鬼娘の師匠
「あの怪物は一体、なんだったんだ」
「ふむ、あれは錬金生物じゃろうな」
「錬金生物?」
少女は黒紫色の宝石のような石を拾い上げる。
「これは愚者の石。賢者の石の出来損。この石は、エーテルをエレボスへと反転させるものじゃ」
「エーテル……エレボス……」
さっきから少女がなんの話をしているのかバテルには皆目見当もつかない。
「つまりは人を魔物に変えてしまうものじゃよ」
「そんなことが」
「こんなことができるのは錬金術だけじゃ。大方、錬金術師が実験に失敗して魔物に成り果てたか。哀れな者が実験に使われたか。どちらかじゃろう」
「錬金術」
バテルは、錬金術について、屋敷にあった蔵書を読み漁っていた頃に見かけたことがあった。
卑金属から黄金を作り出すために研究されていた術だ。
しかし、あまり記述がなかったうえに広く普及していた魔術の方に興味が行ってしまったために名前くらいしか覚えていない。
「違いはあるが、東方では仙術や煉丹術と呼ばれておる。遥か昔、人は神になろうとした。その過程で生まれた様々な技術の結晶が錬金術じゃ。もっとも西では廃れてしまっておるがな」
「錬金術がまさかこんな怪物を作り出すなんて」
バテルは散らばった魔物の死体を眺める。
確かに魔物は人型だったが、この魔物が元は人間だったとは到底思えない。
「ん? これは?」
転がった魔物の首に不思議な入れ墨を見つける。
体をひねり、自らのしっぽを加えた奇妙な龍の紋章だ。
「ああ、それはなんといったか。そう、西の錬金術師のシンボル。ウロボロスじゃ」
「ウロボロス!」
バテルは叫ぶ。
ウロボロス。
兄レウスが死に際に繰り返していた言葉だ。
「ど、どうした急に大声を出して?」
「ウロボロス。ウロボロスに関して他に何か知っていることはないか!」
バテルは少女の胸ぐらをつかんで迫る。
「う、何をする。離せ!」
少女はバテルを突き飛ばす。
その勢いにバテルは無様に地面に転がる。
「ぐ」
「少しは落ち着いたか。まったく突然掴みかかるとはなんと無礼な奴」
「ごめん、悪かった」
バテルは沈み切った顔で謝罪する。
命の恩人である少女につかみかかったことを悔いた。
「わかればよい」
少女はバテルの心を見透かしたように頭をなでて励ます。
「わしは東からこの西に来てまだ百年。しかも、この森に籠りきりでな。西のことはよくわからんのじゃ。ウロボロスについても錬金術師のシンボルということくらいしか知らん。すまんのう」
「いや、いいんだ。謝るのは俺の方だ。命の恩人に俺はなんてことを」
二人を沈黙が支配する。
「そういえば君は一体……」
「わしは名をシンセンという、この森の守り神といったところかの」
「神様!」
バテルは疑いもせずにシンセンと名乗った少女を女神だと思った。
人間離れした美しさの少女に、あの想像を絶する力を見せられれば、そう信じるのが、むしろ自然だ。
「くひひひ、おぬし、ふふ、騙されやすいのう」
シンセンはバテルの間抜け顔を見て、腹がよじれたように笑う。
「可愛い姿で少年をたぶらかす。もしかして悪魔?」
「こ、こんな年寄りに可愛いなどと言うても、嬉しくないぞ」
シンセンは少女らしく恥ずかしがる。
「だったらエルフとか?」
バテルは、北の森、その奥に住んでいるといわれる耳長の種族を思い出す。
エルフも確か長命な種族だ。
シンセンはかぶりを振る。
「あんな高慢ちきな奴らと一緒にするな。この辺りでは何と呼ぶのか知らんが、故郷の人間たちからは鬼と呼ばれておった」
「鬼……鬼か」
なるほど、角ぐらいしか今のところ共通点が見つからないが、鬼といえば、日本の妖怪を思い出す。
さしずめシンセンは鬼娘といったところか。
「なに、同胞を知っているのか」
「いや、この世界では、初めて聞いたよ」
バテルの住むエルトリア帝国には人間、エルフ、ドワーフ、獣人など多様な種族が暮らしているが、鬼という種族は聞いたことがない。もっともバテルも実際に見た種族は一部の獣人程度で、ほとんどは話に聞いただけではあるが。
「ん? この世界では、だと?」
「あ、それはそのう……」
バテルは口をつぐむ。ついうっかりと口が滑ってしまった。
(しまった。この世界に転生してから一度も、この秘密を漏らしたことがなかったのに)
別段、隠しているわけでもなかったが、ここまで誰にも言っていなかった以上、突き通すつもりだった。
驚いたせいか、気が緩んでいたらしい。
「おぬし、もしや転生者という奴か。そうじゃろう、そうじゃろう。知識としては知っておったが、いやはやわしも見るのは初めてじゃな」
(別に隠していたわけでもないから、話してもいいか)
結局、バテルは好奇心旺盛なシンセンに問い詰められて、すべて白状してしまった。
「ま、わしほどの道士であれば、魔力の波動ですぐにわかる」
「……最初からバレバレか」
「それにしても転生者か。しかも異世界からの。くひひ。面白いのう」
シンセンは、口元を緩ませて、バテルの周りをぐるぐると回り、品定めするように見る。
「一体どんな知識を持っているのか。気になるのう。気になるのう」
おびえるバテルの目を、シンセンがのぞき込んできた時、一瞬、バテルは、ぞわっと背筋に悪寒が走った。
「解剖だけはご勘弁を!」
自然、バテルは地面に正座し、知る限り最もへりくだった謝罪をすべく、地に足を折り曲げ、手をついて、頭を垂れていた。
「たわけ。誰が解剖なぞするものか! まったく人を何だと思おておる」
シンセンは大きくため息をつく。
「おぬしの名はなんじゃ。まだ聞いていなかったが」
「バテル。ディエルナ伯三男、バテル・クラディウス」
「ほう。貴族か。貴族らしさは微塵も感じぬが、それも転生者ゆえか?」
「ああ、前世のことはあいまいだけど平民だったからな」
バテルは正直に行くことにした。
そのほうが話しやすい。
なにより秘密を打ち明けられて肩の荷が下りた気分だ。
「クラディウス家は武門の家だから少し普通の貴族とは違うというのもあるかもしれないけど」
クラディウス家は代々、ダルキア地方で戦に明け暮れてきた武門の家。一族はみな戦士であり、戦場で死ぬことも多い。
「ほう、武門の家か。それで森に修行にでも来たというわけか。殊勝な心掛けじゃ。あんな化け物に遭遇するとは災難じゃったの」
「まったくだ」
森に来ただけで死ぬような目に会うとは思ってもいなかった。
だが、大きな収穫もある。
「シンセン。いや、シンセンさん。一つ頼みがある」
「な、なんじゃ、いきなり」
「俺に錬金術を教えて欲しい」
「ふむ。西洋式の錬金術は専門外じゃが、仙術と似たようなものじゃ。基礎を教えることはできる」
「じゃ、じゃあ」
「人にものを頼む以上、それに見合う見返りが必要じゃ。覚悟はできておろうな」
「ああ、俺にできることならなんでもする。ついでに俺に戦い方も教えて欲しい」
バテルは深々と頭を下げる。
シンセンは錬金術を知っているだけではない。相当の強者だ。
強くなるためにはシンセンほどよい教師はいないだろう。
「がめつい男よ。何が貴様をそうさせる?」
「戦場から帰ってきた兄上が死に際に言っていた。帝国には守るべき価値がないと。あんなに帝国を愛し、帝国のために戦っていたのにそんなの悲しすぎる」
バテルにはなぜ兄のレウスがあんなことを言ったのかわからないままだ。
「帝国に守るべき価値が本当にあるのかどうか自分の目で見定めたい。もしダメなら父上や兄上たちの愛した帝国を作り直す」
本当に死んだ兄の言う通りの国ならば、作り直す。
ただ今はまだ右も左もわからない状態だ。
どうするべきか結論を出すには早すぎる。
だが、その目はまっすぐに未来を見据えている。
「それに脅威は確かに存在している。兄上が死に際に言っていた魔王とウロボロス。実際に魔物という形で現れた。錬金術を学べば、そこにもつながると思う」
「ふむ。覚悟はできていそうじゃな」
(決意に満ちた目。こやつのような人間は何度か見て来た。じゃが、その行き着く先は英雄か、それとも……)
「よし。わかった。わしがおぬしに戦い方というものを教えてやる。その代わり、わしに異世界のことを教えてくれ」
シンセンは了承した。
「それだけでいいのか?」
「なんじゃ。不満か? 異世界の話などめったに聞けるものではない。千金に値する。それともおぬし、さては解剖されたいのか?」
「い、いいえ。大満足です」
「ならば、よし。今日はもう帰れ。鍛錬と報酬は明日からじゃ」
「わかりました。師匠」
「師匠?」
「稽古をつけてもらうんですから。師匠と呼んだ方がいいかと思いまして」
今まで、見た目が幼いということだけで、慇懃無礼な物言いをしていたが、相手は、もはや聞くのも怖いくらいの年齢だ。
前世を足しても到底及ぶものではない。
それに、これからは師匠でもある。
態度を改めなくてはならない。
「ふ、ふん……師匠か。好きにするがよい」
シンセンは、長耳をぴこぴこと少し揺らして、鼻の頭をかいた。
「じゃあ。シンセン師匠。また明日。今日は失礼します」
「くひひひ、師匠、師匠か……」
バテルが町に帰った後、シンセンはしばらく呟き続けていた。