第三章 守翼 7
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「あいからわず、おもしろい戦い方をする」
感心したように、クロウが言った。
「どうだね? いまからでも、あそこに飛んでいきたいのではないか?」
クロウにからかわれても、沙莉の感情は動かなかった。
場所は、高層ホテルの一室だった。車で都内を移動していたのだが、ついさきほどここで部屋をとったのだ。
夜景が映える最高の眺めのはずが、しかしその窓からの光景は、狂気のように殺伐としていた。
眼下では、4つの機体が戦闘を繰り広げている。そしていま、そのうちの1つの戦闘が終わったところだった。
「なにが目的なの?」
今夜のテロ行為には、おかしなところがいろいろあった。
「なぜ、発砲しないの?」
「今日のこれは、殺戮が目的ではない」
「では、なに?」
「挨拶かな」
テロリストらしからぬ言葉が返ってきた。
「そんなことのために?」
クロウが本心を口にしているとは思っていなかったが、沙莉は話を合わせた。
「なにごとも、挨拶は重要だよ。戦争だって宣戦布告をしなければならない」
「お金と兵器と人員の無駄遣いだわ」
「われわれの資金は豊富だ」
「バックになにがついてるの?」
「それを知ってどうする?」
「わたしも仲間になったのよ。知る権利があるわ」
クロウが自分のことを一人前の戦士と認めていないことはわかっている。それでも沙莉は、そう主張した。
「この夜景を見ればわかる。窓の外の世界にとってはテロであっても、べつの世界では英雄的行動となる。つまるところ、テロなど見る方向が変われば、まったくべつのものになるということだ」
「ずいぶん、哲学的なことを言うのね」
「紛争など、所詮は自分勝手な思想くらべをしているだけのこと」
「あなたのゴールはどこにあるの? この世の破滅? それとも、この世の王になりたいの?」
「私のめざすものは、崩壊だよ」
哲学を口にしても、そこはテロリストらしい答えだった。
「この世の価値観の崩壊」
「価値観?」
「人の常識というものが、どれほど利己的でくだらないものか……」
「それを壊すつもりなの?」
クロウは返事をしなかった。ただ視線を窓の外に向けている。
「きみも、その価値観を壊したいのだろう?」
「わたしが?」
「あのとき、きみの眼を見て思った。この女は、人の基本概念を……すなわち常識を憎んでいると」
この男には見透かされていると思った。
由志と結ばれることはないと知ったとき、沙莉は絶望した。この世の常識というものを本気で憎んだ。
「いまの質問をそのまま返そう。きみのゴールはどこにある?」
沙莉は、眼下を眺めた。
由志の搭乗しているであろうレッグガードに視線を合わせた。
「あの彼か?」
「そうよ」
「彼をどうしたい? 殺すのか? それとも……愛するのか?」
やはりクロウには、すべてのことを悟られている。
「殺すわ」
沙莉の答えを聞いて、クロウは笑みをみせた。
「そういうことにしておいてやろう」
* * *
機能の停止したレッグガードから、搭乗者が地上へ降り立った。
そのテロリストは、すぐさま大勢のいる方向へ走り去っていく。逃走する人々の群れに溶けこもうとしていた。
『どうしますか?』
「そういわれても、ここを降りなきゃ生身の人間は追えない」
ガードの乗ったままどうにかしようとすれば、それこそ無関係な人々を巻き添えにしなければならない。
『逃走犯をポイントします』
エルの声がそう響くと、メインスクリーンの左下に小さなウインドーが開き、そこにべつの映像が映し出された。
『これで、人ごみにまぎれようと逃しはしません』
「この映像を送れるか?」
『もちろんです』
逃走犯はほかにかませるとして、由志は残ったもう1機に向かった。
カインと格闘を繰り広げていた。
「苦戦してるのか、オッサン」
『ふざけたことを』
「手を貸してやろうか?」
『邪魔だからどいてろ』
おたがいが、盾とマシンガンで殴り合っていた。
エルの見立てでは敵のマシンガンには弾が入っていないようだが、たとえ装填されていたとしても銃身が曲がっているので、発砲はできなくなっているだろう。
「オッサン、これ使えよ」
由志は、トンファーを投げた。
自らのマシンガンを捨てて、カインがそれを右腕でキャッチした。
専用の打撃武器を手にすれば、情勢は瞬く間に変わった。おもしろいように、カインは攻撃をあたえていく。
渾身の一振りで、相手の左腕を砕いた。
次いで、脚部を狙う。
脚のつけ根から火花が飛び散り、敵レッグガードはバランスを崩した。片脚の機能が壊れては、レッグガードはただの鉄の塊だ。右腕に所持しているマシンガンが本当に飾りだとすれば、これで2機を戦闘不能にしたことになる。
1機目と同じように、パイロットが逃走をはじめた。
『これもポイントしますか?』
「できるならやってくれ」
『本部に情報を送っていますが、1人目には逃げられたようです』
駆けつけた警察が追ったようだが、逮捕はできなかった。
『私のセンサー追尾もまかれています』
「機械も万能ではないってことか」
『そういうことです』
そのとき、上空に機影があらわれた。
飛鳥丈の戦闘機だ。
『おい! もう1機いるのを忘れてないか?』
遅れてきたのに、飛鳥丈の声はそれを感じさせなかった。
「そういえば、3機って言ってたな」
『ここにいるわ』
ルカーチュの声が届いた。
『1機だけ、まったくちがう場所に移動してる。そこから北へ10キロよ』
どうやら、ルカーチュとサンチェスが追尾しているようだ。
『だいぶ移動してるな』
カインがそれに応答している。その1機は、いまの戦闘には参加せずに、進軍だけしていたということだ。
『そこへ向かう』
だが、全速力で逃げている機体をいまから追いかけても、カインのガードでは追いつけない。
「オレが行く」
『まて!』
カインに止められた。
『これを返す』
トンファーを差し出された。
滑るように近寄ると、止まることなく由志は受け取り、そのまま敵を追って疾走した。
* * *
クロウの命令に従わない1機があるらしい。
「ふふ、所詮は下請けだ。功を焦ったな」
しかしクロウには怒りもなければ、狼狽もない。そんな感情を超越した達観が、この男の内部にはある……沙莉は思った。
「どうするつもり?」
「ほうっておくさ」
「たくさんの死者が出るかもしれない」
「それならそれでかまわんさ。われわれは、テロリストなのだ」
「……」
「不満そうだな」
無表情のままだと信じていた沙莉に、クロウは告げた。
「べつに。ただ、意味のない殺戮をするなんて、あなたも普通のテロリストだったんだって」
遠慮せずに沙莉は言った。
「失望したか?」
「……」
「まあいい。無意味な殺戮がおこなわれるかどうかは、あの彼らにまかせるとしよう」
暴走している1機は、遥か彼方に遠ざかっている。もう少しでホテルの窓からは見えなくなるだろう。
それを追いかけるものがあった。
(由志……)
声にならない感情が、胸のなかで広がっていた。
* * *
『ユウ? ユウ? どうかしましたか?』
エルに呼びかけられて、由志はわれを取り戻した。
敵を追跡途中、なにかの視線を感じたのだ。
視線? いや、気のせいだ。
由志は、いまやるべきことに集中した。
『いいですか? 繰り返します。今度は、ちゃんと聞いていてください。敵レッグガードは進路を北から北東に変えました』
「道なりに進んでるってことじゃないのか?」
『いえ、故意にその方角へ向かっています』
「そのまま進むと、なにがある?」
『日陽テレビと日陽新聞の本社があります』
「それって、たしか……」
皆川葉月の所属するテレビ局だ。新聞社のほうは、あの三矢が勤めている。
「あとどれぐらいで追いつく?」
『通常射撃が可能になるのは、2分。あくまでも銃器を使わないのあれば、4分。その場合、テレビ局に到着しています』
敵ガードに踏み潰された車両を避けながら、由志は疾走を続けていた。
メインスクリーンが切り替わった。
敵ガードをサンチェスの攻撃ヘリが牽制している映像だった。どうやら、ルカーチュの偵察機からの映像らしい。
さらにそこへ、飛鳥丈の戦闘機が加わった。
だが、いずれの機も射撃はできないので、足止めの効果しかない。
「ん?」
自機のすぐ横にも、ヘリが接近していた。敵ではないとエルが判断したようで、警告などは発しなかった。
『こちらに呼びかけています』
見たところ民間のヘリのようだった。
『鷹森くん! うちが狙われてるみたいなんだけど!』
「そのようですね」
『この戦いも密着させてもらうわ!』
自身の会社が狙われていることは小さな問題のようだ。皆川葉月にとっては、取材のほうが大切なものらしい。
「エル! 射撃武器を使わずに、一撃で沈める」
『わかりました。必殺の武器を用意します』
トンファー以外に強力な格闘武器があるようだ。ネルが寸前まで開発していた兵器の1つなのだろう。
『左右のトンファーを合わせてください』
「え?」
よくわからないままに、両手それぞれに持っているトンファーを、柄が外側にくるよう合体させた。
まるで生物のように合わさったものが蠢くと、どういうふうに変形したのか、1本の鋭利な針になった。
『特殊形状記憶合金です』
由志は虚ろに、その言葉を聞いていた。
『一撃で仕留めるために、一番有効な個所をポイントしました』
メインスクリーンに、足止めされている敵レッグガードの映像がアップになっていた。その巨影の1箇所が、点滅していた。
人間でいうところの左胸──心臓の位置になる。
『さきほど説明したとおり、あのBT67を確実に行動不能にするためには、急所である3箇所を攻撃する必要があります』
その方法で1機を仕留めている。
『ですが、3箇所につながる回路があの位置にあります。そこを貫くことでも、撃破は可能です。ただし映像で指示しているよりも小さく、針の穴を通すような正確さが必要ですが』
「一撃で、そこを突けってことか」
言い終わらぬうちに、由志は飛び上がっていた。
ホバー噴射の力も借りていたが、レッグガードの常識を超越するような高くて長い跳躍だった。
「どけ!」
無線に叫んで、飛鳥丈とサンチェスをさげさせた。
針状の武具を振り上げて、着地と同時に突き刺した。
寸分たがわず貫いた手ごたえがあった。
『お見事です』
エルの声が耳に届いたときには、敵ガードの機能が停止するのをスクリーンで確認していた。
『す、すごい……』
皆川葉月のつぶやきが聞こえた。まだ回線がつながっていたようだ。
彼女だけではなかった。
飛鳥丈もサンチェスも、上空で旋回しているルカーチュも……本部で事態を見守っていたハルデマンも、楠木瑤子も、沖田誠四郎も……みな、驚きを隠しきれなかった。
ただ1人、カイン・チェンバースだけが顔をニヤケさせていた。
* * *
「ほう。あのボウヤ……やるじゃないか」
ニュース映像を観ながら、クロウは沙莉の顔をうかがった。
「驚いていないな。きみの愛した男は、あれぐらいやって当然の男なのか?」
「そんなことより、1人が逮捕されたのよ。いいの?」
「いいさ。功を焦った愚か者のかわりなど、いくらでもいる」
仲間がやられたというのに、クロウの表情はどこか喜々としていた。
「おもしろがってるの?」
「おろしろいね。こうでなければ、世の中は楽しくないだろう?」
それからしばらく、クロウは同じ顔で夜景を眺めつづけていた。




