新野太守
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1、蜀軍の軍団名と軍団長を以下の通りにします
①益州軍・劉備
②漢中軍・法正
③西涼軍・馬超(漢中軍直轄)
④荊州軍・龐統
⑤交州軍・士燮(荊州軍の指揮管轄)
2、80話の内容を一部訂正しました
新野・蔣琬→張苞と関興
樊・費禕→鮑隆と鄧芝
81話の内容と齟齬をきたす為
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龐統は長安陥落と曹丕自死の知らせを受けて江陵に荊州軍所属の将軍を急遽招集した。
「曹丕が死んだ事で魏がどのように動くか予想がつかないね。」
龐統は会議の冒頭から地図上にある長安と許昌を指揮棒で叩きながらぼやいた。
「奴等は弔い合戦に臨むのか、戦力回復に努めるのか…。」
劉封も思うところを口に出したが断言出来る材料が無いので二の句を継げなかった。
「軍師殿、何れにせよ新野の防備を固めて不測の事態に備えるしかないと思いますが。」
「確かに。今は手に入れた荊北を守り抜く方法を考えるべきです。」
陳到と趙雲は魏の混乱に乗じて攻めるよりも足元を固めるべきだと考えていた。魏延も二人と同じ考えで勢いに乗って攻めるよりも荊北の安定化を進める必要があるというものだった。
「あっしもその通りだと思ってるよ。ただ長安の方に大軍を差し向けられた時の事を考える必要があるからね。」
魏が弔い合戦を考えて長安に大軍を向けた場合、状況が変わってくる。東にある潼関を攻めていた黄忠は曹休らの激しい抵抗に遭い攻撃を断念して長安方面に退却していた。
長安は攻め易く守り難いという難点があり漢中軍を悩ませていた。潼関を奪っていればそこで魏軍を食い止めて長安を守る事が出来る上に補給の拠点として長安を活用出来る。しかし今のままでは長安で魏軍を迎え撃たなければならないので安定や南鄭から補給しなければならず山中を通るので輸送に時間が掛かる。下手をすれば長安を放棄して退却するという事態も起こりうる。
「様々な事態を想定して適任者を選び新野を任せなければならない。」
関羽は集まった将軍たちを見渡して誰が適任なのかを考えた。攻守共に優れており戦場での駆け引きにも長けた者を据えなければならない。現任者の張苞と関興は将軍になったばかりなので候補から外れる。考えられるとすれば陳到と趙雲と魏延の三人に絞られる。
陳到は江夏で呉を監視しているので異動させるとなると大掛かりになる。長沙を守っている趙雲もまた同じである。今の呉は劉備に従っており孫劉同盟肯定派で政軍共に固められている。しかし反対派が息を吹き返したら先般と同じ状況になってしまう。それを抑えるにはあの二人を動かす事は出来ないとなれば…。
「魏延、お前さんに新野を任せるよ。」
「軍師殿、両名はどうなりますか?」
「二人には別の所で経験を積んで貰うよ。」
龐統からすれば張苞と関興には大いに期待しているが将軍になったばかりの二人に重要拠点を任せるなど有り得ない事である。才能があるからと経験が乏しい者に重要拠点を任せた事で大惨事に陥った事は前世の街亭が証明している。周囲から何と思われようが龐統は荊州軍軍団長として冷静かつ的確な判断を下しただけである。
「張苞には襄陽、関興には上庸を任せるよ。上庸の傅士仁と馬謖は樊に入れて魏延の補佐に付けるよ。」
龐統は急報を受けた時点で上庸の傅士仁と馬謖を再び魏延麾下に組み入れて戦力に厚みを持たせる事を思い付いた。二人は機会があれば再び魏延の下で働きたいと言っている事を龐統は耳にしていたので実現させる事にした。
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新野→魏延(太守)、鮑隆、鄧芝、馬忠、関索
樊→馬謖(太守)、傅士仁
襄陽→蔣琬(太守)、張苞
上庸→費禕(太守)、関興
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魏延は諸々の引き継ぎを終えて新野に赴任した。数日後には上庸から傅士仁と馬謖が樊に到着して挨拶を兼ねて新野を訪れた。
「馬謖が太守になったのか。」
魏延は笑いながら二人の肩を叩いた。当初は傅士仁が太守になる予定だったが性に合わないと馬謖に交代したいと申し出て認められた。傅士仁は文官の仕事は苦手なので武官として働きたいと希望しておりそれが叶う形になった。馬謖は割りを食った形になったが文官としての素養は十二分にあり、太守の役目を難なくこなす事を魏延は分かっているので馬謖には注文を付けなかった。




