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「やだ、あれ、尾崎さま?」

「そのようよ」


尾崎晶がその男を連れてホールに入ってきた時、既にそこに集まっていた生徒たちはざわめいた。


「一緒にいるの、誰っ」

「知らないわ」


聖葉女子学園、学園祭。一般開放日のことだ。

全寮制の聖葉女子学園では、良家の子女を集めているとあって、普段学園内の部外者の立ち入りは非常に厳しくチェックされる。

その聖葉に唯一入れるチャンスが、この学園祭なのだ。

一般開放日とはいえ男性の入場は厳しくチェックされるので、実際のところ中へ入れるのは生徒の家族、それも生徒本人からの招待状を持ったものに限定される。

いつもはスポーツカジュアルが多い晶も今日は特注したワンピースを着ていた。ワンピースとは言っても、中に仕込んだパニエと幾枚も重ねたオーガンジーでふんわりとボリュームを出しているので、ドレスと呼んだほうがふさわしい。


晶が伴っているのは、すらりと背の高い白人青年だった。

濃いハチミツ色の金髪に柔和な顔立ち。晶と交わしているのはイタリア語だった。





「誰、あれ」

その姿を一目見るなり、晶の友人でありルームメイトでもある高橋妃穂が低くつぶやく。

その隣で、奇しくも似たようなことを言うものがいる。

「誰です、あれ」

同じく高等部一年生の、桐生園子であった。


妃穂は色白の丸顔といい、ふんわりした栗色の髪といい、アンティークドールを思わせる美しい少女だが、園子のほうもまた感じの違う美少女だ。

色白の肌によく映えるまっすぐな黒髪には艶があり、それを結わずにそのまま背中に垂らしているところは、聖葉の制服よりも豪奢な内掛けなど着せたらさぞかし似合うだろうと思われた。

妃穂と園子はどちらもそれぞれに目立つ美少女なのだが、その境遇にも似た部分があった。

まず二人とも、名家と呼んで充分に差し支えない家の娘である。

初等部からずっと聖葉の寮暮らしをしているところも同じだ。

もっとも、高橋家は主にその資産額において、良家の子女が多くいるこの学園内でも群を抜いており、桐生家はその家の歴史において同じように抜きん出ている。


園子は視線を感じたようにふと横を向いた。

そしてかすかに顔をしかめている妃穂と目があうと、つんと勢いよくそっぽを向いた。

高橋妃穂と桐生園子。

似たような境遇だからさぞかし仲がいいのかと思いきや、二人は初等部に入学した当時からの犬猿の仲なのだった。





ふああ、と晶はワルツをゆったり余裕をもって踊りながら生あくびをもらした。

眠くて眠くて仕方がない。

なにしろ昨夜は一睡もしていないのだ。

続いてもう一回あくびが出る。こちらはなんとか噛み殺した。晶の目尻に涙が浮かぶ。

「疲れてるの?」

クラウディオ・ジェローザが聞いた。晶は淀みないイタリア語で返す。

「まあね」

「寝てないの? 昨日」

「うん、そう……」

晶はいかにも大儀そうにごくゆっくりとまばたきしている。

それを見てクラウディオは思った。これは、相当に眠いのだな。


晶とクラウディオとは、子どもの頃からの仲良しだ。

今は亡き放浪の画家、晶の父がよくクラウディオの屋敷に呼ばれて絵を描いていたせいもある。

幼なじみ同然の彼だから、少し話せば晶の体調や機嫌はすぐに汲み取れる。そして眠い時の晶に何を言っても、無駄だということも。


しかし、ワルツを踊る晶の足の運びに乱れはない。

相当踊り慣れている体の動きだった。

その何割くらいが自分とのダンスなんだろうと思いながら、クラウディオは重ねて聞いた。

「なんでまた、そんなに寝てないのさ」

「昨日前夜祭で……森だったからさ……」

「前夜祭で、森?」

踊りながら、クラウディオは首をかしげた。

なんのことかさっぱりわからない。

「うん……『森』だからね……」

しかも、やっぱり晶は相当眠気が勝っているようで、要領を得ない返事しかしないのである。


クラウディオは、また首をかしげた。

『森』って、なんだろう。





聖葉の学園際、一般開放日のクライマックスは、なんといってもこのダンスパーティである。

パートナーのいる女生徒はそれにふさわしくドレスアップして、普段は会えない父や兄、それに婚約者と踊る。

それはめったに会えない恋人たちの逢瀬でもあり、父や娘、兄と妹など、家族同士のスキンシップの場でもある。

聖葉に預けた娘がどんなレディに成長したか確認するのは、彼らにとってもなかなか嬉しいことらしく、父と娘、兄と妹というカップリングでワルツを踊っている姿がそこかしこで見られる。

「盛り上がっているようですこと」

晶がクラウディオと仲睦まじそうに踊るのを、奥歯をキリキリ言わせながら見ていたが、ややして身を翻した。妃穂はその凄い形相を、肩越し振りかえって見たが、特になにも言わなかった。


「調べましたよ、高橋さん!」

しばらく戻ってこなかった園子が、出て行ったときと同じ勢いで帰ってきたのは、数曲分時間がたったころだった。

妃穂は今日の学園祭に誰も呼んでいないし、はじめから誰とも踊るつもりはないようでむしろ潔く制服を着用しているが、園子は目の醒めるような濃いブルーのドレスを着ている。肘上まである絹の長手袋をはめてフォーマルな装いだ。

その手袋をはめた手でスカートの裾をつまみ上げ、園子は妃穂の横に滑り込んでくる。

園子本人も決まったパートナーはいないのだが、事前に内々で『園子さん、うちの兄がどうしても園子さんと踊りたいって』『うちの弟が……』『うちの従兄弟が……』などと頼まれ、いくつもダンスの予約が入っているのである。

だがそんなことは今彼女の頭から飛んでいるようで、園子は踊りたさそうにしているものの視線をはなから無視して言った。

「あの彼の正体わかりました」

「ええっ?!」

まさか彼女が自分にそんなことを言ってくるとは夢にも思っていなかったので、妃穂は目をぱちくりさせた。

だが園子は、足掛け10年に及ぶ確執のことなど頭からすっ飛ばしたように妃穂の隣にぴったり並んで言う。

「招待客名簿を見たんです。誰だと思います?」

「だ、誰だったの」

「名前はクラウディオ・ジェローザ。イタリア人ですね。わかったのはこれだけですけど、これだけわかれば上出来です。見た感じ、かなり若いですね。わたくしたちと同じ年くらいかしら。……高橋さん、あなた尾崎さんからなにか聞いていないんですか」

「……なにも」

妃穂は、園子とホールで踊っている友とを見比べた。

「……聞いてないわ」

いつになくしょんぼりと、妃穂はつぶやいた。


晶がドレスを注文しているのは同室だから知っていたし、誰か招待するつもりなのも知っていた。

『どなたかお呼びするの?』

晶の父が既にないのは知っていたから、そう訊ねたところ、彼女は

『うん、父と放浪してた時代、お世話になった人』

と言ったのだ。

その笑顔があまりに朗らかで屈託がなかったせいで、保護者代理人かそれに準ずるような立場の人物だと勝手に思い込んでしまっていた。


亡き晶の父は、画家だった。

彼は世界各地を放浪しながら絵を書き続けた人で、彼が亡くなるまでの15年間、晶も父とともに旅してまわっていたのである。

だから晶の答えを聞いた時、もっと年のいった、それこそ父と同年代の男性を思い浮かべたのだ。

それがまさか、あんなに若くて背の高い青年だなんて。


「ま、仕方ありません」

と園子が言った。

「高橋さんのせいではないわ」

その台詞に、すぐ横で聞いていた茨木が目を向いた。

茨木貴子は、黒のヘアバンドで額を涼やかに出し、銀縁眼鏡をかけている。主の妃穂がドレスを着ないので彼女もいつもと変わらぬ格好だ。

茨木も初等部一年生からずっと妃穂と一緒に聖葉暮らしだから、この二人の犬猿ぶりはよく知っている。

妃穂が園子の前でこんなにあからさまに落ち込むことも今までになかったが、それにも増して、園子が妃穂にやさしい言葉をかけるなど前代未聞のことだったので、耳を疑った。

晶のパートナーへの動揺からか。それとも『森』の疲れのせいか。と茨木は考えた。

どちらにしても、滅多にないことだった。





「そういえば小さい頃さあ」

「え?」

「初恋だったんだよね。あたし」

「なに、今なんて?」


クラウディオ・ジェローザは軽く聞き返した。今、なんて言ったの?

晶はその台詞を日本語で言ったからだ。


「うちの父さんとお宅の父さんは友だちで仲良しだったから、あたしたちも子どもの頃からちょくちょく会ってたよね。いつ会っても、どんな時でも、あなたはあたしにやさしくしてくれた」

「ちょ、晶。日本語はわからないよ。イタリア語で言ってよ」

しかし晶はそのまま日本語で続ける。

「どんな時でもあたしをレディとして扱ってくれたよね。あたしを守ってくれようとしてくれた。父さんと一緒にいろんな土地に行ったけど、あなたほど大切な男の子はいないよ。今でもだよ」

「だから日本語は……晶、君、わざとやってるの?」

クラウディオは、晶の顔を覗き込んだ。晶の心の奥底を見つめるように。

そして声に重みをもたせて言った。


「晶、さみしいの?」

「え?」


晶は目をぱちくりさせた。

その目は普段よりいくぶん腫れぼったい。それはもちろん眠さのせいなのだが、見ようによっては泣き腫らしたようにも、見える。

「僕が今日来たのはね、晶。君のことが心配だったからだよ」

「ふぁ?」

晶は半分あくびまじりのあいづちをうった。

「ここでの生活が辛いようなら、とけこめないでさみしい思いをしているようならこのまま連れて帰ろうかと思っていたの。イタリアへ」

帰る、という言い方を彼はした。

幼なじみであり、いとこのようにも感じられる晶。

その晶が成人するまで、ジェローザ家で面倒をみてはどうかという話は両親の間でも出た話だし、クラウディオにも否やはなかった。

「本気だからね」


去年の冬のはじめだった。晶の父が死んだのは。

父ひとり娘ひとりで、とても仲のよい親子だった。

その父を亡くし、自ら選んで聖葉に入学することを晶は決めた晶。

本人が決めたことだから、心配はしても反対はしなかった。だがクラウディオの目から見て、今まで晶がつむいできた日々の暮らしと聖葉の生活とはあまりに違う。

メールで晶は、楽しかったこと、嬉しかったこと、クラスメートたちとのたわいのないやりとり、規則違反をして怒られたことなどを生き生きと伝えてくる。

だけど、ほんとに?ほんとに元気なの?

クラウディオはそう思う。

機会を見つけて一度直接様子を見に行かなくてはいけないなと思っていた。

そして、自分から見てやっぱり無理しているようなら、どんな騒ぎになってもいいからその場で晶を連れて帰ろうと心に決めていた。


「イタリア……?」

晶はもやがかかったようなあいまいなまなざしで答えた。


「そう、イタリア。ぼくんち」

クラウディオは微笑を浮かべた。

「だって、お嬢さま学校なんて。晶に似合うと思えない」

「そっかな……」

むにゃむにゃと、晶はつぶやく。

クラウディオは瞳に力を込めて続ける。

「社交界のくだらない催し事も上品ぶった女の子も、僕は大嫌い。もっと言えばそんなところに君を置いておきたくない」

「そう……捨てたものでもない、よ」

晶は小さく今では仲間となった学友たちを弁護したが、クラウディオはさらに言った。

「どうする、晶? 僕と一緒に来る?」

晶はぽやっとして答えなかった。

クラウディオはもう一押しする。やさしい笑顔を浮かべて。


「イタリア。ぼくんち好きでしょう、晶」

晶は釣られたように淡い微笑みを浮かべて答えた。

「うん、好き……」

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