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宵闇の姫君

 クラディウス家の屋敷は狭い。


 所領は広大だ。中央の貴族など比べるまでもないだろう。


 だが、人口の少ない辺境地域で、土地は痩せていて作物の実りが悪い。加えて、いつも前線で金のかかる戦争に駆り出されているので金もない。


 そうなると屋敷もこじんまりとしたものしか建てることができない。


 もっともクラディウス家は、帝国最古参貴族でありながら、初代から常在戦場、質実剛健をモットーとしている。クラディウス家にはある意味ふさわしい屋敷なのだ。


 そんな小さな屋敷にも、自慢できる点が一つある。


 大きな食堂だ。


 腹が減っては戦ができぬということなのか、兵の士気を高めるためなのか。クラディウス家では、兵たちと一緒に食事をする習慣がある。


 当主であるバテルの父が、兵を連れて帰ってきた日などはもう大騒ぎだった。


 遠征軍が壊滅し、バテルの父や兄たちが戦死してからは、この屋敷に人は少なくなった。食堂は、いつもがらんとしていて、にぎやかになることはない。


 ともあれ、バテルとイオは、久しぶりに昼食を屋敷で食べている。


 最近は、修行続きで朝から晩まで山にこもりきりだったが、たまの休暇だ。


 といっても、習慣とはなかなか抜けないもので、朝から二人で自主練をしていた。


 そのため二人とも、相当の空腹だ。


 少し待っていると奥から続々と料理が運ばれてくる。この料理の数々もクラディウス家の自慢である。


「よし、食べるとするか」

「はい。もうぺこぺこです」


 バテルとイオは、大皿に乗った豚肉の塩漬けや腸詰を小皿いっぱいに取り分ける。そして、少し硬い黒いパンを取り、肉と交互に口に運んでいく。


「んーおいしいです」


 イオはだらしのない表情になる。


 再び、これでもかと口に食べ物を詰め込んだ後は赤ワインで胃へと流し込む。この国のワインは酒精が弱く、とんでもなく甘い。本来であればそれを水で割って飲むのだが、とにかくエネルギーを欲しているバテルとイオは原液のまま飲み干していく。甘いワインが、乾ききった体を潤す。


 赤や緑、黄色の豆で彩られたスープ、不思議な形をしたキノコのソテー、キャベツの酢漬け、油で上がった丸ごとポテト、新鮮な数種類の青々とした野菜にオリーブオイルのドレッシングをかけたサラダとどん欲にテーブルの上の食事を平らげていく。


 そして最後にバテルは、香辛料がかけられた香ばしい豚のかたまり肉のローストを豪快に食いちぎる。


 イオも素早く銀色のフォークとナイフで切り分けて口に運ぶ。


「ふう、満足、満足」

「ごちそうさまでした」


 二人が、ようやく栄養が脳に行き届いたのか理性を取り戻して、手を止めた時、目の前にはきれいな大皿が並ぶのみであった。


 バテルの錬金術(アルケミア)やイオの身体能力強化の魔術(マギア)は莫大なエネルギーを常に消費するから体はつねに飢餓状態だ。食事量は並外れている。イオに至ってはまだ物足りなさそうにおなかをさすっているくらいだ。


「あら、バテルちゃん。イオちゃん。珍しいわね」


 食後に一休みしていると、色白で少しやせ気味だが、美人の女性が姿を現す。


 バテルの実姉、ディアナ・クラディウスである。


「二人とも、朝からよく食べるのね」

「姉上、もう昼ですよ」

「あら、もうそんな時間。てっきり朝かと思っていたわ」


 ディアナは、虚弱体質で夜型。極端に朝に弱く、いつも昼頃に起きてくる。


 日の光にも弱く、趣味のガーデニングも日が落ちてからやるほどだ。


 艶やかな銀髪と紅眼、透き通るような色素の薄い青白い肌、北部一の美人である。


 滅多に人前に姿を現さないせいかもはやその美しさは伝説となり、宵闇の姫君と呼ばれているほどだ。


 夜明け前に起きて、夕方に帰ってくると夕食をかき込んで死んだように眠ってしまうバテルとイオとは生活リズムが真逆。


 こうして一緒に食事をとる機会どころか会うことも最近はめっきり少なくなった。


 ディアナは、二人の正面に座ると半切れのパンを口に運ぶ。


「ふう、おなかいっぱい」


 食の細いディアナの朝食兼昼食はそれだけだ。


「今日の修行はお休みなの?」

「はい。今日はありません」

「二人に久しぶりに会えてうれしいわ。いつもこの屋敷に一人だったから寂しかったの」


 ディアナは、食事の手を止め、遠い目で虚空を見つめる。


「申し訳ありません。姉上」


 バテルは大切な姉を、修行に打ち込むあまりぞんざいに扱っていたことに気づく。


 ディアナは十七歳。


 十五で成人の帝国貴族としては大人の扱いだが、転生者であるバテルからすれば、十七歳はまだ青春の盛りだ。


 それでも、ディアナは大人にならなければならなかった。


 当主である父親と後継ぎであった長男、次男が戦死を遂げた今、クラディウス家の当主としてディエルナの町を取り仕切ることができるのは彼女だけだ。


 母親から受け継いだ魔術(マギア)の才があるが、日光に弱い体質のせいで戦場には立つことはできない。


 とはいっても、まだ十一歳と幼いバテルに当主を任せられるわけもなく当主にならざるを得ず、嫁にも行けない体質のせいで婿も取れないという苦労人だ。


「謝らなくてもいいのよ。いい年した大人がごめんなさい。二人で修業をするのはとってもいいことだと思うわ。バテルちゃんも私と同じで体が弱いんじゃないかって心配していたから、たくましくなってくれてうれしいの」

「姉上……」


 バテルはおもわず、涙がこぼれそうになる。


 幼いころから家族のほとんどが戦場に行ったきり帰ってこなかったバテルにとって姉であるディアナは、母替わりでもあった。


 なまじ前世の記憶が残留していたために、この世界での生活になじめず問題ばかり起こしていたバテルは、よく姉に迷惑をかけた。


 だが、ディアナは嫌な顔一つせずにバテルに接してくれた。


(姉上だって体が弱くて大変だったのに、自分を犠牲にしてまで俺に寄り添ってくれた。何か恩返しをしなければ)


 とバテルは常々考えてきた。


 そしてようやくそのチャンスが巡ってきた。


「姉上、なにか困っていることはありませんか?」

「どうしたの急に? 私のことは心配しなくてもいいのよ。バテルちゃんは修行に打ち込んで」

「いえ、なにか手伝わせてください。いまこそ、修行の成果を見せるときです」


 シンセンとの修行のおかげで、バテルの錬金術(アルケミア)はかなり熟達している。


 学んできたことは領地経営にも必ず役立つはずだ。


「私も手伝います」


 バテルとともに育てられたイオもディアナには大きな恩がある。


「そうねえ。でも、悪いけど、二人に手伝えることは……」


 バテルがシンセンと出会い、イオとともに修行に明け暮れた日々を送って早一年。


 二人は飛躍的に成長したが、成人の早いこの国でも、まだ子供だ。


 そんな子供に領政が務まるとは思えない。


 だが、錬金術(アルケミア)を極めつつあるバテルと神仙武術の達人となったイオのコンビなら必ずできることがあるはずだ。


「このディエルナの問題は、わかっています。農業の不振、治安の悪化による盗賊の増加で物資の流通も芳しくありません。そのせいで財政難は深刻化する一方。このままだと遅かれ早かれ立ち行かなくなります」

「うっ。弟の言葉が痛いわ。バテルちゃん、かしこいのね。全部事実よ。私が不甲斐ないせいね。バテルちゃんにまで心配をかけるなんて……」


 まだ幼い弟からの鋭い指摘が、ディアナの胸に刺さる。


「いえ、むしろ姉上のおかげで、このディエルナはなんとかもっていると思います。姉上のせいなどでは決してありません」


 もともと遠征続きで火の車だったクラディウス家の財政は、遠征軍の壊滅で多くの働き手を失い窮迫している。


 それでもなんとかやっていけているのは、ディアナの理財の才あればこそだ。


 当主の座に就く前からディアナは父から領地経営を任されていた。


 ディアナは、遠征のためにかかる莫大な物資と金を、この広いだけで不毛、人口希薄な辺境のディエルナでなんとか捻出してきた。


 それでいて、領民に重税をかけることもなく、領民たちは、豊かでこそないものの食うには困っていない。


「クラディウス家の名宰相ディアナといえば、姉上のことですから。姉上あってのクラディウス家。姉上がいなければ今頃、クラディウス家はこの地上に存在していないでしょう」

「そこまで、おだてられると恥ずかしいわ」


 ディアナは白い肌を少し赤らめる。


「ディエルナの問題の多くは人手不足が原因です。まずはそこを解消しましょう」

「……よくディエルナのことを見抜いているのね。びっくりしたわ。けれど、難しいことよ」

「確かにディエルナには遠征軍が壊滅してから人がいない。国境防衛をダルキア属州の我々だけに押しつける帝都の連中には腹が立つ」


 敏腕宰相ディアナをもってしても、この辺境で、人手不足を解消するのは至難の業だ。


 だが、何も人に頼らなくても、バテルには、人手不足を解消する術はある。


「まず手始めに土地を貸してください」

「土地はいくらでも余っているけれど、人手がないと開墾もできないわ」

「俺に策ありです」

「私もお手伝いします」

「イオちゃんまで。ならお言葉に甘えて、任せてみようかしら。けれど無理はしないこと。それにベルトラをつけるわ。それでもいい?」

「はい。お任せください」


 姉の許しを得て、バテルたちの領地改革が始まった。


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