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談笑しながら踊るふたりを、妃穂はしょんぼりと眺めていた。


そんな妃穂を慰めたいのだが、なんと言葉をかけたらよいかわからない。

茨木はもどかしい思いで妃穂を見つめる。

茨木にとってみれば、妃穂は大切な大切な女主人である。

物心ついた時から、自分は彼女に仕えるものだと教えられ、言い聞かせられて育ってきたし、自分自身でも彼女に仕えることは決していやではない。

有能な従者であるためには、主人以上に主人について知っていなくてはならない。

だからこんな時、妃穂の心の内も茨木には手に取るようにわかるのだけど、わかるからこそなにも言えないという場合なのだった。


励ますことも慰めることもできずに口ごもる茨木の横で、口を開いたのはまたしても園子だった。

「尾崎さんのあの性格ですもの。言わなかったのは単にくわしく聞かれなかったから、ただそれだけのことでしょう」

「そうなのかしら……」

「そうに決まってます。深い意味などあるものですか。……ちょっとあなた、しゃんとしたらどうなんです!」

パン!平手で園子が妃穂の肩を叩いた。

「しょげている暇はありませんよ。調べごとはこれからなんですから」

「……これから?」

園子は大きくうなずくと、茨木を指して言った。

「この人を使うんです」


「私、ですか」


茨木が目をぱちくりさせて、指で自分の鼻を指した。

そうですと園子がまたうなずく。


「茨木家は、単に高橋家に仕えているわけではない。高橋家のデータベース……当の高橋家でも把握していない部分に至るまで握っている、そういう役目がある。そうですね。そして茨木の一族の中でも高橋家当主に仕えるものは、代々16歳になると自家の資料をすべて知る権利が与えられる……茨木貴子さん、あなたの誕生日は先月の15日。でしたね」


そう言って園子は茨城をまっすぐ見た。

その瞳が輝きを増していた。

「あなたにも、もうその権利は与えられているはず。それを使ってあの男の情報を検索したらいいんです」

まさか否定はさせませんよというように、園子はにっと口元を吊り上げた。なまじ整った顔でそんな笑い方をするものだから、妙に迫力がある。

やはりこの桐生園子という人は油断がならない。と茨木が小さなため息をつくより早く妃穂が返事した。


「いいわ」


えっと、茨木が妃穂の顔を見た。

妃穂の目が据わっている。


「茨木を、発動させましょう」


発動させましょうって……。

口にはしなかったが、内心茨木が驚いたほどの決断の早さだった。

普段妃穂は、データベースとしての茨木の役割を人に知られることをひどく嫌がっていたからだ。ましてや自分以外の人間がその力をどんな形であれ、使うなんて。

「この男性のこと、調べてちょうだい、茨木」

園子が手にしていたメモを彼女の手からとり、それを妃穂は茨木に渡してよこす。

ほとんど条件反射のような従順さでそれを受け取りながら、茨木は、おやおや……と思っていた。

それ以外、なんとも感想の持ちようがなかったのである。





『森』の疲れもなんのその、という様子であった。

茨木が自分のノートパソコンを使って調べものをするのを、園子は目をらんらんと輝かせて、妃穂は更にその横で覗き込んでいた。

液晶画面を凝視していた園子がふと息を飲んだ気配がして、妃穂は彼女のほうを向いた。

園子はきれいな顔をこわばらせている。

「大変……この男」

「ついに『この男』呼ばわり?」

妃穂が言うのを園子は無視して続けた。

「一歩間違えば王子さまです、この男」

ええっ、と妃穂がのけぞった。

「なぜ、どうして」

「わたくしの家は古い家だから、同じような家のことはだいたい頭に入っているのです。イタリアのジェローザ家。この家系は遡っていくとサヴォア家傍流のひとつにあたずはずです」

「確認しました。桐生さんの記憶の通りです」

茨木が言うのに、園子は大きく頷く。

「やっぱりね」

いつまでも沈黙している妃穂に業を煮やして、園子が苛立たしげに声を大にした。

「わからないんですか、高橋さん?」

「ロマンチックねえ」

「そうでなくて」

「わかるわ、サヴォア家くらいわかるわよ。イタリアの名家であり旧家の流れよね。でもわたくしがわからないのは、なぜそれが『大変』なのかってことで……」

「ああもう!」

園子は床に座ったまま、膝をばたつかせて器用に地団太を踏んだ。絹糸のような黒髪が背中で跳ね踊る。

「あなたやっぱりボケボケしていますね、高橋さん! たったひと晩くらい寝なかっただけでだらしないですよ、未来の高橋家当主が!」

「わたくし、寝不足には弱いのよ……」

妃穂が気恥ずかしそうに返す。

「晶とおんなじ……」

「聞いてません」

園子が細い眉をひそめてぴしゃりと言い返した。

「わたくしたち自身について考えてみたらわかることでしょう。次期当主となる名家・旧家の、年頃の若い女性でまだ婚約者の決まっていないものが、家族や親戚以外の異性を公式の場、しかもダンスパーティでパートナーとして扱うことが、どういうことになるか」

「……」

それを聞いて、妃穂の顔色が次第に青ざめる。

自分に当てはめて考えることで、ことの次第がだんだんリアルに感じられてきたのであった。

「わかってきました? まあ、聖葉の学園祭が公式の席かどうかは横へ置くとして……でもあのホールには今、生徒だけでなく父兄もたくさんいらっしゃるんですよ」

「そうだわ……そうだったわ」

ようやく頭がまわってきた、というように妃穂が少し早口になった。

「でしょう。今この時、あのホールは立派に社交界の体を成していると思いませんか?」

「思う、思うわ。しかも正式な婚約者を発表するときによく使う手よ、それは!」

「だから大変だと言ったんです!」

園子は眉をひそめて言ってしまってから、ふと考え直したように首をかしげた。


「尾崎さん、お嫁に行くのかしら」

「えええーーーっ!」


妃穂が両手を口に当てて声を裏返らせた。そして、眠気が完全に吹っ飛んだはっきりした口調で言った。

「まさか、晶が」

「ああいう人の方が意外に結婚早かったりするんですよ、高橋さん」

二人とも微妙に失礼なことを言っているなと聞いていた茨木は思ったが、そこは言わずにおいた。

妃穂はパソコンの画面から視線をあげて、呆然とつぶやいた。

「イタリアに嫁入り……」

園子は既に開き直ったように、妙に落ち着いた言い方で言った。

「尾崎さんとイタリア……似合い過ぎます」

「ラテンなところ?」

妃穂が振り返って訊ねたので園子は答えた。

「ほかに、どこが?」





「あの……晶」

「なに」

答えはぶっきらぼうこの上ないが、彼は気を悪くせずに続けた。気にかかることは別のこと。

「僕にはその……そろそろ危険信号が点滅してるように見えてるんだけど。あの。きみの様子が」

「なに、危険信号て」

踊りながら晶は答える。

「危険て、どこが」

「だから、そういうとこだってばー」

クラウディオは、困ったように苦笑した。

「あのね、君はね。眠たいときとお腹すいてるときは危険なの」

「あーーー?!」

濁点つきの発音で言われてしまった。これは相当レッドゾーンだと判断したクラウディオは、少し声を落としてやさしく言う。

「少し休んだらは? 眠たいんでしょう。良ければ僕のこと枕にして、どこかで30分くらい寝たらいいと……」

「寝る?!」

晶は大きな声を出した。

「寝る、あたしとあんたが、寝る!!」

「ちょ、声が大きいです! それに、そういう意味じゃないよ!」

あわてて周囲を見回したクラウディオであった。だがイタリア語だったので、その会話のきわどさに気づいたものはいない。

「寝るのは無理なんじゃないの?! 寝る? あたしとあんたが!」

晶は彼の言うことをほとんど聞かずに、上機嫌とも見えるくらい、大きくのどをのけぞらせた。

「ははは、そんなことできるくらいなら12のときに振られてないってのさー」

「だから!」

晶の台詞をさえぎるようにクラウディオが言った。その頬にはうっすら赤みがさしている。

「そういう意味じゃないって言ってるのにもう、たちが悪いんだから……。それにあの時のあれは、僕は君を断ったんじゃなくて……」

と、そこまで言いかけたクラウディオは、少しあごを引いて改めて晶の顔を見直した。

その目付きはまるで潮の流れを読む漁師のように真剣だった。

言いかけた言葉を引っ込めて、彼は言いなおす。

「やっぱり、休む?」

「なんでさ」

「だってそんなにふらふらして。そういえばずっと踊りっぱなしだったよね。疲れ……」

「そんなことない」

晶はクラウディオの手を自分からしっかり握りこむと、自分の左手をまっすぐ肩の高さに伸ばし、右肩を中心にしてその場でぐるぐる回りはじめた。

回る向きはクラウディオのほうが背中回り。つまり晶のリードということになる。

「ワルツじゃないでしょそれは。こら晶、どうどう」

「あたしは馬じゃなーい」

「馬のほうがまだ少しはいうこと聞くよ」

クラウディオは苦労して晶の回転を止めさせようとしながら、そっと溜め息をついた。

どうしたらいいんだ、これは。

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