第二章 飛翔 2
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朝の食卓。なにごともなく家族ごっこの儀式を終えると、由志は学校へ行くための支度をはじめた。
いつもとちがうのは、そこからだった。
「ねえ、今日はいっしょに学校へ行かない?」
姉の沙莉に、そう声をかけられた。
「……」
なぜ、そんなことを言うのか? 学校へは、いつもいっしょに行っているではないか。
「歩いてよ、歩いて」
なにかをたくらんでいる。だが、断る理由も思いつかなかったので、由志は沙莉のあとに続いた。
「今日は、歩いて行くわ」
運転手に沙莉が告げた。
「お嬢様、危険です」
「大丈夫よ、なにかあったら弟が守ってくれるわ。ね?」
沙莉はそう言って、由志に視線を移した。
弟、というところに棘と皮肉がこめられていた。
由志はなにも答えず、ことの成り行きを見守った。運転手は、まだなにかを言いたそうだったが、それを無視して沙莉が歩き出す。
門を出て、高級住宅地の道を進む。
学校も楽園内にあるから、運転手が心配するような危険はない。いつもは5分ほどの道のりを、15分かけて歩いていく。
「どうしたんですか?」
もう少しで到着という地点で、由志は声をかけた。普段、由志のほうから姉にしゃべりかけることはない。
「なにが?」
「どうして歩いて……」
彼女に自分の足で歩くという発想があること自体が驚きだった。
「いいじゃない、たまには」
なぜ、由志までいっしょに……なのか?
仲の良い姉弟だったら、それもあるだろう。だが血のつながりもない、仲も悪い、そんな関係性なのに……。
「なにを考えてるんですか?」
「いいじゃない。たまには、姉弟みずいらず」
冗談にしても笑えない。
すると、数人の影が道端から飛び出してきた。7、8人はいる。
そのなかには、見覚えのある顔も……。
「よ! 色男、また会ったな」
そのうちの1人が言った。名は、ダンといったか。レイチェルの知り合いで、学校をやめた過去がある。
ミンクの副長格ということも知っていた。
おそらく、全員がメンバーだ。
「なんの用ですか?」
「オレじゃねえ」
ダンの口許には、人を不快にさせる笑みが浮いていた。
「用があるのは、リーダーだ」
「リーダー?」
「とぼけるなよ、もうわかってるんだ。おまえなんだろ、邪魔者は?」
「邪魔者?」
訊きはしたが、由志にもわかっていた。すでにバレている。
「いつも、オレたちミンクの邪魔をしてるだろ?」
それはちがった。ミンクの邪魔をしているわけではなく、獲物が重なることが多いだけだ。結果、邪魔をすることになる。
「リーダーが会いたがってる」
「なんの用で?」
もう演技はやめた。
鷹森の御曹司としてではなく、本来の自分にもどって、眼光を鋭くした。
「そうだ、その眼だ。その眼に、いつもオレらは一杯食わされていた」
「そんな話はいい。なんの用がある?」
「それは、リーダーから直接話があるだろう。いっしょについてきてもらうぞ」
ダンのとなりにいた男が、拳銃をかまえていた。年季が入っているから、略奪品ではなく、ブラックマーケットで安く手に入れたものだろう。
仕方なしに、由志は従うことにした。
「わかった。だが、リーダーとはだれだ? それを教えろ」
「来ればわかる。彼女に会えばな」
「彼女?」
べつの男はナイフを持っていて、それを沙莉に向けていた。沙莉におびえた様子はない。
「おまえも来るんだ」
いつもの余裕に満ちた笑みを浮かべたまま、沙莉は男たちのいうとおりにしている。
通学路をはずれて、しばらく進む。そこに、数台の車が停まっていた。
「乗るんだ」
由志は、後部座席に乗せられた。となりには沙莉。助手席に乗った男が拳銃を後部に向け、いつでも発砲できるように狙っていた。自分一人なら走行中に飛び降りることも可能だが、姉がいっしょではそれもできない。
パラダイスの敷地から出るには、厳重なゲートを通らなければならない。が、それは建前で、周囲を覆う高いフェンスは、ところどころ壊れている箇所がある。そこから、いくらでも出入りはできるのだ。
物騒といえば物騒だが、各家々で防犯設備をととのえているし、警備員も多く配置しているから、それほど困ることにはならない。ちなみに鷹森家は、常時12名で警備している。
ミンクたちと、拉致された鷹森姉弟も、そのほころびから外へ出た。車のまま通れるほど大きなものだった。
荒れ果てた街を抜け、そのはずれにある建物のなかに入った。かつては倉庫として使っていた場所のようだ。
由志と沙莉は、車から降ろされた。
「ここでなにを?」
「だから、リーダーが待っているのさ」
ダンが言った。
「ユウ!」
声に振り向いた。知っている声だった。
「レイチェル……」
まさか彼女が、とは思わなかった。
「なんで、ユウがここにいるの?」
「キミこそ」
「わたしは、ダンにつれられて」
どうやら、また興味本位で情報を仕入れようとしていたらしい。
「この男はな、邪魔者なんだ」
「なにするつもりなの? 彼はタカモリよ? ヘンなことをしたら、ただじゃすまないわよ!?」
「だから、邪魔者なんだ。いつもオレたちの略奪を妨害している」
そこでようやく、邪魔者の意味を理解したようだ。
「え? ま、まさか……」
本気で驚いているようだった。
「で、リーダーはどこなんだ?」
由志は言った。
リーダーがだれなのか、すでにわかっている。もちろん、レイチェルではない。不自然に通学を誘われたときから、なにかあると疑っていた。
いまも、こんなところに連れ込まれたというのに、まったく動じたふうもない。お嬢様にあるまじき態度だった。
由志は、沙莉をみつめた。
沙莉は、なにも言わない。こちらに言わせるつもりだ。どこまでも根性がねじ曲がっていた。
「リーダーは、おまえだ」
「あら、お姉さんに『おまえ』だなんて」
からかうような口調が、不快に響いた。
「どうして、こんなことを?」
それには、なぜミンクのリーダーとして君臨しているのか、という意味と、こんなところに呼び出して──という二つの意味がこめられている。
「退屈だからよ」
沙莉は、簡単に答えた。
どちらの意味にもあてはまりそうだった。
「あなただって、そういうことでしょう?」
「オレは、暇潰しでやってるわけじゃない」
「あら、偉そうなことを言うのね」
沙莉は、そこで歩きはじめた。倉庫の奥へ。
乱雑に物が積まれたあいだを抜けると、小さな空間に出た。そこには、ソファやテーブルが置かれ、さながら住居のようだった。ここが彼らの秘密基地なのだろう。
「立ち話もなんでしょう?」
そう言って、着席をすすめられた。
由志は、近くのソファに腰をおろした。
ちょうど向かい合う位置に、沙莉が座る。
ほかのメンバーは思い思いの場所に腰掛けたり、寄っ掛かったりしたようだ。ダンは、沙莉の斜め後方付近で立っていた。レイチェルも、そのとなりに並んでいた。
「なにから話す?」
まるで、世間話でもはじめようとしているような口調だ。
「いつからだ?」
「はじめからよ」
やはり、簡潔な答えだった。
「ミンクは、わたしがつくったのよ」
すでにあったところに加入したのではなく、沙莉自ら、ならず者を集めたというのか……。
お嬢様としての彼女しか知らない由志には、信じられなかった。
「わたし、パパもママも嫌いなのよね」
「どうしてだ?」
「あなたのせいよ」
悪戯っぽく、沙莉は言った。
「オレの?」
「あなたが、あの家に来たから」
「まさか、親をとられたなんて言い出さないだろうな」
「そうよ。あなたが、わたしからパパとママを奪ったのよ」
そんな素直な感情表現ができるような女ではない。もっと、ねじ曲がっているはずだ。
「オレが憎いのか?」
「憎いわよ」
その声には、むしろ憎しみよりも、愉快さがふくまれていた。なにが本心なのか、はかれない。
「それで、略奪行為を?」
「パパの邪魔をすれば、あなたが苦しむかと思って」
なるほど。ミンクと標的がバッティングしていたのは、そのためだったのだ。
「なぜ、オレが苦しむ?」
「だって、いずれはあなたが継ぐんでしょう?」
父は、そう考えているだろう。だが、由志にそのつもりはなかった。だからこそ抵抗の意味で、いまの活動があるのだ。
「直接、オレになにかしようとは考えなかったのか?」
「あなたのような小物に危害をくわえても、おもしろくもなんともないでしょう?」
小物という表現にも、怒りはわいてこなかった。この姉の術中にはまるわけにはいかない。
相手を下に見て、優越感にひたりたいのだ。ここで怒っていたら、沙莉の笑みは、より一層、深くなっているだろう。
「いつ、オレだとわかった?」
「最初からよ。うすうすだったけどね」
そして一拍、置いてから、
「昨日、確信した。あの護衛と戦ってるとき」
カイン・チェンバースという兵士との戦闘のことだ。
「戦い方がね、あなただって」
「……」
「あの武器……なんだっけ? まだ日本にいたころ、空手の道場にあなたもわたしも通わされてたでしょ。たしか、そのときの師範が琉球古武術の達人でもあった。あなたが、あの武器もこっそり習ってたのを知ってたわ」
そのとおりだ。空手よりも古武術のほうを熱心に鍛錬していた。
「いつもは、わたしと戦うじゃない? そのときは、わたしも夢中だから、よくわからないのよ。でも、ほかの人と戦ってるところを客観的に見たら……わかっちゃった」
喜々として、沙莉は言った。
「そしてね……嫉妬しちゃった」
「?」
「わたし以外と戦うなんて、許せないって」
なんと歪んだ感情なのだ。あらためて由志は、そう思った。
「で、こんなところにつれてきて、オレをどうするつもりだ?」
「なにも」
意外な返答だった。
「ねえ。わたしの仲間にならない?」
「ごめんだね」
「わたしのものになりなさいよ」
「……」
「あなたとわたしが組めば、なんだってできるわ。羽ばたいてみたくない?」
「羽ばたく?」
「この国を出て……日本でもない、世界のどこへでも飛んでいくの……」
由志は、首を横に振った。
沙莉は残念そうな顔になったが、それすら演技のように感じた。
しばらくして、由志は解放された。パラダイスのはずれで車を降ろされた。レイチェルもいっしょだった。
ダンからいろいろ口止めされているのか、レイチェルはずっと黙ったままだった。
どこへでも飛んでいくの──。
そう言った沙莉の言葉が思い起こされた。
沙莉の言動は、どれも信じられないが、その言葉だけは真実のような気がした。




