第一章 鳥籠 1
第一章 鳥籠
1
不自由な女神が、微笑みを絶やさない。
過去の誇りだけを頼みにした正義の使徒たちを見守りつづけている彼女に、心変わりはあるのだろうか。
かつての栄華をなくした大国の象徴。
彼女が『自由の女神』と呼ばれていたのは、どれぐらいまえのことだろう。
希望の消えた街。
ようこそ、世界から取り残された都へ。
ニューヨーク――。
西暦2138年。
「おい! はやくしろよっ!」
何十人いるだろうか。すべて、まだ15、6。いっていたとしても、18歳ぐらいまでの少年たちだ。
肌の色は、白、黒、黄色。
人種差別が無くなったことはこの国の評価に値するが、それは白人の権威が失墜したというだけのことであり、傲慢な国民性になんら変化があるわけではない。欧州諸国においては、いまだ健在な至上主義が、ここでは一時だけ姿をひそめているだけだ。
白だから、黒だからなんて余裕を言っていられないこの国の現状が、そこにある。
世界一の借金大国においては……。
「はやく直結しろよっ」
「まてって!」
少年たちは大型トレーラーのまわりに集結していた。数人が周囲を警戒するように銃をかまえているが、残りは運転席に集中している。直接、席に乗り込んでいるのは、2人だ。1人が電気系統をいじり、1人がその仕事を急かしている。両方とも白人だ。
「もう、やばいぜ!」
外の仲間が声をあげた。
「まだか!?」
「もうちょっと!」
そんなやりとりが、30秒ほど続いた。
静脈認証でのみエンジンがかけられるシステムだ。本来のドライバーは外で眠っている。その静脈が、もう動くことはない。
ドン、ドン! という地響きが、そのとき聞こえてきた。
「やばい! 応援部隊だ!」
「クソッ!」
急かしていた少年は、思わずフロントガラスを手で叩いた。
「こうなったら、返り討ちにしてやる!」
この集団のなかではリーダー格らしいその少年は、車外に飛び出した。
「おまえはなんとか、これを動くようにしとけ! わかったなっ!」
直結をさらに急がせると、リーダー格は、地響きの発生源を眼で確認した。まだ遠くにいるが、それでもあきらかに巨大なものが近づいてくるのがわかった。
「こいつらのようにしてやる!」
リーダー格は、破壊された装甲車を一瞬だけ見やった。それだけではない。周囲には、もう二台の装甲車が鉄の塊と化していた。そのうちの一台は、赤々と炎をあげている。
「リーダー! 頼みます!」
リーダー格と思われていた少年が、背後に向けて叫んだ。
そこにも、巨大なものが存在していた。
レッグガード――。
「リーダー」と呼んだからには、本当のトップがそこに搭乗しているのだろう。この巨人が、護衛のための装甲車をすでに三台もおしゃかにしている。
埃に汚れたアスファルトを見れば、何人もの男たちが転がっていた。こちらのほうは、生身の少年たちの仕業だ。
あるものの輸送を襲ったのだ。
トレーラーの荷台にも、いまわしき巨人が横たわっている。少年たちの獲物だ。これを奪って、テロ組織に売りさばく。
ダウの子供たち――。
彼らはそう呼ばれている。かつて証券取引所があった場所をテリトリーにしていることから、皮肉まじりに、そして冗談めかしてそう呼ばれていた。
掠奪の申し子たちは、自分たちの生活のために軍事兵器を奪い、邪魔者を殺す。そして彼らから流れた兵器は、テロリストの手によって血にまみれ、世界を恐怖で覆い尽くす。
各国のテロ組織がそれぞれの国を追われ、アフリカ中央部に逃げ込んだいまなお、テロを撲滅できない理由がそれだ。
当然、裏で支援している富豪がいることも事実だ。表の顔は、石油王。裏ではテロのスポンサー。そんな人間は大勢いる。テロ活動に協力する市民も、星の数ほどいるだろう。いまでもロンドンやパリで爆弾テロが頻発しているのは、そういう協力者の力が大きい。彼らなしでは、入国すらままならないのだから。
だが、それだけではテロ国家は支えられない。金も人員もたりていたとしても、肝心の戦う武器は、こういう略奪の産物なのだ。
テロリストにも躊躇なく武器を売る『死の商人』は、いまでもたしかに健在だが、それだけでは不足だ。テロと戦う側――《巨石を砕く者》との死闘には、武器はいくらあっても困ることはないのだ。
テロ国家《混沌の巨石》とそれを砕く者との血の歴史は、もう数十年にわたる。物資も人材も豊富な「砕く」側が、なぜ「混沌」たちと互角の戦力なのか。その原因が各国の貧民と化した、こういった若者たちなのだ。このニューヨークを拠点に新型レッグガードの開発をはじめたタカモリ・コーポレーションが製造した兵器を、ここから欧州に送っている。それらはテロ国家との戦闘に使用されているはずだ。少年たちは、その輸送途中を狙っていた。
これまでに、すでに4機の略奪を成功させている。『ヒュレス』ではない。いずれも高級品の搭乗型レッグガードだ。失敗も二度ほどあるが、レッグガードを1機売れば、メンバー全員でも2、3ヵ月は遊んで暮らせる。割りのいい仕事だ。
兵器メーカーは、テロと戦う側に武器を売り、テロに味方する者に奪われている。戦場で同じメーカーの兵器が戦闘をおこなうことなど、めずらしくもない。
少年たちの所有するレッグガードも起動をはじめた。4機奪ったうちの、1つだ。砂漠戦用の『瑠璃』という機体だ。右腕部の外側が開閉し、銃身が姿をあらわした。
奪われた兵器メーカーのレッグガードとの応戦が開始された。
そちらは、市街戦用の『瑪瑙』という機種だった。機関銃を手にしている。その銃口から惜しみなく弾が乱射された。
市街戦用のほうが、火器は強力だ。そのかわり砂漠戦用は、機動力で勝る。行動の困難な砂上での戦闘を想定しているのだ。しかも平地――それもアスファルト上となれば、レッグガードでダンスを踊ることもできる。
一般的な常識として、レッグガード同士の戦闘においては、火力の差がそのまま勝敗を決める。機動力の優劣は、それほど重要なことではない。自らも巨大だが、敵も巨大な的だ。いかに弾丸を避けるかではなく、いかに多くの弾丸を相手に叩き込むかなのだ。しかし今日の戦いは、それまでの常識をくつがえそうとしていた。
少年グループの砂漠戦レッグガードの動きの速さは、尋常ではなかった。ここまで機体の性能を引き出せるパイロットがいるのだろうか。
そもそも砂漠戦用だからといって、ここは砂漠ではないのだから、重火器をかまえてもよかった。強奪したうちから、携帯武器だけを売らずに、流用すればいいのだ。かりにいままで奪った機体がすべて砂漠戦用で、重火器が携帯式でなかったとしても、レッグガードを売りさばいた金で、武器だけを買いそろえればいい。ブラックマーケットならば、中古や横流し品が腐るほど出回っている。
必要がないから、そのままなのだ。
火力に頼らずとも、搭乗者の個人技で相手を翻弄できる。
砂漠戦用のレッグガードは、回り込んで市街戦用の背後をとっていた。簡単なことではない。ATO軍の優秀なパイロットでも、運を味方にして、はじめてできることだ。
砂漠戦用の腕から、ありったけの弾丸があびせられた。
けたたましい炸裂音。
火薬の匂い。
まぶしい火花。
プシュ、プシュ、という音が市街戦用の機体から絞り出される。
胸部が開く。
銃弾がやむのを見計らって、パイロットが脱出した。立った状態なので、下まではかなりの高さがあったが、レッグガードとともに爆死するよりはマシだ。
下に降り立ったパイロットは、着地の衝撃で痛めた足をいたわることもできず、一目散に逃げていった。
機能は停止したものの、市街戦用が爆発するということはなかった。だが、ここまで破損したとなると、売り物にはならない。少年たちの関心は、大型トレーラーに積まれた無傷のレッグガードにしかなかった。
奪う者が悪いんじゃない。
奪われる者がバカなのだ!
およそ50年前――中国との戦争が勃発してから、この国はおかしくなった。失業率が70%を超え、国民総生産が世界100位以下に落ち込んだのは、戦争が終わって、わずか10年後のことだった。
富豪たちは、早々に見切りをつけた。
この国を棄てた。
残ったのは、一般市民だけになった。
その状況に追い打ちをかけたのは、アフリカからの移民だった。AC(アフリカ移民共同支援)に世界のリーダーとして参加していたこの国に、それを拒むことは、王者のプライドが許さなかった。
国の財政は、さらに悪化した。
ACを脱退したときには、すでに手遅れとなっていた。
いまでは、街の大半がスラムと化し、一部分だけに特権階級の民たちが集まる『パラダイス』が形成されているのが現状だ。ここニューヨークだけではない。ロスも、シカゴも似たようなものだ。
「合衆国」という呼び名は、各地にかろうじて点在している、その『パラダイス』にだけあてはまる。つまりアメリカ市民とは、高台の住人だけなのだ。その他の広大な国土は、統治不能なスラムの園となっているか、アフリカ移民のすさんだオアシスとなっている。
「かかった!」
直結を急いでいた一人が、運転席から声をあげた。こういう輩のおかげで防犯対策は万全になっているはずだったが、これ以上の時間をかせぐことは無理のようだ。相手がレッグガードを持ち出すほどの無法者なのだから、防衛する側も、せめて2機のレッグガードを用意しておくべきだった。
リーダー代理――副リーダーとしておこう――は、ドアを開けると、それまで直結していた仲間を蹴り押すように助手席側に追いやった。自分が運転席につくと、アクセルを目一杯、踏み込んだ。
けたたましい雑音をまき散らし、タイヤが空転する。焦げたような匂い。荒いアスファルトの舗装をはぎ取るかのように、トレーラーは前進をはじめた。
そのとき!
トレーラーの鼻先に、なかかが着地した。
「なんだ!?」
激突寸前、ギリギリで反応できた。副リーダーは、ペダルが折れそうなほどブレーキをかけていた。
そこに現れた機影を、最初、副リーダーは敵のさらなる援軍かと思った。ちがう。すぐにわかった。一目瞭然だ。
骨組み。
そんな言葉が浮かんだ。
形はたしかにレッグガードだが、小さすぎる。大型とはいえ、トレーラーの運転席から真正面の高さが胸部の位置だ。通常の二分の一以下の大きさということになる。巨人という比喩は、これでは使えない。
黎明期のレッグウォーカーのようだ。そのころは無人の『ヒュレス』だったはずだが、この機体には、あきらかに人間が搭乗していた。
見えるのだ。
装甲がない。
コックピットがむき出しなのだ。小さいために胸部だけでなく、腹部にまではみ出した搭乗席が、丸見えになっている。
だが、パイロットの容貌はわからない。
まるで砂漠地方を流浪する旅人のように、布で頭部と顔を覆っているからだ。
「また、てめえか!」
副リーダーは、窓から顔を出して、突如として出現したミニレッグガードに叫んだ。兵器メーカーのものとはくらべようがないほどに、みすぼらしい機体だ。ガラクタを集めて自分で組み立てたような感じだった。
少年たちには、見覚えがあった。
これまでのレッグガード強奪で、2度失敗したうちの、2度とも会っている。
「あいもかわらず、下品なやり方だな」
顔を隠したパイロットが言葉を返した。骨組みだからこそ、生の声が聞き取れる。
「もう邪魔はさせねえ!」
副リーダーは吠えた。
いっせいに外にいた少年たちが、銃を猛らせる。
コックピットを守る装甲もない、無様な機体だ。生身の人間でも、銃さえあれば楽に倒せる。
ミニレッグガードは、左右の腕で弾丸をブロックすると、その小さい身体に似合った迅速な動きで、少年たちに迫った。
銃器は、携帯していない。
そもそも、こんな小さな機体に使用できる携帯武器など存在していないはずだ。
だが、武器のようなものは持っていた。
棒状のものだ。
左右、両方の腕に。
それを人間が使用する武具におきかえると、こういう名称で呼ぶことができるだろう。
トンファー。
というより、トンファー以外のなにものでもない。
レッグガードの武器に、そんなものを選択するなど前代未聞だ。銃器が主流。打撃や斬撃武器を使用する格闘戦用レッグガードもあるにはあるが、戦場ではまずお目にかかれない。欧州や中国、日本などの裕福な国々で、そういうレッグガード同士を闘わせる競技がある。格闘武器など、娯楽のなかだけの産物なのだ。
しかも、なぜトンファーなのか?
操縦しているのは、琉球古武術の達人とでもいうのだろうか。
少年たちの放った弾丸を防いだのも、腕というより、その腕に握られたトンファーで弾いたのだ。
ミニレッグガードが、右腕のほうのトンファーを振るった。
少年たちが、あわててさがる。
当たれば確実に即死だが、レッグガードの操縦者に殺すつもりはないらしい。あきらかに威嚇だった。
そのとき背後から、銃声があがった。
少年たちのリーダーが乗る本物のレッグガードからの射撃だ。
ミニレッグガードは、なんなくすべての弾丸を避けていた。振り返ったわけではない。どう見ても後方の状況を識別できるような機能などないはずなのだが、1発たりともかすりはしない。
走りながら、ミニは反転した。
ためらう様子もなく、突進する。
大人と子供の戦いだ。
だが必ずしも、大人が勝つとはかぎらない。
象を倒す蟻の話も存在する。
〈ドドドドドッ!〉
機関銃の速射をかいくぐりながら、ミニは足元に滑り込んだ。左腕のトンファーを、巨人の片足に叩きつける。
グラッと、機体がよろけた。
ミニが飛び上がる。
「バカな!」
思わず副リーダーは、トレーラーのなかで叫んだ。
そんなことがあるのか!?
いつからレッグガードに、ジャンプ機能など付加されるようになったのだ!
人間を模してはいるが、人間のように飛び跳ねる必要などない。天空を攻撃したければ、銃やミサイルを放てばいいのだから。
武器がトンファーだからなのか!?
いや、格闘用レッグガードであろうと、世界のどのメーカーにも「跳ねる」レッグガードなどないはずだ。
ミニは巨人の顔面(人間と同じように各部位を表現するのなら)の高さまで飛び上がっていた。
次の一撃は、右腕のトンファーを振り回した。
さきほどは、あれほどの機動力を誇っていた『瑠璃』が、相手のなすがままだ。やはり小さいぶん、速さではまったくかなわない。
子供からの打撃をうけて、大人のほうがバランスを崩した。足と顔面の二撃がきいた。琉球古武術を本当にやっているかは知らないが、すくなくともこのミニの操縦者は、すばらしい格闘センスをもっているようだ。
ミニは、倒れた巨人には目もくれず、どさくさにまぎれて再発進をはじめたトレーラーに向かった。
運転席めがけて、トンファーを振った。
つんざくような破壊音が、場を凍りつかせる。
割れた防弾ガラス。
ひしゃげたフレーム。
「ま、まて!」
なんとか開いたドアから、副リーダーが飛び出した。
「こ、降参だ!」
両手を上げていた。
権威も失墜しそうな情けない姿だが、運転席の惨状を見れば、仕方のないことだろう。
仲間の少年に肩をかりると、近くに置いてあった自分たちの車に乗り込んだ。ミニは、それを阻止しようとはしなかった。副リーダーだけでなく、その他の少年たちも数台に分乗しおわるまで、ただそこで待っていた。
「つ、次は、こうはいかねえからな!」
捨て台詞を残すと、少年たちの車はアスファルトの埃を散らしながら、いずこへと消えていった。
砂漠戦用レッグガード『瑠璃』も、すでに起き上がり、撤退をはじめていた。トレーラーが運転不能になった以上、もうレッグガードを運ぶ手段がなくなってしまった。乗って逃げればいいではないか、と思うかもしれないが、レッグガードの操縦には、相当の技術力がいる。素人が操ったところで、まともに歩くこともできないだろう。それに仲間は全員、逃走をはかっている。
つまり強奪は、3度目の失敗におわったのだ。