プロローグ
プロローグ
アフリカは、死んだ……。
太古より生命の母として君臨した灼熱の大陸は、ついにその寿命を終えた。それは、生きとし生けるものの必然が尽きたということか……それとも、人類の──。
どちらにしろ、大陸は生命を拒絶した。
北部全域を「サハラ」が呑み込み、南から北上した「カラハリ」に中央部までを席巻された。
そこは、砂だけの世界と化した。
苛酷な気候は人々から生息の自由を奪い、土地を追われた人々を流浪の民とした。わずかに人の営みを許されたのは、北西部のほんの先端──かつての国名で言うところのモーリタニア、セネガル、ガンビア、ギニアビサオ、ギニア、シエラレオネの各沿岸部。ギニア湾に面した中央の一部──かつてはナイジェリア、カメルーン、ガボンと呼ばれた国々だ。そして中東部の海岸沿い──モンバサ、ダルエスサラームは、いまでも港を有する都市として残っている。南アフリカのケープタウンやポートエリザベスも残っているが、かつての栄華はない。
多くの国々が解体され、国民は他大陸に移り住むことを余儀なくされた。それは南米の高山地帯、北米のアラスカを中心とする極寒の地、中央アジアの山岳地帯、そしてシベリア地方……いずれにしろ、彼らの移住した土地も人間を拒絶していた。
それでも彼らは、そこに移りゆくしかなかったのだ。
西暦2127年──。
『《砂上の巨人》応答せよ。こちら《低空のカラス》──《砂上の巨人》応答せよ』
ノイズ混じりの荒い回線。電磁波が飛ばない『ア熱障害』が確認されてからもう20数年経つが、最新鋭の「対ア熱通信システム」導入に踏み切れない、苦しい懐事情をいやでも思い知らされる。
『繰り返す、《砂上の巨人》応答せよ!』
「聞こえてるよ」
感情の弾けかかった声に、カイン・チェンバースは無愛想に応じた。眼前のスクリーンには、無限に広がる黄金色の平原。それを退屈そうな瞳で眺めている。
『まじめにやれ、カイン!』
刺々しい叱咤が、ぼやけていた視線を一瞬だけ正気にさせた。
一瞬だけだ。
「わかったよ」
そう返すが、そのときにはもう、退屈そうな定まらない瞳を、同じように砂の荒野に向けている。
『いいか、報告するぞ。「蟻塚は、沈黙を継続──働きアリは休暇中」……繰り返す、「働きアリは休暇中」』
「それにしても、なんちゅう符号だよ。何度聞いても、上層部のキリギリス様たちのセンスを疑うね」
『その言葉は、聞き捨てならんな。上官批判か!? 軍法会議ものだぞ』
「冗談だろ? おれたちキリギリスの下っ端は、素肌で外に出たら3分で色黒美男子に変身できるような、こんな最前線で働きづめなんだ。嫌味の一つぐらい言わせろよ。だいたい、キリギリスは遊びほうけてるのが相場ってもんだぜ」
『おまえが口にするのは、嫌味と皮肉しかないだろう』
「そうか?」
『それにおれたちはキリギリスじゃない。無法者を見張る《番犬》だ』
「いつのまにか、ジョークの腕をあげたじゃないか」
カイン・チェンバースのとぼけた声に、通信相手は不毛な会話と悟ったのだろう、事務的な口調にもどり、報告を繰り返した。
『働きアリは休暇中──わかったな?』
「了解、了解……今日も平穏でなによりなことだ」
『これより、帰還する。ベースキャンプまで17分だ』
「OK、こちらも機能を停止する」
通信を終えると、カイン・チェンバースは左右のスティックを引いた。そのまま左右の「腕」を制御しているその操縦桿を同時に引くことで、攻撃モードの解除になっている。
スクリーンの画像が変わった。実際の風景映像から、操縦している『巨人』の立体模型が表示された。表示されているのはそれだけだから、まわりに障害物がないことが確認できる。
右足の加速アクセルと、左足の歩行ペダルを踏み込んだ。
《砂上の巨人》が動きだした。
♢日陽新聞(2091年5月27日)より♢
現在、世界の主要都市でテロが頻発している。前時代から残っているISなどの古参組織をはじめとして、あらたに設立された、イタリアのIUAR、フランスの『遅れた宣誓』などの暗躍。さらにアジア地域のテロ組織の動きが活発になっている。これは、アフリカ諸国からの移民により、各主要都市の失業率が過去例をみないほど上昇していることが原因としてあげられる。かつては『イスラム国』建国のために蜂起したISにしても、現在ではアフリカからの移住問題が闘争理由となっているほどだ。アフリカ大陸の中央部では、日中の平均気温が50度を超え、これからさらにアフリカ諸国の移民が世界各国に広がると予想される。より一層のテロへの警戒が必要となるだろう。(記事・三矢俊介)
方向転換は、歩行ペダル──足をのせる部分の左右両側についている接触センサーでおこなうことができる。右に回りたければ、左足の内側──親指のつけ根あたりでセンサーに触れればいい。左へ曲がりたいのであれば外側──左足の小指あたりでセンサーに触れれる。曲がりぐあいは、右足で踏む加速アクセルとの兼ね合いで調整するのだ。例えば、その場所で180度方向転換をしたければ、加速アクセルは最弱の踏み込みでなければならない。逆に、大回りで方向転換したいのならば、アクセルを強く踏み込めばいい。
『巨人』は、それまで向いていた方角から、ちょうど180度反転すると、30メートル歩行した。この、30メートルという移動距離は、スクリーンに正確に表示されている。パイロットは、通常の移動では、この立体模型を映した画像ですべてをおこなうのだ。
そこは、窪地になっていた。地形のゆるやかな変化も、巨人の探索能力は見逃さない。これは通常のレーダー探知でなく、潜水艦の音響ソナー技術を応用した『対ア熱戦用アクティブ音響レーダー』AARを使用したものだ。電磁波の飛ばないこの灼熱の大陸では、音で探知するしかない。いまのようにゆとりがある平常時では困ることはないが、非常時となると瞬間の行動にとって足枷となる機能だ。光と音の差は、やはり大きい。
カインは、ゆっくりと砂の傾斜をくだってゆくように、歩行ペダルをゆるく踏み込んだ。同時に、加速アクセルをわずか踏んだ。
* * *
〈シャカ、シャカ、シャカ〉
巨人が砂の傾斜に一歩目を踏み出したときに、小気味よいシャッター音が響いた。おそらく巨人の耳には届いていないだろう。
「おー、こええ!」
砂に埋まるように、一人の男が地に背中を預け、カメラを上方に向けていた。
男のすぐ横を、すれすれで巨人の足がかすめていく。
軍服さながらの迷彩色の服装に、やはり迷彩だが、ワンポイントで日の丸が描かれたヘルメット姿。東洋人独特の顔だちと合わせると、十中八九、日本人だろう。
手にするカメラは、復刻レプリカだろうが、年季のはいった軍用ライカ。従軍カメラマンなのだろうか。とにかく命懸けの撮影のようだ。
「いぇ~い! これがATO軍の旧型ヒュレスかい! もうポンコツだって話だったが、これがどうして、なかなかいいフィルムだね~ッと!!」
陽気にそう叫ぶと、命知らずのカメラマンは、シャッターを無邪気に押しまくる。
爆音が破裂したのは、巨人が二歩目を踏み出したときだった。
〈ドドドドドド──ッ〉
♢日陽新聞(2104年1月4日)より♢
ASB(アフリカ大陸砂漠化対策委員会)の委員長であり、エジプト首相でもあるカリア氏は、ついにアフリカ大陸の放棄を宣言した。これは、ASBに所属する全アフリカ各国の同意によるものである。ASBに所属していない南アフリカなどの一部地域を除いて、今後、世界各地に砂漠化難民が移住するという事態に陥ってしまった。カリア委員長は世界各国の政府首脳に向け、「難民の好条件での受け入れを望む」と会見で語った。しかし現在の世界情勢において、それは難しいことと予想される。(記事・三矢俊介)
「なんだぁ!?」
それは、砂のなかから現れた、もう一体の巨人が放ったものだった。
「解放同盟のレッグガードじゃねえか」
ほかになにもない砂だけの世界に、対峙する二体の巨人──。まるで伝説か、神話の一節のよう。
突如、現れた巨人は、手にする武器で攻撃を仕掛けていた。その手にした武器が、この戦闘が伝説やお伽噺のようなファンタジーでないことを物語っていた。
「MPSS-16! MP5Kのレプリカ銃を使ってるとは聞いちゃいたが、なつかしいデザインを拝めるとは、うれしいね~!」
カメラマンは、歓喜の声をあげた。
すでに人の世では絶滅した銃器たちが、この世界ではまだ生きている。MP5Kとは、かつてH&K社の誇る短機関銃だったが、この巨人仕様の製造には、イタリアのプレスティージオという航空パーツメーカーが関与しているという。
対するもう一方の巨人も、反撃に移ろうとしていた。こちらは武器を携帯しているのではなく、右腕の外側が開閉して、機関砲があらわれた。攻撃時だけに武器を出すのは、砂漠戦用に開発されたレッグガード特有のものだ。砂による弾づまりを防ぐ目的がある。
二体の巨人は、戦闘を開始した。
「おお、いいぞ! やれ~~っ!!」
* * *
「おもしれえ!」
カイン・チェンバースは、眼前に映る敵を眼にしたことで、本来の自分を取り戻した。
すでに、攻撃モードに変換している。
「《デザート・ドッグ》のケンカ屋に、ケンカを売ろうってのかい?」
スクリーンには、敵のプロフィールが事細かく表示されている。
機体──WRW-L-IR7。
陸上型レッグガード『サンツィオーネ』。
携帯武器──MPSS-16。
搭載武器──なし。
レーダーシステム──通常。
ステルス仕様──なし。
武器を携帯しているということと、レーダーが音響でないということ、それにステルス塗装が機体にほどこされていないということで、この巨体が砂漠戦用のものでないことがわかる。
レッグガード──。
もともとは、アフリカ大陸の高温砂漠化に対応した作業用のロボットだった。その当時は「レッグウォーカー」の名で親しまれていたが、それがいつしか軍用へと開発されていた。
ガードにしろ、ウォーカーにしろ、レッグ「足」が強調されているとおり、作業で、もしくは戦闘で歩行ができるということは、前世紀──21世紀におこった最大の技術革新だった。
最初にレッグガードを戦闘に使用したのは、前世紀中盤までの世界の支配国であったアメリカだ。中国との戦争『ラストウォー』において導入したのがはじまりとなる。アメリカにとって、まさしく「最後の戦争」であり、輝かしき大国の最後の記憶となった米中戦争。上海にガード16体で上陸したアメリカ軍は、中国20億の民をわずか2週間で支配した。
だが、その戦争で経済の疲弊しきった米国は、世界の表舞台から姿を消すことになる。そのときに肥太った軍需産業だけが、欧州各国のフィクサーとして世界の裏舞台で現在でも君臨しつづけているという。
その当時は、まだ「レッグガード」とは呼ばれていなかったが、上海を占領し、そこに基地を置いたアメリカ軍へ、人民軍が猛反撃をかけた。そのとき基地に残っていたレッグウォーカーは、たったの1機のみ。だがその1機で、人民軍の意地と誇りをかけた総攻撃から基地を守り抜いた。
鉄壁のガード。
そこから、レッグガードと名付けられたのだ。
♢日陽新聞(2109年11月3日)より♢
世界各国で暗躍しているテロ組織が、ぞくぞくと同盟を結んでいるということが、イギリス政府より発表された。これは、ヨーロッパの組織だけではなく、中近東、南米、そして最近になって台頭をはじめた東南アジア諸国のグループも、国・地域を越えて結集しているという。かつて世界を恐怖におとしいれたISの最盛期に近い状態と考えられる。(記事・三矢俊介)
〈ドドドドド!〉
短機関銃の弾丸が、小刻みに激しい揺れをつくる。
カインは、右の操縦桿についているボタンに手をかけた。ちょうど人差し指に当たる部分だ。そこが、銃の引き金のようになっている。
スクリーンに照準があらわれた。
トリガーを引くのに、なんのためらいもなかった。
「いけえ!」
叫びとともに、けたたまし銃声が吠える。
「うおおおお!」
〈ドドドドドドドドドドド!〉
フルオートでぶっ放した。
スクリーン上の敵レッグガードの装甲に、無数の火花が散る。
「ん!?」
画面から突然、敵の姿が消えた。
カインは加速アクセルに乗せていた足を、アクセルペダルの下にくぐらせた。そして爪先に引っかけるようにして、アクセルを上に持ち上げた。こうすれば、バックができる。
このとき、歩行ペダル左右の接触センサーどちらかに触れることで、前進するときと同様、曲がりながら後方にさがることもできるのだ。
カインは数歩だけ真後ろにさがった。
画面の右すみに、機影がかすめた。
素早い移動力で、画面から見たら右側、敵にしてみれば、左方向へ逃げたのだろう。
「チッ、やっぱりヒュレスじゃ機動性で劣っちまうな!」
愚痴をこぼしながら、カインはマシン性能の限界をつかって、敵レッグガードを真正面にとらえた。
だがそれは、むこうにとってみれば、絶好の攻撃チャンス!
画面中央で、MPSS-16を雄々しくかまえていた。
「クソッ!」
あわててトリガーを引くが、引いた直後に画像が乱れた。
すぐに、黒一色。
「ゲームオーバーかよ」
♢日陽新聞(2112年2月16日)より♢
ここにきて、テロ組織の単一化が進んでいるということがわかってきた。かねてより世界のテロ組織が次々と同盟を結んでいることは以前に報道されていたとおりだが、その同盟した組織が、さらに結集を続けているという。すべてのテロ組織が一つにまとまるのも時間の問題といえるだろう。そしてこれは、本紙だけのスクープ情報だが、その一つにまとまりかけているテロ組織が、移住のため人のいなくなっているアフリカ大陸を拠点にすべく、すでに大サハラ砂漠の中央に潜入をはじめているらしい。まさしく、かつてシリアを拠点にしたISの再来といえるだろう。(記事・三矢俊介)
* * *
MPSS-16の連射は、弾が尽きるまでやまなかった。
〈シャカ、シャカ、シャカ〉
けたたましい射撃音の消えた砂上に、シャッターの音だけが虚しく響く。
「ATO軍のヒュレス、完敗ってとこか! やっぱりヒュノスにゃかなわない」
命知らずのカメラマンは、きな臭い戦場にいるのが嘘のように、無邪気に声を張り上げた。
ヒュレスとヒュノス──。
ヒュレスとは、ヒューマン・レス……つまり、人間が乗っていない「無人」という意味の造語だ。本来の『UNMANNED』は、レッグガードには使用しない。
20世紀末から、戦場でもっとも効率の良い兵力とは、無人兵器とされてきた。戦車も戦闘機も無人と化し、事実、これまでに人の死なない戦争・紛争が幾度もおこなわれてきた。
レッグガードが実戦に導入されたときも、無人兵器としてだった。もともとレッグウォーカーとして使っていたころから、過酷な砂漠まで作業員が行かなくてもいいように遠隔操作で動いていたのだ。そのシステムを、そのままガードに転用した。
しかし22世紀に入ってから、その流れも変わっていた。
歴史は繰り返す?
人の死ぬ戦争へ──。
それがヒュノス。
『ヒュレス』は、ほぼ世界共通の名称だが、『ヒュノス』という呼び名は、日本人だけのものだ。
人を乗せている……ヒューマンを乗せる、ヒューマン・乗す……ヒュノス。
世界標準としては、有人レッグガードのことは、そのまま「レッグガード」と呼ぶのが普通だ。
遠隔操作型のときにだけ、『ヒュレス』と呼んで区別していた。
「たしか、ここらへんだったな」
有人レッグガードが任務を終え、帰還のために砂漠をゆっくり進んでいくのを横目にしながら、命知らずのカメラマンは、ある一か所の砂を掘りはじめた。
「あった、あった」
掘り出した巾着袋のなかから、さらに携帯パソコンを取り出す。
次の文面を流れるように打ち込んでいく。
世界解放同盟『WTA』──通称《混沌の巨石》が、この砂漠を本拠地にしてから、はや15年が過ぎた。現在では砂のなかに強固な要塞が存在しているというが、まだそれを映像・写真におさめているメディアはない。本紙としては、必ずその要塞の姿を白日のもとにさらすことを、ここに誓わせてもらう。なお、ATO(全大西洋条約機構)連合軍の監視用レッグガードと、解放同盟のレッグガードが激しい戦闘をおこない、ヒュレスと呼ばれるATO軍の無人型レッグガードが破壊された。世界情勢が刻一刻と緊張を増すなか、今後このサハラ砂漠での戦闘が、より一層、激化していくことが予想される。
2127年4月29日(記事・三矢京吾)
「おっと、忘れるところだった」
追伸──。
私事になるが、この大サハラからの最初の記事を、10年前にやはりこの砂漠を取材で訪れ、そして命を落とした、わが父・三矢俊介に捧げる。
「問題は、日本までちゃんと送れるかってことなんだが……」
送信には、当然のことながら電波を衛生まで飛ばさなければならない。『ア熱障害』のある砂漠のただなかでも送信できる新型のコンピューターだということだが、それでも果して無事にたどりつくかどうか。
「まあ、この記事もそうだが……このおれも、無事に帰れるかどうか」
いままで夢中になれていたからいいようなものの、文章を書いていくにあたって、かなり冷静さを取り戻していた。
暑い。
おそろしく、暑い。
この大陸から人が逃げ出してしまったのも納得できる暑さだ。
いや、暑い、という感覚すら麻痺してきているようだった。
「おれは、まだまだ死なねえぞ!」
命知らずのカメラマンは、自分自身に、そして自分の運命を決めているであろう神々に向かって叫んだ。
声が灼熱の大地に霧散すると、近くに砂をかぶせて隠してあった砂漠用耐熱車に、死にそうな足取りで逃げ帰っていた。