修行の日々 1
修行一日目。
森の奥、険しい山を登り、断崖絶壁から怒涛の勢いで流れる滝に来た。
弱冠十歳のバテル少年の体力では、ここまで来ただけですでにぼろぼろだ。
しかし、修行はまだ始まってすらいない。
「よいか。錬金術とは世界の真理を知ることじゃ。つまりは、世界を構成する源素を感じること。まずは源素に満ちた自然と一体になることじゃ」
シンセンの目がギラギラと鋭い輝きを放っている。
「うわあ、ちょちょちょっと待って!」
ひょいと持ち上げられ、動揺するバテルを小脇にかかえると、シンセンはそのまま急流に飛び込んだ。
「ぷはあ。この先は滝ですよ。師匠」
バテルは、急流の中からなんとか水面に顔を出す。
水が上流から押しよせ、飛び散る水しぶきで、まともにしゃべることもできない。
急流に飲み込まれることなく、平然と川の上に立つという離れ業をやってのけるシンセンのか細い足に、しがみついて、その場にとどまることで精一杯だ。
「まずは水と一体になるのじゃ。これが一番手っ取り早い方法じゃ」
「一番早くても、一番危険なんじゃ……」
「安心しろ。死にはせん。骨の一歩や二本、折れてもすぐに直してやる」
シンセンはにやりと笑うと足にしがみつくバテルを情け容赦なく蹴り飛ばす。
「ごぼぼぼぼ!」
バテルは、蹴られた衝撃で、一瞬呼吸ができなくなる。
そのあとは、手足をばたつかせることもできずに、激流にのまれた。
(落ちる)
と思った瞬間には、川の水ごと断崖絶壁から放り出される。
そのまま、途切れることなく降ってくる大質量の水に押しつぶされながら、滝つぼに落っこちた。
滝つぼの中でまるで洗濯機の中のように水と一緒にぐるぐるとかき混ぜられる。
そして意識を失いかけたところで、ようやく助け出された。
「うげええ。げほ、げほ!」
バテルは、滝つぼのほとりで大量の水を吐き出す。
肺の中まで相当量の水が入り込んでしまったようだ。
岩が当たったせいで体も傷だらけだ。
「情けないのう。ほれ、わしが癒してやる」
シンセンは素早くバテルの体を指でついていく。
「ぐ、な、なにを」
「孔をつき、魔力を流した。時期に痛みも和らぐであろう」
「おお、本当だ。体がどんどん回復していく」
血の巡りが急によくなったかと思うと体が熱くなって、傷は消えてなくなってしまった。
「水の源素と対話することはできたか」
「は、は。少しは仲良くなった気がしますよ。これで錬金術が本当に使えるようになるんですか?」
「じきに分かる。ではもう一本行くぞ」
「え」
バテルは顔から血の気が引いたのがわかった。
その日、バテルは夜になるまで滝に投げ込まれ続けた。
二日目。
バテルは、初日からあまりにもブラックな修行に精神的にはおかしくなりそうだった。
それでも、強くなるため今日も屋敷から這い出て、シンセンのところにやってきた。
「いい子じゃ。よく来たな。もう来ないかと思ったぞ」
「馬鹿にしないでください。これでもクラディウス家の男、あの程度で嫌になったりはしません」
「しごきが足りなかったようじゃな。もっと厳しくいくとしよう」
「はは……お手柔らかに」
バテルは、わかってはいても、見た目が幼いシンセンに、あの愛らしくも小憎たらしい顔で、にやにやと子ども扱いされるとどうしてもムキになってしまうことがある。
「今日は火と土の源素について学ぶぞ」
「一度に二つもですか」
「そうじゃ、一挙両得、おぬしも辛い目に何度も会いたくなかろう」
「そりゃそうですけど、今度は油をかぶって火でもつけるんですか?」
「それも悪くないが、もっといい場所がある。ついてくるのじゃ」
シンセンはバテルを置いて、足場が不安定な森を駆け抜けて、先に行ってしまう。
「もうあんなに遠くまで。これも修行だ。やるぞ」
バテルもそれに必死についていく。
再び山を訪れ、今度は山頂付近まで登ってきた。
窒息しそうなほど空気は薄く、眠くなって意識がぼんやりとしてくる。
春だというのに凍えるように寒く吐く息は白く、動きやすさを重視した軽装のバテルにはこたえる。
「どうしてこんなところまで」
「まあ。待っておれ。いくぞ。はっ」
シンセンはその小さなこぶしに魔力を込めて、地面を思いっきり殴りつける。
地面が割れて亀裂が入り、巨大な山全体がグラグラと揺れ始めた。
すると火口から赤熱した紅蓮の溶岩がどろどろとあふれだしてくるではないか。
「な、なんてことするんですか! これじゃあ、溶岩流が森に。町にも被害が」
「大丈夫じゃ。加減はしておる。そこまであふれてくることはなかろう。それに溶岩は星の血液ともいう、火と土の源素を感じるにはもってこいじゃ」
シンセンはそういうが、揺れは一向に収まらない。
マグマもとめどもなく湧き上がってくる。
このままでは火口からあふれ出し、溶岩が、斜面を下って森を焼き尽くしてしまう。
「本当に大丈夫なんですよね。師匠」
「……ちーとばかしやりすぎた……かもしれんの」
シンセンはだらだらと冷や汗を流す。
「どうするんですか、師匠! このままじゃ火山を噴火させた大罪人ですよ」
「し、仕方ないじゃろう! 初めての弟子で少し張り切りすぎてしまったんじゃ。人と話すのも百年ぶりであがってしまったんじゃ」
「そんな年でもないでしょうに」
「やかましいわい。千年経っても心はか弱い乙女じゃ」
シンセンは、わざとらしく上目づかいをする。
バテルは、一瞬ときめきを覚えるが、今はそれどころではない。
「こんな時ばっかり、乙女ぶらないでください。なんとかしないと」
「ま、まあこの程度、想定の範疇じゃ。ほれ、バテル、この札を体に貼りつけておけ」
バテルは、一枚の札を受け取り、それを胸に貼る。
驚いたことに、札を一枚張っただけで空気の薄い山頂での息苦しさも、迫りくるマグマによる灼熱の地獄もきれいに消えて快適になる。
「行くぞ。バテル」
「行くってどこに逃げるんですか」
「馬鹿もの。逃げるものか。今日の修行じゃ。あの溶岩を止めるんじゃ」
「ええ! 死にに行くようなものですよ」
「ええい! 弟子なら少しは師匠を信じぬか!」
シンセンは一人で決壊してあふれ出そうになっている溶岩流に向かっていく。
仕方なくバテルも師匠を信じてついていくしかない。
「よいかバテル。溶岩流があふれ出るのを止めることも重要じゃが、火と土の源素を感じることも重要じゃ。こんなことは一度きりに死体からの」
「感じろって言われても、どうすれば」
護符の力である程度は守られても、怖いものは怖い。
あの溶岩に飲み込まれればひとたまりもない。
二人ともドロドロに溶かされて、死体も見つからなくなるだろう。
「昨日のことを思い出せ。おぬしは嫌というほど水の源素をその身に感じたはずじゃ。それをイメージして溶岩流を水に変えるんじゃ」
「そんな、錬成なんてまだ一度も」
バテルは、まだ修行を開始してまだ二日目。
多少説明は受けたが、ぶっつけ本番で使えるとは思えない。
「基礎は教えたじゃろう。手を構えて、錬成陣を展開。あとは水をイメージして火と土の源素を水の源素に転化させる。あとは……そのあれじゃ。気合いじゃ!」
「そんな、投げやりな。こんなところで死にたくない!」
「とにかくやるんじゃ。今回ばかりはわしも力を貸す。来るぞ!」
シンセンも巨大な錬成陣を展開し、構える。
溶岩流があふれ出し、山の斜面を駆け下りて、バテルたちに迫る。
「ええい、ままよ!」
源素を感じるという感覚的な修行ばかりで、ろくに錬金術など使っていないが、生き残るにはやるしかない。
魔力を練り上げ見よう見まねで錬成陣を展開する。
「錬成陣展開!」
手のひらを迫りくる溶岩流に向け、意識を集中させると、シンセンほどとはいかないが、十分に巨大な錬成陣が展開される。
錬成陣の展開まではできた。
「火と土を水に、火と土を水に。思い出すんだ。あの感覚を!」
バテルは、必死にイメージする。
滝つぼに落ち、激流に身をゆだね、水と一体になったあの感覚。
あの時、確かにバテルは水になっていた。
バテルたちが展開した錬成陣に溶岩流が直撃する。