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アラクネの口はどこか?【博士の記録簿】

【アン・リベルテ博士の記録簿より一部を抜粋】


 ノワールに調査へと向かった。いくつかの懸念事項はあったが概ねこちらの思惑通りであったことは喜ばしい。クロ村の集会所へ向かえという指示にしたがい、対象と接触。


 微睡みの森は今のところ、危惧していたようなことには陥っていない。ただ、森の中にやたらとアラクネ・ベリーがあるのが気になった。おそらくかなりの数のアラクネが棲息しているはずだ。期待が膨らむ。


 話に聞いていたとおり、ノワールのアラクネ・ベリーはドス黒い紫色をしている。ブランシュでは成熟しても果実は白いままなので、こういったところを見ると異国に来たというのが実感できる。ベリーの果実の色とその土地に棲むアラクネの体の色は同じというから、おそらくノワールのアラクネはドス黒いのだと思われる。


 案内役の娘をなだめながら森を歩く。魔物がいる気配はごまんとあるものの、私の体質のせいでやはりここでも寄ってこない。道すがら、アラクネが好んで食べるアラクネ・ベリーの小枝を振りながら歩いたが意味はなかった。もしや気付かないのかと鼻歌も歌ってみたが効果なし。

 そのうちアラクネ・ベリーの群生地についたので、ここを観察の拠点とした。随分な数のアラクネがここに来るらしく、あたりにはフンが点々と落ちていた。以前、何も知らない錬金術師が「アラクネ・ベリーの周りには泥団子がよく落ちている」と不思議そうにしていたが、これは泥団子ではなくアラクネのフンだ。

 アラクネのフンに含まれたベリーの種子が発芽し、そのベリーに惹かれてアラクネがやってくるので、こうして群生地となる。ベリーがあるところフンあり。フンあるところにベリーあり。詳しいことはまだはっきりとしていないものの、アラクネの体内の何らかの要素が絡んでベリーがアラクネとそっくりの色になる、という説がある。

 アラクネ・ベリーの汁は皮膚や布につくとなかなか落ちない上に、甘ったるさの中にアリのようなツンとした匂いが漂うが、これはアラクネの集合フェロモンを模したものである。匂いで誘い、自らを食べてもらい、そうして群生地を増やしていくというわけだ。

 たまに村の外に糸を採ったあとのアラクネの死骸を放置していく冒険者がいるが、あれは本当に良くない。体内に残ったベリーの種子が発芽し、実を実らせ、アラクネを引き寄せるからだ。


 アラクネの観察は楽しいものだった。ブランシュやルージュのアラクネは、実はさほど半人半蜘蛛といった風体ではないし、遠目で見ればそれらしく見えるというくらいだが、こちらのアラクネはほんとうに人に見える。ことさら魅力的な人間の女の体を模した疑似餌……糸いぼを持つ個体が多いようだ。

 ハルピュイアのような実例もあるし、半分冗談で聞いていたが実物を見てよくわかった。本当に人の女にそっくりだった。


 もとはただの糸いぼだった『疑似餌』は、これでエサを釣れると悟ったアラクネによって、ちょうどいい誘蛾灯のような役割を持ち始めてしまった。ただの『糸の噴出口』から、『餌を釣れる疑似餌を兼ねたもの』へと発展していったのである。最初にこの『疑似餌』に惹かれたのが何だったかはわからないが、口づけようと思った途端にその唇から糸が吹き出て自らを縛り上げるとは思わなかっただろう。大層たまげたに違いない。


 アラクネはメスしかいないことがわかっている。


 他の生き物のオスの精巣を食い、体内で受精し繁殖する──という奇妙な繁殖方法を鑑みるに、かつてこの地域の多くの男がアラクネの疑似餌に惹かれて犠牲となったのではないだろうか? ブランシュにはミノタウロスによく似た半身を持つアラクネが確認されたという古文書が残っていたが、それより前にはミノタウロスが異常な繁殖を遂げていたという記録もあるため、検証する価値は十分にあると思える。

 餌の対象にとって魅力的に映る疑似餌……つまり、この場合は『人間の美しい女に見える疑似餌を持つ個体』が人間の男を食って繁殖していった結果、より人を惹きつけられるアラクネが永らえるようになり、つまり、その形質が環境によって「選択」されたのではないか。そうしたことにより、結果的にノワールのアラクネはこれほどまでに「美しい」のではないだろうか?


 まあ、アラクネの糸いぼが頭にあるというのも少々トリッキーな部分ではあるし、クモの常識を当てはめた結果「糸いぼ」の存在に気付かずに糸に引っかかる、ということにもなったのだろう。


 アラクネの牙の位置を確かめてみたが、概ね男の睾丸あたりに位置するようになっていた。かじり取って食うのだろう。襲うのが男でなくても、だいたいこのあたりに牙が位置しているのなら、太い血管のある腿にでも噛み付いて溶解液をしこたま流し込めばいい。血液の流れとともに溶解液が体中を駆け巡り、獲物の皮膚の内側を素早くどろどろに溶かすはずだ。ベリーよりも柔らかくなった頃合いで中身を啜れば、我々は立派なごちそうというわけだ。実に賢い。


 もうひとつ確かめたいことがあったので、アラクネに実際に触れてみた。触れた感覚ではノワールのアラクネは内骨格で間違いなさそうだ。虫などは通常、骨を持たないから動物のように大きくなることはない。大きくなればなるほど自重で潰れてしまうからである。外骨格とはそういうものだ。


 ノワールのアラクネはひときわ大きいのでどうなのか検証するのが楽しみだったが、疑似餌の部分にも骨のようなものを感じた。おそらく蜘蛛の足部分にも骨があるはずだ。もう少し迫ってみようと思ったが逃げられてしまったのが実に残念だ。


 観察のついでにアラクネからプレゼントされた糸を業者に引き渡してきた。「依頼主ごと納品されたのは初めて」と戸惑われたが、体内からむりやり引き出して臓物と和え物になっている糸より遥かにマシだろう。糸を巻き取ってもらうのに少し時間はかかったが、自然に吐きつけてもらった糸なので太さも安定して質の良い布になるだろう、とのことだった。


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