第二章 飛翔 1
第二章 飛翔
1
東京──。
温暖化により、かつてのベイエリアは水没し、渋谷、神保町、秋葉原、錦糸町、このラインが海沿いの街になっている。ただしお台場だけは、さらなる埋め立てで、巨大な人工島と化していた。
東京駅も、以前より北側に移動している。むかしでいうところの御茶の水がそうだ。
それらにともなって、埼玉県の南部が東京に吸収された。東京は現在でも日本の首都であり、世界最大の都市でもある。近代化と伝統が同居し、美しい街並みはいまもかわらない。
そしてまた、この都市と同様に、日本の繁栄もゆるぎなかった。
アメリカから中国へ。寄生する国が変化しようとも、この国には財があふれ、優秀な人材がつどう。
『極東のフィクサー』──以前はそう呼ばれ、現在では『中央のフィクサー』と呼ばれている。
『FJ』といえば、この国の代名詞だ。
「民間の軍隊?」
「そうです。しかし、それでいて、どこの陣営にも属することはありません」
「どういうことなんだ?」
沖田重工本社ビル。会議室──。
日本だけでなく、世界にも誇る大企業の中枢が、この部屋に集結していた。
ゆりかごから墓場まで。文房具から兵器まで。あらゆるものに財を求める総合商社。巨大軍需産業としての顔でも有名だ。
日本企業のビッグネームは、この沖田重工とタカモリコーポレーションの両巨頭が双璧をなす。ただしタカモリは、現在ではアメリカに本拠地を置く。
「どこの国にも、組織にも所属することはありません。もちろん、国連という偽善の団体とも関係はしません」
「それで、なにをするというのだね?」
「紛争への介入。国同士の争いでも、国家とテロ組織の戦闘にも」
「介入? どうやって?」
「もちろん、兵器による戦闘行為です」
壮年の経営陣たちに説明をくわえているのは、30歳前後のまだ若い男だった。
沖田重工社長の御曹司。沖田誠四郎。
お歴々の重鎮たちとくらべれば、あきらかに迫力と経験が不足している。が、この男は底知れぬ自信に満ちあふれていた。そしてなによりも、帝王のような威厳がある。
「そのために、軍隊をもつということですか?」
「そういうことになります」
「それは、傭兵部隊のようなものと思ってもいいんですか?」
「ちがいます」
「どうちがうのですか?」
「傭兵部隊は、金で雇い主を変えます。ですがこの部隊は、先述したとおり、どこの国にも組織にも所属はしません」
「どういう理念で戦うというのだ!」
質問を浴びせる経営陣は次々に発言者がかわり、戸惑いと混乱を声にのせていく。
対する沖田誠四郎は、孤軍奮闘といった様相だ。
「当然、金や利益ではない。それは、わが社にとってもです」
経営にたずさわる者にとって、その言葉は禁句だ。企業の利にならない行為など、やってはいけないことだ。
室内は、ざわめきに支配された。
「この部隊は、あくまで紛争の解決や終息を目的とするものです」
それがないことのように、御曹司は続けた。
「軍需産業を潤わすためでもなく、特定の勢力に肩入れするためでもない」
「まさか、平和のため……そんな、きれいごとを言うつもりですか?」
「いけませんか?」
沖田誠四郎は、真正面からそう答えた。
「1日も早い紛争の終結。それが目的であり、それ以上でもそれ以下でもありません」
「坊ちゃん、本気なのですか?」
「本気です」
ゆるぎないその返事に、室内は静まった。
すぐに沈黙は破られた。
「青写真はできているのか?」
それまでの質問者とは、あきらかに威厳がちがっていた。
沖田壮介。
沖田重工トップの声は、聞く者の背筋を凍らせる響きがある。
「人員の選考は、すでにはじまっています。決定している者も」
「ほう。聞かせてもらおうか?」
「はい。まずは、カイン・チェンバース。この隊の看板になる男です。みなさんも、名前はご存じのはずだ」
「デザード・ドッグ……ですか」
だれかの囁きが漏れた。
アフリカの最前線で活躍していた英雄だ。長年、ATO軍に所属し、WTA(世界解放同盟)と戦闘を繰り広げた人物。『デザート・ドッグ』という隊の名称は、そのままカイン・チェンバーズの異名にもなっている。砂漠戦のエキスパートで、熟練のレッグガード使いだ。
2年前にATO軍を去ってからは、傭兵として活動しているというが、それを知る者は少ない。
「彼には、陸戦部隊のリーダーをつとめてもらいます。もちろんそれだけではなく、隊全体のまとめ役にもなってもらわなければなりません」
「陸戦部隊? ということは……」
「そうです。陸戦のほかに、海戦、空戦、偵察、それぞれの部隊を創設します。いえ、もっと増えるかもしれない」
重鎮たちは、みな息をのんでいた。
「では、話をもどします。そのほかに決定しているのは、サンチェス・ロドリゲス」
メキシコ人。攻撃ヘリのパイロット。陸戦部隊の後方支援にあたる。
「デアーク・ルカーチュ。偵察部隊」
女性。ハンガリー人。サイレント・ビューティと呼ばれている戦闘機パイロット。新型のステルス機に搭乗予定。
「その三名だけなのか?」
帝王の声に、侮蔑が混じった。たとえ実の息子でも容赦はない。
「いまのところは……ですが、候補は何人かいます。いずれも優秀な人材です」
実際に見てみなければ……そんな意のこもった視線をみなが向けていた。
「近日中には、正式に発表できるはずです」
沖田誠四郎は、自信をもって言った。
それでこの会議は終了するはずであった。
「それともう一つ、報告が」
室内に、ざわめきがもどった。
「この構想ですが、わが沖田重工だけでなされるわけではありません。協力していただく企業があります」
みな、沖田誠四郎の次の言葉を待った。
「その名は、タカモリコーポレーション!」
高らかに、声は響いた。
ざわめきから、喧騒へ発展した。
沖田とタカモリ。
かつては『鷹森』と表記されていた。鷹森グループと沖田は、いわばライバル関係にあり、すべてのことで競い合っていた。
はるかむかし、冷戦時代のアメリカとソ連のように──その後でいえば、アメリカと中国のように、手を組むことは絶対にないと信じられていた日本の二大企業だ。
現在、タカモリはアメリカに本拠地を移設しているが、やはりジャパンブランドの会社として知られている。
「まさか……」
重鎮たちの顔色は、驚愕に満ちている。
帝王すら、このことは予想できなかったらしい。
「タカモリとの共同で、新兵器の開発もおこなうことが決まっています。兵器提供もこころよく応じてくれました」
「馬鹿な……鷹森が……なにか思惑があるにきまってる!」
だれかの発言が、場の総意をしめしていた。
「思惑はあるのでしょう」
沖田誠四郎は、素直に認めた。
「ですが、そうであっても、利用できるものは利用します。でなければ、このような構想は実現できません」
この男の覚悟が、室内を納得させた。
それだけの説得力と、脅迫にも似た強さを感じたのだ。
まさしく、帝王の系譜を継ぐ者──。
* * *
宮城、松島飛行場──。
航空機の群れが、これから離陸しようとしていた。機種は、T-9。チーム名は、ブルーインパルス。
かつては航空自衛隊の曲技飛行隊のことであったが、自衛隊が日本の正規軍に改編したと同時に、民間の飛行チームとなった。
T-9という機体は、川崎重工が製造し、自衛隊時代からインパルスで使用されていたT-4の後継機である。あくまでも練習機であるので、戦闘能力はない。
数機の編隊が、離陸していく。
『ジョー、最後のフライトだ。歓迎してやるぜ』
『まだやめるって決めたわけじゃない』
飛び立ったのは、6機。
先頭に1機、次列に2機。後列に3機。ピタリとそろって飛行している。
デルタの隊列だ。それぞれの機から、煙が噴出した。故障ではない。曲技飛行のための煙だ。
6機がそれぞれ方向を転じ、まるで蒼穹のキャンパスに筆を走らせるように散らばった。すると、どうだろう。青空に星型のマークが描かれた。
スター&クロス。
それからも次々に、曲技をきめていく。
レイン・フォール。
『いいから、行けって。おまえは、空軍志望だろ』
『志望じゃない。入ったが、落ちこぼれたんだ』
ボントン・ロール。
『嘘つけ! 腕だったら、一番だったろう?』
『ああ。おれが一番うまかった』
6機のうち、2機が隊列をはなれた。その2機が、からみつくように飛行する。
コーク・スクリュー。
『上官に逆らって、クビになったんだろ?』
『クビじゃない。おれのほうからやめたんだ』
『だったら、見返してやれよ。おまえは、ここにいるべき人間じゃない』
『そんなに嫌われてたのか?』
2機が上下に並ぶように並走していたが、上にいた機が、180度回転した。2機の操縦席がくっつくぐらいの近距離で飛行する。
カリプソ。
『そういうことじゃない。みせてもらいたいんだよ』
『なにをだ?』
『意地だ。おれたちの意地……曲芸だけじゃねえってな』
背面飛行していた上の1機がもとにもどり、下の機が反転した。底部を合わせて飛行する。
バック・トゥ・バック。
『意地か……』
『おまえなら、どんな空でもやっていけるさ』
上の1機が、もう1機から離れた。
地上すれすれに高度を落し、疾走する。そこから急上昇すると、宙返り。さらにロールを入れて、5機と合流した。
ロー・アングル・キューバン。
『餞別だ』
今度は1機を残して、5機が上空を駆ける。
それぞれが円を描き、5つの円が重なるように空を彩った。
サクラ。
『ジョー……飛鳥丈! 思い切りやってこい!』
* * *
大西洋、アフリカ北西部沖──。
ATO軍空母『カレル・ドールマン』。
オランダ軍所有のものをATO軍に貸し出しているかたちになっている。この名の航空母艦としては4代目にあたり、艦長もまたオランダ人がつとめている。
「最後の航海は、静かなものだ」
艦長であるディーデリック・ハルデマンは、だれに言うでもなくつぶやいた。
年齢は60を超える。操艦技術では世界でも右に出る者はないとされ、魔術師の異名をとる。
この航海を最後に、軍を退役する。
余生をのんびりと過ごすはずだったが、ある企業からオファーを受けた。日本の企業だ。
「中立の軍隊とは、酔狂なことを」
どこかふくみをもたせて、ハルデマンは言葉を吐いた。
その酔狂なことに、自身も加わろうとしている。まだ返事はしていないが、心の奥では決意が固まっていた。
「なにか言われましたか?」
すぐとなりにいた副艦長に問われた。
「海は青いな、今日も」
べつのことを口にした。第2の人生に、なぜだか熱いものを予感していた。
まだまだ、老兵は去らない。




