第68話 水計
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魏延以下襄陽の将兵は毎晩酒盛りを繰り広げて馬鹿騒ぎに講じていた。魏軍を散々虚仮にしたにもかかわらず城に閉じ籠もっているので攻撃される事は無いと判断したからである。昼間は巡回や訓練をしながら酒を飲み、夜は家に帰って酒を飲む事を繰り返していた。城の内外を問わず一般民に迷惑を掛けていないのが不幸中の幸いだった。
襄陽に紛れ込んでいた魏軍の間者はこの状況を于禁に知らせた。于禁は念を入れて水軍や主力軍に紛れさせていた者からの報告を求めたが全員同じような回答だった。于禁は荊州軍の規律が緩んでいる今が好機と捉えて襄陽への攻撃を決断した。補佐役の満寵も我々が相手しなかった事で荊州軍はやる気が削がれて厭戦気分に陥っているとと考えて于禁に同意した。
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足下が覚束無い一人の兵士が軍船の中で休んでいる魏延の下を訪れた。
「魏延将軍、浅瀬を渡る不審者の行き来が頻繁になったと知らせが入りました。」
「鮑隆と鄧芝には適当で良いから警戒しろと伝えておけ。適当にな。」
「承知致しました。」
魏延は当然の事ながら不審者の報告をした兵士もまた酔っ払っていた。魏延はフラフラと立ち上がると酒の入った甕からひと掬いすると一気に飲み干した。
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于禁は満寵に城の守りを任せて西へ向かった。浅瀬から漢水を渡って沿岸を守る襄陽の主力軍を撃破した上で襄陽城を攻撃する作戦である。于禁は浅瀬に差し掛かったので再度南岸の荊州軍陣地を探らせた。
「于禁将軍、敵陣は無警戒で静まりかえっております。見張りも居りますが立っているだけであくびばかりしております。」
「我々が攻めてこないと思い込んで完全に油断しているな。徹底的に叩きのめしてやれ!」
「おー!」
于禁は檄を飛ばすと自ら先頭に立ち浅瀬に入り渡河を始めた。雨が多い時期にも水位が普段と変わらないので少々疑問に思ったが雨の日が少なかった事もあり、こんなものだろうと気にしないようにした。
「荊州軍は泥酔状態で足腰が立たない。今までの鬱憤をぶつけてやれ!」
于禁は荊州軍陣地に攻め込んだ。立っている筈の見張りも居ないので明らかにおかしいと感じた。
「于禁、我は桂陽の鮑隆。尋常に勝負しろ!」
鮑隆は名乗りを上げると于禁目掛けて馬を走らせた。
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鄧芝は襄陽西方の浅瀬からまだ西へ行った所に居た。そこには土塁が築かれており水が大量に堰き止められていた。偽装工作で一部分だけ低く作られており水の流れは確保されている。
「将軍、魏軍が渡河を始めました。」
「土塁を破壊しろ。その後は東に向かい魏軍の残存兵を叩く。」
兵士が土塁を破壊したのを確認すると鄧芝は東に向けて動き出した。その横で堰き止められていた水が恐ろしい勢いで周囲を呑み込みながら東へ流れ始めた。
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浅瀬を渡河していた魏軍兵士は西の方から聞こえてくる異音に気付いた。
「何の音だ?」
「分からん。」
「おい、水嵩が増えてるぞ!」
「まさか?!」
その瞬間、濁流が多数の魏軍兵士を呑み込んだ。濁流は瞬く間に東へ流れ去り、そこには何一つ残らなかった。
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于禁は鮑隆と戦っていたが虎殺しの異名を持つ鮑隆に押されていた。
「于禁将軍!洪水で後方の味方が全滅です!」
「何だと?!」
于禁は急報を告げた味方兵士に気を取られた。その隙を鮑隆は見逃さず得物の三叉刀が于禁の胸を捉えた。
「ぐはっ!」
于禁は胸に刺さった三叉刀を掴みながら落馬してそのまま息絶えた。鮑隆は于禁の首を周囲に知らしめるように高々と掲げた。
「敵将于禁は鮑隆が討ち取った!」
その様を見た魏軍兵士は統制が取れなくなり荊州軍によって次々と討たれていった。
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魏の水軍は満寵の指示で荊州水軍の気を逸らす為に樊から出撃して対岸に向かっていた。荊州水軍は篝火すら点けず全くの無警戒で魏軍から見れば完全に舐められていた。
于禁と同様に今までの恨み辛みを晴らしてやると言わんばかりの勢いで進んでいた。その矢先に濁流が横腹に襲い掛かった。船は次々と転覆して数を減らした。難を逃れた船が右往左往していると襄陽に居た荊州水軍の船に篝火が灯され突如動き出した。
「川の流れに逆らわず火矢で攻めたてろ。」
魏延は指示を出すと自らも弓を持ち、兵士に並んで火矢を放った。魏の軍船は抵抗する間も無く次々と火に包まれながら下流に流されていった。魏軍兵士は焼け死ぬのは御免だと漢水に飛び込んだが勢いの収まらない濁流に呑み込まれた。
「我々はこのまま待機する。流れが落ち着き次第、樊城に攻め掛かる。周囲の警戒を怠るな。」
魏延は水軍に指示を出すと流れが落ち着きつつある漢水に視線を移した。