第一章 鳥籠 4
4
「社長」
天高く、そびえる塔――。
『バベル』と呼ばれる高層ビル。高いからその名とは、ずいぶん安直だが、もちろん正式な名称ではない。
USタカモリビルディング。
当然といえば当然だ。ここまでの建造物を維持できる財力を有しているのは、この国ではタカモリしかいないのだから。
ここの1階から最上階まで、すべてタカモリグループの各部署で埋まっている。このニューヨーク――いや、北米経済の縮図がここになる。
日本から本社を移して、わずか7年。
旧約聖書では、ノアの物語のあとにバベルの塔が記されている。大洪水に呑み込まれたこの国に、まさしくバベルの塔を建設したのだ。
「イタリアへの輸送についてですが」
秘書がそう報告をしながら、分厚い資料の束を健三のデスクに置いた。健三は、無言でそれらに眼を通していく。
最上階に位置する社長室。そのわりに調度品が質素なのは、ここがアメリカだからだろうか。
「5機を送ってほしいとの要請ですが……」
「3機のはずだが」
健三は、厳しい声をあげた。
「はあ……」
30前後と思われる男性秘書は、困ったように眼を泳がせた。
「欧州への輸送となれば、ATOの監視もある……」
「ど、どういたしますか?」
「5機は無理だが――」
健三は渋い表情で、秘書に告げた。
「3機のうちの1機は、新型を送る。それで納得してもらうしかない」
「そ、それは……まだテストがすんでおりませんが……」
恐る恐る秘書は声をあげた。
「かまわん。君は支持どおりにしていればいい」
「は、はい……」
「では、さがりたまえ」
冷徹な感情を、そのまま言葉にかえた健三は、秘書が退出すると静かに瞑目した。
(急がなければ……沖田は、もう動きだしているはずだ)
* * *
2進数の海を漂って、もうどれくらい経つだろうか。
コンピュータから、またべつのコンピューターへ。欲しい情報だけを盗む。世界のどこであろうと、逃げられない。むかしのように回線があった時代なら、それを抜けばよかった。だが、回線もいらない現在のコンピュータ事情では、逃れる術はないのだ。
いや、たった一つ――電気も電波も通さない、ゴムや雲母などの絶縁体で密封された地下室に入れば、探知はされない。そうでもしないかぎり、コンセントも電話回線も必要としない「ノーライン・ネット」では、防ぐことができない。
どんなに厳重なハッキング対策をしようとも、彼のような天才にかかれば、子供のつくったパズルを解くようなものだ。
もはや、電脳世界に安住の地はなかった。
〈ピー・ピー・ピー〉
コール音が、ネルのダイビングを中断させた。
『邪魔したか?』
「いいんだ。ちょうど、いい情報をさがしあてたところさ」
ネルは、モニターに映る2つのウィンドウを交互にみつめる。
覗いているどこかの機密データの上に、鷹森由志の顔が重なっていた。
『いい情報って?』
「明後日、イタリアの軍事工場に、兵器が輸送されるらしい」
『それが、どうかしたのか?』
「ユウのほうにも、映ってるだろ?」
『人間の文字じゃない』
「あ、悪い悪い」
そう応えて、ネルがキーを操作すると、由志の下の文字が、アルファベットの羅列に変わった。
『ここから?』
「そういうことになってるね」
『ってことは、父が絡んでるんだろうな』
「たぶんね」
『タカモリのなかへは?』
「潜ってみたけど、やっぱりダメだった」
『世界最強のハッカーを完封……か』
由志の感嘆とも、あきれともつかない声が静かに流れた。
『たしか、日本にもあったな?』
「うん。オキタ重工のハッキング防止システムも破れなかった。たぶん、そこと同じシステムを使ってるみたい」
『同じ……?』
「日本の企業同士なんだから、不思議じゃないよ」
『……で、どうするんだ?』
「それは、ボクのほうが聞きたいよ。どうにかするんだろ、ユウのことだから」
『兵器の詳細はないのか?』
「のってないみたい。でも、ここからだとすると、ミサイルのたぐいか、戦車じゃない? 航空機はつくってなかったよね?」
『レッグガードかもしれない』
「さすがにそれはないよ。失敗したばかりなんだし」
『いや、わからない。あの男なら……。防衛用の戦車なら、そのままだ。だが、殲滅のための兵器やミサイルなら爆破する』
「そう言うと思った。じゃあ、念のため、例のヤツのメンテでもやっとくよ」
『テストしとくか?』
「なに? ボクの腕を信用してないの?」
『ちがう。オレが、うまくあつかえるかのテストだよ』
「ユウの腕を信用してる」
『……まあ、あれを使う必要がないことを祈るべきだな』
「世界の軍事バランスが変わってしまうかもね」
『ネルがそう言うってことは、想像以上にヤバい性能なんだな……』
「結局、殺戮兵器になるのも、平和をもたらす盾になるのも、使う人間の資質によるのさ」
『オレには、その資質があると思うか?』
「じゃなきゃ、ボクは力を貸さないよ」
最後に微笑みを浮かべて、由志の顔は消えていた。