錬金術
「おはようございます。シンセン師匠」
「朝から騒がしいぞ」
まだ眠たそうな顔をした銀髪褐色の少女、シンセンが大あくびをしながらどこからともなく現れる。
「おぬし。こんなに早くから出てきてよかったのか。まだ夜が明けたばかりではないか。家の者が心配するじゃろう」
「クラディウスは武門の家、稽古に出かけるといえば文句は言われません」
バテルの家系はみな軍人だ。
クラディウス家は古い家柄でまだエルトリア帝国が小さな国だったころから戦場で名を馳せてきたらしい。常に辺境に配属されては戦いに明け暮れていた。
「ふむ、武門の家か。やる気も十分、しごきがいがありそうじゃの」
シンセンの笑みに、またもバテルの背筋にぞくりと悪寒が走る。
もしかすると、とんでもない人に稽古をお願いしてしまったのかもしれない。
「どんな稽古をするんですか?」
「ふむ。そうじゃな。まずは錬金術の基礎からじゃ」
「え。魔術や剣術は……」
バテルは、きょとんとして目を丸くする。
「もしかしてシンセン師匠は魔術も剣術もできないんですか」
「たわけ。仙術が専門ではあるが、古今東西あらゆる武術魔術に精通しておるわ」
「なら、どうして」
「おぬし、錬金術が知りたいのではなかったか」
「それは、父上や兄上たちの戦場で何があったか知りたいからで、強くもなりたいんです」
「おぬしは魔術や剣術に関しては才能がない。雑魚同然。雑魚雑魚の雑魚じゃ」
「え! そんな……、そこまで言わなくても……。だって俺は……」
バテルは、あまりの絶望に声も出ない。
自分の出自から両親や兄姉に及ばずとも魔術や剣術に対してある程度の才能があると思っていた。
武門の家系で、父は優れた戦士。剣術や槍術、馬術にも長ける。戦場では恐れられた存在だという。
母も、流行り病で亡くなってしまっているが、平民上がりの高名な魔導士だ。
その息子が何の才能も有していないと見ただけで判断されるレベルであることは受け入れがたい事実だ。
「ひとかけらも才能がないんですか」
「ないな。みじんもないぞ」
「そ、そんな」
「人は人、自分は自分じゃ」
シンセンのさわやかな笑顔の全面否定にバテルはひどく落胆する。
このままではこの厳しい世界で生き抜いていくことができない。
「そう落ち込むこともない。強くなる方法は何も剣術や魔術だけではない。おぬしには人にはない才能がある」
「それって」
「馬鹿げた魔力量じゃ。転生が関係しているのか偶然の産物か理由はわからぬが、人間とは思えぬ途方もない魔力をその身に秘めている。魔力量だけならわしすら足元にも及ばぬ」
「でも、魔術なんか全然ダメで、身体強化の術だって」
魔力量があると言われてもバテルは、魔術も身体能力強化の術も使えない。
「ま、魔力があるというだけじゃからな。それを運用する能力がなければ宝の持ち腐れじゃ。じゃが、錬金術になら活かせるかもしれん」
「錬金術で強くなれるんですか」
「錬金術を侮るでないぞ。魔術よりも不便なところもあるが、錬金術にしかできないことも多い」
バテルは、錬金術に詳しくはないが世間で胡散臭いものだという扱いを受けているのは知っている。
父親の仕事柄、魔導士や戦士は多く見てきたが、錬金術も錬金術師も見たことも聞いたこともない。
それほどまでに錬金術は世間ではマイナーで異端視されている。
錬金術だ。などと声高に叫べば、近づかないほうがいい人という扱いを世間からは受けるだろう。
「錬金術は本来、金を人工的に生み出すために研究されてきた。ゆえに錬金術というがそれも昔の話。今ではいろんなことができるようになった。物は使いようじゃ。錬金術は強力な武器にもなりうる」
「なら俺に錬金術を教えてください。俺は強くなれるんだったらなんだっていい」
魔術や剣術はあくまで手段の一つに過ぎない。
あこがれはあったが、使えないとなれば、別にそれでもかまわない。
バテルが欲しいのは力だ。帝国を変えてしまうほどの大きな力。
錬金術を知ることができて、強くもなれるなら一挙両得である。
「その潔さやよし。思考を柔軟にすることが錬金術の第一歩じゃ。まずは基礎から教えてやろう」
そういうとシンセンは足元に転がっている石ころを一つ、手に取った。
「この世界の神羅万象は源素というもので構成されておる」
「源素?」
「源素は基本的に四つ、火、水、土、風の四つからなる。四つの源素は表裏一体。本質的には同じものじゃ。少し魔力を加えてやればこの通り」
シンセンは石ころを持つ方の手に幾何学模様の錬成陣を展開した。
錬成陣から放出された魔力が石ころを覆う。
すると石ころは一瞬のうちに水へと変わり、シンセンのか細い指の間から流れ落ちた。
「なっ。石が水になった……」
「驚いたか。石は主に火と土の源素で構成されておる。錬成陣でその火と土の源素を、魔力を使ってちょちょいと水の源素に変えてやれば石は水になる」
バテルは思わず、目が点になる。
魔術は火の玉を出せても、小石を水には変えられない。
「このように火、水、土、風の源素は、少し力を加えてやれば、別の源素へと姿かたちをかえる。源素はこの世のすべてのものを形作っている。極めれば、あらゆるものを自由に作り替えることも夢ではない」
「すごい。これなら俺でも強くなれるかもしれない」
暗雲が立ち込めていたバテルの異世界生活に一筋の光が見えてきた。
「錬金術は万物を作り替えることができる。だが、万能というわけではない。源素の転換には、魔力のような、それ相応のエネルギーが必要じゃ。さらに魂の宿ったものとなると扱いは難しくなるぞ」
「どういうことですか?」
「さっきのようにある源素をほかの源素に変える技、変成は火、水、土、風の四つの源素にしか使えぬ。しかし、人間や植物などの魂を持つものには天や邪の源素も含まれておる。これが厄介ものじゃ」
「天や邪の源素……」
「特に天の源素はエーテル、邪の源素はエレボスとそれぞれ呼ばれておる。まだはっきりとは解明されていない神の領域じゃ。人の手には負えぬ。エーテルとエレボスも表裏一体、魂を形作るものと考えられているが、転化させることはできぬ。それができるのは伝説にのみ名を遺す、錬金術の神ヘルメスか東方の天帝くらいのもんじゃろう」
そういうとシンセンは人差し指を近くの巨木に向けた。
指の先端がわずかに光ったかと思うと風が吹き抜けて、一枚の大きな葉が宙を舞った。
ひらひらと落ちてくるその葉をシンセンは手に取った。
錬成陣が展開され光り大きな葉は砂となって風に流されてしまった。
「このように魂から切り離しさえすれば、エーテルやエレボスは霧散し、葉はただの器となる。魂がない状態つまり、死にさえすれば、おぬしを土くれに変えることも水に変えることも容易いんじゃがの」
シンセンは高らかに笑った。
火、水、土、風、この四つの源素は、優れた錬金術師であれば、分離、転換と容易く操ることが可能であるが、命宿るもの、すなわち、エーテルやエレボスが少しでも含まれていれば、途端に難易度は急上昇し、最高峰の錬金術師であるシンセンですら扱えなくなってしまう。
「さて、座学はここまでじゃ、あとは実践あるのみじゃ」
シンセンは微笑を浮かべた。
バテルはここから地獄の日々を過ごすことになった。