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第一章 鳥籠 5

        5


 暑い春。

 真夏のように強い日差しを忘れない。

 10年前――。

 その日、東京は4月初旬だというのに30度を超えた。温暖化が桜の季節を灼熱に変えてしまったのだ。

 母と二人の外出。

 日曜日だった。

 小学2年生にあがったばかりの少年は、ひさびさの母とのお出かけに、とてもはしゃいでいた。

 やさしい母。

 ときにはこわい母。

 大好きだった。

 大好きな、大好きな、お母さん。

 新宿駅のホームで電車を待っていたときに、世界が白く染まった。

 駅に入ってきた車両が爆発したのだ。

 ほんの数十センチの差が、生死を分けた。

 すぐ横にいたはずの母の身体が、壊れていた。

 自身も怪我を負っていたのだろう。だが、そんなことは気づけなかった。どうでもよかった。自分のことなど、どうでも……。

 大好きな、大好きだったお母さん……。

 新東京ドームへ行った帰りだった。秋葉原にも寄った。ゲームソフトも買ってもらった。母一人子一人の家庭。家計は苦しかった。それでも買ってもらった。うれしかった。そして買ってもらったことよりもうれしかったのが、母とこうしてお出かけをしていたことなのだ。

 大好きな、大好きな……。

 それまで大事に抱えていた買い物の包みが、胸からこぼれ落ちた。

 倒れる母を、少年は抱き起こそうとした。

 眠った母を起こそうとした。

 起きてくれない。

 立ってくれない。

 大好きな……大好きだった……。

 東京の繁華街9ヵ所でおこった同時多発テロ。東南アジアの過激派グループ『聖イスラム解放戦線』が犯行声明を出している。

 だが現在においても、日本政府は犯行グループを断定していない。事件後、すぐに3人の身柄が拘束されたが、その3人ともが拘置所で自害している。

 当時すでに、各テロ組織同士のつながりは強固なものになっていた。アフリカ中央部を拠点とする世界解放同盟(WTA)を頂点に、枝葉のように世界はテロリストであふれていた。事件の背後には、いくつもの影が見え隠れしていた。

 本当の黒幕は……母を死に追いやった憎むべき首謀者は、だれになるのか。

 はたして、少年はだれを恨めばいいのか。

 たった1人の身内をなくし、どこにも行き場のない……心まで、だれを責めるべきなのかもわからず、行き場のなくなった少年は、養護施設で鬱積する日々をおくった。

 いつしか少年は、テロそのものを憎むようになっていた。

 そんなある日――。

 あの男が施設にやって来た。

 あの男は、少年を眼にするなり、案内していた施設職員に、こう言った。

「この子は、わが社の企業イメージそのものだよ」

 テロにより母をなくした少年。

 テロを憎む少年。

 あの男は、そんな少年を必要とした。

 鷹森健三。

 タカモリコーポレーションの社長を継いで九年目。健三は、ある決意を胸にしていた。

 タカモリの本社をニューヨークに移す。

 そこで、レッグガードをふくむ兵器の製造をおこなう。

 日本では、法律やマスコミが邪魔をして、自由につくらせても、売らせてもくれない。

 だから、アメリカなのだ。

 いまの没落した合衆国なら、移転費用も安くすむ。最大の取引相手となるだろう欧州からも、輸送がしやすい。

 ここしかなかった。

 そして、このタイミング。

 日米安保を破棄して、日中安保に乗り替えたいまこそが、絶好の好機なのだ。

 とはいえ、レッグガードの製造と輸出――。

 いかにアメリカへ移転しようと、日本の企業が手を染めるには、世論が許してはくれない。兵器自体の輸出に関しては、21世紀初頭に条件が緩和されていた。が、『兵器オブ兵器』であるレッグガードとなると、そうはいかなかった。平和な国としての日本は、この22世紀においても不変なのだ。

 そのためにも、この子が必要だった。

 反テロの象徴となりえる少年が……。

 健三は、少年に言った。

「私の息子になりなさい。私はこれから、世界にこびりつくテロという名の癌細胞を取り除くのだよ。いっしょに、お母さんの仇を討とうではないか」

 少年――当時、6歳の由志は、ただうなずいていた。


      * * *


「……」

 母が殺された日のことは、いまでも脳裏に焼きついている。

 そして、健三と出会った日のことも……。

 なぜ自分はあのとき、うなずいてしまったのか。健三の――義父の思惑にのせられてしまったのか……。

 健三は、テロを撲滅するために兵器をつくると宣言した。

 そのために、このアメリカへ渡った。由志もついてきた。

 だが、現実はどうだ?

 テロの驚異は、いっこうに無くならない。

 撲滅するどころか、ここでつくられた兵器がスラムのならず者たちに奪われて、いずれテロ組織に流れてつく。

 現在は《ミンク》という若者グループがその代表だが、それ以前には別の集団がいた。その集団がいなくなるまえにも、別の集団……結局、そういう人間がいるかぎり、この連鎖は終わらない。

 たとえ《ミンク》を摘発したとしても、また別の組織ができあがる。

 健三の考えがまちがっていると思いはじめたのは、いつごろだろうか?

 正義のためでないことは、子供だった自分にもよくわかった。健三からは企業のリーダーたる風格をうけても、人情のようなやさしさは感じられなかった。

 それでも、かまわないはずだった。

 もとより自分自身にも、正義などという概念はない。

 すべては、復讐のためだ。

 母を殺したテロリストたちに報復できるのなら、軍需産業のシンボルだろうと、兵器を製造する理由づけだろうと、どんな役どころでもこなしてやる覚悟があった。

 しかしテロとの戦争は、まさしく「戦争」でしかないのだ。おたがいにとっての大義が利己的にぶつかり合う。そこには正義どころか、復讐という黒い情念ですら入り込む余地はない。

 あるのは、国家や思想を隠れ蓑にした金の流れと、虚栄心に支配された蛮族の野望、それに反する資本主義の独占だけなのだ。

 それらにくらべれば、由志の復讐心のなんと純粋なことか。

 結局、義父も「戦争」によって富を得るハゲタカの一人だった。奪われた武器がテロリストの手に渡っていることも、計算のうちなのだ。むしろそのほうが戦乱が激しくなり、より兵器の需要が増える。

 由志は、迷った。

 テロをなくすには、戦う武器をつくることが正解なのか?

 テロリストは憎い。

 それはいまも変わらない。だが、方法がまちがっていないか?

 その思いが、由志を動かした。

 最初は、大量破壊兵器の輸送を阻止することだった。アメリカに来てから、四年が経ったころの話だ。由志は、まだ日本でいうところの中学生だった。

 その情報を知ったのは、ほんの偶然だった。義父の書斎の前を通りかかったときに、なかから話し声が聞こえた。電話での会話だ。扉が少し開いていたので、よく聞き取れた。自宅とはいえ、使用人もいる場所でする話ではなかった。あとにもさきにも、義父がそんな不用心なことをしたのは、その1回だけだった。

 会話の内容は、ATO軍へミサイルを輸送するというものだった。アフリカ戦線に投入するためのものだ。

『ア熱障害』により、あそこでは通常のミサイルは使えない。狙って撃ったものも、まったくちがう場所に着弾してしまう。誘導もできない。

 ならば、ピンポイントの性能は捨てて、そのぶん威力を強化する。どうせ破壊するのは、すでに死に絶えたアフリカ大陸なのだ。『銀槍』と呼ばれる新型のミサイル。

 核とまではいかないが、テロの撲滅というきれいごとが白々しくなるほどの殺戮兵器だった。

 由志は、義父の行為が許せなくなった。阻止することを心に決めた。

 輸送当日、由志は学校をサボって、義父を見張った。

 タカモリの工場からトレーラーに積まれたミサイルが運ばれていくのを、なにもできずにただ見ていることしかできなかった。

 当然、完全武装の護衛がついていた。

 由志1人では、なにもできなかった。

 あのときほど、無力感にさいなまれたことはない。

 わからないように、後ろからバイクでつけていった。

 しかし由志が出ていかなくても、輸送は阻止されていた。ならず者たちの集団に襲われたのだ。当時、まだ《ミンク》は結成されていない。いわば、彼らの先輩たちだ。

 ミサイル5基が、たちどころに強奪された。

 テロをおこす側、テロを鎮める側、双方に渡してはいけない兵器のはずだ。

 由志は、策もなしに出ていこうとした。

 それを止められた。

 黒人の少年だった。

「いま出て行っても、死ぬだけだよ」

 少年は言った。表情や雰囲気からは、少年には思えなかった。

「それよりも、ボクに手をかしてよ」

 少年は、何者かに追われているようだった。

「あのトレーラーに隠れてたんだ」

 どうやら、タカモリ本社に監禁されていたところを、逃げ出してきたらしい。

「おい、いたぞ!」

 そこへ、数人の黒ずくめの男たちがやって来た。強奪されそうなトレーラーには無関心だ。その男たちの任務は、あくまでも黒人の少年を奪還することにあるようだ。

「のれ!」

 瞬間的に、由志は少年をバイクの後部に乗せた。

 それが、ネルとの出会いだった。

 結果、5基のミサイルのうち、3基は無事取り戻したようだが、2基は奪われたままだ。略奪グループのほうも、護衛部隊により、手痛い反撃をうけたようだった。ネルからは「勝ったのは、なにもしなかったキミだよ」と言われた。

 自身の無力さを呪った。母を殺されたときと同じだった。なにもできない。

 そんな由志に、ネルは自らの素性をあかし、ボクの力をあげるよ──と告げた。

《Eを超える者》の叡知を手に入れた瞬間だった。



『ユウ、聞いてる?』

「ああ」

 無線の声で、意識を現在にもどした。

『まもなく通過するはずだよ』

 タカモリ本社から、レッグガードが搬送されてくる。

『ミンクの連中も来るかもしれない』

「それは大丈夫だ」

『え?』

 彼らには、偽の情報を流しておいた。レイチェルを使って。

 思惑どおりなら、彼女からダンというあの退学した男に話が行っているはずだ。

 地を轟かす、不快な振動が伝わってきた。レッグガードを積載したトレーラーと、それを護衛するレッグガードの足音だ。

「来た。作戦を開始する」


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