったところだろうか。
「松田先生と、鋤屋君と神谷君でしたね。どうぞ、お入りください」
その毒島という女はそう僕らに言って家の中に招いた。隣を見ると、鋤屋がポカンと大きな口を開けて、その毒島さんを眺めていた。そんな顔の鋤屋は見た事がない。
その時から、僕はとても嫌な予感を感じてはいたのだ。
客室。
「毒島ゆかりといいます。聞いているとは思いますが、カウンセラーをやっています。よろしくお願いします」
そう言って毒島さんは頭を深々と下げると、僕らに名刺を渡して来た。名刺を貰ったのは生まれて初めてで、我ながらガキっぽいとは思いつつもそれだけで僕は少しだけ感動してしまった。毒島さんは何故か白衣らしきものを着ていた。カウンセラーに白衣は必要ないと思うが、とてもよく似合っていた。
それから松田は改めて自分の名と高校の教師である事を告げ、僕らの事を教え子だと紹介するとこう続けた。
「実は彼らが級友の事を心配していまして。その事で相談に乗ってもらおうと、今日は訪ねさせてもらったのですが……」
それに毒島さんは「はい。それも先日聞いた通りですわね」とそう応えると、僕らの様子を窺うように見てからこう続けた。
「悪いのですが、その件については、彼らとだけ話をしたいのです。どうか先生は席を外してはもらえないでしょうか?」
その言葉に松田は大袈裟に驚いたような顔を見せた。
「しかし」
と、そう言いかけるのを遮るように毒島さんはこう言う。
「頼まれて、スクールカウンセラーのような事をやった経験もあります。どうか、心配しないでください。高校生達と話をするのは慣れていますから」
その言葉を受けると、松田は少し逡巡してから僕らの事を見た。松田に表情から意志を読み取る力があるかどうか疑った僕は、その視線にこう返した。
「僕らは構いませんよ。多分、先生抜きの方が色々と話し易いのですよ。ほら、こういう微妙な心の問題は」
僕がそう言ったのは、松田がいない方が都合が良いと思ったからだ。いや、松田は面倒な教師だから。
「な?」
と僕が鋤屋を肘でつつくと、奴も「ああ」とそう返して何度も頷いた。どうも、様子がおかしい。挙動不審だ。柄にもなく緊張しているように見える。
それを受けると松田は少し不満そうにはしていたが「そうか?」とそう言うと、「分かりました。では、外で待たせてもらいます」とそう言って部屋を出て行った。毒島さんはそれに付いて行き、松田を何処か別の部屋に案内したのか、しばらくしてから戻って来た。
「さて」
席に座ると毒島さんはそう言った。さっき松田が一緒にいた時とは表情が少しばかり違っている。きつそうというか、厳しそうというか。その変わった雰囲気を受けて、僕は“しまった”とそう思った。彼女は口を開く。
「あなた達は、いじめを止められないでいるのね?」
その毒島さんの言葉を受けて、僕は“やっぱりか”とそう思った。彼女は僕らを叱るつもりでいるのだ。
「松田先生から、そう聞いたのですか?」
そう慌てたように尋ねたのは鋤屋だった。毒島さんは首を横に振る。
「いいえ。
ただ、普通、教育の為にいじめをしているなんてそんな話を真に受けたりしないわ」
今度は僕が尋ねる。
「つまり、松田先生もそれを信じていないって事ですかね?」
それには毒島さんは肩竦める。
「さぁ? 正直、それは私にも分からないわね。本気で言っているようにも、そうじゃないようにも思えて。電話で話しただけの印象だけど。変わった先生よね」
なんだか松田の顔が見えなくなった途端、ズケズケと言い始めた。少しばかり性格に問題がありそうな人だ。彼女は続けた。
「とにかく君達は、本当はいじめを楽しいからやっているのでしょう? 教育の為だなんて嘘」
僕はそれを聞いて頭を掻きながら、「いやぁ 普通、分かりますよね」と言いかけたのだが、そこで鋤屋がやはりさっきのように慌てながらこう言ったのだった。
「いえ、ぼく達は本当に薬谷君の事を思ってですね……」
“ぼく”。僕は鋤屋が“ぼく”という一人称を使うのを初めて聞いた。正直、気持ち悪い。そして、この鋤屋の反応で僕は大体察してしまった。こいつは、どうも毒島さんが美人だからって舞い上がっているらしい。なんとか気に入られようとしているのだろう。自分の立場と身の程がまったく分かっていない。
その鋤屋の苦しい言葉を聞くと、毒島さんはきつく鋤屋を睨みながらこう言った。
「それなら言うけど、虐待行為は人格改善にまったく役に立たないわ。それどころか、過度なストレスは時に人格に破壊的な影響を与えすらする。過酷な環境を強いる刑務所が、暴力の再生産装置になってしまっているという話を知っているかしら?
高過ぎるストレスを与え続けると、神経症などになり、場合によっては少しの刺激で興奮が抑えられなくなる事もあるし自殺してしまう可能性だってある。或いは過度に臆病になったりね。
つまり虐待行為によって、あなた達は彼の人生そのものを台無しに、或いは酷いハンデキャップを背負わせようとしているのよ」
僕はその毒島さんの説明に慌てた。
「いや、すいません。お言葉ですが、流石にそこまで酷い事はしていませんよ。やり過ぎだと思ったらそれで止めているし」
それでそう弁解をする。ところがそれに毒島さんはこう返すのだ。
「人の足を踏んでも痛みは感じないものよ。踏まれた方にしかその痛みは分からない。あなたにどうしてそれが分かるの? 少なくとも周囲から観て問題があると思えるような虐待をあなた達がその彼に加えているのは事実なのでしょう?」
それに僕は頬を引きつらせた。どうやら思っていたよりも詳しくこの毒島さんは事情を知っているらしい。毒島さんはそれから鋤屋を睨んだ。ところが彼女は睨んだ途端、その表情を柔らかくするのだった。
どうしたのかと思って鋤屋を見てみると、明らかに動揺しているのが分かった。顔を赤くし目を大きく開けてグルグル回している。
「いや……、あの…」
なんて、どもってすらいる。
こんな鋤屋は初めて見る。少し面白い。
毒島さんが急に態度を変えたのは、この鋤屋の態度を受けてだろう。脅してはいけないと考えたのだ。
「そんなに緊張しないで、いじめを楽しいと感じてしまうのは人間の性質の一つよ。それは仕方ないとも言えるわ」
それを聞いて鋤屋は顔を明るくする。しかし、まるでその顔を叩くようにそれから彼女はこう言った。
「だからといって、いじめを正当化する理由にはならないわよ。いくら麻薬が楽しくてもやったらいけないのと同じ。飽くまで、“楽しい”と感じるのは仕方ないだけ」
それで鋤屋は落ち込んだ表情になる。まるで従順な仔犬だ。“なんだ、こいつは”と僕はそう思った。「はぁ」と息を漏らすと、それから毒島さんは言った。
「ここで問題なのはね。どうして、人間にいじめを楽しいと思ってしまう性質があるのかって事なのよ」
その毒島さんの言葉に、僕はこう疑問を口にした。
「それが本題に何か関係あるのですか?」
忘れかけていたけど、そもそもは僕らのいじめ問題ではなく、薬谷の性格改善の為にここに来ているのだ。
「あるわよ」
毒島さんはそう返す。
「何に…」と僕は言いかけたのだが、そこで鋤屋の馬鹿が僕の太ももをつねりやがった。痛ぇ。
「何するんだよ?」
僕が文句を言うと鋤屋はこう返してくる。
「ゆかり先生があるって言うんだから、あるんだよ。大人しく話を聞け」
僕はその言葉に軽く引いた。この短時間でもう名前で呼んでいる。馴れ馴れしい。それよりももっと引いたのは、鋤屋が忠実な下僕と化している点だった。いくら美人の先生だからって豹変し過ぎだろう。
「安心して」
と毒島さんはそこで言う。
「この話は、あなた達の問題行動…… つまり“いじめ”にも関係しているし、その薬谷君という子の性格改善にも関係しているわ。と言うよりも、表裏一体なのね」
「ほら」と鋤屋が言う。
なにが“ほら”だ。
「どうして、いじめを楽しいと感じてしまうか。それには恐らく、自分達と似ていない遺伝子を排除したがる人間の、生物としての性質が関与しているわ」
「遺伝子?」と僕。
「ええ」と毒島さんは返すと、それからこう続けた。
「生物は自分の遺伝子を残したがる性質を持っている。だから、自分と似たような遺伝子を優遇し、異なった遺伝子を排除しようとするはずよ。
平均化した顔を美しいと感じるという人間の性質を知っている? これは平均的な姿形をしている者の方が遺伝子が似ている可能性が大きいからと捉えれば、その原因を説明できるわ。
そして、いじめの対象となり易いのはその逆。つまり、変わり者。変わり者は、恐らく遺伝子が違っていると判断されるのね。だから排除の対象になり易い。それでいじめを楽しいと感じる性質が人間にはあるのじゃないか、と考えられる」
初めて聞く理屈だったので、僕はその話を少し面白いと感じてしまった。カウンセラーが話すような内容じゃない気もしたけど。
「なるほど。じゃ、いじめはやっぱり仕方ないのですね」
と、鋤屋の馬鹿がそう言った。“いや、そういう話じゃないだろう”と、ツッコミを入れようかと思ったが、今のこいつは少しばかり凹んだ方が良いかとも思ったので放置した。すると案の定、毒島さんは言った。
「違うわよ。弱肉強食の過酷な自然界で、人間がまだ生物として進化し続けているっていうのなら、まだ話は分かるけど、人間社会は既にそういった場ではなくなっているわ。完全にではなくても、生物のレベルの進化は既に終わっていると捉えるべきでしょう。私達は“社会”を進化させているの。
そして、“より住み易い社会を作る”という私達の目的を考えるのなら、いじめを楽しいと感じてしまう人間の性質は明らかに害になる。人間社会は既に生物としてのロジックとは別のところで進化しているのよ。
それに、生物は変わらない事を望むのと同時に、変わる事も望む性質も持っている。だから逆に“変わり者”を受け入れようとする性質だってあるはずだし、それは必要な事でもあるのよ。だから、そういう人に惹かれる女性だっていると思う」
その説明で鋤屋は大人しくなる。いい気味だと僕は思った。毒島さんは続ける。
「この話にはまだ続きがあるわ。生物が排除したがる遺伝子は、異なった遺伝子だけじゃないわよね。
劣った遺伝子。
生き残りに有利にする為には、劣った遺伝子だって排除したがるはず。つまり、弱い者だって排除したがるはず」
毒島さんの言葉に僕は続けた。
「ああ、だから“弱い者いじめ”をしたがるって事ですか」
彼女は頷く。
「そうでしょうね。テストステロンって男性ホルモンがあるのだけど、これは性欲に結びついていて、更に勝利感によって多く分泌される事が分かっている。勝利した人間はより優秀で、だから多く繁殖させようとする性質があるのだと解釈すれば、それを説明できるわ。これはいじめ行動にも関係しているのでしょうね。ただ、それを不快に感じる人間も数多くいるって事は忘れては駄目よ。その性質は人間の一面に過ぎない。
それに何が優秀な遺伝子か?という事も実はそんなに簡単な問題じゃない。例えば、暴力を振るう男性は、今の人間社会では多くの女性から嫌がられているわ。つまり、優秀な遺伝子を持っているとは認識されないのね。誰かをいじめたり、喧嘩に勝ったりすれば、それでテストステロンが分泌されて性欲も高くなる可能性があるけど、その結果として暴力的な人間になれば、女性からはモテなくなって性欲を解消できないなんて事も起こり得る」
毒島さんが話している途中で、僕は“女性からはモテなくなる”という言葉に、鋤屋が大きく反応した事に気が付いた。なんて分かり易い奴だ。
「恐らく、人間が優秀さを判断する場合、生物学的な基準に囚われる必要はないわ。何が優秀なのか、その判断をかなり柔軟に人間は変えられると考えた方が良い。生物学的には優れているとは言い難いお金持ちに女性が惹かれるのだって、本当にお金目当てとは限らないと私は考えている。
お金を持っている事を、優秀な証拠とその女性は捉えてしまっているのかもしれない。なら、そのお金持ちを本気で好きになっている可能性だって捨て切れないわ」
そこまでを聞いて、僕は疑問を口にした。
「あの…… 結局、その話の何が今回の件に関係しているのですか?」
「分からない?」
「はい」
「問題を解決するのには、まず原因から明らかにしなければならない。原因を取り除くか、無効化してしまえば問題を乗り越えられる。だから、あなた達のいじめ行動の原因についてを述べたのよ。
これを踏まえれば、どうすればあなた達が薬谷君をいじめないようになるのかが見えて来ると思わない?」
それに僕とそして鋤屋は首を傾げた。彼女に気に入られたがっている鋤屋は、なんとか答えを見つけ出そうと必死な様子だったが、思い付かなかったようだ。毒島さんは言う。
「分からないようだから、言ってしまうけど、相手の優秀さを認められれば、少なくとも“弱い者”いじめの原因は取り除ける。そういう事にならないかしら? そして、優秀さを判断する人間の能力には非常に柔軟性があるのよ。体力面で彼が劣っていたとしても、それが全てとは限らない」
僕はそれを聞いて言った。
「つまり、薬谷の何か良い点を見つけて高く評価しろって事ですか?」
「そうよ。何かしら尊敬できる点があれば、いじめの対象にはなり難くなる。それは薬谷君の自信にも繋がるでしょう。なら、同時に人格改善にもなるわ。表裏一体と先に私が言ったのはそういう事」
僕はそれを聞いて腕組みをする。
「そう言われてもなぁ……。
あいつ、確か成績も普通だったし、尊敬できる点って言われても」
「何でも良いのよ。あなた達は、その彼とそれほど親しくないのでしょう? 詳しく話を聞いてみれば何か見つかると思うわよ」
そう毒島さんが言い終えるのと同時だった。やや食い気味で、鋤屋が言う。
「分かりました。あいつに何か特技がないか訊いてみますよ」
その言葉で僕は、鋤屋が脅しでもして無理矢理に薬谷に特技を身に付けさせるつもりなのじゃないかと不安になった。同じ様に不安を思ったのかどうかは分からないが、それに毒島さんはこう返した。
「それは是非ともやってもらいたいのだけど、その前にしてもらわないといけない事があるわ」
「何です?」と嬉しそうに鋤屋。
「あなた達が“いじめ行動”に依存してしまっていないか確かめるのよ」
僕が言う。
「依存ってどういう事ですか?」
「そのままの意味よ。先にも述べたけど、人間にはいじめを楽しんでしまう性質がある。あなた達は、その楽しさを味わう為にいじめを止められなくなっているかもしれない。これは一種の病気のようなものね。もちろん、名前は付いていないけれど」
それに僕は反論した。
「そんなの大丈夫ですよ。いじめなんていつでも止められる」
「だから、それを確かめるのよ。自覚がないだけかもしれない。問題を解決する為にもっとも重要な事は、そこに問題がある事を認識する事よ。
断っておくけど、いじめ行動はあなた達自身にとっても問題になるのよ。いじめをする人間は軽蔑される。それがパワハラやセクハラといった行動に結びついて社会的地位を失う結果になるかもしれない。だから、もし社会に出る前にそれを治せなかったら、ハンデになる」
僕はそれを聞いて肩を竦めた。煙草や酒じゃあるまいし、止めようと思えば直ぐにいじめなんて止められる。僕はそう思っていたのだ。鋤屋を見てみる。鋤屋も呆れているだろうと思って。ところが何故か、鋤屋は嬉しそうにしているのだった。気持ち悪い。
なんだ、こいつ?
その嬉しそうな顔のままで鋤屋が訊いた。
「確かめるって、どうすれば良いのですか?」
「簡単よ。実際にいじめを止めてみれば良い。止められたら、依存していない。止められなかったら、依存している。取り敢えず、一週間ほど意識的に我慢してみて」
「分かりました」とそれに鋤屋は頷く。
その素直な反応に、僕はまた気持ち悪いと思って軽く引いていたのだった。“多分、脳内で何か変換かかっているぞ、こいつ”とそう思いながら。
客室の外に出ると、その気配に気が付いたのか、松田が廊下の奥の方からのっそりと間抜けな面で出て来た。
「どうだった?」
そして、やはり間抜けな面でそんな間抜けな質問をしてくる。僕はこう答えた。
「いや、ま、話はまとまりましたよ。取り敢えずのやる事は決まりました」
「どんな事をやるんだ?」
「いじめを止めてみるのだそうで。一週間ほど、意識的に」
「一週間?」
「はい」
松田は怪訝そうな顔になる。
「なんで一週間なんだ? 話はそれだけだったのか?」
「後は内緒です」と僕はそれにそう答えた。「話しちゃったら、先生と別室にした意味がないじゃないですか」と続けたが、本当はただ単に説明するのが面倒くさいだけだった。
帰り道。
松田と別れて鋤屋と二人きりになる。鋤屋の奴は妙に上機嫌で、それが却って僕には不安だった。
「おい。なんで、そんなに機嫌が良いんだ?」
それでそう訊いてみた。すると、鋤屋はそれには答えず、こう言って来た。
「ゆかり先生、美人だったよな。俺、あんなに美人な人と知り合いになったの初めてだよ。クラスの女どもなんて、彼女に比べればただのお子様だ」
僕はそれを聞いて、頭に手をやった。
「実際、まだ子共だろうよ、クラスの女達は。高校生なんだから。ただし、それは僕らも同じだぞ? 僕らだって子共だ」
お前が毒島さんに相手にされるはずがない。と、暗に言ったつもりだったが、鋤屋にはまったく通じていなかった。
「分かっているか、神谷? さっきの話で、ゆかり先生は、俺の将来の事を心配してくれていたんだぞ? 優しいよなぁ。それってきっと俺の事を気にかけているって事だと思うんだよ」
“やっぱりか”とそれを聞いて僕は思う。この馬鹿は脳内で妙な変換をかけていやがった。だから上機嫌なんだ。普通に考えればあれは単なる大人から子供へのアドバイスだろうし、そもそも鋤屋だけじゃなく僕に対しても言ったんだ。
「このまま付き合いが続いたら、優しく個人指導してくれたりしてな……」
更に鋤屋はそんな妄言を口にし始めた。妄想を口に出しているのだから、当にこれは妄言中の妄言だ。
「エロビデオの見過ぎだ、お前は」
呆れながら僕はそう言う。その僕の言葉を無視して、鋤屋は続けた。
「取り敢えず、ミッションをクリアして好印象を与えて、次に繋げないとなぁ。ゆかり先生から褒めてもらうぞ」
ミッションというのは、どうやら一週間薬谷のいじめを我慢する事のようだった。仮にそれに成功したとして、別に褒めてもらえるような話じゃないと思うのだが、恐らくは今の鋤屋には何を言っても無駄だろう。そう思って、僕は何も言わない事にした。
ミッションとやらに成功した鋤屋が得意満面で毒島さんに会いに行って、そしてまったく相手にされない光景が、今から目に浮かぶ。いくら鋤屋が馬鹿でも、流石にいじめを止めるくらい簡単にできると僕は思っていたのだ、その時は。
ところが……
薬谷が登校して来た。
眠たそうな顔。いかにも自信のなさそうなおどおどとした態度。ただでさえ背が低くて弱そうに見える姿が、それで更に弱そうに見える。髪の毛の寝癖が完全には直り切っていなくて、少し見苦しかった。僕は思わず殴ってやりたくなった。普段はそんな事はないが、恐らく、いじめるなと言われた所為だろう。却って意識してしまって、いじめたくなったのだと思う。
ただ、ま、実際にいじめはしなかったけど。少しばかりジロリと見てやっただけだ。それだけでも薬谷は臆病そうに身を竦めた。それにもイラッとしたが、それだけだ。その時、ふとなんとなく僕は思った。
“怯えられるっていうのは、拒絶されるって事なんだな。多分、イラッとくるのは、だからでもあるんじゃないか”
毒島さんの言っていた事と、これがどう関係して来るのかは分からなかったけど。
薬谷は僕の事を気にしながら、席に着いた。薬谷の席は僕の二つ前だ。鋤屋は僕の右に三つほど横の席。二人とも充分に僕の視界に入る位置にいる。因みに、鋤屋はまだ登校してきていない。いつも遅刻ギリギリで来るんだ、あいつは。
僕は僕を気にしながら席に着いた薬谷を見ながら思っていた。
“良かったじゃないか、薬谷。今日からお前は、少なくとも鋤屋と僕からはいじめられなくなるぜ”
やがて教室の前のドアから鋤屋が入って来るのが見えた。上機嫌だ。それを見た所為か薬谷は身を縮めた。鋤屋が薬谷をいじめるのは、上機嫌な時か反対に不機嫌な時が多いからだろう。きっと、鋤屋の場合、興奮状態ってのがいじめの引き金になっているんだ。
“そんなに怯えるなよ、薬谷。もう鋤屋はお前をいじめないぜ”
そう思って僕は少しだけ喜んでいた。自分でも意外だったのだけど。一緒になって薬谷をいじめていた僕が、薬谷が救われる事を喜ぶだなんて。もしかしたら、僕はあいつがそんなに嫌いじゃないのかもしれない。
鋤屋が薬谷の席に向かう。嬉しそうな顔をしている。薬谷は更に小さくなった。僕は思う。
“だから、怯えるなって”
しかし、
「よぉ! 薬谷! 相変わらず、寝ぼけた面してるな!」
そう言いながら、なんと鋤屋の奴は薬谷の顔を平手で引っ叩いたのだった。パァンっと大きな音がした。
「猪木流! 闘魂注入!」
と、奴は言う。僕は奴のその行動と言葉に驚いていた。一瞬の間の後、頬を引きつらせながら僕は訊く。
「おい、鋤屋。お前、薬谷の事をいじめないのじゃなかったのか?」
僕からそう言われて、鋤屋は「え?」と言う。そしてその後で、「だって、これは挨拶だからノーカンだろう?」とそう続けた。
「いや、誰がどう見てもいじめだろうが。頭、おかしいのか?」
一ヶ月とか二ヶ月が過ぎた後だっていうのならまだ分かる。しかし、まさか、一分も持たずに鋤屋の“いじめ禁止”が破られるとは流石に思っていなかった。
僕は呆れた。
恐らく、こいつの中でいじめは日常的な習慣になっているんだ。考えてみれば、今までも挨拶代わりにいじめるなんて事をやって来たような気がする。
「スキンシップの一環」とそれから鋤屋。
「苦しいって」と僕。
そんな会話をする僕らを、不思議そうな顔で薬谷が見ていた。多分、会話の内容を謎に思っているのだろう。まぁ、確かに事情を知らなければ、理解できないだろう。
………放課後。一日が終わった訳だが、結局、いつもよりはかなりマシだったとはいえ、鋤屋は薬谷へのいじめを止められなかった。
一応、断っておくと、僕は一度も薬谷をいじめなかった。だから、正常だ。
僕が覚えているだけでも鋤屋は、体育に行く前に、着替えている最中でズボンを履いている無防備な薬谷を蹴っていたし、昼飯の時に、薬谷をパシリに使ってジュースを買いに行かせていたし、休み時間、キャッチボール用のカラーボールを薬谷に投げつけていた。その他、細かい点を挙げれば、まだまだある。
因みに、鋤屋はそれらに対し、無防備な薬谷を蹴ったのは「修行の為」で、パシリに使ったのは「正当な契約関係に基づく」と言い、カラーボールを投げつけたのは、「目を覚ましてやろうと思って」などなどと弁明をしたが、もちろん、ほとんどが意味不明で言い訳にすらなっていない。
僕は呆れるを通り越して少し心配になってきた。こいつはもし薬谷がいなくなったらどうするのだろう? いや、ま、新たにいじめる相手を探すだけかもしれないが。しかし、それって……
「お前、もしかしたら、本当に病気なんじゃないのか? ほら、毒島さんが言っていた依存症……」
そう僕は言った。
帰り道の事だ。
鋤屋は憮然とした様子で、こう返す。
「お前、ゆかり先生に俺が薬谷をいじめたって言うなよ?」
「嘘をつく訳か? まぁ、いいけどよ、限度ってもんがあるぞ。誤魔化し切れない。松田辺りからも話聞きそうだしな、毒島さん」
するとそれに鋤屋は真顔でこう返したのだった。
「嘘って何だ? 俺は嘘なんかついてないぞ。俺は薬谷をいじめていない」
それを聞いて僕は軽く引きながら思う。
うわぁ こいつ、もしかして本当に自覚なしなのか?
「とにかく、これ以上、もう薬谷を殴ったい蹴ったり罵ったりするなよ。パシリに使うのも駄目だ」
そう僕が返すと、鋤屋はこう言った。
「なんだお前? 薬谷の心配をしているのか?」
それに僕はため息を漏らす。
「僕が心配しているのは、お前だよ」
すると鋤屋はこう言った来た。表情は大真面目だったから、きっと本気だ。
「あのなぁ 神谷、お前が気にし過ぎなだけだって。あの程度なら、いじめの内に入らないって」
僕はそれを聞いて、少々の苛立ちを覚えた。
「なら、僕ら以外の誰か第三者の意見を聞こうか?」
どうしても、こいつに思い知らせてやりたくなったのだ。いや、心配している気持ちもあったけど…… 毒島さんも言っていたけど、まずは異常だって事を自覚できなくちゃどうにもならない。
次の日、それで僕は、同じクラスの小道という女生徒を校舎裏に呼び出して、鋤屋が薬谷をいじめているように見えるかどうかを尋ねてみることにした。小道という女生徒は薬谷と同じ中学だったらしく、薬谷とよく会話をする数少ない女生徒の一人なんだ。
――校舎裏。
「あんたら、どういうつもり?」
久留間という女生徒がいきなりそう訊いて来た。校舎裏に呼び出したのは小道だけのはずなのだが、何故かその女も一緒にやって来たのだ。
小道はセミロングとオカッパの中間といった髪形をしていて、久留間はショートカット。小道が“静”なら、久留間は“動”といった感じか。二人とも背も体格も標準だが、久留間はアスリート体型をイメージさせる。というか、なんかの運動部に所属しているはずだから、実際にアスリートなのかもしれない。
「なんで、久留間が来るんだよ?」
僕がそう訊き返すと、顔をしかめながら彼女はこう答えた。
「人気のない校舎裏に男二人なんて危ないシチュエーションに、女一人で向かわせるはずないでしょうよ。しかも、鋤屋君と神谷君だなんて」
「ちょっと待て。鋤屋はともかく、僕もなのか?」
腕組みをしながら、久留間はこう返す。
「当たり前でしょう?」
それを聞くと、僕は鋤屋をじろりと見た。「なんだよ?」と奴は返す。どうも、悪い友人を持った所為で、僕の印象まで悪くなってしまっているようだ。
「ところで、何の用?」
首を傾げながら、小道がそう尋ねてきた。小道は久留間に比べれば、性格が大人しい分話し易い。僕は答える。
「いや、実は昨日から、鋤屋は薬谷をいじめないようにしているのだけど、どんな印象を持ったかと思ってさ」
それを聞くと小道は今度は反対方向に首を傾げて、こう尋ねた。
「どうして、わたしに聞くの?」
「小道はほら、薬谷とよく話しているじゃん? だから、比較的よく観察しているのじゃないかと思ってさ」
薬谷とそれなりに話している男生徒もいるが、男だと鋤屋が脅しかねないから(というか勝手に相手が気圧される)、僕は女生徒を選んだのだ。鋤屋は女には弱い。小道は怪訝そうにしながらもこう答えた。
「鋤屋君、今日も昨日も相変わらずに薬谷君の事をいじめているわよね? よく分からないけど、何にも変わってないのじゃない?」
僕はそれを聞くと鋤屋を見てみた。言葉には出さなかったが、鋤屋は目を大きく開けている。ショックを受けているのだ。これでようやく事実を受け入れてくれそうだった。それで僕はこいつを少しはフォローしてやろうかという気になってこう言ってみた。
「いや、マシにはなっているはずなんだけどね」
ところが、それから小道はそんな僕をまじまじと見つるとこう続けるのだった。
「と言うか、そう言っている神谷君本人も薬谷君の事をいじめているわよね?」
僕はそれに慌てた。反論する。
「どうして? 少なくとも昨日と今日はいじめてないぞ?」
「なんか、目で脅してなかった?」
それを聞いて僕は思い出す。確かにあいつの情けない様子を見て、苛立って昨日も今日も睨んだような気はする。
「いや、ちょっと待って。僕は少し睨んだだけじゃんか」
それには久留間が返した。
「いじめられているかどうかなんて、主観の問題でしょう? 薬谷君に訊いてみた訳じゃないけど、本人がそれで威圧されたなら、充分にいじめになるのじゃない?」
その彼女の言葉を聞くと、何故か鋤屋は嬉しそうに僕の肩に手を置いた。
「どうやら、お前も俺と同罪らしいな」
道連れができたと思って喜んでいやがる。僕はそれに反論するように言う。
「いや、待て、納得がいかない。こうなったら実際に薬谷に訊いてみようぜ」
それに鋤屋はこう返す。
「駄目だな、神谷。そりゃ、ルール違反だ」
「ルール違反って何だよ?」
「あいつに訊いたら、怖がって“いじめられていない”って答えるに決まっているだろう? それにゆかり先生と一週間は試してみるだけって約束しただろうが」
「そんな約束はしていない。単なるお前の拡大解釈だ」
その時だった。その僕らの会話を聞いて、疑問に思ったらしい久留間が質問をして来たのだった。怪訝そうな顔をしている。
「あんたら、一体、何をやっているの? それに、ゆかり先生って誰?」
それから僕らは、仕方なくこうなった経緯を彼女達に説明したのだった。
説明をし終えると、小道と久留間の二人は予想外の反応をした。何故か毒島さんの話に興味を抱いて協力すると言い出したのだ。
「前から、あんたらの薬谷君へのいじめは見ていて嫌だったのよ。それに、今の話を聞く限りじゃ、それはあなた達の為でもあるのでしょう?」
協力を拒否しようとした僕らに対して、久留間はそう言って来た。
それを受けて、僕は毒島さんが“いじめをする人間は軽蔑される”と言っていたのを思い出していた。確かに、あまり好ましい印象は持たれないらしい。いや、全員が全員、そうだとは限らないが。
「協力するって言っても、どうするつもりだよ?」
僕がそう尋ねると、久留間は小道を見て言った。
「小道。あなた、薬谷君と中学が同じだったでしょう? なら、良い所の一つや二つ知っているのじゃない?」
なるほど。毒島さんが言っていた“尊敬できる点を見つければ、いじめの対象になり難くなる”ってのを実践するつもりなのか。
それを聞くと小道は軽く首を傾げた。今までそれほど話した事がなかったから知らなかったが、どうも彼女は首を傾げるのがクセらしい。
「うーん…… 気が優しいってくらいかしらねぇ?」
それを聞くと、久留間は僕ら二人の顔をじっと見つめた。
「それじゃ駄目そうね。こいつらは“優しい”って事を尊敬しそうにない」
酷い偏見を持たれているな、と僕はそう思ったが、まぁ、好印象を受けこそすれ尊敬はしないかと思い直す。いや、情けないと思っている薬谷が、仮に優しい態度で何かに接しても生意気だくらいに思ってしまうかもしれない。
そこで鋤屋が言った。
「あいつが気の優しい奴だって事くらいは知っているぞ?」
僕はその言葉に意表を突かれる。思わず変な顔になってしまった。久留間が怪訝そうな表情でこう尋ねる。
「それを知っていて、あなたはどうして彼の事をいじめているの?」
小道のクセがうつったのか、鋤屋は軽く首を傾げると言った。
「何を言っているんだ? 気の優しい奴だって知っているから、いじめているんだろう? 性格が悪かったら、陰湿な仕返しをされそうじゃないか」
その鋤屋の返答を聞いて、僕と小道と久留間の三人は、呆れた表情になった。「なかなかの最低具合ね、あんた……」と久留間が言う。続けて小道が僕に「神谷君。友達選びは慎重にした方が良いわよ」と言い、僕は「ああ、少し考えてみる」とそう返す。
鋤屋はその僕らの反応に不思議そうにしている。
「なんだよ? なんか俺、変な事を言ったか?」
その発言を無視して久留間が言った。
「とにかく、ま、こうなったら、直接薬谷君に訊いてみるしかないかしらね。何か特技があるかって」
それに鋤屋が抗議する。
「それは駄目だ。まだゆかり先生に止められているんだから。その前に、いじめを止められるかどうか確かめるんだよ」
それに小道が返す。
「薬谷君に特技を訊くのを止められているのは、鋤屋君と神谷君で私達じゃないでしょう?」
久留間が続ける。
「それに薬谷君をいじめちゃった時点で、そのテストには不合格じゃない。あなた達はいじめ病で確定ね」
“あなた達”。僕も同類になっている事に納得のいかなかった僕は文句を言った。
「いや、僕は違うって」
無視された。
薬谷へ特技を質問する役割は、久留間と小道が担当する事になった。僕らが質問すると、薬谷が変に警戒しそうだし、まぁ、一応、鋤屋が毒島さんとの約束を守りたいと言い張ってもいたからだ。いや、実質的にはそれでも約束破りになっているって事は分かっているけど。
昼休み。教室。僕らは、少し離れた位置、会話がギリギリ聞こえるくらいの距離を取って、久留間と小道が薬谷に特技を尋ねるのを聞いていた。僕らが聞いている事を薬谷に悟られない方が良いかと思ってそうしたのだが、薬谷は僕らを意識しているようだったので、その配慮は無意味に終わりそうだった。
「何か特技って言われても」
久留間から尋ねられると、ヘナヘナとした困ったような変な顔で薬谷はそう返した。声も小さくて聞き取り難い。相変わらず情けない表情だが、何故かいつもよりは苛立ちが沸いてこない。タイミングやシチュエーションの問題だろうか。
「何でも良いのよ。これなら勝てるぞっていう何かはないかしら?」
それに薬谷はやはり困ったような顔になる。今度は無言だ。どうやら委縮している。本当に気が弱い奴だ。
そこでまるで薬谷を助けるような感じで、小道が口を開いた。
「薬谷君って確かゲームが好きだったのじゃなかったかしら?」
「確かに好きだけど、誰かに自慢できるような特技じゃないよ」
流石に小道とは話し慣れているのか、薬谷は幾分かは真っ当に答えた気がする。発音がはっきりしているように思えた。僕らのいる位置からでも聞き取れた。
「何か勝てそうなゲームがあるの?」と久留間が訊く。すると薬谷はこう答えた。
「あるパズルゲームなら、少しは強い自信があるよ。お金がなくて他にゲームを買えなくて、ほとんどそればかりやっているから」
ゲーム……
それを聞いて僕は思う。
微妙な感じだな。ゲームなんかで僕らが、特に鋤屋が薬谷を凄いと思えるかどうか。どれくらい強いのかは知らないが。ところがそれを聞くと久留間は、「あるじゃない」と嬉しそうに返したのだった。僕はその反応を疑問に思う。
「じゃ、今度、みんなでそれをやりましょうよ」
と、そしてそれから彼女はそう言ったのだった。薬谷は戸惑っていたが、まさかそれが本気の発言とは思っていないのか、曖昧に「うん」と頷いていた。その“みんな”ってのが誰の事なのかも分からないはずだし、奴にしてみれば、彼女達の言動は意味不明に思えるのだろう。多分、どう反応すれば良いのかが分からないのだ。
それから久留間は、僕らの方にやって来るとこう言った。
「聞いていたでしょう? あなた達、薬谷君とゲームで勝負しなさい」
そう久留間が言うと、彼女の背後で薬谷が驚いた顔をしたのが分かった。何か言いたそうに手を伸ばしていたが、口は開かなかった。鋤屋は肩を竦めると訊いた。
「場所は?」
「そんなもん薬谷君の家しかないでしょう? そのゲームを持っているのは、彼くらいだろうし」
その久留間の説明に、背後で更に薬谷が驚いているのが見える。明らかに嫌がっているのが分かる表情だ。人見知りが激しくてコミュニケーションが下手なあいつの事だから、自分のテリトリーに誰か他人を入れるだけでも抵抗があるだろう。その上、その相手が普段から自分をいじめている鋤屋や僕なんだから、当たり前だ。
久留間は自分が人見知りをしない性質だからそれが分からないのだろう。性格が悪いとは言わないが無神経だ。
多少は薬谷に同情した僕は、助けてやろうと思ってこう言った。
「ゲームソフトだけ持って来て、誰か他の奴の家でやれば良いんじゃないか?」
ところがそう言うと、久留間は「そんなの面倒くさいわよ」と、一蹴するのだった。僕はそこまでがんばって薬谷を助ける気もなかったし、それに、それを言った時の久留間の顔から、“考えがあるから邪魔するな”とでも言いたげな雰囲気を感じ取りもしたので、それ以上は何も言わなかった。
「俺は別に構わないが」
と鋤屋が言う。手を上げて僕は「同じく」とそう応える。それを受けると、久留間は薬谷の所へ戻るとこう言った。
「そんな訳だから、今日の放課後、薬谷君の家にわたしと小道と鋤屋君と神谷君で遊びに行くからよろしく」
今日?
その言葉には、薬谷ばかりでなく、僕も鋤屋も驚いた。いきなり勝手に決めないで欲しい。
「あの…… 今日って?」
おどおどとしながら薬谷がそう尋ねる。
「そうよ。何か予定でもあるの?」
薬谷は首を横に振る。
「……ないけど」
「なら、良いじゃない」
そう彼女は快活に言った。僕らの予定を聞く気はないらしい。強引かつ行動力が凄い。なんか薬谷とは正反対の性格だ。
放課後。そんな訳で、僕らは薬谷の家に向かった。共働きなのか、薬谷の家には誰もいなかった。
「少し待ってて」
と言って薬谷は僕らを自室の前で待たせると、部屋を片付け始めた。中からバタバタと音が聞こえて来る。鋤屋が中を覗こうとしたが久留間と小道に止められていた。また、いじめをしないという約束を忘れている。本人に言ったらきっと「これは、いじめじゃない」と言い張るだろうが。
まぁ、確かに、覗きがいじめになるかどうかの判断は微妙なところだろう。が、薬谷の性格と僕らとの関係性を考えるのなら、少なくともいじめだと判断してもおかしくない行動ではあるだろう。
そう考えてから僕は思った。
いじめかどうかを客観的に判断するってのは、実は案外、難しいのかもしれない。これは恐らく、いじめ問題をややこしくしている一因になっているのじゃないだろうか。
少し経って薬谷の自室のドアが開いた。部屋は小奇麗に片付いている。それほど時間はかからなかったから、恐らく普段からそれほど散らかしている訳ではないのだと思う。というよりも、そもそも物が少ないのかもしれない。
「入って」と薬谷に言われると、鋤屋はドカドカと無遠慮に足を踏み入れ、本棚を見回した。そして、「ロクな漫画がないな」とそう言う。どうやらこいつは、ここに来たそもそもの目的を忘れているらしい。テレビ画面の前にはしっかりゲーム機が用意されていたってのに。
薬谷はそんな鋤屋の行動を不安げに見つめながらも、ゲーム機の電源を押した。さっきは嫌がっていたが、それでも誰か他人が自分の部屋にいる事を少しは嬉しがっているようにも思えた。恥ずかしいし抵抗もあるけど、それでも嬉しい。まぁ、分からなくはない。人付き合いは苦手だが、決して人間が嫌いな訳じゃないんだろう、こいつは。いや、人間が好きだからこそ、人付き合いが苦手になってしまうのか。嫌われるのが怖くて。
しばらくしてテレビ画面に映像が流れ始める。まるで童話のような可愛い絵柄。箱を被った恐らくは小人だろうもんがたくさん群れ、小人の王子らしき姿をしたキャラクターがその小人達に指示を出している。どうやらその王子は、城のてっぺんを目指しているらしい。旗が立っているからきっとそうだ。それから箱の小人達をブロック代わりに使って階段を築いて登り、王子は旗を目指し始めた。しかし、途中で階段がなくなり、体勢を崩した王子は下に落ちてしまう。落ちた王子は涙目になり、情けない顔でばつが悪そうに辺りを見回す。そんな彼を、女の子の小人が箱を少し持ち上げてそっと覗いた。しかし、直ぐに恥ずかしそうに慌てて箱を閉じてしまう。そこで画面は暗転し、大きくタイトルが表示された。
『箱小人達と第1183箱王子』
変わったタイトルのゲームだ。パズルゲームだと聞いていたが、どんなゲームなのだろう? 久留間が訊いた。
「これが薬谷君が得意なゲーム?」
薬谷は頷く。
「うん。もう半年以上、これしかゲームはやっていないかも」
「どんなゲームなの? まずは手本を見せてみてよ」
薬谷は頷くとゲームのスタートボタンを押した。ここはこいつの部屋で、ゲームもこいつのもので、オマケに唯一のこのゲームの経験者もこいつだから当たり前だが、今、この状況の中心人物は薬谷になっている。鋤屋はそれに少し悔しがっているのか、相変わらずに本棚を眺めていた。ただ、横目でゲームを気にしている事は明らかだった。一応、奴はゲーム好きでもある。
初めのステージを選択すると、薬谷は言った。
「学校では、パズルゲームって言っちゃったけど、これは正確にはアクション・パズルゲームでね」
「うん」と、それに久留間と小道は応える。多分、二人とも何がどう違うのか分かっていない。
画面は3D。そこに城壁らしきものが映っている。よく見ると、立方体の格子でフィールドは区切られていて升目になっている。その格子の一つに、主人公だろう王子がいる。城壁の前には箱が大量に散乱していて、注意深く見つめると、時々足が出てきて移動しているのが分かる。ちょっと細めの可愛い足だ。どうやら、箱の中には小人がいるらしい。まるでヤドカリみたいだ。城壁の上には、旗が立っているから、恐らくはそこを目指せという事だろう。オープニングでやっていた通りだ。
薬谷が言った。
「城壁の上に旗があるだろう? これはあれを目指すゲームだよ。あそこまで辿り着ければステージクリア」
やっぱり。
それを訊くと久留間が不思議そうな顔をした。
「そんなの簡単じゃないの? それに、どこがパズルなの?」
きっと、彼女はパズルゲームと聞いて、ぷ○ぷ○とかテ○リ○とかを想像していたのだろうと思う。薬谷は説明を始める。
「うん。まず、この主人公の“第1183箱王子”は一段しか上に登れなくてね」
「第1183箱王子?」と訊いたのは小道だった。
「この王子の名前」
「変わった名前ね」
「うん。とにかく、だからこの第1183箱王子が上まで登る為には、箱小人達に上手く指示を出して、箱小人達で階段をつくらないといけないんだよ」
あの小人らしきものは、どうやら“箱小人”というらしい。
「どうやって?」
「うん。四角ボタンを押すと、指示ポインター選択モードに切り替わるから、それで箱小人達に目指す場所の指示を与えるんだ」
そう言うと、実際に薬谷はポインターを出してフィールド上の一点を選択し、箱小人達に指示を出した。すると、フィールドに散乱していた箱から足が出て来て、その一点を目指し始めた。ボタンを押し続けている間、小人達はその一点を目指そうとするらしい。小人達は重なる事はできないから、ポインターのある位置を目指す形で、箱小人達でできた大きな台ができる。
「なにこれ、かわいい!」
と小道が言う。
「箱小人達」
何故か少し照れながら、薬谷はそう一言だけ返した。
「なるほど。そうして、箱小人達を操って上を目指すのね。王子は箱小人達を足場に出来る訳だ」
「そう。箱小人を押したり引いたりして、配置を細かく調整する事もできるよ」
「でも、それって選択するポインターを旗の近くにしちゃえばそれで簡単にクリアできちゃうのじゃない?」
「ところが、まだこの王子には制約があってね。同じ高さにある場所しかポインターで選択はできないんだ」
「つまり、階段をつくる為には、王子が上に登ってまたポインターで指示を出す必要があるのね」
「その通り。もちろん、その為には、まず王子が指示を出す為の足場を用意する必要があるのだけどね」
そう言ってから、薬谷は王子を箱小人達の台の上の登らせ、そこからまた指示を出した。端にいた箱小人が台の上に登って来て、ポインターで示された場所を目指す。それで新たに一つ箱が積み上がり、階段が出来上がった。なるほど。と、それを見て僕は思った。新たにできた箱小人達の台の上に王子がまた登って同じ様にすれば、どんどん箱小人達が上に積み上がっていく事になるのか。まるでピラミッドのように。そして、最終的には城壁の上にある旗にまで届く。
そこで僕は色が一つだけ違う箱小人がいる事に気が付いた。
「おい。そのピンク色っぽい箱はなんだ?」
それでそう僕が訊くと、薬谷は「あ、気が付いた?」と応えた。声の調子が明るい。そんな声も出せるんだと、僕は少し驚いた。いつもこっちが委縮させているから、こんなに自然で明るい薬谷を僕は見た事がなかったのだ。
それで僕は思った。
いつも薬谷の委縮した情けない態度に僕は苛立っていたけど、考えてみれば、それってこっちが委縮させていただけなんだな、と。当たり前だが。
「このピンクの箱小人は特別なんだ」
そう薬谷は返す。そう言われて、僕はゲームのオープニングで王子を見ていた女の子の小人を思い出した。あれのことかな?
「キャラ名は“あのコ”っていって、王子のカリスマ性を上げていくと…… と言っても、単に箱小人達を突き落とさないようにしてゲームし続ければ良いだけなんだけど、そうするとあるところで、ハートモードになって、王子を乗せたまま移動できるようになるんだ」
僕はそれに疑問の声を上げる。
「それで何か良い事があるのか?」
「うん。そうすると、足場をつくらなくても上に登れるようになるし、それにクリアの速度も速くなるんだ。最後の方になると、あのコを使わないとクリアできないステージも出て来るよ」
それから薬谷は何かのアイテムを使ってそのカリスマ性とやらを高くしたようだった。どうやら、実際にやって見せた方が早いと判断したようだ。
アイテムを使うと直ぐにピンク色の箱小人にハートマークがついた。その上に登って、王子がポインタで指示すると箱小人達が移動し台ができる。その台の上に“あのコ”は王子を乗せたままで移動する。すると、自然にポインターも一段上に設定できるようになる。以後、その繰り返しで簡単に階段ができてしまった。旗のある場所にまで届く。瞬く間にクリア。
ファースト・ステージだからってのもあるかもしれないが、ハートモードになる事で随分と簡単にクリアできてしまった。なるほど、大した効果だ。
そうやって薬谷がクリアし終えるタイミングで、僕はふと横を見てみた。すると、さっきまで本棚を眺めていた鋤屋がいつの間にか“箱小人達と第1183箱王子”の説明書を読んでいた。そして、こんな事を言う。
「第1183箱王子には気になっている箱小人の女の子がいます。名前は“あのコ”。彼女の方も少しばかり第1183箱王子を気にしているよう……」
どうやら説明書にそんな事が書かれているらしい。
「お前らしい設定だな、薬谷」
笑いながら鋤屋はそう言った。
ゲームの世界で願望を満たしているとか、恐らくそんな事が言いたいのだろうが、流石にそれは考え過ぎだと思う。これで薬谷がやっているのがガンシューティングだったら、それで鬱憤を晴らしているとか言いそうだ。
「あら、かわいいじゃない」
とそう言ったのは小道だった。薬谷を庇ったように思える。
「童話みたいで好きよ、わたし、こういうの」
いや、単に自分の趣味かもしれない。久留間が続ける。
「とにかく、みんなでこのゲームをやってみましょうよ」
それから僕らはしばらく“箱小人達と第1183箱王子”をプレイしてみた。見ている時は簡単そうに思えたが、実際にやってみるとこれが意外に難しい。箱小人達の数が制限されているから、足場を上手くつくれなかったり、最後の一段ができなかったりとそれなりに頭を使う。
積み上がってから、箱小人達を微調整すれば良いのだけど、二段以上の高さ、箱小人を落としてしまうとそれでカリスマ性が下がってしまう。そのペナルティを考慮に入れると、微調整にも限界があった。
いつの間にか、僕らはそのゲームに夢中になっていた。久留間も小道も鋤屋まで、熱心にゲームをやっている。最初の方のステージは皆クリアできていたが、少し難しくなるともう駄目だった。悪戦苦闘している僕らを見かねてか、薬谷が言う。
「このゲームは、箱小人達の積み上げる前の配置がとても重要なんだよ。その配置で、どんな風に箱小人達が積み上がるのかが大体決まって来るから。積み上がる形をイメージして、箱小人達の配置を変えてから、積み上げていくと良いと思うよ」
なるほど、とそれを聞いて僕は思った。いつもいきなり積み上げに入るから駄目だったのか。そのアドバイスお蔭で、僕らはよりスムーズにゲームを進められた。それからも薬谷は適度なアドバイスを加えていった。それで少し難易度の高いステージも僕らはクリアできるようになった。
なんでもかんでも教えられるとゲームがつまらなくなるし、プライドも傷つくもんだが、その辺りのさじ加減を薬谷はよく分かっているようで、気持ち良くプレイできた。人の細かな心情を察する能力には秀でているんだな、こいつは。と、それで僕はそう思った。
ある程度、皆の実力がついてきただろう辺りで、久留間が言った。
「ねぇ そろそろ対戦してみない?」
そう。このゲームには対戦モードもあって、複数人でプレイできるのだ。ただし、薬谷はゲームのコントローラーを二つしか持っていないから同時に二人までしか対戦ができない。対戦のルールはもちろん、旗のある場所まで、最初に辿り着いた方の勝ちだ。
「よし、薬谷。やろうぜ!」
とそう言ったのは鋤屋だった。しばらくゲームをやって自信をつけたらしい。ただ、薬谷に勝てるとは思えない。鋤屋は少しばかり単純な性格をしているから、簡単に自惚れる。案の定、ゲームを始めると、簡単に鋤屋は負けてしまった。当然の結果だと思うのだけど、鋤屋は明らかにショックを受けていた。
「じゃ、次はわたし」と言って久留間が手を上げる。やはり薬谷には勝てない。小道も同様で、最後は僕だったが、やっぱりまるで相手にならなかった。一通り終わったところで、鋤屋が「もう一度やる」と言って、コントローラーを握った。
「いいけど」
と、その時、薬谷は困ったような顔で言った。それを見てか、久留間が言う。
「薬谷君。手を抜いちゃ駄目だからね」
それでびっくりしたような表情を薬谷は浮かべた。どうやら、鋤屋に気を遣ってわざと負けようとしていたようだ。それを受けて鋤屋は不敵に笑う。
「手を抜く必要なんざないぜ、薬谷。今度はお前に勝ってやる。俺はこのゲームの対戦必勝方法を見つけたんだ」
自信満々だが、どうせまた自惚れだろうと僕は思っていた。しかし、
「フハハハ! どうだ、薬谷! これならクリアできないだろう」
以外にも鋤屋はかなり粘っていたのだ。奴が執った戦法は単純。簡単に言えば、とことん薬谷が箱小人を積むのを邪魔するのだ。
薬谷が操る第1183箱王子とその対戦相手で鋤屋が操る第1182箱王子(面倒くさいので、それぞれ薬谷、鋤屋と呼ぶ事にする。因みに、プレイヤーが増えれば増える程81王子……、80王子……と順位は上がっていくらしい。つまり、主人公の順位が最も低い事になる。なんとなく、薬谷に似合っているゲームだ)は、それぞれ自分に従う箱小人を持っている。当然、勝つ為には手駒の箱小人達を操って、階段を積み上げていく事になるのだが、鋤屋はそれをしなかったのだ。薬谷が積んだ階段を片っ端から崩したり、登ろうとする薬谷を突き落としたりしている。流石に薬谷も困っていた。
「うわ。性格悪い」
と、それを見て久留間が言った。まぁ、僕でもそう思う。しかし、上級者の薬谷に勝つにはこうでもしないと無理かもしれない。
「勝てばいいんだよ、勝てば」
それに鋤屋はそう返す。しかし、そう返した瞬間だった。例のピンク色の箱小人、“あのコ”にハートマークが浮かんだのだ。ハートモードが発動したのだろう。そして、何を思ったのか、その後で薬谷は鋤屋がいるのとは反対側にポインターを合わせたのだった。そっちは鋤屋の箱小人達がいる場所だ。意味がないはずだ。しかし、なんと驚いた事に、鋤屋の手駒であったはずの箱小人達の多くは、薬谷のその指示に従ってしまったのだった。
ハートモードのお蔭で、薬谷はあっという間に階段を築いて、城壁を登り切ってしまう。鋤屋は邪魔しようとしたが、間に合わなかった。そのまま旗まで辿り着いて、それで呆気なく薬谷の勝ちで終わった。驚いた顔をして鋤屋は薬谷を見る。説明を求めているのだろう。
「相手の箱小人でも自分の箱小人でも王子でも、とにかく突き落とすような酷い真似をすると、カリスマ性が下がって、自分の箱小人達が相手に寝返っちゃうんだよ。全部、寝返る訳じゃないけど」
「聞いてないぞ?」
「鋤屋君、説明書を読んでいたじゃない」
その薬谷の反応に僕は少しばかり驚いた。珍しく強気だ。どうも鋤屋のあまりマナーのよろしくないプレイに怒っているようだ。久留間と小道がその薬谷の反応に喜んでいるのが分かった。しかし、
「ふざけるな! こっちは初心者なんだから、そんなのナシにしろよ!」
そう鋤屋が声を荒げると、直ぐに薬谷のその強気は萎れてしまった。
「まぁ、そういう風にゲーム設定をいじれもするけど」
そして、情けない顔でそう言って対戦のルール設定画面に行こうとする。しかし、それを久留間が止めるのだった。
「それは駄目」
「どうしてだよ?」と、そう抗議したのは鋤屋だった。久留間は答える。
「意地悪プレイをオーケーにしても、薬谷君は相手を邪魔するなんてしないでしょう? だからよ」
多分、万が一でも鋤屋が勝つ、或いは引き分けになる可能性を排除したかったんだ。僕らの目的を考えるのなら、鋤屋は薬谷に負けないといけないはずだから。
女には弱い鋤屋は、毅然としてそう言う久留間に何も返せなかった。渋々と真っ当なルールでのプレイを認めてしまう。
そして、
そのまま普通のルールでゲームを続行した結果、薬谷には誰も勝てなかったのだった。一度も。
「くそう!」
と鋤屋は悔しがっていた。この結果はまぁ予想できた。ただ、それでも僕には解せない点があった。
「にしても、薬谷。お前、少しばかり対戦に慣れ過ぎていないか?」
僕の認識している通りなら、薬谷には友達が少ないはずだ。なら、必然的に一人用でゲームをやる事になる。つまり、対戦プレイには不慣れなはずなのだ。
それに薬谷はこう答えた。
「うん。ほら、今は家から他の人達と対戦できるからさ」
それを聞いて僕は察する。
「ああ、ネット対戦か」
「そう」
「あれって順位出るんだろう? 何位くらいなんだよ、お前は」
すると少し照れながら薬谷はこう答えた。
「全国だと10位から50位の間くらい」
僕はその答えに驚く。
「それって凄いのじゃないか? この地区だと何位だよ?」
「ここ最近は、ずっと1位かも」
「1位!」
薬谷以外の全員が、そう一斉に声を発した。その声を受けて、薬谷は顔を真っ赤にする。照れ過ぎだろうと僕は思った。久留間が驚いた顔のままで言った。
「つまり、薬谷君はここら辺でこのゲームが一番強いってこと? なら、わたし達が勝てなくても当たり前じゃない」
そこで僕は鋤屋を見てみた。さっきの悔しそうな顔が少しは和らいでいるのが分かった。“薬谷が凄い”という結論のお蔭で、自分のプライドを護れたからだろう。
そんなところで「ただいまー」という声が響いて来た。薬谷が反応する。その少し後でドアが開いた。
「あらあら、珍しい。お友達?」
そういっておばさんが顔を出す。どうやら、薬谷の母親のようだ。僕らは「お邪魔しています」と一斉に言った。薬谷の母親はそれを受けて、
「はい、こんばんは」
とそう返した。嬉しそうにしている。多分、内気な自分の息子が友達を家に連れて来た事に喜んでいるのだろう。その人の好さそうなおばさんの嬉しそうな表情に、僕は少しばかりの罪悪感を思った。
“おばさん。僕らは普段、あなたの子供をいつもはいじめているんですよ?”
時計を見ると十九時近くだった。もう、こんな時間かと僕が思ったタイミングで、久留間が口を開いた。
「いけない。ちょっと長居し過ぎちゃった。そろそろ帰らないと」
どうやら同じ事を思ったらしい。それで、僕らは皆帰る事にした。
帰り道。
「どう? 少しは薬谷君に対する意識が変わったのじゃない?」
そう久留間が言って来た。
「まぁ、少しはな」
とそれに鋤屋が返す。僕もそれは同じ感想だった。今までいじめてきただけだったから知らなかったが、あいつも色々な顔を持っているんだ。ただ単に情けないだけの奴じゃないらしい。
「ほら、わたしはスポーツをやっているから、相手を認めるのに手っ取り早いのは、勝負に負ける事だって実感しているのよね」
そう久留間は続けた。
「だから、ゲームで僕らに勝負させた訳だ」と僕が言うと彼女は「まぁねぇ」とそう返した。
「それに、薬谷君の家にわたし達が行くのだって距離を縮めるのに良いかもって思ったのよ。彼自身にとっても。彼、嫌がっていたみたいだったけど」
それを聞いて僕は“なんだ、久留間、ちゃんと分かっていたのか”とそう思った。それから僕は言う。
「でも、この次はどうするんだ? これで全て解決する訳じゃないだろう?」
僕は鋤屋を見てみた。この程度の事で、この馬鹿の“いじめ病”が治るとも思えないし、クラス全体の薬谷をいじめられっ子扱いする雰囲気も消えはしないだろう。
それには小道が答えた。
「取り敢えず、その毒島先生って人へ相談してみるべきじゃない? なんとなく、取っかかりはできたのだし」
僕は少しその提案を嫌がったが、恐らくは毒島さんに会えるからだろうが、鋤屋は大賛成した。本当に単純な奴だ。それで次の日に毒島さんに会いに行く事に決まった。
当然のように久留間と小道は、毒島さんの家に付いて来た。“事の経緯を説明するのなら、わたし達がいた方が良いでしょう”というのが彼女達が言ったその理由。僕は気にしていないが、鋤屋は毒島さんとの約束を破ったと考えているらしく、その言い訳の為に彼女達の存在は必要だったようで、それに反対しなかった。僕にも反対する理由はない。
因みに、松田に話は通さなかった。いや、あいつが関わるとなんかややこしくなりそうだし。
「なるほどね」
と、僕らの説明を聞き終えると、毒島さんはそう言った。場所は以前と同じ様に客室だった。人数が増えた所為で、少し窮屈に感じる。
「はい。わたし達が勝手に進めた事ですから、彼らを怒らないでください」
そう言ったのは久留間だった。毒島さんがその言葉にどう反応にするかに鋤屋が少しばかり緊張しているのが分かる。毒島さんはくすりと笑うとこう返した。
「別に怒ったりしないわよ。そもそも、私がまずはいじめを我慢するように言ったのは、自分に問題がある事を自覚してもらう為だし」
それから少し間をつくった後で、彼女はこう続ける。
「それに、結果的にはとても良かったのじゃないかしら。その薬谷君という子の特技も判明したし」
彼女は両の指を組み合わせて作った拳を、机の上に置く。
小道が言った。
「でも、取り敢えずそれは良かったと思うのですが、これからどうすれば良いのかが分からなくてですね」
それを聞くと毒島さんは何かを考えるような仕草をした。
「一番良いのは、何かその特技が皆の役に立つような状況下をつくる事かしらね?」
「役に立つ状況下?」と僕は疑問符の付いた声を上げた。
「そう。差別問題は、人間社会に一般的に観られる根深い問題だけど、簡単に異なった人種を受け入れられているケースも実は存在するのよ。
例えば、“助っ人外国人選手”」
その言葉に僕らは「は?」と声を上げた。いや、普通そうなるだろう。ただ、久留間だけは直ぐに反応してこう言う。
「助っ人外国人選手というと、野球のランディ・バースとか、クロマティとか、サッカーのラモス瑠偉とか、アルシンドとかのこと……、ですか?」
なんでか彼女は、チョイスが少し古い。
「そうね。反対に日本人選手が海外のチームに入っていたりもする。イチロー選手とか、野茂選手とか、本田選手とか。
そして、自分達が応援するチームに入り活躍するのなら、比較的スムーズに外部からやってきた異人種の事を、人々は受け入れてくれるようなのよ。
多くの外国人選手が日本で大変に親しまれているのは、よく知っているでしょう? 随分と昔の選手なのにまだ人気があったりもする。私はその要因の一つには、間違いなく“役に立つ事”があると考えている」
小道がそれを聞いて首を傾げる。
「確かにそんな気もしますけども、どうしてでしょう?」
毒島さんは説明する。
「恐らく、それも進化と関係しているのだと思うわ。役に立つ者を受け入れるのなら、当然、生き残りに有利になる。もちろん、それが嫉妬の感情と結びついてしまったのなら逆効果になるけど、少なくとも集団ではその傾向は少ないと考えて良さそう」
それを聞くと僕は腕を組んだ。
「なるほど。つまり、薬谷が何か皆の役に立てば良いって話ですか? でも、ゲームが上手いのが役に立つ状況下をつくるってちょっと難しくないですか?」
少なくとも僕には思い付かなかった。
ところがそう僕が言い終えると、久留間が口を開いてこう言うのだった。
「いや、そうでもないわよ」
「できるの?」と僕は疑問の声。
「後少しで文化祭があるでしょう? そこであの“箱小人達と第1183箱王子”ってゲームの大会をやるのよ。クラスの出し物の一つとして。優秀賞金付きで参加者を募れば、きっと出場者は集まると思うわ」
僕はそれに反論した。
「ちょっと待て。つまり、文化祭のクラスのイベントに無理矢理ゲーム大会を組み込もうってのか? 薬谷一人だけの為に? そんな事、許されるのか?」
「何を言っているのよ? どうせ、神谷君も鋤屋君も真面目にクラスの出し物をやる気なんてないでしょう?」
「そりゃそうだけど、そういう問題じゃなくってさ…… そうだ。他の連中をどう説得するんだよ?」
「参加費を取れば、クラスの稼ぎになるわ。薬谷君が優勝した場合は、優勝賞金も含めて全てクラスのもの… って事にすれば、反対も出ないでしょう。松田先生なら上手く説得できる自信があるし」
僕はそう言われて、確かにあの馬鹿の松田なら誤魔化せるような気がした。しかし、クラスの連中の中には頭の堅い奴もいる。その見通しは、少し楽観的に過ぎるように僕には思えた。ところが、それで僕が口を開こうとすると鋤屋がそれを遮るようにこう言ったのだった。
「心配するな。そういう強引なのは、俺に任しておけよ」
握り拳を作って見せている。どうやら文化祭実行委員を脅しでもして、無理にこの案を通すつもりでいるらしい。
恐らく…… というか絶対に、毒島さんの前にいる所為で緊張して、今までまるで借りてきた猫のように大人しかった鋤屋だが、今は活き活きとした表情を見せている。きっと、毒島さんに良いところを見せられたと思っているからだろうが、こいつは自分の発言の問題点にまったく気が付いていない。
ヤクザか、お前は……
僕は心の中でツッコミを入れた。
案の定、毒島さんはやや険しい顔で鋤屋を見ていた。呆れているようだ。その表情で流石に自分のミスに気が付いたのか、鋤屋は“しまった”といった表情を見せる。
「まぁ、今の発言は聞かなかった事にしてあげるわ」
そう言って軽くため息を漏らすと、それから彼女は続けた。
「とにかく、もしそれが実現できるのなら、私もその考えには賛成だわ。少なくとも試してみる価値はあると思う。ただ、あまり滅茶苦茶はしないでね。松田先生に迷惑をかけるような事にならないようにして」
毒島さんが認めたのなら、僕が反対したところで無駄だろう。僕はそれからは何も言わなかった。そして、それで文化祭の出し物の一つとして、“箱小人達と第1183箱王子”のゲーム大会をやる為に動き出す事が決まってしまったのだった。
行動力のある久留間と、非合法(と言ってしまって良いともう)な力技で無理を通す鋤屋。この二人がタッグを組んで、強力強引に推し進めたものだから、意外なほどスムーズに文化祭で“箱小人達と第1183箱王子”のトーナメント戦をやる運びになってしまった。当然のように薬谷の意見は無視だ。いや、恐らく意見を訊いてすらいない。それもいじめじゃないかとも思えるのだが、鋤屋はともかく久留間もまるで気にしていない。必要悪だとでも思っているのかもしれない。もしかしたら、小道あたりが薬谷を説得したのかもしれないが、そこまでは知らない。松田も久留間の予想通り、簡単に丸め込まれてしまった。それで、むしろノリノリになっている。
「内気な薬谷が、皆の前でやるゲーム大会に出場するとは大きな進歩だ! 教師としてもとても嬉しい」
なんて喜んでいやがる。
本当に単純だ。ただ、その奴の言葉で、僕はある不安な点に気が付いたのだった。
薬谷の晴れ舞台を用意したまではいい。しかし、あの薬谷が平常心でゲーム大会に臨めるだろうか? 下手したら、普段の実力の半分も出せないで負けてしまう可能性だってあるじゃないか。
久留間や鋤屋じゃ、これを話しても気にしないだろう。そう思った僕は、小道にそれを相談してみたのだった。
すると、
「多分、大丈夫だと思うわよ」
と、そうあっさり彼女は返すのだった。僕は不思議に思う。
「根拠は?」
「彼、気が優しいって言ったでしょう?」
「ああ」
「自分の為だったらどうか分からない。みんなを見返してやろうとか、期待に応えようとか。それなら緊張してガチガチになると思う。でも、他の人の為なら別。もしも、自分が失敗したら、トーナメント戦を強引に推し進めた久留間や鋤屋君が悪く言われる事になるでしょう? だから、きっといい感じに気を引き締められていると思う。彼」
僕は少し考えると訊いた。
「あいつらが勝手に薬谷に押し付けた事なのに、薬谷はあいつらの為にがんばるって言うのか?」
しかも鋤屋は普段、薬谷の事をいじめているのに。
「そうよ」
「いや、なんでそんな風に思うんだよ? 久留間と鋤屋の自業自得だろ? 放っておけば良いじゃないか」
小道は首を軽く傾げる。そして、
「それができないのが薬谷君なのよ。神谷君は彼とずっと一緒にいたのに分から……」
と言いかけ、それから多少嫌味っぽい表情になるとこう僕に言った。
「あっ あなたは、ずっと、いじめていただけだから分からないか。そういうの」
と。
僕はそれを聞いた瞬間、なんだか自分の心に何かがぽっかりと空いてるような欠落感を味わった。今空いた穴じゃない。ずっと前からそれは空いていたんだ。ただ、それに僕が気付かないでいただけで。
もしかしたら僕は、罪悪感を和らげる為に、薬谷の事をくだらない奴だと思い込もうとしていたのか?
そして、そんな事を思った。
そうして順調にクラスの正規の出し物とは別に、教室の一角を利用しての“箱小人達と第1183箱王子”のトーナメント戦によるゲーム大会が開かれる事になった。ただし、ほとんど人手は借りられなくて僕らだけで準備をした。幸い機材の類はクラスの連中から借りられて、大きめのテレビとゲーム機、ソフトをそれぞれ二台用意できた。ゲーム機とソフトの一つは薬谷の物だ。
参加費は一人千円で、全員で8名。優勝賞金は五千円だから、仮に薬谷が優勝できなくても三千円は儲かる計算になる。流石、久留間、ちゃっかりしている…… と思ったのだが、恐らくはその高めの参加費の所為でちょっとした問題が起こってしまったのだった。文化祭当日。なんとか7人までは集まったのだが、最後の1人が集まらなかったのだ。
ゲーム大会は二日目に開催する事になっていたのだが、一日目がそろそろ終わろうという頃合いになっても参加希望者は現れなかった。仕方がないので、一人はシードという事にして、そのまま決行…… となりかけたのだが、そんなところで声が上がった。
「俺がやる」
そして、それは、なんと鋤屋だったのだ。
鋤屋は参加を表明するなり、薬谷を指差しながらこう言った。
「いいか、薬谷! 今度こそは、負けないからな! 俺も“箱小人達と第1183箱王子”を買って、家でやり込んだんだ」
当然、それを受けて久留間と小道とそして僕は呆れた顔になった。こいつは、今回のこのゲーム大会の開催理由をまったく忘れてしまっているらしい。
ただ、久留間は呆れながらもその参加を受け入れた。何にしても最後の一人が集まったのは助かったし、それに鋤屋が薬谷に勝てるとも思えなかったからだ。皆の前で鋤屋が薬谷に負けるのも目的に適っているといえるかもしれないし。いや、そもそも薬谷に当たる前に負けるかもしれないが。
そして、二日目。ゲーム大会はいよいよ始まったのだった。
小道が言っていた通り、薬谷は緊張してはいるようだったが、本来の実力が発揮できないという事はなかった。いや、僕は薬谷の本来の実力を知らないから、実は発揮できていないのかもしれないが、とにかく、余裕で一回戦は勝ってしまった。
驚いたのは鋤屋だ。どうやら本人の言葉通り本当に“箱小人達と第1183箱王子”をやり込んで来たようで、辛勝ではあったが一回戦を勝ち抜いてしまったのだ。しかも相手を邪魔する卑怯な手段はあまり使わなかった。適度に使う分には有効であるはずなのに。まぁ、クラスの連中の目を少しは気にしたのかもしれない。
薬谷はAブロックで、鋤屋はBブロックだからこのまま二人とも勝ち進めば決勝で当たる事になる。
二回戦。人数が少ないから、これが準決勝になるのだが、薬谷は危なげなく勝利した。そして、鋤屋だ。
鋤屋の対戦相手はYGと名乗っていた。もちろん偽名だろう。本名でエントリーするルールはないので問題はない。しかし、その名にどうも薬谷は見覚えがあるようなのだった。
「何処で見たっていうんだよ?」
僕はそう奴に尋ねる。YGなんてほとんどイニシャルだ。何処にでも有り触れてありそうだから、見覚えがあるっていうなら印象深い場所で見かけたという事になる。YGと名乗っているそいつは、見た目高校生か大学生くらいでソバカス顔の釣り目で、なんとなく嫌味な野郎に思えた。態度も自信満々で気に食わない。
しばらくして薬谷は言った。
「あ、思い出した。この地区で二位の人が、確かYGって名乗っていた気がする」
「この地区で二位って、“箱小人達と第1183箱王子”のネットランキングの事か? って事は、あいつはお前の次に強いのか?」
なら、あの自信満々の態度の訳も分かる気がする。それを鋤屋に伝えるべきか迷っているところで鋤屋の二回戦が始まってしまった。
まずは鋤屋もYGもお互いに箱小人達の配置決めから始めたようだった。ここまでは普通のプレイだ。しかし、それから階段を積み上げようとするタイミングで、YGは変わった行動に出たのだった。
「なんだ?」
YGは鋤屋が配置した箱小人の位置を押してずらしてしまったのだ。ただ、大きくは違わない。ほんの少しだけだ。その行動に何の意味があるのか僕には分からなかった。自分の積むのが遅れるだけ不利になりそうな気がする。しかし、
「あー、足場が上手くつくれネェ。こいつ、さっき邪魔してやがったのか!」
鋤屋がそう叫んだのだ。
そう。どうも、YGがずらした箱小人は鋤屋が箱小人達を積み上げる為のキーストーンになっていたらしく、それで鋤屋はスムーズに箱小人を積み上げる事ができなくなってしまったのだ。
仕方なくそれから鋤屋は積み上がった箱小人達を微調整し始めた。しかし、すると今度はYGはそうやってできた階段を鋤屋よりも先に登ってしまった。慌てて鋤屋もそれを追いかける。ところがその登った鋤屋をYGは突き落としたのだった。
これはペナルティになる。奴のカリスマ性は下がる事になる。しかし、YGにそれを気にした様子は微塵もない。そしてそれから、何をするのかと思ったら、自分の箱小人に指示を与え、階段をつくっているじゃないか。
YGの箱小人達は遠く離れているが、どうも指示を与える範囲に制限はないらしい。上にいるYGの方が有利なのか、それとも単に操作が上手いのか、鋤屋が登ろうする度にYGは突き落とし、そして徐々に自分の箱小人達を整えていく。
鋤屋が苛立っているのは明らかだった。「この卑怯者め」と呟いている。YGはそんな鋤屋を馬鹿にした目つきで一瞥した。そして、それでどうやら鋤屋は切れたようだった。
「こうなったら、目には目をだ!」
そう言うと、鋤屋はYGが積み上げている箱小人達の方に向かって行った。しかし、それを見て薬谷は「あ、駄目」とそう言うのだった。そしてその瞬間、「もう遅い」とでも言っているかのような表情でYGは突然、指示ポインターを自分の目の前にやったのだった。つまり、鋤屋が必死に積み上げた箱小人達の所。
僕はそれに混乱する。
今まで少しずつ整えて来た自分の箱小人達の階段がそれで崩れてしまうからだ。それからYGの箱小人達は鋤屋が積み上げた箱小人達の作りかけの階段に大挙して押し寄せていった。鋤屋は崩してやろうと思っていた箱小人達が勝手に崩れていったものだから、何をして良いのか一瞬分からなくなったようだった。
が、次の瞬間、鋤屋はYGの意図を察したようで「あ、そうか。ちくしょう!」とそう呟いた。
それで鋤屋は、自分の箱小人達を移動させようとしたが時はもう遅かった。鋤屋の箱小人達の上にYGの箱小人達が登り、階段をつくってしまっていたのだ。何かに乗られると箱小人達はもう動く事ができない。そして、既に階段の上にいるYGの目の前には、ゴールの旗が見えていた。
鋤屋は必死に階段を上ったが、間に合うはずもなく、YGの方が先に旗に辿り着く。そうして、鋤屋は負けてしまった。
悔しそうに肩を震わせながら鋤屋は立ち上がる。
……あ、やばいな。
と、それを見て僕は思う。鋤屋がYGを殴ってしまうかもしれないと思ったのだ。騒ぎになれば下手したら大会が中止になる。しかし、驚いた事にそれを薬谷が止めたのだった。
「大丈夫、鋤屋君。まだ、僕がいるから」
薬谷はYGを睨みつけ続ける鋤屋にそう言った。それは普段の薬谷とは思えない程に毅然とした態度だった。それで僕は小道の言った事を実感したのだ。
自分じゃなく、他の人の為なら薬谷は情けない野郎ではなくなる。
鋤屋はなんとか薬谷の言葉で自分を抑える事ができたようだった。歯軋りをしていたが、そのまま教室を出て行く。そのやり取りを受けてYGは薬谷を睨みつけた。怖気づくかと思ったのだが薬谷は睨み返した。どこで知ったのかは分からないが、YGは薬谷がこの地区の“箱小人達と第1183箱王子”ネットランキング一位の男だと知っているらしい。恐らく、それでわざわざこの大会に出場したのだろう。薬谷を負かす為に。
そこで久留間が大きな声で言った。
「はい。ここで、十分ほど休憩にします。その後は、いよいよ決勝戦です」
久留間がこの大会の司会進行をやっているのだ。休憩時間で僕は薬谷に話しかけた。
「薬谷。あのYGって野郎に勝てそうか?」
因みに、よほど悔しかったのか、鋤屋はまだ戻って来ていない。
「分からないよ。彼も相当の手練れだし」
「でも、ランキングはお前が一位なんだろう? あいつは二位で」
「うん。そうだね。でも、彼はネットではあんなカリスマ性を下げるような手は使っていなかったから」
僕はその言葉を不思議に感じた。
「じゃ、どうしてここでは使うんだよ?」
「うん。多分、その理由は二つ。一つはこの大会が一回勝負だって点。ネット対戦だと三回勝負が普通だから、カリスマ性を下げると不利になるんだ。初めは良くても、後の方で負けてしまう」
「なるほど。つまり、あの方法は勝負が長引けば不利になるって事か」
「そう。そして、もう一つはネット対戦ではカリスマ性の高さを意識している人も多いって点があると思う」
「ああ、カリスマ性を高くして勝った方が凄いって思われるのか」
「うん。でも、ここではそれがないから…」
僕はそれを聞いて呆れた。
「それであのYGって奴は、ここでは遠慮なく卑怯な手段を使っている、と。なんだかな。リアルでの評判は下げても良くて、ネットでの評判は気にしているのか。感覚がおかしいんじゃねぇのか?」
「まぁ、ネットの方がたくさんの人の目がある事は事実だけどね」
と、困ったような顔で薬谷は言った。その様子を見て、僕は“こいつの場合は、そんな理由で卑怯な事をしない訳じゃなさそうだな”とそんな事を思った。
それから、横で僕らの会話を聞いていたのか小道が口を開いた。首を傾げながら。
「もしかしたら、薬谷君はさっきの人に負けちゃうかもしれないの?」
「うん。カリスマ性を気にしないでやる、僕が知らない戦略をもっと知ってそうだしね、彼」
小道はそれを聞いて心配そうな顔になる。その顔に向けて薬谷は言った。
「大丈夫。負けるとは限らないよ。これまで僕は彼に勝ち越しているし、精一杯やるつもりでもいる。それに、トリッキーな手っていうのは案外、弱点も多かったりもするし」
多分、小道の不安そうな顔を見て薬谷はそう言ったのだろう。しかし、そう言う事で自らに気合いを入れられたようだった。鋤屋は相変わらずに戻って来ていない。
「鋤屋君の為にも負けられない」
そして、目をきつくすると、薬谷はそう呟いた。
十分が過ぎた。薬谷とYGが席に着き、それぞれコントローラーを握る。ギャラリーも集まって来た。さっきまでは、あまり試合を見ている人はいなかったが、決勝戦だからなのか、それなりに注目を集めているようだ。クラスの連中の姿もある。
まぁ、クラスの連中にとっては五千円だけとはいえ、稼ぎが増えるかどうかが決まる勝負だから気になることは気になるのだろう。そこで僕は気が付いた。いつの間にか、クラスの連中に混ざって鋤屋の姿がある。“やはりあいつも気になるんだな”と、それを見て僕は少し笑った。会場が温まって来たと判断したのか、久留間が口を開いた。
「それでは、十分が過ぎましたので、第一回○○高校“箱小人達と第1183箱王子”2の1杯決勝戦を! そろそろ始めたいと思います!」
なんだか久留間はいつの間にか勝手に大会名を付けている。そして、彼女は次に叫ぶようにこう続けた。
「準備は良いですか?
では、決勝戦、スタートォ!」
その言葉が終わると同時に、画面に大きく“START”の文字が表示される。薬谷もYGもそれぞれ箱小人達の配置をし始める。ここまでは問題ない。いつも通りだ。だが、やはり鋤屋の時と同じ様に、YGは薬谷の箱小人の位置を微妙にずらす例のあの技を使った。僕は当然、薬谷はそれを阻止するだろうと思ったのだが、構わず奴は積みに入った。
“おいおい。これじゃ、鋤屋の二の舞じゃないか”
僕はそう思ったが、少しばかり鋤屋の時とは違っていた。どうも薬谷は積み上げながら微調整をしているようで、スムーズに積み上がっていくのだ。YGの妨害がほとんど何の意味もなしていない。だが、YGの方もそれくらいは予想していたのか、不敵に笑うと薬谷が積み上げている階段に先に登った。しかも、薬谷が登ろうとすると、それを突き落とす。
これでは、積み上がった階段の形が綺麗だという事以外は、先の展開と同じだ。僕は薬谷に何か策がある事を期待したのだが、薬谷は鋤屋と同じ様に登ろうとしては落とされるのを繰り返している。しかも、順調にYGは自分の箱小人達を整えていっている。
「何をやっているんだ! 薬谷! 俺がやられたのを見ていなかったのか!」
堪らなくなったのか、鋤屋がそう叫んだ。すると薬谷はそれに応えるように軽く笑った。そして、それから箱小人を何故か指示ポインターで移動させ始めたのだった。階段を微妙に変形させた程度だが、それで上に登る為の別ルートができた。ルートを分散させれば、突き落とされ難くなるという狙いだろうか? しかし、それにもほとんど意味がなかった。YGにその場所にも回り込まれ、やはり同じ様に登ろうとすると落とされてしまう。これでは完全にYGが箱小人達を整え終わったら、一気に勝負が決まってしまいそうだ。
だが、その時僕は気が付いたのだ。あの例のピンクの箱小人“あのコ”を、さり気なく薬谷が移動させていた事に。
それが偶然かどうかは分からなかったが、別ルートをつくる過程で、確かに薬谷は“あのコ”の配置を変えていたのだ。しかし、それをまったく活用しないまま(そもそもハートモードになっていないのだが)、ゲームは進行していってしまう。相変わらず、薬谷の劣勢だ。
そのまま為す術なく薬谷は終わりの時を迎えようとしているように僕には思えた。後少しでYGが配置を完成させそうだったからだ。これでYGが自分の箱小人達の場所にまで行けば、瞬く間に階段は積み上がるはずだ。しかし、そのタイミングだった。突然に薬谷は指示ポインターを、YGの箱小人達の方へと向けたのだった。一斉に、薬谷の箱小人達が移動を開始する。
YGがその薬谷の行動に慌てたのが分かった。恐らく、奴がこのゲーム大会でそんな表情を見せるのは初めてじゃないだろうか。薬谷の箱小人達は、どんどんとYGの箱小人達のつくりかけの階段に迫っていく。そして、YGのいる場所だけ、まるで塔のようになって残ってしまっていた。それでYGはどう行動しようか悩んだようだった。飛び降りれば、少しの時間とはいえ行動不能になるからだろう。結果、奴は先に自分の箱小人達でできた階段を崩す事に決めたようだった。このままでは、自分の箱小人達は薬谷が階段を積み上げる土台にされてしまうからだろう。しかし、YGが箱小人達を崩し切る前に、薬谷はそこに辿り着いた。そして、YGの箱小人達の上に階段を積み上げ始める。
「チッ」とYGは言うと、塔の上から飛び降りた。YGの箱王子は転び、少しだけ行動不能になる。立ち上がって、YGが薬谷のいる場所にまで行くと、既に階段は後少しというところまで積み上がっていた。つまり、一気に形勢逆転した訳だ。
YGは階段を登る。
僕は思った。
“そいつを突き落しちまえ、薬谷”
今は薬谷の方が上にいる。当然、薬谷の方が有利なはずだ。さっきまでの仕返しに同じ事をしてやるべきだろう。ところが、それでも薬谷はYGを突き落とさないのだった。そして反対に、登り切ったYGが薬谷を突き落としてしまう。
「おい、薬谷!」
そう僕と鋤屋が同時に声を上げた。お人好しも大概にしろ、と僕は思う。きっと鋤屋も同じ気持ちでいると思う。
“そんな奴にまで気を遣っている場合か!”
しかし、そう心の中で呟いて、薬谷が自分をいじめていた鋤屋にまで気を遣っていた事を僕は思い出した。
もしかしたら、いじめっ子の僕らがそれを言えた道理でもないのかもしれない。しかし、それでも僕は憤った。何だか悔しかったのだ。
それからYGは薬谷が積み上げた箱小人達を崩し始めた。自分の箱小人を積み上げようにもYGの大半の箱小人達は、薬谷の箱小人達の下にある。だからまずは、自分の箱小人達を発掘するところから始めないといけないのだろう。
しかし、当然、薬谷はそれを邪魔する。YGが箱小人を落とそうとするのを食い止めたり、指示ポインターでまた積み上げたり。それは中々の攻防だった。これはアクション・パズルゲームのはずだが、格闘ゲームにすら思えるほど。
ただ、それでも薬谷は一度もYGを突き落とすような真似はしなかった。飽くまで防戦ばかりで、酷い事はしない。そこまで薬谷が意地になる理由が僕にはよく分からなかった。いくら気の優しい奴だからって、これは高がゲームじゃないか。無理をして拘るような事じゃない。
しかし、そう僕が思った時、異変があったのだ。それはちょうどYGが、三段くらいの高さから薬谷を突き落とした時だった。それが計算なのかどうかは分からない。しかし薬谷が落とされたその場所の近くには、あの例のピンクの箱小人“あのコ”があったのだ。しかも、そのタイミングで、ハートモードが発動する。
“あのコ”にハートマークが浮かび上がった。薬谷はその上に登った。そして、指示ポインターを階段に向ける。すると、薬谷を乗せたまま、あのコは階段の上を目指し始めた。
それにYGが慌てたのが分かった。そして何を思ったのか、奴は指示ポインターで箱小人を旗があるのとは反対方向に移動させたのだ。どうやら、壁をつくるつもりのようだ。それで薬谷の進撃を食い止めるつもりだろう。その間にも薬谷は猛然と登って来る。
僕は手に汗を握った。
もし、薬谷が上に辿り着く前に壁が完成したら、その壁を攻略する時間でハートモードが切れてしまうかもしれないからだ。そうしたら勝負はまたふり出しに戻ってしまう。
しかし、あと少しで壁が完成しそうなところでまた異変が起こった。YGの箱小人が動かないのだ。どうしたのか?と一瞬思ったのだが、どうやら薬谷に寝返ったようだった。YGはカリスマ性を下げ過ぎたのだ。長期戦になれば、自分のカリスマ性を下げるような戦略は途端に弱くなる。薬谷の言っていた通りだ。
薬谷は“あのコ”に乗ったまま、遂に階段の上にまで辿り着いた。自棄になったのか、YGはそんな薬谷に突進して来た。そこに至って、ようやく薬谷はYGを吹き飛ばした。いや、あいつが勝手に突っ込んで来て、“あのコ”に弾き飛ばされただけかもしれないが。
とにかく、なんにせよ、それから瞬く間に階段は出来上がり、薬谷は旗にまで辿り着いたのだった。
つまりは、薬谷の勝利だ!
僕は思わずガッツポーズを取った。鋤屋を見てみると、奴も同じ様にガッツポーズで喜んでいた。
まぁ、単純なあいつが勝負事で熱くなるのは分かる気がする。
でも、これでようやく鋤屋の薬谷へのいじめはなくなるかもしれない。それを見ながら僕は、そんな事を思っていた。
久留間によって薬谷の優勝が宣言されると、それから優勝賞金5千円が奴に手渡された。YGの姿はいつの間にか消えている。まぁ、準優勝には賞金賞品も何もないから残っていたって仕方ないし、それに卑怯な手段を使ってなお薬谷に勝てなかったのだから、居心地が悪いというのも分かる。もっとも、鋤屋は無様な姿を見られなかったと文句を言っていたが。
久留間が大会の終わりを告げると、薬谷は受け取った賞金を、裏でこっそりと久留間に戻していた。自分の分の参加費の千円だけは抜き取って。鋤屋がそれに紛れて自分の分の参加費を取ろうとしていたが、久留間に叱られてそれを止めていた。いや、もちろん、ふざけていただけだと思うが。テンション高かったし。多分。
「結局、お前がカリスマ性を下げないで戦っていたのは、あの最後のハートモード発動を狙っていたからだったのか?」
ゲーム大会の片付けが終わって辺りが落ち着くと、僕はそう薬谷に尋ねてみた。勝負の最中は、僕はてっきり薬谷が単にお人好しだからとばかり思っていたのだが、あれは実は戦略だったのかもしれないと思い直したのだ。
「まぁね。やっぱり、いつもの僕のスタイルで戦った方が良いと思って。長期戦に持ち込む為には少し工夫したけれど」
「途中で、“あのコ”の位置を修正したろ? あれも作戦の内か?」
「あっ気付いていたんだ。凄いね、神谷君。そう。あのままの位置で、YGの側に移動させると“あのコ”が埋没しちゃいそうだったからずらしておいたんだ。悟られないようにする為に、別ルートを作る為と見せかけて」
僕はそれを聞いて肩を竦めた。
「いや、お前もけっこう侮れないな。勝負が決まったと判断したところで、YGを吹き飛ばしたり」
しかし、それを聞くと薬谷はそれを否定するのだった。
「あれは違うよ。YGが勝手に突っ込んで来ただけ。多分、一か八かで“あのコ”の上に乗って僕を突き落とそうとしたのだと思う。凄く難しいけど、成功する時もあるんだ」
その薬谷の話し振りを受けて、僕はもしかしたら、こいつはYGに酷い真似をしたくなかったから、あんな戦略を取ったのじゃないか、とそんな想像をした。
……考え過ぎかもしれないが。
何にせよ、その薬谷の活躍は皆が見ていた訳で、つまりは薬谷が五千円をそのゲームの実力で稼いだ事も皆が知っている訳だ。高校の文化祭で、一人で5千円を稼ぐというのは、それなりに馬鹿にできない数字…… いや、それ以上に鋤屋の敵を討ったというのが効いているのかもしれないが、クラスの連中の薬谷の見る目は変わった。ゲームの実力とはいえ、何か一つ特技があると印象は随分と変わってしまうようだった。
これなんかは、もしかしたら毒島さんの狙い通りなのかもしれない。
文化祭が終わった後も、ゲーム大会で獲得した薬谷のその立場は変わらなかった。そして大会を切っ掛けに鋤屋の態度も大きく変わったのだった。なんと、あれから仲良く薬谷と談笑するようにまでなったのだ。どうも“箱小人達と第1183箱王子”が話題の中心らしい。もっとも、それでも軽く小突くくらいはしょっちゅうみたいだが、僕の目から見てもそれはいじめには見えなかった。
クラスの他の連中も、もう誰も薬谷をいじめようなんて奴はいなかった。つまり、すっかり薬谷へのいじめ問題は解決した訳だ。
「恐らくは、鋤屋が態度を改めたからだろうな。それに引きずられて、誰も薬谷をいじめられっ子だとは思わないようになったんだ」
そんなある日、担任の松田が僕にそんな事を言って来た。少し離れた所では、鋤屋と薬谷が何やら話していた。
僕はその言葉を不思議に思ってこう尋ねてみた。
「何を言っているんですか?」
「薬谷がいじめられていたのは、鋤屋やお前がいじめていたからだろう。それを見て、他のクラスの連中も“あっ こいつはいじめていい奴なんだな”って思っていたんだ。それが変わったから、薬谷へのいじめはなくなったんだろうよ」
僕はその言葉に驚いていた。いや、それが正しいのかどうかは分からない。ただ、松田はそういうのが分からない奴だと、僕はそう思っていたから。
僕が驚いているのを知ってか知らずか、松田は更に続けた。
「ただ、薬谷のいじめ問題はこれで解決したが、鋤屋の方の本質的な問題解決はこれからだな。誰かを直ぐにいじめたがるあの性格は直さないと、いつかきっともっと大きな問題になるぞ」
まるで毒島さんのような事を言う。
僕はそれを聞いて、もしかしたら分かってない振りをしていただけで、松田は本当は全て分かっていたのじゃないかと、そんな想像をしてしまった。が……
「しかし、どうして鋤屋は薬谷をいじめなくなったのだろうな?」
と、それから松田がそう続けたので、僕は軽くこけてしまったが。
……どっちなんだ、いったい。
あの大会以降、変わった事がもう一つある。
確証はないが、どうにも薬谷と小道が付き合い始めたように思えるのだ。
以前から互いに気になっていたのか、それともゲーム大会で薬谷が見せた意外に男らしい一面に小道が惹かれたからかは分からないが。
“あーあ、また薬谷をいじめてやろうかな?”
なんてそれで僕はそんな事を思ってしまったが、もちろんそれはクラスの雰囲気が許してくれそうになかった。




